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「親友と同じ女性を好きになった人」への処方箋

9/25 19:01 配信

東洋経済オンライン

「性欲を持つことはいけないのか?」「親友と同じ相手を好きになってしまった。どうすればいい?」――こうした難しい質問に対して、作家の佐藤優さんはどう回答したのか?  新刊『13歳からのキリスト教』より一部抜粋・再構成してお届けします。

 若い人にとって、人生の大きな悩みの一つとなるのが、恋愛の感情でしょう。恋愛とひと口にいっても、さまざまな形があります。ただただ好きで、そばにいるだけでもう幸せというようなほのぼのした恋愛もあれば、激しく燃え上がり胸がこがれるような恋愛もある。肉体的な欲望におぼれてしまうような恋愛もあるし、遠く離れていてもつながっている喜びを感じる恋愛もあります。

 これは、ただの欲望なのか愛なのかと悩み、葛藤し、ときには絶望する。相手を失えば、まるで人生が終わったような気持ちになることもあります。

 愛とは?  恋とは?  セックスとは?  キリスト教ではどう考えているのでしょうか。お話ししていきます。

■キリスト教と性欲

Q1.性欲を持つことはいけないことでしょうか?  そういう目で相手を見ることは悪いことですか? 
 性欲は、人間の三大欲求の一つであり、それ自体は当たり前の欲求です。性欲がなければ人類は続いていないのですから、性欲を持つこと自体はいけないことではありません。

 いけないのは、自分の性欲のために、「相手を道具のように扱う」ということです。性欲の解消のため、相手の身体を道具のように利用する態度は、「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」という教えに反しています。しかし人間は、欲望に弱いものです。気をつけないと、あっという間に快楽の世界におぼれてしまいます。

 聖書には、欲望に堕落した人間たちを、神様が滅ぼしてしまう話が出てきます。旧約聖書の「創世記」にでてくる、ソドムとゴモラという2つの街のお話です。

 この街の人々は、みだらな行為にふけり、暴力も横行していました。怒った神は、天から硫黄の火を降らせて、二つの街を焼き尽くしてしまうのです。

 また旧約聖書には、古代イスラエルの民の指導者で、預言者でもあったモーセという人が、神から与えられたという10の戒律「モーセの十戒」が記されています。預言者というのは、神の言葉を聞いて、それを人々に伝える役割をもつ人のことです。

 神から与えられた10の戒律のなかに、「姦淫してはならない」という戒律があります。姦淫とは、結婚して定められた相手ではない者と性行為をすることであり、子孫を残す行為としてのセックスではなく、一時の快楽を満たすためだけのセックスのことです。

 ですから旧約聖書においては、セックスや性欲そのものを否定しているわけではありません。結婚して子孫を残すための行為として認めているのです。

 新約聖書では、姦淫の定義がもっと厳しくなります。イエスはこう言います。

「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」(マタイによる福音書 5.27-28)

 自分の性欲のために「相手を道具のように扱う」ことは良くないと言いましたが、行為だけでなく、気持ちの上でもそのようなことをしてはいけないと言うのです。

 もともとユダヤ教徒でしたが回心してキリスト教の熱心な伝道者となった、パウロという人がいます。パウロは、古代ギリシアにあったコリントという町のキリスト教徒たちから、質問状をもらいます。そのなかの「結婚について」の質問に、パウロは以下のように返事を書いています。

「そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい。しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。」(コリントの信徒への手紙I 7.1-2)
「未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。」(コリントの信徒への手紙I 7.8-9)

 パウロは、生涯独身でした。パウロが独身を通したのは、この世の終わりが近くあり、キリストが再臨して神を信じる人たちは救われるので、結婚のような小さなことにわずらわされるべきではないと考えていたからです。

 だから、あなたたちもできることなら独身のほうがいいとしながらも、もし性欲をコントロールできないのなら結婚するほうがましだと言っています。みだらな行いをするくらいなら結婚せよ、というのです。

■人間は快楽の世界におぼれやすい存在

 いずれにせよパウロは、人間が快楽の世界におぼれやすいものだとわかっていたのでしょう。しかし現代のような情報社会では、さまざまな刺激があちこちにあふれています。イエスの時代とは、比べものにならない量です。気をつけていなければ、欲望が一気に肥大化する危険に、われわれはいつもさらされています。

 一人の人格のある人間を、まるで道具やモノのように欲望の対象にして、利用してしまう。とくに資本主義社会のように、モノとカネがすべてのような世の中だと、ますますその傾向は強まります。

 イエスやパウロのように生きることはできなくとも、ときどき、彼らの戒めを思い出してみることが大切です。ソドムとゴモラの住人のように、人間は、あっという間に堕落していくものなのですから。

Q2.親友と同じ女性を好きになってしまいました…。どうすればいいでしょうか? 
 「好き」になる感情は、自然発生的なもので、これは人間の力ではどうしようもありません。

 感情自体は、「神の領域にある」と言ってもいいくらいです。そこからどう行動するかですが、あなたが引き下がれないくらいに彼女のことが好きなのであれば、正直に、親友に打ち明けるしかないでしょう。それでもし彼女が、親友よりもあなたのほうを選んだのなら、それは仕方ないことです。

 そのことで親友から絶交されるのであれば、それは親友でもなんでもなくて、それだけの関係だったということです。若いうちはなかなかできることではないですが、自分にとってとても大切な親友が幸せになれるのだとしたら、そのことを祝福できるのが、ほんとうの友情というものではないでしょうか。

 ただ、親友に黙って彼女にアプローチするのは、卑怯な行為です。それは、親友に対する裏切り行為です。同じ女性に恋愛感情を持つこと自体が、裏切りなのではありません。親友に対して誠実でいないこと、嘘をつくことが、裏切りなのです。

■恋愛で傷つくことを恐れなくてもいい

 若いときはとくに、恋愛という体験のなかで、さまざまな感情や葛藤を経験することが多いでしょう。「こんなことを言ったら、相手はなんて思うだろうか」「わたしのことを、どう思っているのだろうか」「どうしたら、もっと好きになってくれるだろうか」

 ときには、相手に傷つけられたり、さみしくてたまらなかったり、悲しい思いをしたりすることもあります。さまざまにゆれ動く感情に圧倒されて、つらい気持ちなることもあるでしょう。

 「なぜ、こんなつらい思いをしなければならないのか。こんなに悲しむくらいなら、好きにならなければよかった」。そんな風に思うこともあるでしょう。

 しかし、聖書のなかに、こんな言葉があります。

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙12.15)
 恋愛では、喜び、悲しみ、怒り、せつなさ、さみしさ、とにかくさまざまな感情を経験します。良い感情だけでなく、つらい感情もたくさんあります。しかし、一度もこころの痛みを感じたことがない人が、誰かの痛みを想像できるでしょうか? 

 一度も、悲しみを感じたことのない人が、誰かの悲しみに寄りそってあげられるでしょうか?  恋こがれるせつなさを知らない人が、誰かのせつなさを慰めてあげることができるでしょうか?  できないと思います。

 人間は、さまざまな感情を経験することによって、それだけほかの人の喜びや悲しみもわかってあげられるようになるのです。

 若いうちは、大いに恋愛で傷ついていいと思います。傷つくことを恐れない。さまざまな葛藤や痛みを経験した人ほど、優しい大人になることができるのです。

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最終更新:9/25(土) 19:01

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