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史上最大の作戦…「ノルマンディー上陸作戦」で連合軍兵士の死亡数を激減させた「奇跡の薬」とは?

9/26 6:01 配信

ダイヤモンド・オンライン

 唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。
外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント8万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』が発刊され、たちまち3万部の大重版となった。
坂井建雄氏(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。好評連載のバックナンバーはこちらから。

● 戦地における感染症

 二十世紀初頭、戦地で多くの兵士たちが傷の感染症で命を落としていた。傷の感染は、皮膚の表面にいるブドウ球菌や連鎖球菌などの細菌から起こる。エールリヒが「魔法の弾丸」を生み出してもなお、これらの一般的な細菌を殺せる「弾丸」は、当時全くなかった。傷から細菌が侵入し、それが全身を巡って重篤な感染症を引き起こしても、人類になす術はなかったのだ。

 その後、全くの偶然が医学史を変えることになった。

 一九二〇年代、ロンドンの聖メアリー病院で研究職にあったアレクサンダー・フレミングは、人間に病気を引き起こすブドウ球菌の研究をしていた。

 一九二八年九月三日、休暇から戻ったフレミングは、細菌を培養していた培地の一つにカビが生えていることに気がついた。不思議なことに、そのカビの周囲にだけ細菌が育っていない。このカビはアオカビの一種であり、これが産生する何らかの物質が細菌の増殖を妨げているようだった。

 フレミングはカビから出ている黄色い液体を、アオカビの学名Penicillium(ペニシリウム)から「ペニシリン」と名づけた。だが、ペニシリンを純化することは難しく、安定的に手に入れることはできなかった。薬として使うのは難しいと考えたフレミングは、これを論文として報告しただけで、他の研究を続けた。まさかこれが歴史を変える大発見であるとは、フレミング自身も気づいていなかった。

 それから数年後、オックスフォード大学のハワード・フローリーとアーネスト・ボリス・チェインは、細菌を殺す薬を探索している最中にフレミングの論文を見つけ、そこに治療薬としての可能性を見出した。確かにペニシリンの精製は難しかったが、その効力は極めて強かった。

 一九四〇年、連鎖球菌を感染させたマウスを使った実験では、何もしなければ一晩で死ぬマウスがペニシリンの投与によって生きながらえたのだ。

 一九四一年には人間にペニシリンを投与する初めての試験が行われ、その効果が立証された。問題は、当時の技術ではペニシリンの大量生産はとても不可能だったことだ。たった二グラムのペニシリンを精製するために、アオカビがつくる液体が一トン必要だった。

 この状況を大きく前進させたのが、第二次世界大戦だった。日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国と、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦などを含む連合国との間で起こったこの大戦では、多くの兵士たちが傷の感染で命を落とした。戦場で兵士たちが手足の切断を余儀なくされる中、感染症の治療薬を国家が渇望していたのだ。

 フローリーはアメリカに行き、政府機関が中心となって研究チームが組織された。連合国軍の兵士を救うため、数々の製薬会社が開発競争に乗り出したのである。

● ノルマンディー上陸作戦を支える

 アオカビの生産と、ペニシリンの抽出法は次々に改良された。戦場でのペニシリンの爆発的な需要に背中を押される形で、ペニシリンの大量生産が可能になったのだ。

 一九四四年六月六日、膨大な数の連合国軍兵士がノルマンディー海岸に上陸し、ドイツ軍に攻撃を開始した。ノルマンディー上陸作戦と呼ばれる、史上最大規模の作戦である。この日、連合国軍には強力な武器が供給されていた。兵士全員分のペニシリンである。

 このとき、戦場に持ち込まれたペニシリンの九割は、アメリカの製薬会社ファイザーの製品だった(1)。競合他社に先んじて、安定的な生産工程を完成させていたからだ。結果としてペニシリンは、連合国軍兵士の感染症による死亡を激減させたのだ。

 一九四五年、フレミング、フローリー、チェインの三人はノーベル医学生理学賞を受賞。ペニシリンは感染症の治療薬として、今日に至るまで大量に使われることとなった。実は、ユダヤ人だったチェインは、母親と女きょうだいをドイツの強制収容所で失っている。チェインの研究成果はナチスの打倒に確実に役立っており、ここに深い因果があるのだ。

 人間にとっては「奇跡の薬」となったペニシリンだが、アオカビにとってみれば、細菌から身を守るために分泌する物質だ。のちに、こうした薬は「生物に対して抵抗する」という意味から、「抗生物質(antibiotics)」と名づけられた。

 ペニシリンの発見は、医学の歴史において極めて重要な転換点になった。必然的に、「自然界には他にも人間に役立つ抗生物質が存在するはずだ」という発想に行き着くからだ。抗生物質の探索は次々と進められ、多くの感染症の治療薬が生まれていった。

 土の中の生物を研究していたアメリカの微生物学者セルマン・ワクスマンは、放線菌という細菌がつくる抗生物質、ストレプトマイシンを発見し、一九五二年にノーベル医学生理学賞を受賞した。ストレプトマイシンの発見もまた、医学史上、極めて重要な功績だ。

 当時もっとも多くの人命を奪っていた病原菌の一つ、結核菌に劇的に効果を示したからである。この薬は、結核の治療薬として今に至るまで使われ続けている。

 抗生物質の開発によって、感染症での死者は劇的に減った。平均寿命は急激に伸び、人類の歴史に大きな変化をもたらした。多くの国で長らく死因の第一位であった感染症が、他の病気に取って代わられたのだ。

 その一方で、奇跡の薬ともてはやされ、安易に使われ続けた結果、耐性菌が次々に生まれた。抗生物質の効かない細菌が現れ、それを殺すための抗生物質が開発され、再びその耐性菌が生まれる、という「いたちごっこ」が続いている。

 現在、どんな抗生物質も効かない「多剤耐性菌」は世界的な問題になっている。いつしか私たちは、感染症になす術のなかった昔に逆戻りするかもしれないのだ。

 【参考文献】
・ファイザー株式会社「米国本社の歴史 1900年~1950年」
 (https://www.pfizer.co.jp/pfizer/company/history-us/1900-1950.html)
・『医療の歴史 穿孔開頭術から幹細胞治療までの1万2千年史』(スティーブ・パーカー著、千葉喜久枝訳、創元社、二〇一六)
・『新薬誕生 100万分の1に挑む科学者たち』(ロバート・L・シュック著、小林力訳、ダイヤモンド社、二〇〇八)

 (※本原稿は『すばらしい人体』からの抜粋です)

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最終更新:9/26(日) 6:01

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