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中央大学を「中退」した33歳フリーライターの末路 夢のため自分を追い込み予想より追い込まれる

6/25 9:01 配信

東洋経済オンライン

学歴社会ではなにかとネガティブに受け止められがちな「中退」。だが、中退した結果、どんな人生を送ることになるかは、今まであまり可視化されてこなかった。
そこで、この連載では「学校を中退した」人たちにインタビュー。「どんな理由で中退を選んだか」「中退を後悔しているか、それとも辞めてよかったと思っているか」「中退した結果、人生はどうなったか」などを尋ね、中退という選択が、その後の人生や価値観に与える影響を浮き彫りにしていく。

 本連載第1回の今回、話を聞くのはフリーライターの三上涼さん(仮名・33歳)。多数のWebメディアで執筆する男性だ。

 1988年生まれの彼は、北海道の道東出身で、中央大学文学部を4年時に中退している。

 中大と言えば、 明治大学、青山学院大学、立教大学、法政大学とともにMARCH(最近は学習院大学を加えてGMARCHと呼ばれることも)を形成する一校として知られる名門だが、なぜ中退したのか。そして、その後どんな人生を歩んだのか。

 語ってもらう前に、まずは彼がどんな目的で上京し、中大に入学したのかも話してもらおう。

■田舎に馴染めず、東京での大学生活に憧れ

 「子どもの頃から本やマンガが好きで、農家が実家の身としては出版社の仕事が都会的で楽しそうに見えました。ただ、あまり真面目に勉強していなかったので、高校は進学校ではなく運動部中心の高校。ヤンキーが多かったこともあり、東京の、オタクっぽいノリの大学生活に憧れを持つようになりました」

 三上さんの両親はともに高卒だ。それもあってか「大学に行けという雰囲気はなく、むしろ『お金がかかる』と苦い顔をされました」とのこと。

 そんななか、一浪の末、三上さんは中大文学部に合格し、上京した。

 「上京後、キャンパスが八王子にあることを知りました。普通に畑とかあって田舎だし、山の上にあって(笑)。でも、キャンパスの雰囲気や学生運動の名残のあるサークル棟とかも好きでした。出版系のサークルでフリーペーパーを作ったり、同人イベントに出展したり、多様性しかない楽しい学生生活でしたね」

 ここまでなら大学生活をエンジョイする学生であり、中退する流れには思えない。三上さんが中退した理由は何だったのか。いわく、複数の要因があったようだ。

 「中退以前に、まず大学1年の春夏で自分が面接が苦手なことに気づいていたことがありました。居酒屋や本屋、ブライダル関係など、在学中はさまざまなバイトに応募しましたが、最初のバイトが決まるまでけっこうな率で不採用くらって。その結果、大学生活が始まってわりとすぐに、『自分は就活に向かないだろうな』と絶望していたんですね」

 また、三上さん自身の性質に加えて、当時の就活生たちを取り巻く環境は、とても厳しいものだった。入学後に発生したリーマンショックの影響で、就活難になったのだ。

 「私は2008年入学なのですが、リーマンショック後は『100社受けてようやく1社の内定を取れる』みたいな話もチラホラ聞いて。居酒屋バイトの面接もろくに受からない私が、狭き門である出版社を志望して普通に就活したころで、うまくいくとは到底思えなかったんです。

 加えて、サークル活動をエンジョイしすぎた結果、大学3年の前期が終わったくらいで留年がほぼ確定……。実家からは『4年分の学費しかないから、もし留年するなら5年目からは奨学金を借りて通ってほしい』と言われ、『借金してまでして、面接に弱い自分が就活をするのはコスパが悪い』と当時は思ったんです」

■ライターになるため、自分を追い込むが…

 「そもそも入学当初は、全然違う業界でもっと地に足ついた将来像を思い描いていた気もしますが、それだってかなり大変なこと。いっそ不安定でも自分なりに努力できる、やりがいを感じやすい仕事を目指す方向になっていった感じですかね……」

 結果的に留年してしまったが、ライターとしての将来も考えつつ、ただ漫然と大学時代を過ごしていたわけではなかった。

 「就活の土俵を避けて、出版業界へのコネ入社を狙っていたので、バイトと掛け持ちしながら大学2年頃から商業誌などでライターの仕事を始めていました。当時Twitterで編集者とも知り合って、月に数万円くらいは稼いでいたんです。

 学生バイトからすぐフリーランスとはさすがに考えていませんでしたが、どうせライターやるなら学歴は関係ないし、奨学金を借りるより中退したほうが身軽かなと。今思うと、『中退することで自分を追い込もう』という気持ちも、少なからずあったと思います」

 さまざまなことを天秤にかけた結果、選んだ中退という道。決断したのは4年生の時で、周囲が卒業式を迎えようとする中で、ひとり退学届を出した。

 「『あと少しで卒業できるんだから、中退はやめておけ』という友人も当然いて、実際かなり悩みました。でも両親からは、とくに反対されなかったですね。基本、放任なので『自分でよく考えろよ』みたいな感じでした」

 在学中からガジェット系の月刊誌の仕事を請けていた三上さんは大学中退後、大学時代に知り合った編集者を頼り、まずその編集プロダクションで働くことになる。

 「正社員でしたが給料は12万円~15万円くらいだったと思います。仕送りで家賃とケータイ代をもらい、バイトしまくっていた学生生活のほうが全然余裕あるなと思った記憶がありますね。

 社会保険とかも入ってないし、給料は茶封筒で手渡しだし、『昭和のドラマで見たことある!』という感じ。入社した月は校了がいくつか重なり、早速1週間くらい家に帰れなかった思い出もありますが、面白い会社でした」

 絵に描いたような下積み生活だったが、それでも仕事は楽しかった。だからこそ、「修行期間」と自分に言い聞かせた。

■入社半年で編プロを「飛んだ」結果…

 しかし三上さんは学生時代から付き合いのあった編集部から、企業の広報誌などを担当する部署へと異動させられてしまう。

 「異動先の部署の上司がスーツ着てパワーポイント資料を取引先でプレゼンをする姿を見て、自分のやりたかった仕事とのギャップに驚いたんです」

 すでに大学を中退していたこともあり、「会社辞めたら本当に所属がなくなる」という不安や恐怖もあったが、パワポ資料の作成業務の苦痛が勝ったらしい。結局、異動になってから約1カ月、入社してから半年ほどで、その編集プロを「飛んだ」という。

 中退に退職と、ある意味、「ライターしかやれない」カルマを重ね自らを追い込んでいった三上さん。しかし、実績もコネもない新米ライターには、食べていけるほどの仕事は舞い込んでこなかった。

 「新しく実話誌の編集者などと出会い、編プロを辞めてからの2~3年ほどは、警備員や飲食店などでバイトをしつつ、不定期で細々とライターの仕事をしていました。就職難だったこともあり、実は大学の同期にも卒業後しばらくフリーターしている人は少なくなかったんですが、彼らが普通に就職し始めた時はさすがにちょっと焦りましたね」

 飢えはしないが、未来の見えない生活が続く日々。不安が募り、出版以外での正社員の枠も検討したこともあったそうだが、そこで感じたのは学歴の壁だった。

 「正社員の求人を見ると、やっぱり四大卒の条件が多いんです。自分を追い込んだだけあって、本当に追い込まれたというか(笑)」

 その後、ホテルのベッドメイクやタクシー運転手の仕事に就いたこともある。

 「『記事のネタになりそうな現場』かつ『居心地よければ定着しよう』くらいに考えていたんですが、どちらもそんな甘い考えで続く仕事ではありませんでした。

 とくにホテルの仕事は正社員雇用でしたが、キツかったです。1日2万歩くらい歩いて、毎朝、身体の節々が痛かった。外国人労働者と一緒にめちゃくちゃコキ使われて、『自分は何で今ここで、この仕事をやってるんだ?』と。ひとり誰もいない部屋に帰ると、当時は凄まじい孤独を感じていました」

■転機となったふたつの出会い

 だが、月15万円程度の仕事を転々としていた彼にも大きな転機がふたつ訪れる。ひとつはネタ探しがてら参加した飲み会で、現在の妻と出会ったことだ。

 「彼女はお堅い仕事をしていて、20代にして高収入でした。同棲を始めた結果、生活のためのバイトの量を減らすことができたんです。

 ライターとして営業らしい営業もほぼしていなかったんですが、『バイトを入れすぎて、いざ仕事がきても受けられない』という悩みがずっとありました。当時は紙媒体の仕事しか経験がなかったんですが、紙って取材や入稿のスケジュールがタイトで、バイトとの調整が難しいんです。

 だから、彼女のおかげでライターの仕事に集中しやすい環境になったのは間違いないですね。具体的には、当初半年ほど家賃を立て替えてもらって……ちなみに、後日ちゃんと返しました」

 また、同じ頃に三上さんを支えてくれる恩人がもうひとり現れた。

 「もともと知り合いだった実話系の編集者の方が別の出版社に転職し、たくさん仕事を振ってくれるようになったんです。超やり手で顔も広い人だったので、いろんな編集者にどんどん自分を紹介してくれて……。正直なぜそこまで引っ張り上げてくれたのかは今でも謎ですけど、その人がステップアップするのに合わせて、営業力皆無の僕も仕事の幅が広がっていきました」

 そこで振ってもらった仕事が、2015年当時需要が高まっていたWEB記事が中心だったことも、三上さんの人生を好転させた。ページ数が決まっている紙と違い、WEB媒体はベテランライターと誌面の枠を争う必要もない。スケジュールも比較的柔軟で、数をこなしやすかったという。

 「当時はWEB記事の原稿料の単価や、量も増えていた時期だったんだと思います。WEB媒体の編集者は『好きなだけ書いて!』と言ってくれるし、なおかつ翌月に原稿料が振り込まれます。それまで残業代の概念が存在しない世界線にいた自分には、働いた分だけ稼げる感覚がとても新鮮で楽しかったです」

■中退したことを今はどう思っている? 

 そんな彼は今、自身がかつてした中退という選択をどう思っているのだろうか。

 「身も蓋もないですけど、そりゃ『卒業したほうがいいよな』とは思います。生活が苦しくなった時に、就職して安定した生活がしたいと考えたことは何度もありました。

 でも、学歴不問(実質高卒)の仕事しか選択肢がないと、やっぱり、ブラック企業を引く確率は上がるんですよね。結果的に収入も安定しないので、一人暮らしの頃はホームレスやネットカフェ難民って本当に紙一重なんだなと思っていましたから。

 冷静に考えると、『1年留年して卒業するくらいの労力は、中退後の2~3年で結局費やしたよな』感もあるし、どちらかというと私の場合はマイナスだったと感じます。でも、職業ライターとして今、それなりに納得できる現状でもあるので、帰納法的には『明確にやりたいことあって、しっかり考えての決断ならアリ』って感じなのか……難しいですね」

 複雑な胸中のようだが、もっとも、「一時は履歴書に書くのも辛かった」という中退の過去も、今ではこう考えているという。

 「職種にもよると思いますが、少なくともライターという仕事には学歴は関係ないし、年齢を重ねると『仕事ができるか』が重視されていきます。月日が経つほど過去の学歴とか関係なくなるし、強く意識する機会も減ると思うので、すでに中退して現状つらい方には、きっと年々ラクになるよとは伝えたいですね」

 就職難だった時代に敷かれたレールから外れて歩んでいくことは、決して容易なことではなかった。自由には責任が伴うという言葉もあるが、筆者は三上さんの話を聞いていたなかで「ホームレスも紙一重だったと思った」という言葉に、とてつもない重みを感じた。

 自分の人生を振り返ったときに「中退して良かった」と言えるか否かは、必ず立ちはだかる“自由の代償”に立ち向かう信念があったかどうか、なのかもしれない。

本連載では、取材を受けてくださる中退経験(大学中退、高校中退など)のある人を募集しています。応募はこちらのフォームにお願いします。ヤフーニュースなど外部配信サイトでご覧の方は、東洋経済オンラインの本サイトからお願いいたします。

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最終更新:6/25(土) 9:21

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