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明治維新の立役者である大久保利通、意外にも「新政府内で迷走していた」理由とは?

5/22 12:01 配信

東洋経済オンライン

倒幕を果たして明治新政府の成立に大きく貢献した、大久保利通。新政府では中心人物として一大改革に尽力し、日本近代化の礎を築いた。
しかし、その実績とは裏腹に、大久保はすこぶる不人気な人物でもある。「他人を支配する独裁者」「冷酷なリアリスト」「融通の利かない権力者」……。こんなイメージすら持たれているようだ。薩摩藩で幼少期をともにした同志の西郷隆盛が、死後も国民から英雄として慕われ続けたのとは対照的である。

大久保利通は、どんな人物だったのか。その実像を探る連載(毎週日曜日に配信予定)第31回は「維新の三傑」と称される大久保、西郷、そして木戸孝允の新政府内での動きに迫ります。
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<第30回までのあらすじ>
薩摩藩の郷中教育によって政治家として活躍する素地を形作った大久保利通。21歳のときに父が島流しになり、貧苦にあえいだが、処分が解かれると、急逝した薩摩藩主・島津斉彬の弟、久光に取り入り、島流しにあっていた西郷隆盛が戻ってこられるように説得、実現させた。

ところが、戻ってきた西郷は久光の上洛計画に反対。勝手な行動をとり、再び島流しとなる。一方、久光は朝廷の信用を得ることに成功。大久保は朝廷と手を組んで江戸幕府に改革を迫るため、朝廷側のキーマンである岩倉具視に「勅使派遣」を提案。それが受け入れられ、勅使には豪胆な公卿として知られる大原重徳が選ばれた。
得意満面な大久保を「生麦事件」という不測の事態が襲うが、実務能力の高さをいかんなく発揮し、その後の薩英戦争でも意外な健闘を見せ、引き分けに持ち込んだ。

勢いに乗る薩摩藩。だが、その前に立ちはだかった徳川慶喜の態度をきっかけに、大久保は倒幕の決意を固めていく。閉塞した状況を打破するために尽力したのが、2度目の島流しにあっていた西郷の復帰だった。復帰後、西郷は勝海舟と出会い、それまでの長州藩討伐の考えを一変。坂本龍馬との出会いを経て、薩長同盟を結び、大久保と西郷は倒幕への動きを加速させる。
武力による倒幕の準備を着々と進める大久保と西郷。ところが慶喜が打った起死回生の一策「大政奉還」に困惑。さらに慶喜の立ち回りのうまさによって、薩摩藩内でも孤立してしまう。

一方、慶喜もトップリーダーとしての限界を露呈。意に反して薩摩藩と対峙することになり、戊辰戦争へと発展した。その後、西郷は江戸城無血開城を実現。大久保は明治新政府の基礎固めに奔走し、版籍奉還、廃藩置県などの改革を進める。

■制度改革を優先したい木戸孝允

 「それで余はいったい、いつになったら、将軍になるのだ?」

 明治維新が成し遂げられると、薩摩藩の国父、島津久光が側近にそう尋ねたという逸話がある。さすがに久光もそこまで尊大ではないだろう。脚色されているように思うが、江戸幕府が倒された今、薩摩藩の存在がそれだけ大きかったことは確かだ。

 軍事力も強大な薩摩藩をどうにかしながら、中央集権化を進めなければ、明治新政府は崩壊してしまう。そんな危機感から、大久保は参議からはずれて大蔵卿となり、木戸孝允と西郷隆盛のツートップに政務を仕切らせることにした。

 だが、どうもうまく機能しない。木戸は何より制度改革を優先すべきだと考えた。だが、大久保からすれば、2人のトップが決まったのだから、あとは各省に適材適所な人選を行うのが急務だとした。

 もっとも、大久保は場を仕切る立場にないので、西郷を通してアプローチしたのだろう。木戸の意見は退けられて、各省の人事が発令されることとなる。

 その決まりつつある人事の内容を知り、大久保は愕然とする。兵部省次官は自身が推薦していた山縣有朋ではなく板垣退助となり、また信任する大木喬任は民部省次官から文部省次官へと転任させられてしまった。

 極め付きが、中務省の新設を取り止めると発表されたことだ。中務省は天皇教育と宮中を政府のもとに置くための官庁である。いわば、大久保にとっては官制改革の要であり、こんなふうにさえ語っていた。

 「中務省さえ設置できれば何も憂うることはない」

 それにもかかわらず、実現できなかったのは、話し合いのメンバーに官制改革に否定的な者が含まれていたからだろう。参議の西郷と木戸以外には、右大臣の三条実美、大納言の岩倉具視、嵯峨(正親町三条)実愛が会議に参加している。

■「ムチャクチャの御裁断」と批判した大久保

 参議ではない大久保は人選にかかわることができなかった。大久保は岩倉への手紙で「ムチャクチャの御裁断」と批判。昨年末に議論した内容が人事に反映されていないことから、こうも言った。

 「今日は今日、明日は明日の都合次第に任せるようなことでどうするのか」

 一歩ずつ確実に前進させるのが常だった大久保は、一度決めたことを覆されるのを何より嫌った。確かに木戸と西郷に任せはしたものの、これまでの議論を無視されるのは、納得できなかったようだ。

 中務省の新設は叶わなかったものの、大久保は岩倉に働きかけて、自分の希望通りに大木を民部省次官に、山縣を兵部省次官に押し込んでいる。

 木戸としては面白くなかったことだろう。権力を集中させるといいながら、大久保は結局、任せてはくれないではないか。

 そもそも木戸は人事よりも、制度改革を優先させたかった。話し合いで大久保の意思に反する人事が決まっても少なくとも反対はしなかったのは、木戸なりの意趣返しではなかったか。

 現に人事の発表がなされたあとも、木戸はしつこく抜本的な制度改革の重要性を主張。強引に制度取調委員を設置し、大久保のほか、佐佐木高行、大隈重信、井上馨、山縣有朋、後藤象二郎、江藤新平らを任命している。

 大久保はいらだったに違いない。大規模な委員会を設置して、制度を調査する必要はないし、政治を今、停滞させるべきではない。

 木戸の「そもそも論」にうんざりしたのは、大久保だけではなかった。佐佐木も制度問題に手をつけるのは、優先事項ではないと考えた。

 「制度問題はこれまでの調査を少々添削すれば十分であり、このように大勢をかけて調べなくとも、おおよそのことはわかっている」

 また岩倉も同じ意見である。岩倉には木戸の見通しに無理があるように思えた。

 「木戸は4、5日で調査を終えるといっているが、そんなに早くできるものではないので、各省の人事を優先させるべきである」

■制度取調会議は一向にまとまらず

それでも木戸の思いは変わらない。行政を優先させたがる大久保に比べて、木戸は立法権を拡充すべきだと考えており、理想の政治体制をまずは築くべきだとした(前回記事『西郷と大久保がリーダーに推薦「木戸孝允」の実力』参照)。

 制度取調会議は西郷と木戸の両参議が議長となり、スタートする。

 だが、あちこちでいろんな意見が出て一向にまとまらない。審議は明治4(1871)年7月6日と8日に行われたが、8日の時点で早くも大半の委員が欠席。大久保にいたっては初回から参加していない。

 西郷も審議が進まないのをみて欠席がちとなり、とうとう木戸自身も会議にたびたび欠席するようになる。

 自ら身を引きながらも任せられずに影響力を持とうとした大久保に、「そもそも論」にこだわり一向に前進させることができない木戸。西郷はといえば、ダイナミックな動きは得意だが、ゴタゴタの調整役として輝きを発揮するタイプではない。

 木戸と大久保の対立もあり、西郷と木戸のツートップ体制は機能不全に陥ってしまう。政治的空白が生まれることとなった。

 「もうこれ以上、薩摩、長州に任せておくことはできないんじゃないか」

 そんな声が諸藩から挙がるのは当然のことだろう。福井、徳島、熊本、米沢、彦根などの有力諸藩が欧米をモデルにしながら、議院の開設を主張し始める。

 誰かが動き出せば、それに呼応して新たな動きが出てくるのが、政治というもの。立ち上がったのは、兵部省に出仕する長州藩士の野村靖と鳥尾小弥太という2人の若者である。停滞する中央の政治と有力諸藩の台頭をみて、彼らは彼らでこう嘆いたことだろう。

■しがらみのない下の世代が台頭

 「もうこれ以上、今の上層部に任せていては、薩長による政治改革は実現できないんじゃないか」

 明治維新が20~30代で成し遂げられているように、膠着状態を破るのはいつだって、これから世に出る若者たちだ。20代の大久保と西郷が中央に打って出ようと奔走したのももはや昔のこと。しがらみのない下の世代の台頭が著しくなってくる。

 野村と鳥尾は他藩に政権を握られることのないように、薩長による政治改革を早く断行しなければならないと考えた。つまりは「廃藩」である。

 廃藩さえできれば、兵制を統一し軍事力を強化できる。2人は同じく長州藩から兵部省に出仕していた山縣有朋のもとを訪ねる。酒を酌み交わしながら、2人が廃藩について意見をぶつけたところ、山縣からすぐに賛同が得られたという。

 続いて、大蔵省の井上馨も2人の意見に賛成している。大蔵省からしても、廃藩を断行することで租税徴収が可能になる。財政問題を解決するのに絶好の提案だった。井上は2人にこう話した。

 「木戸さんとの交渉は引き受けよう。ただし、あと2人の意向を確認する必要がある」

 2人とは大久保と西郷である。とくに西郷は中央の政治に復帰する際に、久光から「廃藩の話が出たら必ず反対するように」と釘をさされている。その西郷を説得できるかどうかが、大きな壁として立ちふさがっていた。

■西郷の説得役に名乗りを上げた山縣有朋

 いったい、誰が西郷の説得役を引き受けるのか。名乗りを挙げたのは、山縣有朋である。

 「わしがあたろう」

 山縣は、同じ長州藩の木戸からは嫌われたが、大久保からは藩閥を超えて擁護されている。これまでは高杉晋作や大村益次郎などの補佐に徹してきた。

 その山縣が今、西郷を説き伏せるという大役を引き受けて、政治の表舞台に現れようとしていた。

 (第32回につづく)

 【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
西郷隆盛『大西郷全集』(大西郷全集刊行会)
日本史籍協会編『島津久光公実紀』(東京大学出版会)
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)

勝海舟、江藤淳編、松浦玲編『氷川清話』 (講談社学術文庫)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家 (日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)

鹿児島県歴史資料センター黎明館 編『鹿児島県史料 玉里島津家史料』(鹿児島県)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵"であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
萩原延壽『薩英戦争 遠い崖2 アーネスト・サトウ日記抄』 (朝日文庫)
家近良樹『徳川慶喜』(吉川弘文館)
家近良樹『幕末維新の個性①徳川慶喜』(吉川弘文館)
松浦玲『徳川慶喜―将軍家の明治維新増補版』(中公新書)
平尾道雄『坂本龍馬? 海援隊始末記』 (中公文庫)

佐々木克『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館)
松尾正人 『木戸孝允(幕末維新の個性 8)』(吉川弘文館)

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最終更新:5/22(日) 12:01

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