IDでもっと便利に新規取得

ログイン

日本に中国の影響力工作が及ばなくなった理由、戦後の日中経済史を振り返って見える変化

5/23 7:01 配信

東洋経済オンライン

米中貿易戦争により幕を開けた、国家が地政学的な目的のために経済を手段として使う「地経学」の時代。
独立したグローバルなシンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)」の専門家が、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを、順次配信していく。

■中国の影響力工作は日本にあまり及んでいない

 近年、中華人民共和国(以下、中国)による海外への影響力工作について言及されることが多い。他国に対してさまざまな手段を用いて影響力を行使し、自国の政策や価値観に沿うように誘導することは多くの国が行っている。しかし、中国が進めているのは、自国の体制モデルの優位性を示すことによって、自国の価値観に同調させようとするのではなく、情報工作や買収を通じて、世論の分断を図り、自国に有利な戦略環境を作りだそうとするものである。

 こうした影響力工作は、他国を惹きつけることで好意的な見方を醸成しようとするソフト・パワーと対比してシャープ・パワーと呼ばれる。国家の社会構造に鋭い針のように食い込み、民主主義的な価値観を毀損するものとして警戒されているのである。中国によるシャープ・パワー行使の実例として、しばしば挙げられるオーストラリアでは、中国系企業や移民を軸とした影響力工作が、首相や外相級の主要政治家や政党にまで及んでいたことが明らかになり大きなスキャンダルへと発展した。

 ところが、興味深いことに日本に関しては、こうしたシャープ・パワーによる影響力行使の成功例をあまり聞かない。

 内閣府が行っている外交世論調査(「『外交に関する世論調査』の概要」2022年1月)によると、「今後の日本と中国との関係の発展は重要と思うか」という問いに対して、回答者の78.7%が重要であると答えている。その一方で、中国に「親しみを感じるか」という問いに対しては、「親しみを感じない」「どちらかといえば親しみを感じない」という回答が79%に上る。

 8割程度の国民が中国に親しみを感じないという傾向は、尖閣領有権問題が本格化し、中国脅威論が高まったこの10年間で大きく変化していない。多くの国民が日中関係の重要性を理解しているにもかかわらず、そのことが中国への親近感に結びつかないのである。対中政策をめぐる世論の分裂がなく、日本人の対中好感度が低水準にとどまっていることは、裏を返せば中国側の影響力工作が行われていないか、またはほとんど機能していないことを意味する。それでは、なぜ中国の影響力工作は日本に対して無力なのであろうか。

 歴史をさかのぼると、第2次世界大戦後の日本は、中国の影響力工作につねにさらされ続けてきた。中国による日本社会を対象にした影響力工作は1950年代中頃にまでさかのぼる。スターリン死後の東西冷戦の緊張緩和のなかで、中国政府は対日政策を新たに策定する。それは民間交流を通じて日本国内の世論を味方に取り込み、アメリカと協調して中国非承認政策をとる日本政府に政策変更を迫る「以民促官」と呼ばれる方針であった。

■中国は国家間外交でなく「人民外交」を重視

 中国側は国家間外交ではなく、日中両国の国民が自発的に交流する「人民外交」を重視していた。具体的には、日本の各界関係者を積極的に中国に招いて、さまざまな民間協定を締結し、民間レベルでの関係を発展させようとした。こうした「人民外交」は革新勢力のみならず、多くの一般の日本人を惹きつけたことは事実である。だが、これらの民間交流は自発的に起こったものではない。中国側の民間団体の関係者は政府に厳しく統制されていた。その意味でこの「人民外交」は、日本とアメリカを離間させることを目指した中国政府による影響力工作の一環であった。

 日米離間を目指した中国政府が、最も期待をかけたのが1960年の日米安全保障条約改定をめぐる反対闘争(安保闘争)であった。この頃、中国政府は、日本国内で反米運動が高揚していることに着目し、岸信介政権への対決姿勢を打ち出した。中国側は、野党第一党の日本社会党による安保闘争を全面支援しただけでなく、保守勢力の分断を図るべく、自民党内の反主流派に積極的な訪中を働きかけた。

 安保闘争以後も中国側は、日本の国内政治に対する影響力行使を続けた。1978年に日中平和友好条約の締結交渉に臨む際、当時の福田赳夫首相が「本件条約が締結される以上、日中関係は相互に内政干渉に渉る行為を絶対に行わないことを確保する必要がある」という原則を示したのは、当時の空気を如実に物語っている。

 今日と違って中国側が大きな影響力を行使できた背景は2つ拳げられる。

 第1に、日本国内に中国に対する同情的な世論が広く存在したためである。それは「進歩的」とされた共産主義イデオロギーへの魅力と、中国大陸における過去の戦争で、中国人に甚大な被害をもたらしたことに対する日本人の贖罪意識が入り交じるものであったといえよう。国交正常化前の中国の対日影響力の源泉は、今日でいうところのソフト・パワーに近いものであったといえる。

 第2に、日本の政治制度も中国の影響力工作に有利に作用した。1950年代後半から1970年代後半まで、自民党の派閥全盛時代であった。中国と台湾(中華民国)の「2つの中国」問題が自民党内の権力闘争に連動する形で、親中国派と親台湾派との対立が先鋭化した。この時期、中国だけではなく台湾も、自民党に対する影響力工作を行っており、冷戦によって生じた分断国家が、それぞれ自民党の派閥と結びつくクロス・ナショナルな構図が見られたのである。

■最終的には目的を達成できなかった

 中国の影響力工作は効果的であり、日本国内の世論を分断し、保革対立を激化させることに成功した。しかし、彼らは最終的に目的を達成できなかった。中国側は自民党の1党優位体制を崩すことができず、日本をアメリカから離間させるという目標を達成できなかったのである。

 多くの日本人は、隣国中国との和解を望んでいたが、日本の中立化を図ろうとする中国共産党の「日本軍国主義」批判に共鳴しなかった。また中国の影響力工作の主要対象であった革新陣営も、中国政府の対外政策の振れ幅の大きさにしばしば翻弄された。とりわけ、毛沢東の共産中国に希望を抱き、親中国的な言論を展開してきた知識人たちは、中ソ対立と続く文化大革命の前に大きな混乱に陥って分裂した。日本の知識社会が早くに中国への幻滅を経験したことは、その後の中国の影響力工作に対する免疫になったといえよう。

 結局のところ、1972年に日中国交正常化が実現したのは、中国側の影響力工作の成果というよりも、米中和解の進展という国際情勢の変化によるところが大きかったといえるだろう。

 日中国交正常化が実現した後も中国の日本に対する影響力工作は続いた。だが、中国にとっての脅威がアメリカからソ連に移るなかで、徐々に日米離間を目指して革新勢力を支援するような露骨な内政干渉を控えるようになった。

■日中関係の安定期

 1970年代から1980年代にかけて、中国側が日本に影響力を行使する際に最も重視したのは、田中角栄と大平正芳に連なる自民党の親中国派であった。1972年の日中国交正常化に際して、田中は首相、大平は外相であった。それまでの自民党親中国派が、党内基盤の弱い非主流派であったのとは対照的に、田中や大平は自民党内でも主要派閥の領袖であった。とりわけ、1980年代以降、日本政治における「田中支配(田中が病気で倒れた後は経世会支配)」が確立されるなかで、日中関係はこれまでにない安定期に入った。

 1980年代においては、日中両国間で対立が生じるたびに、中国側は、正式な外交ルートと並行して、自民党の派閥領袖との間で水面下の折衝を通じて問題解決を図ろうとした。しかし、特定の人脈に依存したインフォーマルな影響力行使によって、日中関係を安定させられた時期は短かった。

 1993年に自民党が下野して55年体制が崩壊し、1996年の衆議院総選挙から小選挙区制が導入されたことによって派閥政治は弱体化し始めた。また統治機構改革によって対外政策における首相官邸の機能が強化されたことも、中国側が頼みにしてきた派閥実力者を通じた影響力行使を難しくした。一方、冷戦終結によって革新勢力が弱体化し、国交正常化以前から活動してきた友好人士も世代交代に成功せず、1990年代後半には徐々に姿を消していった。こうした日本の政治環境の変化のなかで、中国は日本に影響を与える手段を失いつつあったのである。

 1970年代以降の日中関係において中国側が影響力行使のチャネルとしてもう1つ重視していたのは、日本経済団体連合会(経団連)や経済同友会といった経済団体に代表された財界であった。1970年代末から80年代は、日中両国が経済開発という目的を共有できた幸福な時代であった。1978年に首相に就任した大平正芳は、対中円借款の供与を決定することで、中国の近代化を支援し、それによって中国を西側世界に引きつけようとした。これに対して、文化大革命が終了した中国も、日本を含めた西側先進国の最新設備や技術を導入して経済発展を積極的に目指すようになったのである。

 日本国内においても、中国市場の将来性を重視する財界は、日本政府による対中経済協力を積極的に支援した。1989年の天安門事件の後、中国に対する国内世論が悪化するなかでも、財界は訪中団を派遣し、一時停止となっていた対中円借款の再開を政府に働きかけた。中国側もまた財界に働きかけることによって、自国に有利な環境を作り出そうとしてきた。

■財界人も融和的姿勢を主張することが難しい空気に

 ところが、こうした手法も1990年代後半には通用しなくなった。

 まず、経済的相互依存の深まりによって日中関係に関わる企業や利益団体も多様化し、中国側も、従来の大企業から構成される財界に対する影響力行使だけではさまざまな問題に対処できなくなってきた。

 さらに日本国民の対中感情が悪化するなかで、中国との経済提携を重視するあまり、日中関係に生じた政治問題を過小評価する財界人への反発も強まってきた。2000年代以降、靖国参拝をめぐる歴史問題や、尖閣諸島をめぐる領土問題が台頭するなかで、財界人の間でも中国を擁護することが難しい空気になっていったのである。

 このように戦後日中関係史を振り返ると、中国のシャープ・パワーがなぜ日本では無力なのかが明らかになろう。

 冷戦期から中国政府は日本に影響力工作を実施していたが、中国側の手法について多くの日本人が知識や経験を持っていた。さらに1990年代以降、中国政府が日本に影響力を行使するためのチャネルが失われた。冷戦終結による革新勢力の弱体化に加えて、自民党や財界の親中国派も力を失い、中国側が日本に対する働きかけが難しくなったのである。日本が1950年代から中国の影響力工作を受け続けてきた経験は、皮肉にも今日の中国のシャープ・パワーに対する抵抗力になっているといえよう。

 (井上正也/慶應義塾大学法学部教授)

東洋経済オンライン

関連ニュース

最終更新:5/23(月) 7:01

東洋経済オンライン

投資信託ランキング

Yahoo!ファイナンスから投資信託の取引が可能に

最近見た銘柄

ヘッドラインニュース

マーケット指標

株式ランキング