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幸せを求めるほど欲望を募らせる人が陥る悪循環

9/25 12:01 配信

東洋経済オンライン

僕らにも、僧侶のような意識状態が必要じゃないだろうか?  たとえばきみがバスケ・コートの支配者になりたければ、マイケル・ジョーダンを見習うだろうし、イノベーションが必要なら、イーロン・マスクを研究するだろう。パフォーマーになりたければ、ビヨンセに学ぶかもしれない。じゃあ、心を鍛えて平安と落ち着きを手に入れ、人生の目的を見つけたければ、どうするか?  僧侶に聞きに行こう。その道の専門家だから。(「はじめに」より)

『モンク思考: 自分に集中する技術』(浦谷計子 訳、東洋経済新報社)の著者、ジェイ・シェティ氏は、こうメッセージを投げかける。しかし、そこに多少の違和感を覚える方がいらっしゃったとしても不思議はないだろう。

 なぜなら多くの人にとって僧侶は遠い存在……とまではいわないにせよ、少なくとも近い存在ではないからだ。事実、私もそのひとりではあった。

■僧侶にまるで興味がなかった若者の変心

 とはいえシェティ氏も似たようなもので、当初は僧侶にまるで興味がなかったのだそうだ。僧侶よりも“現実の世界で何事かを「成し遂げた」人の話を聞きたかった”という思いは、きわめて一般的であるように思える。

 ロンドン北部の街の、中流階級のインド人家庭に育った子ども時代は“僧侶的なもの”とは無縁。中学生になってからはよからぬ連中との交流も始まり、ドラッグ、けんか、飲酒など、悪いことも山ほどやったのだとか。

 それでも大学に入ると「人生のゴールを追求するには、勤勉さ、自己犠牲、自制心、粘り強さが欠かせない」と気づいたそうだが、これといった目標もなかったと振り返っている。

ゴーランガ・ダス先生が大学にやってきたのは、僕の中で、新しい考え方、新しい生き方を探ってみたいという気持ちが高まっていたときだ。僕は、みんなが(そして自分自身が)思っている既定の路線から外れてみたくなっていた。人間として成長したい。謙虚さ、慈悲、共感を抽象的な概念としてではなくて、実感として味わいたい。規律とか、品性とか、高潔さといったものを単なる知識で終わらせずに実践したいと思った。(「はじめに」より)

 青春期に人間的成長を志す人は多いが、そのために進むべき道はひとつではない。たとえばより高度な教育を受けて専門知識を増やすとか、ボランティアなどを通じてコミュニケーション能力を高めるとか、それぞれに心惹かれるなにかがあるわけだ。

 シェティ氏の場合、そこで選択したのが僧侶としての道だった。そして、その結果として得たのが“僧侶の意識(モンク・マインド)”だったということだ。しかし、聞き慣れないそれはいったいどのようなものなのだろうか? 

■「モンク・マインド」と「モンキー・マインド」

 表面的には快適に見えるかもしれないが、(実は誰もがよく知るように)現代社会は不満に満ちているものだ。多くの人が不満を抱えながら生きており、とりたてて不満がないという人でさえ、無意識のうちに「幸福」を追いかけることに相応の時間を費やしている。

 よくないのは、社会やメディアの姿勢だ。彼らは多くの場合、なにかを成し遂げた人、あるいは成功した人をクローズアップして過度に持ち上げ、私たちに対して「成功者たちのようになること」「成功者たちのように生きること」を勧めたがる。なぜなら、それらは耳目を集めやすいトピックスとして機能するからだ。

 ところが名声もお金も華やかさも、現実的には私たちをあまり満足させてくれない。それどころか、幸福を追いかければ追いかけるほど欲望を募らせることになり、いらだち、幻滅、不満、不幸、消耗といった悪循環に陥っていく可能性すらある。

 だからこそ、「モンク・マインド」が必要なのだとシェティ氏はいうのだ。また、そのことを論じるにあたり、「モンク・マインド」と「モンキー・マインド」との違いに着目している。

 人はしばしば、ものごとを考えすぎたり、先延ばしにしたり、不安に悩まされたりするものだが、そういうときはモンキー・マインドに陥っているというのだ。つまりモンキー・マインドとは、こっちの考えからあっちの考え、この問題から別の問題へと、せわしなく飛び回るだけでなにひとつ解決しない心の状態を指すということだ。

 もちろん、それではなにも解決できるはずがない。だが、そんなモンキー・マインドをモンク・マインドに育て上げることは不可能ではないそうだ。自分が求めているものの根っこの部分を掘り下げ、成長するために実行可能なステップを見つければいいというのである。

 モンク・マインドはわれわれを“混乱と注意散漫の沼”から引き上げ、ものごとを見きわめる明晰さ、そして人生の意味と方向性を教えてくれるのだという。

 モンキー・マインドとモンク・マインドとの違いを確かめてみよう。

モンキー・マインド
ものごとの枝葉末節にとらわれている
人生という車の助手席に乗っていて、自分では運転していない
愚痴をこぼす、比較する、批判する
考えすぎる、先延ばしにする
こまごまとしたことに気をとられている
目先の満足を重視する
注文が多く、特権意識がある
きまぐれ
ネガティブな感情や恐怖を増幅させる
自己中心的で思い込みが強い
マルチタスキング(一度に複数のタスクをこなそうとする)
怒り、悩み、恐怖に支配されている

楽しければ何でもする
快楽を求める
一時的にしのげればよしとする
(「はじめに」より)
モンク・マインド
ものごとの根っこの部分を見据えている
意図と自覚をもって生きている
優しくて、思いやりがあり、協力的
分析する、明確に説明できる
整然としている
先々の利益を考える
熱心、決心が固い、根気がある
使命感、ビジョン、目標をもって取り組む
ネガティブな感情や恐怖を分析する
他者の役に立つために自分を大事にする
シングルタスキング(一度に1つのタスクに専念する)

エネルギーをコントロールし、賢く使う
自制心を働かせようとする
意味を求める
根本的な解決策を探す
(「はじめに」より)

■エゴ、嫉妬、欲望、不安などから自由に

 「モンク・マインド」は、私たちにいままでとは違う人生観、違う生き方を見せてくれるもの。その生き方においては、「反骨心」「無執着」「再発見」「目的」「集中力」「自制心」「奉仕」がカギを握るのだそうだ。

 さらにいえば、モンク・マインドが目指すのは、エゴ、嫉妬、欲望、不安、怒り、不満、悩みから自由になること。それは入手可能なだけではなく、必要不可欠なものだという。「ほかに選択肢はない。僕らは落ち着きと静けさと安らぎを必要としている」というシェティ氏の主張に、少なからず共感する方は多いのではないだろうか? 

生まれたての赤ん坊は何よりも先に呼吸をする。ところが、成長につれて、人生はどんどんややこしくなり、ただ静かに座って呼吸するだけのことが、なぜか難しくなってしまう。だからこそ、この本で僕は伝えたい。僧侶のように、ものごとの根っこに目を向け、自分自身を見つめるにはどうすればいいのか。なぜなら、そうした好奇心と思考と努力と気づきを経た先にのみ、心の平安と落ち着き、人生の目的は待っているからだ。(「はじめに」より)

 本書においては、モンク・マインドに至るまでの道のりが3つのステージに分けて紹介されている。

 まず第1のステージは「手放す」。われわれの成長を押しとどめている外的要因、自分の内側にある障害物、恐怖などを削ぎ落としていく段階である。シェティ氏はこれを「大掃除のようなもの」だと表現しているが、確かに成長するためには、手足を伸ばすスペースをつくる必要があるだろう。

 第2のステージは「成長する」。人生でさまざまな決定を下す際に意図、目的、自信を持って行えるよう、生活を見直していくことを促しているのである。

 そして第3のステージは「与える」。自分自身という枠を超えて世界に目を向ける、感謝の気持ちを広げ、分かち合い、人間関係を深めていくという段階。私たちはギフトと愛を他者と共有したとき、奉仕することのほんとうの喜びとメリットに気づくものだという。

 シェティ氏はこの3つのステージを“モンク・マインドに至る旅”と表現しており、だとすれば第1のステージから順番に読み進めていくべきなのかもしれない。しかしその一方、どこからでも読み始めることができるのも本書の魅力ではある。

■感謝は真価の実感

 それだけ平易だということで、しかも紹介されているのは簡単に試せることばかりだ。たとえば個人的には、第9章「感謝――世界最強の薬」のなかで、(心を鍛えて自分の内側を見つめられるようになった次の段階として)外側に目を向け、他者との関わり方を考えるべきだと論じている点に共感した。

人はよく、何かの出来事で幸運を感じたとき、ハッシュタグ「#blessed(恵まれている)」をつけてSNSに投稿したりする。つまり特定の瞬間にありがたみを感じているわけだ。でもそれは、今の自分が何のおかげで存在するかということにまで考えを掘り下げ、日々、生かされている事実に心の底から意識的に感謝することとは違う。(384~385ページより)

 ここでシェティ氏は、ベネディクト会修道士のデヴィッド・スタインドル=ラストの言葉を引き合いに出している。彼は「感謝は真価の実感であり、『金銭的価値とは関係なく、そのものにかけがえのない価値があると認めたとき』に生じる」と述べているのだそうだ。

 つまり、友人のアドバイス、ちょっとした親切、チャンス、教訓、幸せな瞬間の記憶など、あらゆるものに対する感謝の気持ちで1日をスタートさせれば、障害物ではなく、チャンスに出合う可能性が高くなる。それが、成長への新たな道につながっていくということだ。

 感謝と聞くと、ちょっと気恥ずかしく感じられるかもしれない。しかし、感謝は心の健康、自己認識、人間関係を改善し、充実感を高めることが研究で判明しているのだという。

 たとえば日記を使った研究で、一方のグループには「ありがたい」と感じた出来事を記録させ、もう一方のグループには「いらいらさせられた出来事」を記録させたところ、1日の終わりに感じるストレスレベルは、感謝グループのほうが低いという結果が出たそうだ。

 そこでシェティ氏は、読者に対してこんな提案をしている。

やってみようーー感謝の日記をつける
毎晩、5分間だけ日記をつけよう。自分が感謝したいものごとを書き出してみてほしい。
実験をさらに深めたい人は、日記をつけ始める前の1週間、睡眠時間や睡眠の質を記録しておくといい。そして、日記をつけ始めたら、毎朝、どれくらい眠れたかを記録する。睡眠が改善されていないだろうか?  (386ページより)

■こんなとき僧侶ならどう考えるだろう? 

 たとえばこのように、本書におけるシェティ氏のアプローチは親しみやすい。したがって、興味を持ったことから試してみれば、日常生活が少しずつ、より心地よいものになっていくかもしれない。

 重要なポイントは、シェティ氏が僧侶になることを勧めているのではなく、単に僧侶的思考=モンク・マインドを持とうと提案しているという点である。つまり押しつけはそこになく、ただ「こちらに来てみれば?」と読者を誘っているにすぎないのだ。

 いろいろ共感できる点が多いのは、おそらくそのおかげなのだろう。本書を読み終えるころには「こんなとき僧侶ならどう考えるだろう?」と自分に問いかけるようになっているはずだというが、なるほど納得できる話ではある。

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最終更新:9/25(土) 12:01

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