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「議論するカップル」がフランスでは日常のワケ

3/7 14:01 配信

東洋経済オンライン

Netflix(ネットフリックス)やHulu(フールー)、Amazon Prime Video(アマゾンプライムビデオ)など動画配信サービスでドラマや映画を楽しむ人が増えています。昨年は「梨泰院クラス」「愛の不時着」が話題となりましたが、海外コンテンツは韓流ドラマだけではありません。
気軽に海外旅行に行けるその日まで、埋もれた名作、フランス映画を掘り起こし、フランスの「文化の香り」に触れてみるのはどうでしょうか。パリ郊外の大学で映画理論を学んだ筆者の目に映る、フランス映画とフランスに住まう人をお伝えします。

■恋の始まりは気の利いたセリフから

 “T’as d’beaux yeux, tu sais.”(ねぇ知ってるかい、君はとても美しい瞳をしている。)

 映画「霧の波止場」(マルセル・カルネ監督、1938年公開)でジャン・ギャバンがミシェル・モルガンを最初に口説いたときに使った最も有名なセリフだ。ミシェル・モルガンは当時18歳。強力な目力がある美しい少女はシンプルに答える。

 “Embrasse-moi”(キスして。)

 80年以上の長きにわたってこの映画は、「詩的なリアリズム」を表現した名作として語り継がれている。

 セリフ、はフランスではとても大事だ。

 フランスでは気になる相手に話しかけるとき、それなりに気の利いたセリフを言い、相手もそれなりの返しをする。例えば「あの頃エッフェル塔の下で」(アルノー・デプレシャン監督、2015年公開)で、17歳の主人公ピエールが、その後の人生に強い印象と影響を与えるエステールを口説いたときのやり取り。

「うちの妹と同じクラスだよね。」
「知ってる。あなたが私の後つけてるの気づいてないと思った? 私自分のこときれいだと思わないけど……。まぁ、お尻は悪くないかな。」
「囲碁をやりにうち来ない?」
「囲碁? なにそれ?」
「中国の遊びだよ。教えてあげるよ。」
「聞いたこともないわ。というか、名前ももう忘れたわ。」
「いい? まずこれが碁盤で……。」
「ぜんぜん覚え切れない。」
「もちろん1回じゃわからないよ。絶対もう一度会わないと。」

「しょっちゅう会わないといけないの?」
「もちろん、しょっちゅう定期的にね。最初の2年間は多分君もぎこちないだろうから、それから、少しずつ慣れていって……。」
「飽きたりしない?」
「まさか! すごく楽しいんだから。」
(筆者訳)

 恋を始めるとき、フランス人はまずおしゃべりをする。そしてカップルになったらさらに深く突っ込んで相手に食い下がる。

 そこには皮肉とシックさ満載だ。初対面でも政治の話、(離婚した過去も含めた)家族の話や恋愛話、未来の展望などをかなり直接的に話す。自分の意見がいかに正しいかをもっともらしく主張するため、詩人や哲学者や歴史などあらゆるものを持ち出す。

 例えば、1950年代末に始まったフランスにおける映画運動ヌーベルヴァーグを代表する、フランソワ・トリュフォー監督。彼の映画は、登場人物がいつだってよくしゃべっている。

 「アントワーヌ・ドワネル」を主人公とした映画シリーズ4作目、20代のカップル、アントワーヌとクリスティーヌの結婚生活を描いた「家庭」(1970年)のセリフをいくつか見てみよう。

「君は僕の妹で、僕の娘で、僕の母親でもある。」
「妻にもなりたかったわ。」

「地球が回ってる限りは君の隣で寝れる。」
「私はあなたみたいじゃないの。曖昧なのはいや、ぼんやりとか不明瞭とか適当なのとか嫌いなの。」
「おっぱいなんか変だよ。こっちがドンキホーテでこっちがサンチョだね。」
「確かに普通の女性とだったら君が怒るのはわかるよ。でも、キョウコは違う大陸の女なんだから仕方ないじゃないか。」
「小説で自分の若いときを語ったり親との確執を語って過去を汚すのはいや。芸術作品っていうのは過去の仕返しに使うものではないと思うし。」

「もし政治に携わらなかったとしても、政治自体があなたを占拠するしね。」
「僕は終わってしまうすべてが嫌いだ。それは映画の終わりだ。」
(筆者訳)

■フランスでは相手と意見がぶつかることを恐れない

 同じヌーベルバーグ時代の監督ジャン・リュック・ゴダールになると、詩的要素や政治要素がちょっと強まる感じに違いはあるが、「気狂いピエロ」でも「勝手にしやがれ」や「中国女」でも、やっぱりカップルがつねによく喋り意見を言い合っている。

 こういったカップル間の議論(議論といえるだろう)の光景は決して映画の中だけのことではない。

 実際に友人と話していると、歴史問題から今世界で勃発しているさまざまな問題について、必ず個人の意見を持っていることに気づく。他人と意見がぶつかることを恐れない、というより、まるでわざわざ相違点を探しているかのように、相手の意見に食い下がり、すぐには同意しない傾向がある。

 なぜこんなことが起こるのか。それにはフランスの教育方針が関係しているといえよう。

 フランスでは小さい頃から、自分の意見を「論理的に」説明することが求められる。そして、あらゆる面から「批判的に」論じることも否定されることはない。

 学校では論述方式の試験が主流で、大学に行くためには全員がバカロレアという論述方式の試験にパスしなければ受けることができない。日本の大学入学共通テストのようなものだが、答えが決まっている選択肢問題はほとんどない。

 例えば2019年のバカロレアの哲学の問題。

時間から逃げることはありうるのか? 
芸術を解釈することは何になるのか? 
ヘーゲル「法の哲学」からの抜粋の文章(320語程度)を読んで解説せよ。
 この3つの設問から1つを選んで論述する。試験時間は4時間。もちろんノートや資料の持ち込みは不可だ。

■「議論好き」になる自ら考えるプロセス

 何ページも書けばいいというものでもなく、決まった答えがあるわけでもない。

 まず、自分が選んだ設問の議論の論点がどこにあるのかを見極め、問題提起を明確にし、さまざまな疑問や批判を投げかけつつ分析(大体3つ)。それを裏付ける歴史的事実や例を挙げながら展開し、多方面から結論に導く。そのうえで最終的には、その問題を俯瞰して見ることによって別の観点もほのめかし締めくくる。というのが大体の回答の流れだろうか。

 実際に私が通っていた大学院でも、問題用紙に「〇〇に対して論述を展開しなさい」という問いが1問だけあり、4枚ほどの真っ白な答案用紙が配られるというパターンがほとんどだった。いきなり頭も真っ白になるがとりあえず落ち着くことから始めなければならない。

 こういった教育の賜物として、フランス人のおしゃべり好き(議論好き)ができあがるようだ。

 カップルがつねに自分の意見を言い合っている、ということはつまり思ったことはなんでも口に出さないと伝わらないということでもある。ここはフランスで恋愛をしたい、と思ったらまず一番におさえておきたいポイントだ。

 ちなみに、先にあげたフランソワ・トリュフォー監督の「家庭」には、日本人女性キョウコが登場する(演じているのは、パリコレモデルの松本弘子さん)。主人公アントワーヌはこのキョウコと浮気をし、クリスティーヌと別居することになる。だが結局、キョウコと一緒に食事をしているにもかかわらず何度も席を立ち、妻に電話をする。

 なぜか。

 理由は、「キョウコはいつもニコニコしている。しかしそうやってほほ笑むだけで何も話さない。そして僕が何か面白いことを言うことを期待している。退屈で死にそう」だからだ。

■とにかくしゃべる、議論するフランスの恋

 フランソワ・トリュフォー監督は日本人女性を「神秘的でコミュニケーション不可能」な存在として描き、フランス人女性との落差を際立たせる女性として登場させている。誇張しすぎではないかという批評もあるが、まったく間違っているとも言い切れないだろう。

 日本ではうんうんとうなずく(表面的には)ニコニコ聞き上手と言われる女性が、ガンガン自分の意見を戦わせたりする女性よりも、多くの男性からの支持を集める傾向にあると感じる。

 フランスではお互い好意があっていい感じだと思っている同士でもまずは、喋る、議論する。「私はそう思わない」「そんなのおかしい」「なぜなら、うんぬんかんぬん……」と続く。これを言ったら相手が傷つくかな、せっかくのアイデアに水をさしてしまうからやめておこうかな、などはあまり考えることなく思ったことを口に出す。

 もし、「すごい!」「いいね!」などと答えたら「どの辺がいいのか」「どのあたりがすごいのか」と理由を聞いてくるだろう。個人的には、面倒くさくもある。

 ともかく、議論ができないとフランスでの恋は難しそうだ。

東洋経済オンライン

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最終更新:3/7(日) 14:01

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