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新聞社を退社した私がたどり着いた「貧乏長屋」

5/16 5:01 配信

東洋経済オンライン

疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第8回をお届けします。

■お姫様が何かの陰謀に巻き込まれ、極貧生活に? 

 会社を辞めてすべてを失う……考えてみたら、これはこれでどこぞの物語に出てきそうなドラマティックな展開ではある。ほら、よくあるじゃないですか。蝶よ花よと贅沢な暮らしに浸っていたお姫様が、何かの陰謀に巻き込まれて突然、華やかな宮廷生活から極寒の牢獄生活へ、みたいな……。

 そうだよ。私の当時の状況を一言で言えばこうなる。

 アントワネット、バスティーユへ! 

 ……ま、もちろん私、お姫様ではなく単なる一会社員。でも自分的には、大会社に勤め過分なお給料をいただき、しかも独身貴族ゆえ買いたいものを買い食べたいものを食べられるご身分。まさしく姫にでもなった気分で暮らしていたのだ。それが退社で一気に消滅。

 その意味ではまさしくアイアムアントワネットである。そう思うとフト無意味に気持ちが盛り上がったりもしたが、慌てて首をブンブン振り正気に返る。

 何しろ、我がバスティーユ生活は死ぬまでフツーに続くのだ。

 アントワネットさまは程なくして断頭台のツユと消えるというまさにドラマティックな最期を迎えたわけで、もちろんそれはそれで悲劇に違いないが、よく考えればバスティーユで延々と暮らし老いて死ぬ方が絶望度は圧倒的に高いと思われる。

 何しろ希望がなく、終わりもない。華やかな楽しみなど何もなく、望むこともできず、ただ寒く暗い牢獄で死ぬまで生き永らえるとなれば、その生きている時間のすべてが拷問であろう。

 ドラマティックでも何でもない、静かなる苦しみの時間。50歳で会社を辞めた私は、死ぬまでそんな時を過ごすことになるのだろうか? 

■お金やキラキラに変わる何か

 ……なーんて言ってる場合じゃないよ。

 そんなことになるわけには絶対にいかないのである。

 だって前にも書いたが、私が一大決心をして会社を辞めたのは幸せになるためだ。元気溌剌、自由に豊かに生きるためだ。給料がもらえなくなったくらいでくじけている場合ではない。

 家賃節約のため老朽極小住宅に住むことになったからと言ってそれがどーした。大切にしてきた洋服や化粧品や食器や台所用品をことごとく手放さなきゃならなくなったくらいでいちいち落ち込んでいる場合じゃない……と自分に言い聞かせるも、どうもね……何度言い聞かせても、心は沈んだまま。

 何しろどう言い聞かせようが、そんな状態で溌剌と生きている自分がどうにもイメージできやしねえ。そう、私の幸せのイメージは結局のところ、買いたいものを我慢せず買う暮らしの一択なのであった。それが封じられた今、私の手元には何のポジティブなイメージも残っていないのである。

 となれば、今の私に必要なのは新しいイメージに違いない。幸せを「再定義」せねばならぬ。お金やキラキラに代わる何かを見つけるのだ。そうだよ。自分が心から納得できるイメージさえあれば!  

 はたから見ていてまがうことなき「転落」であったとしても、本人の心さえしっかりしていれば大丈夫なのだ。「え、転落?  いやー確かにそう見えるよね。でも実はね、これがやってみたらさあ……フフフ」と、心から不敵な笑みを浮かべることができれば、きっと大丈夫に違いない。

 そう例えば、「美しい四畳半暮らし」を目指すというのはどうだろう?  不本意に下っていくわけじゃない。ちゃんと目的があって下りていくのである。バスティーユが好きでわざわざそういう生活を志すのである。

 ただ問題は、そんな斬新なイメージを持つにはロールモデルが欠かせないんだが、実際にそんなことをしている人が見当たらないことだった。そのような雑誌の特集記事でもあれば即購入するところだが、あいにくそういうものもない。実際にそういう暮らし(おしゃれな四畳半生活)をしている人も探してみたが、これも見つからない。

■「おしゃれな四畳半暮らし」のお手本は時代劇にあり

 追い詰められた私がふと思いついたのが、江戸の貧乏長屋である。

 大好きな大衆時代劇を見ていてピンときたのだ。まさしく四畳半。貧乏などという名が付いているからつい「気の毒な家」と先入観を持ってしまうが、それを取っ払ってよくよく見れば、狭いながらもなかなかすっきりと暮らしているではないか。余分なものがない(貧乏ゆえ)せいか、薄目で見れば、ミニマムでおしゃれ、と言えないこともない気もする。

 で、何より、それで実際に暮らした人がいるのだ。というか昔はそれが当たり前だったのである。つまりはロールモデルが何人も!  どうやって生きていたんだろう?  で、どんな暮らしだったんだろう?  それはみじめな暮らしだったのか、そうじゃなかったのか……? 

 ということで、何はともあれ実地見学である。タイムマシンなどなくとも大丈夫。江戸東京博物館に実物大の貧乏長屋が展示されている。特に人気コーナーでも何でもないその前で、じーっと真剣な眼差しで30分ほど一人佇むアフロ。

 まさに時代劇のまんまであった。本当に四畳半なんだね!  だが驚いたのは、押入れがなかったことだ。まさしく収納ゼロ。現代の極小アパートのさらに上(下? )を行く世界だ。それでも問題なく暮らした人々が、ほんの200年前に当たり前にこの世に存在していた事実に、まずは素直に励まされる。

 そしてやはり、狭いのになかなか美しい。ものがほとんどなくスッキリと整理整頓されているからであろう。そして現代のインテリア雑誌風に言えば、調度品が木や竹、陶器など「全て自然素材」というのもインテリア的にまとまりを演出している。プラステイックの家電品などない時代だから当然なんだけどね。

 いずれにせよ総合的に見て、これぞ簡素な美と言えないこともない。うん、これぞ私の目指す「おしゃれな四畳半暮らし」と定義してもいい気がする。

 だがよくよく観察するうちに、それを実現するのは並大抵のことじゃないこともわかってきた。

 我らは「貧乏長屋」などと言って彼らを一段下に見ているが、とんでもないことである。ここで暮らそうと思えば、何はともあれまずは並外れた「片付け能力」がなければならない。

 1日の生活に合わせ、つまりは寝たり起きたり食事をしたり仕事をしたりというシーンに合わせて、布団やちゃぶ台や仕事道具などをくるくると片付けたり広げたりすることで、この空間で家族4人暮らしなどという奇跡のような芸当が成り立っているのだ。

 ダラダラとやりっぱなし、広げっぱなし、片付けは後回しというようなだらしないことではお話にならないのである。

 余分なものを持たないことも必須。何しろ入れる場所がない。なので、その「持たない」レベルがハンパない。着物は衣紋かけ(現代のハンガー)で壁に吊るすのだが、確かにこれなら場所いらずとはいえ、これだとせいぜい2、3着しか所有できない。10着しか服を持たないというフランス人どころの騒ぎじゃないんである。

 それでも時代劇によれば、江戸の庶民はそれなりにオシャレを楽しんでいたようでもある。いったいどうやって?  オシャレといえばまずは服やら靴やらアクセサリーを買いまくることと思っている私には想像もつかない。

■長屋暮らしに必要な「知恵と工夫とけじめとたしなみ」

 まだある。

 彼らがこれほどの極小住宅で暮らすことができたのは、風呂とトイレが共同だったからだ。風呂は銭湯へ行っていたのであろう。それはいいとして、問題はトイレだ。長屋の脇に共同便所があった。これはいったい誰が掃除していたのだろう? 

 もしや長屋の住民で掃除当番を決めていたのか?  だが普通に考えて、当番をサボるやつだって絶対にいたはずだ。そんな揉めごとをなんとかかんとか丸く収めるコミュニケーション能力が全員に備わっていなければ、ここで日々食べて出して生きていくことはできない。

 そうなのだ。知恵と工夫とけじめとたしなみがあってこそ、この小さなすっきりした暮らしが可能なのだ。それをごく普通の庶民がごく当たり前にやってのけていた時代だったのである。江戸庶民スーパーすぎる。

 今の私には、とてもこのようなことはできない。

 なるほど。私は俄然ファイトがわいてきた。広い家に暮らすなどむしろ簡単である。金さえあればいいのだから。だが貧乏長屋はそうはいかない。己自身を磨かねばこのような家で暮らしていくことはできない。いやもうまったく、落ち込んでいる暇などない。

 暮らしを小さくするとは、みじめでもなんでもないことである。自分を鍛えなおす日々の修行なくしてはそのような野望を叶えることはできない。それは、自分の能力を高めていく大いなるチャレンジなのだ。

東洋経済オンライン

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最終更新:5/16(日) 5:01

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