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「余命1カ月の小学生の娘にプリンを食べさせたい」医師が危険を承知で母の願いを許したワケ

9/15 9:16 配信

プレジデントオンライン

大切な人の死期が近づいたとき、周りの人はどういう行動を取るべきだろうか。大阪大学大学院の村上靖彦教授は「治療も大事だが、残された時間でその人の好みや望みを話し合うことが重要だ。それらを尊重することで、奇跡的な延命につながることもある」という――。

 ※本稿は、村上靖彦『ケアとは何か』(中公新書)の一部を再編集したものです。

■寝たきりになってもオロナミンCを飲んでいた祖母

 終末期医療に限らず、〈小さな願い〉は人生のかけがえない価値である。日々の〈小さな願い〉の積み重ねが、その人自身を形作る。そこでは、医療の規範に縛られない柔軟性が求められる。以下でいくつか具体例を見ていきたい。

 願い事は、しばしば体の快適さや五感に関わる。たとえば「これを食べたい」という望みは誰しも基本的な欲求として持っているもので、それだけに大事な望みである。私の祖母は亡くなる直前、寝たきりになってからも甘いものを好んで食べていた。固形物を口から食べられなくなっても、オロナミンCをいつも飲んでいた。もともと食べることが好きで、私も子どものころはいろいろなお店に連れていってもらったものだ。そうした飲食へのこだわりは、最後まで変わらなかった。

■持ち込み食があふれる病室で「食べれるっていいなー」

 次の語りは、HCU(高度治療室)に勤める若手看護師が、初めて看取りを経験した場面を語ったものである。私のゼミ生だった岡部まやさんの修士論文から引用する(「急性期領域の若手看護師がもつ死生観に関する現象学的考察」、〔…〕は中略を表す)。

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【Bさん】その次の日に一般病棟いって亡くなったんですけど、〔…〕なんか〔心臓のお薬〕もうめちゃくちゃな量いってて。〔…〕で、なんかもう先生も治す治す、みたいな感じではなくって。ある程度ひろーい感じで見れる人だったので。「本人がどうしたいかだよねあとは」っていう感じだったので、「どうしたいですか?」って。

「どこそこのプリンが食べたいんよー」っていう話とか。「生ものなんやけど、お寿司が食べたくってー」っていう話とかしてて、『病院でお寿司かあ』って思ったんですけど。先生にいったら、「こっそりやったらええんちゃう」みたいな話になって。ははは。

「家族さんに自己責任で持ってきてもらいねー」って感じで、結局、次の日かなんかに食べてはったみたいで。「何飲んでもいいの」っていわれたって言ってて、部屋にDCM〔拡張型心筋症〕の人にはありえないぐらい持ち込み食がぶわーって置いてあって。本人もそれがすごい満足してて。「食べたいもん食べれたー、食べれるっていいなあー」みたいな。
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■〈小さな願い〉と悪化リスクとの天秤

 食べることは「〈からだ〉とは何か」という問いに直結する。一連の食べる動作や、美味しいという感覚、それらすべてが本人にとっての〈からだ〉となる。それゆえ、「大好きなお寿司を食べて満足する」というようなことが、病気による衰弱と医療による制限のなかで失われかけた自分の〈からだ〉を回復する出来事となる。

 末期の心臓病で厳格な食事制限を強いられている最中に、プリンや寿司が食べたいという願い事をされたとき、どうするべきか医療者なら悩むだろう。病気を悪化させるリスクだけでなく、衛生管理の問題などもあるかもしれない。つまり、この場合には食べることが医療と対立している。ケアが医療と乖離するケースだ。

 しかし、医師も「食べたい」という願いの重要性を経験上理解している。その願いが叶うことで、本人は「食べたいもん食べれたー、食べれるっていいなあー」と大きな満足を得る。

 この「満足」というのは、〈からだ〉を再発見する出来事でもある。本人にとっても家族にとっても、人生の最期に悔いを残さないための大事な経験であろう。一見すると些細なことだけれども、こうした願いの充足は生活上の大きな意味を持つ。

 もしも「食事制限があるからだめ」「安全を確保できないからだめ」と言って、ルール優先で切り捨ててしまったとしたら、本人にとって大事な願いが叶えられないままになってしまい、当事者が置き去りになったまま亡くなってしまうことになるだろう。

■家族に見守られながらの「お食い締め」

 「お食い締め」という実践がある。人生の最期にさしかかって、自由にものを食べることがついに難しくなってきたとき、家族に見守られながら、本人がとりわけ食べたいものを食べるという行為だ。先のお寿司の例もその一種といえるだろう。

 お食い締めを実践してきた言語聴覚士である牧野日和の本から、もうひとつ例を引く(牧野日和『最期まで口から食べるために2』、52頁、〔…〕は中略を表す)。

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裕子ちゃんは小学3年生のときに神経難病にかかり、胃ろうを造設し禁食になりました。裕子ちゃんは食べたいと訴えましたが、お母さんは「元気になったら食べようね」とごまかしました。そして、裕子ちゃんはみるみるうちに身体機能が低下。胃ろうのまま約2年間過ごしました。〔…〕裕子ちゃんの身体はやせ細り、全身の筋力が衰え、ぐったりとしています。余命1カ月となり、お母さんは焦りました。「また食べようね」とごまかしたことを罪悪感として背負い続けてきたからです。お母さんは訪れた私に、なんとかして最期に口から食べさせてあげたいと懇願しました。
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■余命1カ月の娘は奇跡的に生気を取り戻した

 裕子ちゃんの「食べたい」という願いは医療的な判断によって妨げられてきた。だが、死が近づいてきたとき、そのことに母親は「罪悪感」を感じる。それゆえ、願いを叶えたいと懇願する。母親の懇願は、子どもが食に対して抱いた〈小さな願い〉が、本質的な重要性を持つとう直感(確信)に由来するのだろう。

 誤嚥性肺炎のリスクがある際には、通常はタンパク質を食べることは避ける。「すぐに命を落とすかもしれません」と牧野は母親に告げた。しかし、主治医は母親の熱望に背中を押され、母親が食べさせたいと願った手料理のプリンを食べさせることに決める。続く場面を引用する(同、55頁)。

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二口めのプリンも一口め同様、のどの奥にゆっくりと落ちていくのが見えました。しかし、すぐには嚥下反射が起きません。「誤嚥したのでは!」と危惧した瞬間です。裕子ちゃんののどがゴクンと反応しました。様子を見守っていたお母さんは、「食べた、食べた!」と言って号泣しました。そして、「裕子もありがとうって言ってます」と言うのです。その言葉で私は裕子ちゃんを見て、魂が震えました。なんと、無反応、無表情だった裕子ちゃんの頬を大粒の涙が大量に流れていたのです。母の言うように裕子ちゃんは食べたかったのです。
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■すれ違ってきた親子をつなげた手づくりのプリン

 プリンを食べたことで「無反応、無表情だった裕子ちゃんの頬を大粒の涙が大量に流れて」、失いかけていた生気を裕子ちゃんは取り戻す。生気とは〈からだ〉そのものだ。このあと裕子ちゃんは主治医の予想を遥かに超えて10カ月間生きた。「食べる」という〈からだ〉の基本的な快と願いが、生を支えた。

 こうした実例は、統計的なエビデンスとは異なる次元で重要な意味を持つ。むしろ、内側から感じられる体感であるがゆえに、その重要性は客観的なデータには現れにくく、個別のライフストーリーを通して見えてくる。

 ここでは、母がつくったプリンを食べるという経験は取り替えようのない個別性を持つ。誤嚥性肺炎のリスクを冒してまで、母がプリンにこだわったことには理由があっただろう。裕子ちゃんの人生と母親との関係全体に関わる何かが背景にある。母親がつくったプリンは、裕子ちゃんが元気だったころの好物だったのかもしれない。〈小さな願い〉は、個別的なものであり、それゆえ必然的に人生のストーリー全体を背負う。

 大事なことは、食べたいという裕子ちゃんの願いが叶ったことだけではない。願いを叶えることで、齟齬が生まれていた親子がもう一度つながり合ったということも大きな意味を持つ。本当に裕子ちゃんが「ありがとう」と言おうとしたのかどうか、それはわからない。しかし、涙を流すという応答は、母親によって感謝として受け取られた。このとき、〈出会いの場〉が開かれたといえる。

 本当の気持ちをごまかし、避け続けるなかですれ違ってきた母娘が、願いを叶えることにより、コミュニケーションを取りなおしている。食べ物という〈小さな願い〉は、実は親子関係全体の焦点であったのだ。〈からだ〉の肯定が〈出会いの場〉を開き、親子関係を再編成したのである。



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村上 靖彦(むらかみ・やすひこ)
大阪大学大学院人間科学研究科 教授

1970年、東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程満期退学。基礎精神病理学・精神分析学博士(パリ第七大学)。現在、大阪大学大学院人間科学研究科教授。専門は現象学的な質的研究。著書に『自閉症の現象学』(勁草書房)、『治癒の現象学』(講談社選書メチエ)、『傷と再生の現象学』(青土社)、『摘便とお花見』(医学書院)、『仙人と妄想デートする』(人文書院)、『母親の孤独から回復する』(講談社選書メチエ)、『在宅無限大』(医学書院)、『子どもたちがつくる町』(世界思想社)、『ケアとは何か』(中公新書)、『交わらないリズム』(青土社)など多数。
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最終更新:9/15(水) 18:26

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