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開戦の日に読みたい「戦時下東京の絶望的な日常」 驚愕!「80年近く前の日記が今の日本と酷似」

12/8 10:01 配信

東洋経済オンライン

外交評論家の清沢洌が戦中に書き残した日記には、不合理で、理不尽で、悪質で、窮屈至極な状況が、市井の暮らしの様子と共に描かれている。そこに記されている戦時下の社会があまりにも今日の世相に似ていることに驚く。戦争がすでに記憶から記録に変わろうとしているいま、日本人は、悲惨な歴史から何を学び、どんな叡智を身につけたのだろうか。『現代語訳 暗黒日記』を編集・解説した丹羽宇一郎氏が、いま清沢の日記を世に問う意義を説く。

■平和はわずかなきっかけで崩れる

 今日12月8日は80年目の開戦記念日である。80年前のこの日、日本海軍はハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊基地を攻撃し、日本陸軍がマレー半島に上陸した。海軍は真珠湾で戦艦アリゾナほかを沈め、12月10日にはマレー沖でイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズほかを撃沈、陸軍はシンガポールを目指し進撃を続けた。緒戦の戦果で日本中が沸き返った。

 開戦から80年が過ぎ、戦争は悪くないということだろうか、日本は再び徐々に戦争へ近づこうとしているように見える。しかも多くの日本人にそうした自覚がない。

 たしかに日本は戦後76年間戦争をしていない。だが元寇以来600年近く外国と戦争のなかった日本は、明治維新から昭和20年の敗戦まで日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦、日中戦争、第2次世界大戦と大きな戦争を何度も行った。

 江戸時代、外国との戦争がないことは当たり前の日常だったが、明治以降は様変わりした。「当たり前の日常」は脆い。ウイルスひとつで「当たり前の日常」は簡単に姿を消す。平和も同様である。

 平和はわずかなきっかけで崩れる。その兆しはすでにいくつも現われている。外交評論家、清沢洌が戦時中に書き続けていた『暗黒日記』には、現代の日本社会と相似形を成すエピソードが随所に現われている。これらの記述を読むにつけ、今日の平和の危うさを感ぜずにはいられない。

 たとえば戦時中いつも以上に政府は、人も情報も自分たちに都合のよいものを優先し、都合の悪いものは排除した。清沢洌も徹底的に排除されたひとりである。欧米の専門家である清沢の発言を排除し、政府には好ましいが国際情勢に疎い国粋主義者を優遇し世論を誤らせた。偏った言論情況を憂いつつ清沢はこう記した。

昭和十八年七月十四日(水)
 物を知らない者が、物を知っている者を嘲笑、軽視するところに必ず誤算が生じる。大東亜戦争前に、その辺の専門家は相談されなかったのみではなく、いっさい口を閉じさせられた。

 こうした情報源の選別は戦時中のことだけではない。令和の最近も新型コロナ下では、政府の対策と異なる見解が多くの専門家から発せられた。その中には有用と思われる意見も数多くあったようだが、政府は自ら選んだ専門家の見解や意見を背景に「感染対策の専門家の意見によれば」とオーソライズした。

 今夏の東京オリンピックの開催は明らかに政府の判断だが、判断の根拠としてもっぱら「専門家の見解」を挙げた。その結果、新型コロナの感染者数はオリンピック開会前から急増し、閉会後10日間ほどピークにあったことは記憶に新しい。

 当時と現在の相似形が目に付くのは中国に対する国民感情だ。清沢の日記にこうある。

昭和十八年二月二十日(土)
 議会において青木一男大東亜相が、蒋介石は絶対に交渉の相手とせずと言った。討伐あるのみと東條首相も言った。相手も同じことを言っているようだ。
 中国に対する日本人の国民感情は戦後最悪で、清沢の記述を見ると戦時中の対中感情は今と区別がつかないほどだ。

 当時の日中は戦争中であり、敵国中国に対する感情が最悪なのは当然だが、現在平和の日本人の対中感情が戦争時に近いというのはもはやただごとではない。

■なぜいま『暗黒日記』なのか

 清沢洌は戦前・戦中に『中央公論』や『東洋経済新報』などで活躍した日米外交を専門とする外交ジャーナリストである。清沢は1890(明治23)年に長野県に生まれ17歳で渡米、苦学して現地のハイスクール、大学を卒業して現地の邦字新聞の記者を務めた。その後1918(大正7)年に帰国し、中外商業新報(現日本経済新聞)、東京朝日新聞(現朝日新聞)の記者を経て、外交ジャーナリストとして活躍するようになった。

 戦時下にあっては政府から総合雑誌への執筆が禁止され、メジャーな舞台での言論活動は大部分が封殺された。

 『暗黒日記』は清沢が、いつかときが来れば出版するつもりだった現代史の資料として書き始めたものである。開戦から1年後の1942(昭和17)年12月9日から書き始め、亡くなる直前の1945(昭和20)年5月5日で絶筆となった。清沢は没年の正月元旦にこう記していた。

昭和二十年一月一日(月)
 日本国民は、今、初めて「戦争」を経験している。戦争は文化の母だとか、「百年戦争」だとか言って戦争を讃美してきたのは長いことだった。僕が迫害されたのは「反戦主義」だという理由からであった。戦争は、そんなに遊山に行くようなものなのか。それを今、彼らは味わっているのだ。だが、それでも彼らが、ほんとうに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないかと思う。

 清沢の疑問は76年を経て現実味を帯び始めている。我々は清沢の疑問にきちんと答えられるだろうか。

 清沢の『暗黒日記』には戦争をする国家の不条理とそれを支えるメディアの不条理、そして国民自身の不条理が、市井の暮らしの様子と共に描かれている。そこに記されている社会があまりにも今日の世相に似ていることに驚く。

 清沢洌の『暗黒日記』は若い人にこそ読んでもらいたい。戦争に近づかないために、こういう時代があったことを知ってほしい。だから私が編集・解説した『現代語訳 暗黒日記』は、研究者ではなく普通の人が読めるよう、あえて現代の言葉に直して清沢の日記を編纂した。これがいま『暗黒日記』を世に問う意義である。

■日本は事実に目を背けて戦いを挑んだ

 清沢が日記を書き始めた1942(昭和17)年の12月9日は、開戦から1年後の記念日の翌日である。この記述を読むと、開戦から1年後の世相がうかがわれる。

昭和十七年十二月九日(水) 
 近頃のことを書き残したい気持から、また日記を書く。
 昨日は大東亜戦争記念日だった。ラジオは朝の賀屋興宣大蔵大臣の放送に始まり、まるで感情的叫びであった。夕方、僕は聞かなかったが、米国は鬼畜で英国は悪魔でといった放送で、家人でさえもラジオを切ったそうだ。

こうした感情に訴えなければ戦争は完遂できないのか。奥村喜和男情報局次長が先頃、米英に敵愾心を持てと次官会議で提議した。そのあらわれだ。
 政府高官が感情に訴える背景には、東條英機首相の開戦時の演説が思い浮かぶ。

 「只今宣戦の御詔勅が渙発(かんぱつ)せられました」で始まる開戦演説で、東條首相は「およそ勝利の要訣(ようけつ)は必勝の信念を堅持することであります。建国二千六百年、我等はいまだかつて戦いに敗れたことを知りません」と「必勝の信念」「不敗の歴史」を力説した。そしてこれこそが「いかなる強敵をも破砕する」確信を生むと断言している。

 日本人は、たしかにそれまで敗戦を知らなかった。さらには日本全土が戦場となり攻撃された経験もなかった。

 そうして自己を過大評価し、アメリカが自分たちよりもはるかに強大な国力だという事実には目を伏せ、「必勝の信念」を心中に日本は戦いに挑んだ。

 清沢の日記にはこういう記述もある。

昭和十九年三月十日(金)
 戦争の前には、米国人は海軍兵士にはなれない。彼らは逃げる。また潜水艦などには、苦しくて到底乗れないと言った。次には米国の計画は、「天文学的数字で――」と計画倒れになることをあざけった。

昭和十九年十一月十八日(土)
 世田谷区役所で講演。東京都からの依頼だ。都の役人の話では、やはり戦争の前途に楽観的だ。軍人達が「大丈夫だ」と言っているのを、そのまま信じているのだ。国民の九十%までは戦争が勝つと考えている。

 自国の強みは過大評価し弱みは無視、敵国の弱みは過大評価し強みを過小評価して勝てるはずがない。だが今日の日本でも、こちらの強みと相手の弱みばかりに注目した議論が目立つ。

■国民に我慢を強いるが最悪への備えは薄い

 強大な権力といえ誰も民意に背かれたら崩れる。それを皮膚感覚で知っているのが独裁者だ。だから民意に迎合する反面、自分に反対する言論には、早いうちからその芽を摘む努力を惜しまない。民意が議論に誘導されることを恐れるからだ。

 戦時中、政府の言論統制は執拗を極め、当時の代表的な雑誌も廃刊に追い込まれた。

昭和十九年七月十二日(水)
『中央公論』『改造』の廃刊に対し、『朝日新聞』の筆欄「神風賦」だけが、おっかな、びっくりでちょっと書いている。「この雑誌の過去の経歴からいって、今日存続を許されぬという論も立ち得る」といった調子だ。ただ最後に「自分たちだけが言論報国、愛国的文筆家の免許を持つものの如く振舞い、他を一切封ずる如きことは言論本来の趣旨に反する」と言っている。これは『中央公論』などの廃刊が、言論報国会などの執拗なる運動の結果と諷したものでもあろう。

『中央公論』と『改造』、とにもかくにも日本の思想界をリードして来た雑誌は葬る辞もなくして逝った。
 このようなことは戦時下のことで、今の日本にはないと言い切れるだろうか。

 日本はいつも国民には我慢を強いるが解決すべき問題に対しては、最善を尽くすと言うばかりで最悪への備えが薄い。新型コロナ対策も国民の自粛ばかりが目についた。

 温暖化対策でも同じようなものだ。気温上昇は「命の水」の問題でもある。海面上昇のみならず、最悪の場合、水を巡る紛争を世界中に起こす懸念もある。

 地震の脅威も迫っている。首都直下地震はいつ起きても不思議ではなく、南海トラフ地震も同様だが、言うまでもなく地震と火山活動には強い関連がある。大地震が火山活動を誘発し、大噴火での噴煙の影響で地球全体が寒冷化したとの記録を歴史が語っている。

 世界が脱炭素に向かったとしても、地球内部の活動によっても気温は大きく変動する。けっして安泰ではないのだ。

 しかし、こうした暗い未来ばかりでは若者は対応に窮することになる。だから、80年目の開戦の日にあえて言う。

 最悪な未来に備えるためにも基本は平和だ。戦争に近づくことさえ除けば、見通しのつかないことがあるとしても、熟慮・決断・行動に移すべきである。ただ戦争にだけは近づいてはいけない。

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最終更新:12/8(水) 10:01

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