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上野駅、再注目したい「北の玄関口」の歴史的価値 駅の東側は関東大震災の「復興遺産」が残る下町

5/21 4:31 配信

東洋経済オンライン

 JR上野駅の開業は1883年7月28日で、私鉄の日本鉄道が建設した上野―熊谷間の鉄道(現在の高崎線)の起点として建設された。以降、1991年に東北新幹線が上野から東京へ延伸されるまで100年以上にわたり、東北、上信越、北陸方面へのターミナル駅として長年、親しまれてきた。

 夢を抱いて上京してくる若者にとっては、上野駅こそが初めて触れる東京であり、北へ向かう列車は望郷の念をかきたてた。15番線の側にある石川啄木の歌碑、広小路口にある井沢八郎の『あゝ上野駅』の歌碑などが象徴的だ。高度経済成長期、集団就職や出稼ぎなどで、この駅に着いた人々が上野にどのような思いを抱いていたか。その片鱗に触れることができる。

■ビジネスホテルに「駅前旅館」の名残

 上京してきた東京に不慣れな人たちは、地平ホームからまっすぐ進み、広小路口から狭い駅前広場へ出て、駅東側周辺にある旅館に落ち着くことが多かったという。1957年に発表された井伏鱒二の『駅前旅館』は、そうした上野の旅館をモデルとした喜劇で、翌年、映画化された。

 駅前旅館の多くは今、ビジネスホテルへと姿を変えて営業を続けている。そこへ全国規模のホテルチェーンも進出し、ちょっとした「ホテルの町」へと変貌したのが、今の上野駅東側の姿だ。

 京成電鉄によって成田国際空港と直結しているなど交通の便に恵まれ、浅草などの観光地にも近いが、東京駅や新宿駅周辺と比べると相対的に宿泊費が安い宿が多い。コロナ禍前はインバウンド客でにぎわっていた。現在も高度経済成長期の面影を残す和風旅館がわずかながら健在で、とくに人気がある。

 しかし上野の一般的なイメージといえば、アメ横、西郷さん、動物園といったもの。繁華街も上野マルイやヨドバシカメラがある広小路口や不忍口の正面に位置し、御徒町駅近辺まで、ひとつながりの町となっている。

 それゆえ、なかなか上野駅の東側一帯がどういうところか、想像しにくいかもしれない。そもそも上野駅の駅舎を正面から、つくづく眺める機会もそうはなかろう。乗降客の主な流れは、先に述べたように広小路口、もしくは公園口へと向かっており、そちらが正面のように思われがちだ。

 駅舎本体が、中央改札を出て左に折れたところにある構造も影響しているだろう。東京メトロの上野駅へ降りる階段などがあるが、駅舎の大半は商業施設「アトレ上野」となっており飲食店などが入る。その名も正面玄関口を出たところは元の車寄せで、タクシー乗り場へ降りる以外は、結局、広小路口や浅草口へと左右に分かれて進むしかない。

 上野駅舎は、初代が1923年の関東大震災で焼失した後、1932年に2代目として落成した歴史がある建物。東京駅とは違って実用的で目立たないせいか印象が薄いが、昭和初期の貴重な建築であることには違いない。一説にはJR北海道の小樽駅舎や、現在の中華人民共和国大連駅舎は、上野駅をモデルにしたとも言われる。バブル期には超高層ビルへの建て替えも計画されたが沙汰止みになった。そのためペデストリアンデッキへ上がれば、今でも容易に観察することができる。

■区役所の隣には廃校舎

 上野駅前のペデストリアンデッキは、直接的には入谷改札から、上野恩賜公園との間を駅をまたいで結ぶパンダ橋に出るパンダ橋口、東上野口、または浅草口とつながっており、駅東側の主な歩行者の導線を形作っている。

 南側は上野マルイ方面まで延びているが、東は昭和通りの上、首都高速1号上野線の下をくぐるような形で、東京メトロ本社方面を結んでいる。その裏手が、かつて駅前旅館が集中していたエリアである。JRや東京メトロ上野駅から歩いて数分の距離だが、日中は静かな下町だ。どうしてもアメ横や上野恩賜公園方面へ人が流れるせいか、商店や飲食店も多くない。

 浅草通りを北へ渡ると、台東区役所や上野警察署などの公共施設が固まっている官庁街。だが、こちらも基本的には住宅と小規模な事業者が集まる下町だ。銀座線稲荷町駅にかけては寺社も数軒あり、寺町の雰囲気もある。

 区役所の北側には、元の下谷小学校の校舎が閉鎖された状態で残っている。1990年に閉校となって以降、約30年、校庭が公用車の駐車場にされている以外は、ほぼそのままだ。ここも関東大震災によって焼失した校舎を1928年に再建したものである。

 台東区では区役所、旧下谷小学校を中心とし、昭和通り、浅草通り、清洲橋通りに囲まれた東上野4丁目、5丁目のまちづくりガイドラインを2016年に策定。一帯を再整備する構想を打ち出した。

 ただこれは、超高層ビルへの建て替えなどを行う大規模な再開発計画ではなく、あくまで歩行者導線の整備や防災対策など、環境整備の基本指針であり、今の町の構造自体を大きく変えるものでもない。

 旧下谷小学校の敷地も公共施設の再編、整備のための用地とされているが、上野駅舎と並ぶ震災からの復興遺産として、そのまま活用できないものかと思う。都内では、小学校の統廃合が進んで不要となった旧校舎を文化施設などに活用している例もある。ここは立地条件としては申し分のないところ。建物自体が貴重な存在でもあり、再利用が望まれる。

 さらに昭和通りに沿って北へ進むと、街中に突然、現れるのが東京メトロの上野検車区。銀座線用の電車の管理、日常検査を行っている。町の真ん中に広い用地がよく確保できたものと思うが、発足が1927年の上野―浅草間の開業と同時。付近一帯が関東大震災後、大規模な区画整理が行われた時期に当たり、比較的容易に取得できたと言われる。ここも、震災の名残と言えるかもしれない。

■“地下鉄の踏切”も上野駅近く

 今日、ここは“地下鉄の踏切”で知られる。検車区と上野駅を結ぶ出入区のための線路が一般道を横切っているため設けられたものだ。銀座線は第三軌条式と言い、電車が走る線路の脇に給電用の第3のレールを敷き、そこから電気を採り入れる方式。そのため歩行者が危険にさらされないよう、通常の踏切とは反対に線路のほうを常時、扉でふさいでおき、電車が通る時だけ扉を開ける。

 踏切が動作するのは銀座線の列車が検車区へと出入りする時だけだが、地上だけではなく地下にも留置線があり、そちらを使う場合は踏切は通らない。時刻表で主に朝夕にある上野行き、上野始発の時刻を調べ、その前後を狙っていけば、あるいは珍しいシーンが見られるかもしれない。

 地下鉄の踏切から西へ向かえば、すぐ昭和通り。この辺りにはバイクショップが多く軒を連ねていたが、今はかなり減ってしまった。若者のバイク離れ、バイクショップの郊外移転などが原因という。さらに西へ歩くと、鉄道員養成コースで知られる岩倉高等学校の側に出る。JR上野駅入谷口はこの高校の向かいにあり、入谷改札、東上野口へと長い通路が続く。

東洋経済オンライン

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最終更新:5/21(土) 4:31

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