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これから「人を進化させる新技術」が次々生まれる

10/28 8:31 配信

東洋経済オンライン

イギリスのロボット科学者であるピーター・スコット- モーガン氏は、全身が動かなくなる難病ALSで余命2年を宣告されたことを機に、人類で初めて「AIと融合」し、サイボーグとして生きる未来を選んだ(詳しくは「人類初『AIと融合』した61歳科学者の壮絶な人生」参照)。

「テクノロジーと人類」「身体と精神」 の関係を根本から問い直す問題作として、世界で発売直後から話題騒然の『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン――究極の自由を得る未来』。

2021年6月24日、SHIBUYA QWSのスクランブルホールで、本書の刊行を記念したトークイベントが開催された。登壇者はテクノロジー、倫理、アート、それぞれの第一人者である慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の南澤孝太氏、慶應義塾大学理工学部教授の三木則尚氏、パラ・クリエイティブプロデューサーの栗栖良依氏、アーティストの長谷川愛氏の4名。その模様をダイジェストでお届けする(イベントは動画でもご覧いただけます)。

■テクノロジーの進化を「受け入れる主体」は誰か

 南澤孝太(以下、南澤):僕は、テクノロジーを使った人間拡張について研究していることもあり、『ネオ・ヒューマン』を読んでうなずくことが多かったです。ちょっと前までは「絵空事」だったことも、必要としている人が選択し、かつ実際に作っているところまで来ているということを強く感じました。

 本書には、死後もAIの自分が生き続けていくなど、一見突拍子もないことも書かれています。テクノロジーとしては近い将来できるようになると思われますが、それは「自分」と言えるのだろうかという問題があります。

 僕個人は、「ちゃんと死にたい派」なんです。生きている間はいろんなことを積み重ねていきたいのですが、死後は、それを自分の存在のまま残すよりは、きれいに消し去りたいと思うんです。

 南澤:技術としては、今後いろんなことができるようになりますが、それを1人ひとりが選択するのか、それとも社会として選択するのかで未来の姿は大きく変わります。そこを考えなければならない時に来ていると思います。

 100年前なら、こんな議論は必要なかったかもしれません。技術を開発し、こういった議論をする側の人と、その後、長いスパンをかけて実際に技術が開発されて、それを享受して生活する当事者とが、時間的に1、2世代離れていたと思うのです。

 ところが、ピーターさんは、ALSを発症して4年、そして本書に書かれているのは最近2年の話です。自分の考えたことを、そのまま自分が享受するという短いスパンになっています。

 こういう時代になったからこそ、みんなが当事者になったとも言えるのではないでしょうか。

■テクノロジーと倫理観

 三木則尚(以下、三木):100年前との違いは、今はコンピュータの性能がすごく進化していることですね。今我々が手にしているスマホは、実は、14年前のスーパーコンピュータと同じ性能なんです。それほど進化している。VRの研究は90年代から、AIの研究は70年代からはじまりましたが、もうここまで進んで実装されているわけです。

 アバターや合成音声などはいずれできるでしょうし、それに対しては何も問題ないと思いますが、本書には、健康な臓器も入れ替えてしまうということが書かれています。ここは大きな議論になると思います。

 たとえば、アンジェリーナ・ジョリーさんが、遺伝子検査の結果、乳がんになる可能性が非常に高いということで、予防的に乳腺をとり、話題になりました。医療的な診察を受けたわけでもなく、遺伝子検査というものによって、病気でもないのに手術をした。これは大丈夫なのか、という議論です。

 同じく、健康な臓器を機械に入れ替えてしまうことは、テクノロジーとしてはありうるけれども、今後実際に誰かがやろうとしたときに、社会から「ダメ」と言われることがあるだろうと思います。

 栗栖良依(以下、栗栖):私は、2010年に右ひざ関節に悪性腫瘍ができたために、右足の中身を人工物に置き換えるという手術をしています。

 個人として、社会にこういった選択肢があるのはいいことだと思います。私が手がけているプロジェクトには、ALS患者の方や、重度の障害で寝たきりの方、移動に困難のある方もいます。テクノロジーによって、そういった方々の社会参加が増えるということは、非常によいことだと思います。

 ただ一方で、コロナ禍ではリモートが増えました。移動困難の方々などは、それが便利になったとおっしゃいますが、実は、知的障害など、特に対面が重要だとされる障害の方々にとっては、デジタルテクノロジーへの移行の波についていけず、社会に置いていかれてしまっているという問題も起きています。

 どちらも取り残されない社会になるといいなと思いますし、その上で、選択肢もあり、本人が選べる社会であればいいと私は思っています。

■変化を恐れ、足を引っ張る存在

 長谷川愛(以下、長谷川):テクノロジーについては、科学者の方々は、がんばってくれていて頼もしいと思いますが、受け入れる社会の側が足を引っ張っています。

 いろいろな場面で、変わればいいのにと思うことがありますが、「ずっと慣習でやっているし、ステークホルダーもいるので」という理由で変わらない。政治的なところや、権力の話が技術にまとわりついてもいるのだと思います。

 変化を止めさせようとする人は、「これをはじめると、こっちが壊れてしまうから」などと言いますが、それは誤解です。勝手にそう思い込んでいるだけで、その思い込みをどう崩していけばいいかを、私も日々考えているところです。

 ピーターさんの面白いところは、マイノリティであると同時に、白人の男性で、頭のいいイケメンであり、さらにアッパークラスの出身という、マジョリティど真ん中の人でもあるところです。

 それでいて、世界をどう変えればいいのかと考え、実際に変える力もありますし、マイノリティのニーズや、世界を変えたくないと考える人たちがいるということさえも理解しています。その中で、自分が恵まれていることも自覚しつつ、矢面に立って世界を変えていこうとしている。この姿勢が素晴らしくかっこいいなと思いました。

 三木:ピーターさんは、ロジカルでいいですよね。精神論に訴えたり、よくわからない自分の基準で議論したりはしません。ピーターさんもそうですが、成功者は原理主義的なところがあるものです。いい物はいい、悪いものは悪いという点がはっきりしている。ですから、メッセージ性もあり、実現の可能性も高いと言えるでしょう。

 日本人は「SDGsで社会のために貢献する」とは言いますが、欧米ではそれできちんと儲かるような仕組みを作ります。私は医療機器の研究をしていますが、その医療機器を患者さんに使ってもらうためには、実際に商品化して、届けなければなりません。そして、実現にはお金がかかります。ピーターさんは、その点もしっかり考えていて、ロジカルで美しいですね。

 ただ、こういった問題は倫理的な問題を含むため、それが社会に受け入れられるかは、また別問題です。倫理というと何か絶対的に正しい基準というイメージがあるかもしれませんが、実際には社会がそれを受け入れるかどうか、という問題にすぎません。社会の側が変わるには時間がかかりますし、活動する人はがんばらなければなりません。

 たとえばLGBTの問題もそうです。ピーターさんは、イギリスではじめて同性婚をした方でもありますね。本書では、その過程におけるピーターさんのお母さんの心境の変化が書かれています。LGBTは、70年代は、まったく受け入れられていなかった。でも、長い時間をかけて活動しつづけていたわけです。これは研究者としても、科学者としても見習わなければならないところだと思いました。

 栗栖:私はピーターさんとは比べ物になりませんが、先ほど申し上げたように、自分自身が新しい体で2011年を迎えるという経験をしました。不便な時もありますが、「この状態でこれをやるには、どうすればいいか」と、やりたいことを叶えるための方法を探るというのは、とてもクリエイティブな作業です。

 それまで使っていなかったクリエイティビティまで刺激されて、その力によって、自分の足りない部分を補っているようにも感じています。そういう意味で、「なんとかする方法はないか」というピーターさんの姿勢にはものすごく共感できました。

■ネオ・ヒューマンとはなにか? 

 三木:あえて観念的に表現すると、彼は「死なない」「永遠に生きていく」ということを言っているのだと思います。

 人は、何かを残したいものです。子どもを残す、作品、業績を残すなどいろいろありますが、なにかを残すという死に方がありますね。一方で、かつての日本には、「人は、死んだら山に帰るものだ」と捉えられていた時代もありました。現在の死とは感覚が違います。

 そして今は、死というものを個人ベースで考えています。その中には、ピーターさんのようにAIとして生き続けることを選択する方もいる。選択肢が増えたからこそ、自分はどうしたいのかということを、きちんと考えなければならない世の中になるかもしれません。それは大変なことだと思います。

 南澤:僕は、100年前の人から見れば、僕たちはすでにネオ・ヒューマンなんだと考えています。いや、小学生の頃の自分から見てもそうかもしれません。どこかへ行くために、事前に地図や時刻表を調べなくても、気づいたら到着しているという時代です。

 僕たちの行動原理は、テクノロジーによって10年単位でどんどん変わっている。ある意味、僕たちは、常にネオ・ヒューマンだとも言えるのではないでしょうか。

 南澤:生まれたときの自分と、死んだときの自分というのは、何段階か変わる、というのが今の時代です。つまり、ピーターさんが「ピーター2.0」になったように、私たちはみな「1.0」のままでは死ねない。

 AIは、2045年がシンギュラリティだと言われていますが、たったの二十数年後です。その時も、そして、さらにその20年後も僕たちはまだ生きている可能性が高い。「2.0」になるぐらいの変化は、死ぬまでにあと2回ぐらいは起きると想像しておかなければいけません。

 今起きている大きな変化は、あらゆるテクノロジーが「人類の進化」として使われつつあるということです。

 現在は、物理的な世界に自分の肉体的な存在があり、それにプラスして、デジタルのバーチャル世界も生活圏になっています。自分というものが、物理的世界とバーチャル世界に分散的に存在する状態です。

 生まれ持った自分自身のアイデンティティと、別のバーチャル世界でのアイデンティティがパラレルになっている。これによって、肉体的な制約が、その人の人生の制約にはならなくなります。制約のないバーチャル世界を選べるからです。

 僕たちはいろんな本を読み、いろんな人の人生を吸収して、それを自分のどこかに取り入れながら、自分というものを形成していきますが、そういった選択肢がパラレルの世界でさらに増えることになるでしょう。

 ピーターさんのように体を拡張したり、脳にAIを埋め込んだりといったことは、今後選択肢としてありうると思いますが、その選択肢を身に付けた人間の価値観が、いままでと変わらなければ意味がありません。

 より深い、より広い価値観を、人と人との間でどう構築できるのか。その時のネオ・ヒューマンの思考回路や、環世界、つまり自分たちが知覚しているこの世界のとらえ方はどう変わっていくのだろうというところが、今後のアジェンダになるように思います。

■「究極の自由」という希望

 長谷川:南澤さんのおっしゃったことに、すべて同意します。私は、『ネオ・ヒューマン』を読んで、希望しかないなと思いました。

 私たちは、いま、自分の体や自分の環世界からは抜け出せていませんが、そこから自由に抜け出せる技術ができたら、究極の自由だと思います。ピーターさんが言う「究極の自由」もそういうことでしょう。

 自由を得ることで、他の人への共感を得たり、それまで抑圧されていた人が解放されるというような未来があると嬉しいなと思います。

 栗栖:私は、「究極の好奇心」というキーワードが思い浮かびました。果てしない好奇心の先に生まれてくるもの、どうしたらこれができるのか、こんなことができたらどうなるだろうという好奇心が、新しい未来の人類を作り出すのだと思います。

 いま議論されたような、希望のある、取り残される人のいない、格差のない未来になればいいなという思いも込めて、未来の人類が生まれてきたらいいなと思っています。

 三木:『かもめのジョナサン』という小説があります。普通のかもめは、普通に過ごしているのだけど、あるかもめが「自分は音速を超えるんだ」と考えた飛行訓練をしていたら、ある時、壁を超えて、ちがうレベルのかもめになっていた。すると、距離も時空も関係なくなって、いつでもどこでも私は存在できるということになるわけです。これはまさしくVRの世界です。

 VRの世界への移行は当然であり、そこから先は、好奇心でもあり、想像力でもある。どこまで行くのかはわかりませんが、ネオ・ヒューマンというものは、我々とは次元の違う想像力を持った人類ではないかと思います。

東洋経済オンライン

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最終更新:10/28(木) 8:31

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