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小学校にこそ学んでほしい幼児教育の優れた実践

10/16 13:01 配信

東洋経済オンライン

5月25日に当時の文部科学相・萩生田光一氏が記者会見で「幼児教育スタートプラン」構想について触れた。記者会見当時、私は拙著『ルポ 森のようちえん』執筆のための取材を進めており、現場の幼児教育関係者は一様に文科大臣の発言に懸念を抱いていた。その後文科省は構想の実現化を決めた。

報道では「5歳児教育プログラム」などと称され、小学校の前段階として、すべての5歳児に対して一律の教育が行われる可能性が示唆されている。私たちは、この議論をどう評価し、どう見守ればいいのか。「5歳からの義務教育におわす文科省構想への懸念」(10月15日配信)に続いて、教育学の大家である汐見稔幸さんに尋ねた。

■小学校教育の前倒しと幼少のなめらかな接続は違う

 おおたとしまさ(以下、おおた):7月8日の文科省の初等中等教育分科会の資料では2つの箇所がひっかかりました。「幼児期の教育と、小学校から実施される義務教育とを円滑につないでいくため」っていうのがひとつ。これだけを読むと、いわゆる小1プロブレムの解消をしたいのかなと読めたんですよね。

でも同じ文書のすぐ下には、「ことばの力、情報を活用する力、探究心といった生活・学習基盤を全ての5歳児に保障する」という表現が出てきて、これは早期からのインプットを意図しているのかなと読めます。前編で話題になったイギリスの例のように、幼小の接続をなめらかにすることと、小学校教育の前倒しとは意味合いが違うと思うのですが。

 汐見稔幸(以下、汐見):僕は可能な限り善意でとろうとは思っています。僕が幼児教育の世界に入ってきて最初に書いた本が1986年の『幼児の文字教育』でした。当時、幼稚園や保育園では文字を教える必要はないと言われていたんですが、実際には小学校に入ったときに文字がまったくわからないと、「勉強ってよくわからない」ということにいきなりなってしまう。

 つまり、家庭の教育力の差が出てしまうということです。そういう余力がない家庭の子どもたちが学校で落ちこぼれないためにどうしたらいいかという問いを立ててもいいじゃないかという問題提起でした。

 おおた:なるほど。

 汐見:実際には家で文字を教えてもらえない子だけ集めるわけにもいかないですから、幼児期にある程度文字に慣らす教育をしてもいいんじゃないかと。ひらがなを最初に15~16字読めるようになっておくと、あとは数珠つながりに文字に関心をもって読めるようになることがわかっています。

 だから無理に教えるんじゃなくて、「七夕の短冊を書いてみよう」とか「サンタさんに手紙を書いてみよう」とかやって、そのときに自分で書けない子は先生がいっしょに書いてあげるとか、絵本をたくさん読んであげるとか、文字を使って生活が広がる経験をたくさんさせてあげるような活動を、幼稚園や保育園でもやってほしいということを書きました。

 おおた:なるほど、なるほど。

■ある種の「常識」は育ててほしい

 汐見:それと同じ問題がまた出てきたなと僕は思ってるわけ。幼稚園や保育園ではいま「経験カリキュラム」だし、遊びを中心としているわけじゃないですか。でもたとえばドングリを拾ったときに、「たくさんとれたね!  何個あるかみんなで数えてみようか」とやるか、「はい、じゃあここに入れて」で終わってしまうかでは、違うんでね。そういうちょっとしたことの積み重ねで、文字や数に興味を持ったり持たなかったりするわけですよね。

 知ってる漢字の数とか分数の計算とかの速さや正確さを競っても仕方ないですけど、小学校を卒業するまでに歴史の大まかな流れくらいは知っているとか、打率3割ってどういう意味だかわかるというくらいにはなってほしいですからね。

 おおた:世の中にはこんな物事のとらえ方があるんだという視点の網の目のようなものはできるだけ広くもたせてあげてほしいですよね。網の目の密度は、子どもそれぞれで違っていいと思いますが。

 汐見:ある種の「常識」ですよね。それは育ててほしいんですね。僕の中にもやっぱり両面がまだあってね(笑)。

 おおた:両面? 

 汐見:両面というのはおかしいのだけれど、知識の詰め込みなんてしなくていいと思う一方で、大人になって、何気ない会話の中でSDGsの話になったときに、それが通じるようなひとにはなってほしいとは思うわけですよ。どこそこのレストランの何がおいしいとか、テレビの大食い競争を見て喜んでいるとか、そんなことばかりの頭になってしまうのには、どうかなあと思うわけ。それで本当に幸せなのかなあと。

 おおた:自分が幸せでないことにすら気づけないというのはまずいですからね。

 汐見:だから社会科なんかも、暗記科目じゃなくて、街づくりをみんなで考えるみたいなことをやっていれば、子どもたちだって興味をもつに決まってると思うんですよ。小学校がそういうふうに変われば、うまく接続ができていくと思いますけどね。

 おおた:それでいうと、幼児教育スタートプランについて「ことばの力、情報を活用する力、探究心を5歳児から」って書かれていますけど、「それらを伸ばす教育って、幼児教育におろす前に、そもそも小学校では実現できているんでしたっけ?」という疑問も私の中にはあって。

 汐見:そうそう。むしろそこを小学校が一生懸命やってくださいって。その意味では幼児教育のほうがうまくやっている事例も多い。小学校もそこからもっと貪欲に学んでほしいです。

 おおた:こういう議論が起きている中で、当事者である幼児の親御さんたちはいまどんなことに気をつければいいんでしょうか。

■大人たちの過度な心配が子供たちの育ちを阻害

 汐見:いまの親御さんは非常に心配事が多いと思います。いじめられないかなとかね。子ども自身も、やっぱり対人関係で悩んでしまうケースが多い。昔だったら悩む必要がないようなことで、親も子も悩む。放課後に学校が禁止していることを友達同士で内緒にやるみたいな小さな悪を共有することでざっくばらんな関係ができたりするんですが、そういうことに対する社会のおおらかさがなくなっていて、なんかもうね。それが子どもの豊かな原風景を奪っているってことに気づかなきゃいけないと思ってるんですよ。

 おおた:大人たちの過度な心配が学校を窮屈にし、それが子どもたちの育ちを阻害しているという指摘ですね。

 汐見:しかも、偏差値教育ではダメだということはみんな漠然とわかっている。だからこれからはやっぱり何か、自分の一芸のようなものをもって世に出ていかなきゃいけないってことになる。じゃあどうしたらいいのかというところでまた悩む。子どもを育てるうえで、楽しみよりも悩みが多くなっている。だから、親同士が率直に語り合える場が必要だと思っています。

 おおた:いまの世の中では、親が1人で子育ての責任を抱え込んじゃう傾向がありますからね。

汐見:私の近著『教えから学びへ』で「学び」へ重点を移せと言ったのと同じで、「教え」はどうしてもミーニングになってしまうんだけれど、「学び」はセンスが中心になるんですね。だからもう1つは、家庭でも、毎日の夕食のときに、お父さんもちゃんと帰ってきて、その日あったそれぞれの楽しかったことを語り合うようにしてほしい。それができる社会にしていかなきゃなりません。

 どんなことがあって、それがなぜうれしかったのか、自分にとってのセンスを語り合う。テレワークが増えてくる時代ですからね。そういう家族の文化を意識してつくり直してほしい。「アンタ、今日学校でどうだったの?」という尋問ではなくて(笑)。

東洋経済オンライン

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最終更新:10/16(土) 13:01

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