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「1日40万売る」フライドポテトベンチャーの正体~小学校教員→海外で飲食店勤務→北海道で起業

9/12 10:01 配信

東洋経済オンライン

 ある平日の午前中、札幌の地下鉄・麻生駅から徒歩数分のところにあるZIZI COFFEE(ジジコーヒー)の店先に、ひとり、ふたりと人が並び始めた。彼ら、彼女らのお目当ては、北海道・美唄発のスタートアップ、ASOMBROSO(アソンブロッソ)が作るフライドポテトだ。

■1日40万円弱を売り上げるフライドポテト

 ジジコーヒーの駐車スペースに止められたキッチンカーのなかでは、創業者の齋藤誠輔と妻のみさきが手際よく注文に応じている。北海道ベースなのでまだ全国区ではないが、驚くなかれ、齋藤が「ハンドカットフライズ」と名付けたこのポテト、多い時には1日40万円弱を売り上げる。

 ジジコーヒーの周辺は、ビジネス街でもなければ、観光地でもない。お客さんは、なにかのついでではなく、アソンブロッソのフライドポテトを目指して足を運んでいるようだ。僕は11時から13時頃まで現場にいたが、客足が途切れない。なかには、車で買いにきている人もいた。

 印象的だったのは、ひとりで並び、「プレーンをひとつ」と注文した高齢のおしゃれな女性。齋藤との会話のなかで、女性がこう言ったのが聞こえた。

 「私、今年でもう80なのよ、うふふ」

 80歳の女性が食べたくなるフライドポテトは、どのように生まれたのだろうか? 

 1990年、齋藤は美唄で生まれた。「とにかく負けず嫌い」で小、中学生のときから成績も学年トップクラス。その学力が評価され、特待生として旭川の私立高校に進学し、子どもの頃から打ち込んでいたバスケットボールでも北海道大会でベスト8に入った。

 札幌にある北海道教育大学に進んだのは、バスケ部時代の顧問の影響だ。よく聞くような「顧問に憧れて教員に」という話ではない。

 「校内でも物議を醸すような強烈な先生で、まったく個性を認められなかったんです。僕はもともと従順ではなくて、周りに惑わされずに自分のやりたいことをやりたい性格だから、それが本当に苦手でした。それで、個性とか自由を認められる教師になろうと思ったんです」

 齋藤は大学で中学校の理科、体育、小学校、養護学校の教員免許を取得した。しかし、教育実習で学校に行き、現実を知って早々に幻滅した。ほとんどの教師は右に倣えで、部活をしていたときと同じく、意見や主張は求められていなかった。

 実習の間に「自分には向いてない」と実感した齋藤だが、教育大学だから同級生はほとんどが学校の教員になる。ほかの仕事をするイメージもわかず、「モラトリアムのような感覚で」、北海道教育大学の教職大学院に進学した。そこでも改めて「やっぱり向いてない」と確信した齋藤は、思い立った。

 「海外に行こう!」

 高校生のとき、アメリカの田舎町にある姉妹校に1カ月留学した。滞在中に現地の小学校を訪問する機会があり、日本とはまるで違う明るく伸び伸びとした雰囲気に興味を引かれた。留学生活も楽しかったから、それ以来、海外旅行に出かけるようになった。それで、海外で教師をやろうと考えたのだ。

 その方法として、青年海外協力隊の「現職教員特別参加制度」がある。これは、教員として海外に赴任し、現地の学校で子どもたちに教えることができる制度だ。ただ、調べてみると「勤務2年以上の実務経験」という条件があった(現在は3年以上)。そこで齋藤は「2年だけやろう」と決めて、大学院で修士号を取得した2015年の春、公立小学校の教師になった。

■「宿題なんかやらなくていい」

 齋藤は、着任早々から現場の空気を乱した。子どもたちに「お前ら、宿題なんかやらなくていいから、好きなことやれよ!」と声をかけ始めたのだ。

 ただ無頼に振る舞おうと思ったわけではない。世の中に目を向ければ、ビジネス界の大物も教育界の著名人も「自分の好きなことを見つけて、それを職業にしよう」と発信していた。齋藤もそこに共感し、子どもたちに「夢中になれるもの」に出会ってほしいと考えてのことだった。

 意外なことに、同じ学校の同僚たちの間では「面白い若者が来た」程度の扱いで叱責されるようなことはなかった。子どもたちから「宿題をやらなくていい」と言っている教師がいると聞いた保護者から、「その先生は大丈夫なのか?」という電話が学校に何本か来たものの、クレーム殺到というほどでもなく、学校は想像していたより息苦しい職場ではなかった。

 2年目には、小学校2年生の担任に就いた。子どもたちとは1年目からすぐに打ち解けていたから担任を持つのは嬉しいことだったが、成績をつけるのは苦手だった。特に図工、音楽、体育は悩んだ。本心では、まだ7、8歳ぐらいの子どもなのだから、図工も音楽も体育もただ楽しんで、好きになってくれればいいと思っていた。それなのに、成績という形で優劣をつけなくてはいけない。

 では、優劣を見極められるほど自分の目は正しいのか?  AからCの三段階評価で、Cをつけられたら、それまで絵を描くことが好きだった子も、才能がないと自分に見切りをつけてしまうかもしれない。自分にその資格があるのか?  

 考え始めるときりがなかったが、担任が子どもの成績をつけないという選択肢はないし、自分ひとりで現在の制度を変えることもできない。濃霧のようなモヤモヤを抱えた齋藤は、当初の予定通り、日本から離れることにした。

■ニュージーランドで知った飲食店のリアル

 教員を続けながら青年海外協力隊の選考を突破した齋藤は、2017年3月いっぱいで教員を退職。赴任先は中東のヨルダンに決まった。しかし、ヨルダンの土を踏むことはなかった。

 「ヨルダンは、当時まだ内戦が激しかったシリアと国境を接していたので、外務省の危険情報ではレッドゾーンになっていました。もちろん、協力隊なのである程度の安全は確保されているんですけど、親から『行かないでくれ』って言われたんです。親から進路についてなにか言われるのが初めてで、これは本気で心配されていると思ったから、さすがに断念しました」

 残念な思いもあったが、気持ちを切り替え、「とりあえず英語を勉強しよう。どうせなら、日本人があまり選ばなそうなところに行こう」と2017年5月、26歳のときにニュージーランドへ。半年間、語学学校で学びながら、現地の日本食レストランで働き始めた。ここから、人生が大きく動き始める。

 大学院卒で社会人経験もあり、パソコンを扱うスキルにも長けていた齋藤は、店で重宝されていたのだろう。ある日、別の会社に転職することになった料理長から、「お前も行くか?」と声をかけられた。その会社は、カラオケの鉄人の創業者、日野洋一氏の資産管理会社ファースト・パシフィック・キャピタルの子会社で、ニュージーランドで人気のラーメン屋と居酒屋を買収していた。齋藤は現地で就労できるワーキングホリデービザに切り替え、料理長とその2店舗の運営を任された。

 このときに、外から見ていてはわからない飲食業の裏側を知った。例えば、行列のできる人気店だったラーメン屋は、単価が安すぎて想像以上に利益が少なく、忙しすぎて現場は疲弊していた。いつも繁盛していた居酒屋も、高額な家賃などの影響で、儲けはさほど多くなかった。

 この2店舗の実情を把握した料理長と齋藤は、二の舞にならないような仕組みを考えて、新たにラーメン屋と高級レストランを立ち上げた。その頃には完全に会社の主力メンバーになっていたので、1年有効のワーホリビザの期限が迫った頃に「残ってほしい」と言われた。しかし、「自分でなにかやりたい」と思うようになっていた齋藤は断り、最後の1カ月はニュージーランドを巡ろうと、ヒッチハイクの旅に出た。

 旅の出発地点となるオークランドで、まずは一杯やろうとバーに入った。そのときに、なんとなく注文したフライドポテトをディップにつけて口に含んだ瞬間、齋藤は目を見開いた。

 「えっ……なにこれ!?」

 外側はこんがりカリッカリで、内側はふんわりホックホク。噛めば噛むほど、イモの豊かな風味が口のなかに広がる。普通の値段で、特になにか工夫されている様子もないのに、それまで食べたフライドポテトのすべてがかすむおいしさで、手が止まらない。食べ終える頃には、特にフライドポテトが好きでもなかった齋藤の頭のなかが、カリッカリホックホクのイモで満たされた。

 「これならいける!  間違いなくはやる!」

 火山の噴火のように「謎の自信」が湧き上がってきた齋藤は、その旅の行く先々でフライドポテトを注文した。すると、ある有名なワイナリーで食べたポテトも、オークランドで食べたものに匹敵する衝撃を受け、さらに自信を深めた。あのオークランドのバーだけで作ることができる特別なものではないなら、努力と工夫をすれば自分でも再現できるかもしれない。

 フライドポテトを、いかにビジネスにするか。旅をしながら毎日のように考えていた齋藤はある日、閃いた。

 「北海道とのかけ算でいこう!」

 急いで調べたところ、日本は冷凍フライドポテトを大量に輸入している一方(年間平均25万トン)、国産のジャガイモを使用したフライドポテトをうたっているところはほとんどないことから、「日本のフライドポテトは外国産のジャガイモを使っているところがほとんど」だとわかった。

 「故郷、北海道の安心安全、おいしいジャガイモを使ってあのフライドポテトを出したら、絶対に売れる!」

 2018年10月、根拠のない自信を深めて帰国した齋藤は、美唄にある実家に戻って家族に「フライドポテト屋を始める」と宣言した。留学前はヨルダンで教員に就くと言っていた息子の大胆すぎる転身に、両親も仰天したことだろう。

■350万円でキッチンカーを準備

 齋藤はまず、約2万円のポテトのカッターをオンラインで購入した。ジャガイモを載せてハンドルを引くと、ニュージーランドで食べたものと同じく1センチ角にカットされるマシンだ。これですぐに試作を始めた。北海道産のジャガイモは男爵、メークイン、こがね丸、とうや、キタアカリなど無数にあり、手当たり次第に買ってきてはフライする。

 しかし、何度試してもまったくうまくいかなかった。どうしても、外側が「カリッカリ」に揚がらないのだ。齋藤にとって、そこはほかのポテトとの最も重要な違いであり、絶対に譲れないポイント。「だめかもしれない……」と諦めかけていたところで、光明が差した。

 偶然にもある方法で揚げてみたところ、見事に「カリッカリホックホク」に揚げることができたのだ。さらに、仕上げにローズマリーを入れることで、油の匂いを飛ばし、爽やかな香りをつけることにも成功した。この方法だと、一番おいしく揚がるジャガイモは「男爵」という種類だとわかった。

 消えかけた炎が再び燃えあがり、ソースの開発に乗り出した。ニュージーランドで食べたものはディップ式だったが、東京にディップ式のフレンチフライ専門店があることもあり、オリジナルソースをかけて食べる「ローディッドフライ」を選んだ。ニュージーランドの居酒屋でメニュー開発に携わったことが、ソース作りにも生きた。

 最初に作ったのは、北海道で平飼いされている鶏の卵にニンニクとしょうゆを合わせた手作りマヨネーズ。その後、牛ひき肉、トマト、玉ねぎ、にんじん、セロリを炒め、ワインで煮込んだミートソース、ひよこ豆と練りごまで作るフムス(ペースト)にタイ生まれのシラチャソースを加えたソースなど、計5種類を次々と完成させた。

 あとは販売する舞台を用意するだけだ。ニュージーランド時代に「固定費のかかる店舗の経営は難しい」と学んでいた齋藤は、キッチンカーで勝負をかけることにした。これはさすがに自力でできないため、業者に依頼。車両の購入費を含めて350万円を投じた。

■再び教壇へ

 事前のマーケティングもかねて同年11月末からクラウドファンディングをしたところ、まだなにも始めていないにもかかわらず、39人から31万7555円の支援を受けた。このクラウドファンディングがきっかけで、北海道の栗山町にある「湯地の丘 自然農園」のオーナーと知り合い、そこで減農薬栽培されている甘味が強い男爵を使わせてもらうことになった。

 店の名前は、ニュージーランドにいるときから決めていた。ニュージーランドでは2人のコロンビア人、フィジー人、インド人とルームシェアをしていて、帰国する間際に「日本でフライドポテト専門店を開く」と話をしたら、ひとりのコロンビア人が、「Such a amazing thing」と言った。そのとき、「アメイジングはスペイン語でなんていうの?」と尋ねたところ、「アソンブロッソ」と教えてくれた。その音の響きが気に入って、店の名前にした。

 あとは、キッチンカーの完成を待って、勝負に出るだけ。齋藤は、静かに闘志を燃やしながら、北海道の寒い冬の間、教壇に立っていた。え?  教壇?  そう、齋藤はひょんなことから一時的に、小学4年生になっていた教え子の担任に戻ったのだ。

 クラウドファンディングを始める少し前、教え子たちの学習発表会があると聞き、顔を出した。そこで再会した子どもたちに、「俺はフライドポテトで起業する!」と伝えた。ところがそのとき、産休に入っていた教師がいて、かつての上司である主幹教諭から、「臨時で働いてもらえないか?」と声をかけられたのだ。そこで11月から次の年の3月まで、学校に戻った。その初日、子どもたちはキョトンとしていたと笑う。

 「自分でも、まさかもう一度担任をするなんて思ってもみなかったですね。子どもたちは、あれ、先生、フライドポテト屋さんするんじゃなかったの? って(笑)。実はこういう事情で3月までお前らの担任になることになったんだ、4月からすぐにやるぞって話しました」

 無事に教え子たちを進級させて迎えた2019年4月20日と21日、美唄の地域おこし協力隊の協力を得て、美唄駅前で2日間のプレオープン営業をした。ソースをつけないプレーンは500円、ソースつきは650円。チェーンのハンバーガーショップならセットメニューを頼める強気の値段設定にした。人口2万3000人ほどの町で、高級フライドポテトはどれだけ売れるのか? 

 初日、家族総出で準備をしている段階で齋藤は仰天していた。キッチンカーの前に、長い、長い行列ができていたのだ。クラウドファンディングの際に地元でチラシを配ったり、事前に地元紙に取材を受けたりしていた影響もあるだろうが、齋藤は「北海道産ジャガイモで作るこだわりのフライドポテト」の引きの強さを実感した。2日目も大行列で、注文を受けて提供するまでのオペレーションに慣れていなかった齋藤は、「ヒイヒイ言いながら」、プレオープンの営業を終了。売り上げは、31万円に達した。

 「やったぞ!」

 想像をはるかに超えるロケットスタートを切った齋藤はこの後、高速道路のサービスエリアや地域のイベント、お祭りなどに積極的に出展。北広島、岩見沢、札幌とどこに行っても予想を上回る売り上げを記録した。

 この追い風に乗ろう。

 なにごとにも決断が早い齋藤は同年8月、旭川中心部にオープンした「旭川テック横丁」に出店することにした。これは、徳島、大分、宮崎、鹿児島などで複数の飲食店を集めた「横丁」事業を展開していたアスラボ(今年5月に倒産)が企画・運営しており、「普通に店舗を出すよりも初期投資が抑えられるし、東京の会社がやるなら安心だろう」と考えてのことだった。

■真冬の到来

 美唄のキッチンカーは信頼できるスタッフに任せ、8月から3カ月間、齋藤は旭川で寝泊まり。アルバイトを雇ってイチから教育しつつ、毎日のように店頭に立ち続けた。出店者からマーケティング費用を徴収していたアスラボがその資金で大々的に広告を打ったこともあり、最初の月には売り上げが200万円を超えた。

 スタッフが運営していたキッチンカーも引き続き絶好調で、ソースが完売する日も出てきた。さらに9月には、毎年来場者数が200万人を超える「さっぽろオータムフェスト」に1週間、出店。齋藤は現地に行けなかったが、スタッフの奮闘もあって、このときはなんと1日最大40万円弱、1週間で200万円を超える売り上げを叩き出した。

 起業してから半年もたたずに毎月これだけ売れたら、笑いが止まらないだろう。この時期、齋藤は「すごく調子に乗っていた」と振り返る。

 しかし、本州より一足も二足も早い北海道の冬の訪れとともに、アソンブロッソを明るく照らしていた太陽が陰り、一気にふぶき始めた。

 10月末、齋藤は旭川の店舗をスタッフに任せて美唄に戻った。その頃から、「旭川テック横丁」は、来店者がみるみる減少していた。横丁に出店している店のメニューがiPadにまとめられ、客がiPadで注文したものを共有のフロアスタッフが接客、会計するというシステムだったが、現場を知る齋藤によると、注文をうまくさばけず、客から何度も「遅い!」とクレームが入るような状態が続き、リピーターがつかなかったという。

 キッチンカーはもともと冬の売り上げが下がることは織り込み済みだったが、旭川は想定外。下りのエスカレーターのように売り上げが落ち始め、「これはヤバい」と本格的に焦りを募らせていたら、2019年の年末に中国の武漢で発生した新型コロナウイルスが一気に拡散し、年明けから中国人を中心に外国人の旅行者の姿が消えて、旭川テック横丁の店舗は赤字に転落した。

 2月、起死回生を狙い、数十万円の出店料を支払ってさっぽろ雪まつりに店を出したものの、やはりコロナの影響で観光客は過去10年間で最少水準の202万人にとどまり、大赤字。ほんの数カ月前、満面の笑みを浮かべていた齋藤は、旭川の店舗のスタッフの給料を払うために、深夜のコンビニでアルバイトを始めた。

■名古屋の主婦からのメール

 固定費を減らすため、3月いっぱいで旭川から撤退。「これからどうなるんだ……」と暗い気持ちになっていた3月のある日、ホームページの問い合わせ欄から一通のメールが届いた。

 「キッチンカーをやりたいけど、商材がない。フランチャイズで、アソンブロッソのフライドポテトを売らせてほしい」

 そう書いて送ってきたのは、面識のない名古屋の主婦だった。フライドポテトを食べたこともなく、たまたまアソンブロッソの存在を知って連絡してきたようだった。フランチャイズであれば、自分が動かなくても利益を上げられる。なにより、いずれ全国展開したいと思っていた齋藤にとって、願ってもない申し出だ。

 北海道では昨年4月16日から5月25日まで緊急事態宣言が発令され、キッチンカーを出すこともできない。齋藤は持続化給付金でなんとか食いつなぎながら、オンラインでやり取りを重ねた。そして緊急事態宣言があけた6月、北海道でキッチンカーを再開すると同時に名古屋でもアソンブロッソのキッチンカーが走り始めた。

 コロナ禍でも、キッチンカーが稼働すれば、ある程度の売り上げは確保できる。コンビニのアルバイトを辞め、挽回を誓って精力的に出店をしていた齋藤は、名古屋から送られてくるデータを見て目を見張った。売り上げがぐんぐん伸び始め、しばらくして北海道を追い抜いたのだ。なんと、週に3、4日の稼働で1カ月に80万円、90万円に達し、主婦ひとりでは手が足りなくなって、別の仕事をしていた夫も手伝い始めたという。齋藤は、それを喜ぶ。

 「アソンブロッソを全国に広めるためにも、まずは名古屋で儲けてもらいたいと思っていましたから。僕はデータをもらいながら、本格的にフランチャイズ展開するための勉強ができました」

 再び追い風が吹き始めた昨夏、出店先のイベントでみさきと出会い、意気投合して今年3月に結婚。4月には自社工場も構え、それまで「湯地の丘 自然農園」に委託していたポテトの製造を、自分たちで担うようになった。北海道と名古屋のキッチンカーは安定的に収益を生み出すようになっており、起業から2年、ジェットコースターのように駆け抜けた齋藤も、ようやく次の一歩を踏み出す余裕ができたのだろう。

 今年8月25日から9月5日まで東京・立川の伊勢丹で開催された「大北海道展」に出展し、初めて東京に上陸した。初日に訪ねると、齋藤とみさきに加えて、もうひとりの女性が働いていた。

 その女性は、昨年4月、コロナで追い詰められた齋藤が「できることはなんでもやってやろう」と始めたユーチューブチャンネルを熱心に観ていた東京の主婦で、齋藤に感化されて、「自分もフランチャイズをやりたい!」と立候補。大北海道展はその研修を兼ねてのお手伝いで、10月には東京にアソンブロッソのキッチンカーが走り始めるそうだ。

■北海道から世界へ

 大北海道展は、緊急事態宣言中でそもそも来場者が少なかったうえ、ほぼ無名の状態で参加したため、当初苦戦した。しかし、日が経つにつれてリピーターが増えてきて、なかには4回も買いに来た人がいたという。実はこの傾向は北海道でも変わらず、なにかのきっかけで一度食べるとファンになって通い始めるようだ。札幌で話を聞いたお客さんは、こう話していた。

 「最初に食べたとき、今まで食べたことない味だってびっくりして、それから何度も食べています。香りも素材もこだわっているし、また違う味も食べたいって思うんですよね。私の友達はキッチンカーの出店予定を確認して、追っかけしてると言ってました(笑)」

 名古屋に続いて東京でもキッチンカーが走り始めれば、フランチャイズの申し込みが一気に増える可能性があるが、齋藤はキッチンカーの全国展開だけで満足するつもりはない。すでにフライドポテトの卸、冷凍フライドポテトの通販も手掛けており、来年には旭川での反省を生かして札幌に店舗を構えたいと意気込む。そして、狙うは世界進出だ。

 「今年の冬、縁あって冷凍のポテトをシンガポールに輸出したんですが、いい反響があったそうで商社と今後の話を詰めているところです。僕はいつも、カルビーを超えるって冗談で言ってるんですけど、アメリカをはじめ、海外にアソンブロッソの店を開くのが目標ですね」

 キッチンカーの追っかけがいて、80歳の高齢者でも食べたくなるフライドポテト。その味が東京で、アメリカで知られたとき、どんなことが起きるのか。齋藤は胸をホクホクさせながら、今日もジャガイモをハンドカットしている。

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最終更新:9/12(日) 12:24

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