IDでもっと便利に新規取得

ログイン

地味なイメージの一新目指す「JR相模線」、その100年の歴史とは

9/27 6:01 配信

ダイヤモンド・オンライン

 JR相模線は9月28日で開業100周年を迎える。地味ながら、1日約3万人が利用する鉄道の歴史とは。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

● 今年11月から 新型車両を導入

 JR東海道線茅ケ崎駅とJR横浜線橋本駅を結ぶJR相模線は9月28日、開業100周年を迎える。JR東日本は同日以降、車両1編成に社員考案の記念ヘッドマークを掲出して運行するとともに、茅ケ崎駅相模線ホームの発車メロディーを地元出身の加山雄三氏作曲の「海 その愛」に変更。その他、スタンプラリーや記念イベントの実施、記念グッズの発売などさまざまな催しで100周年を盛り立てる。

 また同社は9月17日、相模線に新型車両E131系を導入し、11月18日から運行を開始すると発表している。2021年度中に12編成を投入し、1991年に運行を開始した現行車両205系500番台を置き換える。

 今年3月に外房線・内房線・鹿島線に投入され、2022年春には東北本線・日光線に投入が予定されているE131系は、車いすやベビーカーが利用できるフリースペースやドア上部の大型ディスプレーなど最新の旅客設備を採用するとともに、将来的なワンマン運転化にも対応した首都圏近郊ローカル線向けの次世代車両だ。

 100周年を機にイメージを一新しようとしている相模線。とはいえ読者の多くは相模線と言われてもピンと来ないかもしれない。相模線は率直に言って地味な路線だ。神奈川県中央部に住んでいない限り乗る機会はそうそうないが、地域にとっては通勤・通学・行楽に欠かせない存在である。

 実際、相模線の1日当たりの平均通過人員(コロナ前の2018年度)は、JR東日本の在来線全66路線中18位の2万9643人キロで、利用者は少なくない。ただ1991年に電化されるまではディーゼルカーで運行されており、日中の運行本数も1時間当たり2本程度とローカル線と言ってよい路線だった。

 もっとも現在も日中は1時間3本であるが、横浜線八王子駅までの直通運転が開始されたこともあり、利用者は1987年の平均通過人員9288人キロから3倍に増えている。現在はローカル線より利用者は多いが、首都圏の通勤路線として見れば少ないという位置付けの路線といえるだろう。

● 砂利輸送の私鉄が 相模線を開通

 では相模線の100年はどのようなものだったのだろうか。実は相模線は開業時点では国鉄(現在のJR)の路線ではなく、相模鉄道という私鉄によって開業された路線であった。相模鉄道といえば今も同じ名前の鉄道会社があるが、相模線を開通させたのはまさしくこの会社である。どういうことか。

 相鉄が2018年に発行した『相鉄グループ100年史』によれば、相模鉄道は中央線と東海道線に挟まれた神奈川県中央部の旅客輸送と、相模川の砂利の採掘と運搬を目的として、茅ケ崎の資産家たちが中心となって1917年に設立された。1921年9月28日に茅ケ崎~寒川間と、貨物線の寒川~川寒川間で営業を開始した。

 砂利を運ぶ鉄道というと意外感があるかもしれないが、砂利輸送をルーツに持つ鉄道はいくつもある。例えば京王電鉄相模原線の前身である京王多摩川原線や西武多摩川線の前身である多摩鉄道、JR南武線の前身である南武鉄道などは、多摩川流域の川砂利を採掘して都心に運ぶ目的で建設された路線である。

 関東大震災後は耐震性の高い鉄筋コンクリート造りの建物が増えたことで、材料となる砂利の需要が高まり生産量は急増。相模鉄道も砂利景気に沸いた。しかし、昭和初期の慢性的な不況により砂利輸送は衰退。また小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)の開業により厚木から直接、新宿に出られるようになったこともあり次第に経営は悪化した。

 横浜線への乗り入れや沿線開発の進展により一時は持ち直すも、昭和初期から続く慢性不況の中、1941年に東京横浜電鉄(現在の東急電鉄)に買収され、同社の傘下に収まった(ちなみに川砂利の採取は堤防の破壊など環境に悪影響を及ぼしたため次第に規制されるようになり、1964年に砂利採取法が強化されて荒川、多摩川、相模川での採掘が全面的に禁止されるに至った)。

● 戦後の沿線開発で 相鉄線の利用者が急増

 一方、横浜と海老名を結ぶ現在の相鉄線は相模鉄道と同じ1917年、神奈川県中央部の資産家が中心となって設立した神中鉄道がルーツだ(神中とは神奈川の中央部に由来する)。

 1926年に二俣川~厚木(貨物駅)間で営業を開始。相模鉄道と連絡した砂利輸送が経営の主軸だった。その後徐々に路線を延伸していき、1933年に横浜駅への乗り入れを果たす。しかし、当時は沿線人口が少なかったため経営は厳しく、1939年に東京横浜電鉄に買収されている。

 厚木で路線を接する2つの鉄道が共に東京横浜電鉄の傘下となったことで、相模鉄道は経営合理化のため神中鉄道を吸収合併。神中鉄道が運行していた路線は相模鉄道神中線となった。時は1943年、太平洋戦争下のことであった。そして戦争は相模鉄道の運命を変えていく。

 当時、鉄道は軍事輸送のほとんどを担っていたが、国鉄の路線はほとんどが都心を経由していたため、都心が空襲を受けた場合に輸送がストップする懸念があった。そこで迂回(うかい)ルートの確保を目的として、私鉄の買収に乗り出したのである。東海道線と中央線を連絡する相模鉄道相模線もその対象となり、政府は1944年に相模線を強制買収した。こうして相模鉄道はルーツであった相模線を失い、神中線のみが残ることになった。

 戦前は相模線の砂利輸送が経営の柱だったが、戦後は沿線開発が進んだことで、神中線の利用者は急激に増加した。神中線は1943年から1944年にかけて電化すると、1951年から1974年にかけて複線化を完了。1949年に30分間隔だった運転間隔が1953年には最短5分間隔となるなど、めざましい発展を遂げた。一方の相模線は前述のように1991年まで電化されず、今も単線のままである。

 相鉄は1990年に「大手私鉄」の認定を受けるまでに成長したが、もし相模線を抱えたままであったなら違った歴史をたどっていた可能性が高いだろう。皮肉にも相模線の買収が戦後の発展を導いたといえるかもしれない。

 そんな相鉄だが、2019年11月からJR線への乗り入れを開始。2022年度下期には東急にも乗り入れる計画だ。因縁の深い国鉄(JR)と東急との直通運転が今後の相鉄の経営の柱になるのだから歴史は面白い。

ダイヤモンド・オンライン

関連ニュース

最終更新:9/27(月) 13:21

ダイヤモンド・オンライン

投資信託ランキング

Yahoo!ファイナンスから投資信託の取引が可能に

最近見た銘柄

ヘッドラインニュース

マーケット指標

株式ランキング