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「大麻栽培を日本政府が奨励した」明治時代の特殊事情

6/13 15:01 配信

東洋経済オンライン

現在は違法薬物として厳しく取り締まられている大麻。だが、かつては政府が大麻栽培を奨励する時代もあった。明治から大正にかけて、大麻栽培が盛んだった意外な歴史背景とは?  書籍『日本人のための大麻の教科書 「古くて新しい農作物」の再発見』より一部抜粋・再構成してお届けする。

 明治時代初頭、明治新政府にとって北海道は広大な新天地であり、農業開発と移住政策に力を入れました。大麻もその対象であり、1871年には栃木県産の大麻の種子を導入して試験栽培を行い、普及のための礎を築きました。

 1873年、北海道の開発と北方の警備を目的とした屯田兵制度が制定されると、養蚕と大麻栽培が奨励されるようになり、その繊維の多くはイワシやニシンを獲るための漁網に加工されました。“Boys, be ambitious”という名言で知られるクラーク博士が初代教頭を務めた札幌農学校(現在の北海道大学)では、大麻栽培と亜麻栽培が正規の教科でした。

 現在では北海道で自生している大麻を保健所やボランティアの方々が引き抜いて処分するという報道が毎年の恒例行事のようになっていますが、ここで引き抜かれている大麻は、過去に国策として栽培されていたものの名残なのです。

■当時の日本が「大麻を必要とした」理由

 当時、フランスに派遣された官吏である吉田健作が農商務省に提出した「麻紡績工場の設立意見書」には、次のように書かれています。

亜麻(※リネンのこと)は日本でまだ耕作が少なく、原料が不足しているのに比べ、大麻はたくさん産出されている。また、亜麻は大麻より精細な糸ができるが、それよりも大麻の海陸軍人ならびに巡査、小吏等の夏服、又は常人用服このほか帆布、鉄道荷車の覆い、敷物、日本蚊帳、畳の縁といった用途が国家にとって重要である。結論としては、まず大麻の紡績所を設け、その後、亜麻も手がけるようにするのがよい。

 この結果、1887年に北海道製麻株式会社が設立され、本州からの移住者にとって馴染みのあった大麻をまず奨励し、次いで亜麻の耕作に力を入れました。

 この頃農務省が中心となり、各地に農業試験場を設置し、大麻については生産統計の整備、品種改良、肥料、加工法、害虫などの栽培研究が行われました。

 また、農林省が1925年に発行した「日本内地ニ於ケル主要工芸農産物要覧」には、繊維作物として「大麻」、油糧作物として「大麻子(麻の実)」が記されています。大麻は、国の主要な農作物として位置づけられていたのです。また、当時は学校の教科書にも大麻の栽培方法が記載されていました。

 1897年前後、全国の大麻の作付面積は2万5000ヘクタールにまで拡大していますが、以後減少していきました。その理由は、開国によって海外との貿易が盛んになり、輸入されたマニラ麻、ジュート麻、綿花が、大麻の大きな需要であった漁網や衣服に用いられたためです。

■大麻は軍需品に欠かせなかった

 大正時代から昭和初期にかけては、大麻は陸軍の軍馬の綱、海軍の艦船用ロープなど軍需品に用いられました。太平洋戦争下においては、日本は制海権を奪われ、マニラ麻などの輸入が途絶える状況となりました。すると大麻の需要は飛躍的に増えたため、日本各地で増産計画が立てられるなど、紆余曲折を経ました。

 そして敗戦のあと、1948年に大麻取締法が制定されました。農作物としての需要が激減するなか、1960年代には欧米を中心にベトナム戦争への反対運動などを契機としたヒッピー文化が隆盛し、マリファナ喫煙が流行。その影響は大麻を喫煙する習慣がなかった日本にも波及し、大麻には「違法な薬物」というイメージが定着することとなったのです。

東洋経済オンライン

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最終更新:6/13(日) 15:01

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