IDでもっと便利に新規取得

ログイン

ゴッホ「生前はパッとせず」早すぎた天才だった訳

9/23 16:01 配信

東洋経済オンライン

「こんなにがんばっているのに、自分が評価されないのはなぜ?」
「才能がない?」
「努力が足りない?」
でも、もしかしたらそのどちらでもなく、ただ「タイミングが悪い」というだけかもしれない。
歴史上には、才能があって努力もしていたのに、なかなか評価されなかった偉人がいる。たとえばみなさんご存じのゴッホは、今でこそ絵1枚に100億円以上もの値がつけられているが、生前に売れた絵はたったの1枚、といわれている。
時代よりも早く才能を発揮してしまったすごい人たち14人の人生を追った『早すぎた天才 知られてないけど、すごかった』では、ゴッホの絵を買ったという架空の人物「謎の金持ち」が、その人生を調べ、語っている。その物語を一部抜粋、再構成してお届けする。

■ゴッホが本格的に絵の世界へ入ったのは27歳

 ゴッホ。本名フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ。オランダの牧師の家に生まれた。5人兄弟の長男で、おさないころはかんしゃく持ちであつかいにくい子といわれていた。

 ゴッホ、16才。絵を売る仕事、つまり画商をやっていた。しかし金もうけのことばかり考えるのがイヤになり不満をもらすようになる。数年つとめたものの、けっきょく、クビになってしまう。

 23才のとき女性にふられて、キリスト教にハマり、そこからキリスト教の教えを広める伝道師を目指した。しかし、これもうまくいかず、27才で本格的に絵の世界に入った。

 何かを始めるのにおそすぎるということはない。ゴッホは、画商をしていた弟のテオに生活費を出してもらい、必死に絵を描いた。描いて描いて描きまくった。死ぬまでの約10年間で、1000枚以上もの絵を描いたといわれている。

 え?  そんなに描いたのに、生きてる間に1枚しか絵が売れなかっただと?  なぜだ。今ではこんなに価値があるのに、なぜ当時は売れなかったのだ? 

 絵にもそのときどきのブームがある。当時は「印象派」というジャンルの絵が人気だった。印象派とは、かんたんにいうと、これまでになかった光の表現を絵に持ちこんだ手法だ。同じ風景でも、光によって見え方が変わってくる。

 ただ、もともとはこのタイプの絵も最初は受け入れられなかった。そのため印象派というよばれ方は、じつはからかいの言葉から始まっている。

 一方、ゴッホは、自分だけの描き方を探して1人もくもくと描き続けた。最初は、まずしい人たちの生活を描くなど暗い絵が多かったが、印象派の絵や、日本の浮世絵などからも学ぶうち、日を追うごとに進化していったのだ。だんだんと、ゴッホにしかない色のあざやかさ、すなわち色彩で描けるようになり、ぐるぐるうねうねとした「ゴッホらしい筆の運び」も生まれてきた。

 そのためゴッホの絵は、「自分らしい絵」を目指す仲間や、一部の人たちからはそれなりに価値をみとめられていた。たとえば若い画家のめんどうをよく見てくれていた、画材店をいとなむタンギー爺さんという人がいたのだが、ゴッホはかれに、お金の代わりに自分の絵を送り、画材を手に入れることもあったようだ。

 しかしゴッホをふくむ、新しい時代の画家たちの絵は、まだまだ多くの人、とくに絵画を買うようなお金持ちにはとどかなかった。新しすぎたのだ。

 ふむ。当時、多くの画家は、人気のあった印象派の絵画を描いていた。いわば、売れるための常識だったわけだな。でもゴッホは、その常識をただ追っかけ回さず、自分の表現を追求していたわけか。1人さみしく。

■「良いものを作れば売れる」わけではない

 これは、芸術家としては、りっぱだが、やっぱりそれだと、売れないな。

 商売は「良いものを作れば売れる」わけではない。売れるためのコツは、質ではなく、市場を作ることだ。

 たとえば、そうだな。のどがかわいて、今にも死にそうな人間なら、持っているお金すべてを出してでも、水を買うだろう。もし、その水に、多少ドロがまじっていたとしても。

 ぎゃくに、まったくのどがかわいてない人は、タダでも水は買ってくれない。

 かんたんにいえば、商売というのは、こういうことだな。

 さらに、広告、宣伝で「のどがかわいたぁ」と思わせることも大切だ。

 まあ、だいたい印象派のようにブームになるものには、そこに何かしらの商売のポイントがかくされているはずだ。お、それも書いてあるな。どれどれ? 

 このころは、今でいう高級マンションが建ち始め、金持ちが、こぞってそこに住み始めた。マンションはふつうの家にくらべると、窓が少ない。そこで、光の表現を使った印象派の絵をかざることで、家の窓が増えたように感じられる。だからそれらの絵を買う金持ちも多い。こうして、絵画市場は印象派の絵が多くならぶようになった。

 なるほど。これは、かしこい売り方だな。あえて窓が少ないことを宣伝文句にすることで、自分の部屋、それも高いお金を出して買った部屋に、光が足りないことに気づかせ、さみしく感じさせる。これが「のどがかわいた」と思わせることだ。

 じっさい、ゴッホの弟テオも印象派の絵を売ることで、ゴッホに生活費を送れるくらいの生活ができていたようだな。

 ただ、このブームのせいで、ゴッホのように、自分の色彩やタッチを探していた画家たちには、チャンスがめぐってこなかった。

 ただ、ゴッホはここで、孤独に別れをつげようと、ほかの画家たちと交流を持った。さらに、かれらが集まれるようにアルルという町に家を借りた。こうして、ゴッホなりに理想を持ち、チャンスを作ろうとしたのだが、けっきょく、アルルの家には、後に有名画家となるゴーギャンしか来てくれず、そのゴーギャンともすぐにケンカ別れ。理想が失われたゴッホは、その後、孤独を友に絵を描くようになる。

 この絵は、孤独の中で生み出されたものなのか。そうか……。

■ようやく訪れた栄光の時代を享受できず

 だが、時代は変わる。その変化は、1890年ごろから、ゴッホの身にもおとずれた。この年の初めくらいから、ゴッホの名が絵画の世界で知られていく。雑誌でゴッホの絵をほめたたえる記事が出た。また、美術展に出した絵が、初めて売れたのもこの年だ。

 いよいよ、ゴッホにも栄光の時がやってきた。自分の絵が時代の流れに乗ってきた。

 しかし、この年、ゴッホは死んでしまう。

 絵を描き始めてからたったの10年。絵画の世界に入り、とりつかれたように絵を描き続けてきたが、時代が追いついた、そのとき、ゴッホに死がおとずれてしまったのだ。

 ゴッホの死の次の年には、展覧会で多くのゴッホ作品が展示され、一気にゴッホの名は広まり、人気画家となった。そしてその人気は130年以上経った今でも続いている。と。

 ……ふむ。ゴッホは早すぎたのだな。それも、ほんの少し、早すぎた。

 印象派を学びつつも、その流れに完全には乗らず、自分の絵を求めたゴッホ。そして、時代がようやく追いついたところで、ゴッホは旅立ってしまった。というわけか。じっさいにゴッホとくらし、新しい絵に取り組んでいたゴーギャンは、その後、人気画家になっているみたいだしな。

 ただ、ゴッホの絵は、やはり今でも多くの人の心を打っている。何しろ、絵画にくわしくないわたしですら、この絵に心をうばわれてしまうくらいだからな。

東洋経済オンライン

関連ニュース

最終更新:9/23(木) 16:01

東洋経済オンライン

投資信託ランキング

Yahoo!ファイナンスから投資信託の取引が可能に

最近見た銘柄

ヘッドラインニュース

マーケット指標

株式ランキング