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ろくでもない政治家を見抜く為に欠かせない視点

12/5 15:01 配信

東洋経済オンライン

増税、格差、政治とカネ、移民問題…約2000年前、ヨーロッパで広大な領土と栄華を誇った共和政ローマは、意外にも今の日本と共通する多くの政治課題を抱えていました。
それらの課題に向き合いつづけ、古代ローマの最高官職をつとめた政治家・キケロの言葉は、後世、世界中の政治家に影響をあたえてきました。
今の日本にも重なる多くの問題に向き合ったキケロの言葉は、私たちにどんなヒントを与えてくれるでしょうか? 日本の政治の傾向、そして特に気を付けたい政治家の特徴とは? 

時代を超えて普遍的なキケロの言葉に、佐藤優氏が解説を加えた新刊『2000年前からローマの哲人は知っていた 政治家を選ぶ方法』より、佐藤氏の解説部分を一部抜粋してお届けします。

■派閥が機能しなくなった日本の政治

 キケロは政治を「可能性を探る技術」と考える。

 政治の世界において追求するのは絶対的真理ではない。自分が絶対に正しいと考える政策であっても、ほかの人はそう考えない場合があり、ほかの人が絶対に正しいと考える政策でも、自分には受け入れられない場合がある。

 キケロが考えるのは、絶対に正しいことは存在しないという価値相対主義ではない。絶対に正しいことは存在する。ただし、それは複数存在するのである。

 正しいことを信じて結集するのが派閥だ。派閥は必ず複数存在しなくてはならない。

 キケロは政治において派閥は不可避であると考える。

キケロにとって、政治とは可能性を探る技術であって、絶対的なものの闘争の場ではなかった。
彼は伝統的な価値観と法の優位性を固く信じていたが、物事を成し遂げるためには、国内のさまざまな派閥が積極的に協力し合わねばならないことも知っていた。

ひと握りの人間が、財産や家柄や、そのほか何か有利な点を理由に国家を支配する場合、たとえ貴族政治と呼ばれていようとも、それは単なる派閥にすぎないのである。
一方で、もし大衆が権力を握り、その時々の望みに従って国政を運営するなら、人はそれを自由と呼ぶかもしれないが、事実上は無秩序なのである。
しかし民衆と貴族とが、お互いの個人やグループを恐れつつ緊張関係を保つなら、そのときはどちらも支配権を握ることはできず、人々と権力者の間で折り合いがつけられることになる。(書籍内78~79ページ)

 日本の政治で特徴的なのは、与党においても野党においても派閥が機能しなくなってしまったということだ。政治家がバラバラのアトム(原子)のようになってしまっている。

■全ての人が得をするような政策を打ち出す政治家は危険

 本来、政党は部分の代表だ。英語で政党をポリティカル・パーティーというが、パートとは部分のことである。社会にはさまざまな利害対立がある。

 年金問題に関しても、高齢者は拠出が多くても手厚くしてほしいと思う。若年層は、年金受給がずっと未来なので、拠出金を極力少なくしたいと思う。

 地域間の違いもある。北海道では冬の雪かきは重要な社会問題だ。雪のめったに降らない沖縄では、そのような問題はない。ジェンダー間でも、乳がんの検診は女性にとっては重要だが、男性にはあまり関係ない。

 政党は社会の部分を代表して、議会での議論を通じて、予算配分や法律の内容について、折り合いをつける重要な機能を果たしている。そして、派閥は政党内の政党なのである。

 しかし今の日本においては、政党や派閥は、部分の代表とはいえなくなっている。

 かつて自民党は経営者(資本家)の代表であり、そして社会党は労働者の代表だった。ところが1989年に東西冷戦が終結し、世界中で自由主義や民主主義が台頭すると、日本国内でも政党ごとの明確な違いがなくなっていった。

 今や自民党にしても、立憲民主党にしても、そして共産党に至るまで、ほとんどすべての政党が「国民全体の代表」としての政策を打ち出しているのだ。

 アトム化した政治家は全体の代表を装う。しかし、社会に利害対立がある以上、全体の代表はあり得ない。全体の代表は、政治家自身の個別利益を追求しているということと同じ意味になるのである。

 現下政治の最大の問題は、すべての政党が「全体の代表シンドローム」に陥っていることだ。健全な民主政治を回復するためにも派閥の意味に関するキケロの考察は有益だ。

 選挙では、特定の集団の利益を代表していると正直に述べている政治家を選んだほうが、民主政治を強化することになると思う。

 国民全体に受けのいいことだけを言っている政治家は、自分の利益だけを追求しているろくでもない人と見るべきだ。

■揺らがぬ信条を持っている政治家は妥協の仕方もうまい

 キケロは、政治家は柔軟でなくてはならないと考える。頑固な姿勢を取る政治家は無責任であると彼は考えている。

状況がたえず進展し、善き人々の考え方が変わっているときに、頑なに自分の立場を変えないというのは、政治においては無責任なことである。
どんな代償を払ってでも1つの意見に固執することが美徳だなどとは、大政治家はけっして考えない。航海中に嵐が来たら、船が港に着けない以上は追い風を受けて航行するのが最善策となる。

針路を変えれば安全を確保できるのに、方向転換をしながら最終的に母港を目指すのではなく、もとのコースをそのまま突き進むなど馬鹿だけがすることだろう。
それと同じで賢明な政治家は、何度も言うようだが、自国の名誉ある平和を最終的な目標とするべきだ。言葉は一貫していなくても良いが、目指すところは一定でなければならない。(書籍内82~83ページ)
 キケロは政治を航海にたとえる。キケロの時代は、蒸気機関や内燃機関を動力とする船はなかった。したがって、航海においては風の流れをよく読むことが重要になる。

 目的地がわかっているから、さまざまな迂回路を取ることができるのだ。政治もこれと同じだ。

 自分にとって絶対に譲れない原理原則のある政治家は、それ以外の事項について大胆に妥協することができるのである。

 逆にすべての問題で自分の意見を通そうとする政治家は、他人と折り合いをつけることができないので、自分の意見をまったく実現できないような事態になることが多いのである。政治とは、妥協の技法でもある。

前回:日本とドイツ「移民」の違いで生じた決定的な差(11月28日配信)

東洋経済オンライン

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最終更新:12/5(日) 15:01

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