IDでもっと便利に新規取得

ログイン

今のうちに行っておきたい新橋「シブいビル」2選

6/23 13:01 配信

東洋経済オンライン

 コロナ禍の続くなか、都心を歩くと、2020年東京五輪を見込んで開発された街並みに出会う。真新しいオフィスビル、商業モール、ホテル、マンションなどが建ち並び、以前そこに何が建っていたかも思い出せないほどの変貌ぶり。

 そして、今大規模工事の真っ只中という現場も八重洲、常磐橋、渋谷駅前の桜丘地区など各地に見られる。東京の勢いは未だ衰えていないようだ。

 都内ではさらなる再開発が予定され、最近発表された大きなプロジェクトには、日比谷の帝国ホテルなどを含む大規模開発、渋谷の東急本店、丸の内の東京海上日動ビルの建て替えなどがある。このほかにも、浜松町駅前の世界貿易センタービル、築地のかつての電通本社であった丹下健三設計の電通テックビルなどの解体も始まっている。

■再開発ビルの共通点

 これらに共通するのは1960-70年代に建設された築50年前後のビルの建て替えということだ。築年数がかさんでくると、管理維持の手間や耐震補強の費用負担が大きくなり、都心の立地なら、いっそ超高層の新しいビルに建て替えたほうが経済的に効率がよいということになりがちだ。

 しかし長年なじんできた都心の街や店、景観が失われていくことには哀惜を感じる。建物は年月によって趣きを増し、長年働いた会社のオフィス、昼休みに利用した定食屋、行きつけの飲み屋などにも愛着を感じるはず。そんな街並みがほんの数年先に失われてしまうということが、これから東京のあちこちで起こることだろう。今せめて、そんな街の歴史の一部であった昭和戦後の建物をしみじみと味わっておきたい。

 池袋、新宿西口、高田馬場、有楽町など都心の山手線駅前にも、1960-70年代築のビルが並んでいる街は案外たくさんある。中でもその代表格としてイメージされるのは新橋だろう。テレビニュースで中年男性の街頭インタビューの場として毎日のように映し出されるのが、新橋駅烏森口のニュー新橋ビル前の広場だ。

 新橋のランドマークと言えば、このSL広場に面したニュー新橋ビル、そして汐留口側(東口)の新橋駅前ビル。いずれも、戦後闇市が発展した新橋駅前の再開発事業として、1960-70年代に東京都が地権者をまとめて建てたビルだ。

 実はこの両ビルでは、すでに再開発のための準備組合、協議会が結成され、近い将来、新しいビルへの建て替えを目指している。新橋ならではの昭和の雰囲気も、今しばらくの間しか味わえず、5年後にはまったく別の景観に変化しているかもしれないのだ。

 烏森側のニュー新橋ビルは白い立体網目模様のような外壁が何よりの特徴。この凸凹はフィボナッチ数列という数学的規則によって配列されているそうだ。

■かつては住居用のフロアも

 1971年築の11階建のビルは、地下1階から4階には店舗が、それより上はオフィスフロアになっているが、竣工時には10、11階に計75戸もの住居が設けられていた。今そのほとんどは事務所に転用されているという。

 1階には紳士服、金券ショップ、ドラッグストア、ジューススタンド、宝くじ売り場からPCR検査センターまであり、会社員の日常をあらゆる面からサポートしてくれる。そして、昭和の趣き豊かな喫茶店や、ナポリタンやハンバーグ、揚げ物が人気メニューの昼飯処。名物ママやマスターのいる居酒屋やバーと、新橋駅前のこのビルならではの飲食店が並んでいる。

 再開発後、これらの店が存続するのかが、まず心配になるところだ。2階はビル内でも異質で、20年近く前からアジア系のマッサージ店街になり、ちょっと大人の街の雰囲気が漂っている。最近はマッサージ店の勢力がさらに拡大し、3階にも同業種の店が増えている。

 ビル内では元は地権者たちが自ら店を営んでいたが、50年の歳月のうちに賃貸に出す区画も増え、テナントはその時々で変容してきた。店舗はそのたびに改装されてきたが、館内でずっと変わらないのは、計5カ所ある階段のデザイン。それぞれ壁タイルの色が異なり、陶板タイルの質感や色合いは70年代ならではのものだ。

 ビルを取り巻く烏森一帯には、1960-70年代築の小規模な飲食ビルが建て込んでいる。その一画にあるのが烏森神社。こちらの社殿はニュー新橋ビルと同じく1971年に竣工したというコンクリート造のモダンな建物。駅前のSL広場の機関車は鉄道100年を記念して1972年に設置されたというから、今から約50年前、1970年代初頭の新橋駅西口では街並みの大変革が起きていたことになる。

■再開発の具体的なメドは立たず

 新橋駅西口の再開発準備組合が発足したのは2016年のこと。対象区域はSL広場とニュー新橋ビル、柳通り、ビル南側の桜田公園や生涯学習センターなどのある2.8haの区域。開発の事業協力者は野村不動産とNTT都市開発ということだ。組合には、ニュー新橋ビルの区分所有者や地権者の約3分の2が加入しているという。しかし2016年に以上の内容が報じられて以降、新たなニュースはない。

 一見、いつまでもこのニュー新橋ビルとSL広場のある日常が続くようにも思えるが、水面下でいつの間にか進んでいるというのが大規模再開発というものである。このビル独自の世界観と館内の空気、そして1970年代築のシブいビルの建築としての味わいがいつ突然失われるかわからない。今からじっくり味わっておくことをおすすめする。

 一方で、汐留口側の新橋駅前ビルに関しては2017年に新橋駅東口地区再開発協議会が設立され、大成建設とコンサルタント会社アール・アイ・エーが協議会の活動を支援。さらに昨年10月三井不動産が事業協力者となっている。

 新橋駅前ビルは、ニュー新橋ビルより5年早く1966年に竣工。当時最新の輸入建材だったプロフィリットガラスを用いた個性的な外壁デザイン。L字型と三角形を組み合わせた不思議な形の1号館と、都道を挟んで、より小型の2号館の2つの建物で構成されている。今はその背後に汐留の超高層ビル群が聳え、その対比がかえってこのビルのレトロ感と存在感を際立たせている。

■かつての街並みを再現した地下街

 ビル内に入ると、こちらでもいきなり昭和の時代にワープ。特に地下一階の飲食店街は、戦後闇市跡の飲み屋街からの連続性が感じられるものだ。通路沿いの縦格子は、以前この地にあった飲み屋街「狸小路」の雰囲気を再現したデザインということ。

 メイン通路の両側には迷路のように細い路地のような通路が張り巡らされ、その両側や奥には小さなスナックやバー、小料理屋がひしめいている。このビルができた当時、汐留にはまだ貨物駅が、築地には魚市場があり、夜勤明けや早朝に一仕事終えた人が朝から飲める店もあったという。

 虎ノ門ヒルズや渋谷パルコなど最新の商業ビルでは、館内にこの手の横丁的な飲食店街をつくるのが流行っているようだが、新橋駅前ビルはその先駆けモデルだったと言えよう。

 新橋駅前ビルの再開発協議会には、2021年1月時点で約7割の関係権利者地権者が加入しているという。再開発が具体的に動き出してビルがなくなるのは何年後になるのだろう。
保存することも再現することも不可能であるがゆえ、失われゆくこの二つのビルには、一層の哀惜と愛着を感じる。 

東洋経済オンライン

関連ニュース

最終更新:6/23(水) 13:01

東洋経済オンライン

投資信託ランキング

Yahoo!ファイナンスから投資信託の取引が可能に

最近見た銘柄

ヘッドラインニュース

マーケット指標

株式ランキング