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がん経験を「関西の笑い」に包む43歳男性の人生

3/6 10:01 配信

東洋経済オンライン

国立がん研究センターの統計によると、2016年にがんと診断された約100万人中、20歳から64歳の就労世代は約26万人。全体の約3割だ。
だが、治療しながら働く人の声を聞く機会は少ない。仕事や生活上でどんな悩みがあるのか。子どもがいるがん経験者のコミュニティーサイト「キャンサーペアレンツ」の協力を得て取材した。

約9年前、10万人に1~2人というGIST(胃がんや大腸がんのように消化管の粘膜ではなく、粘膜下の筋層にできる悪性腫瘍の1つ)が食道に見つかった谷島雄一郎さん(43)。大阪ガスに勤務する彼が病後、価値観をどう変化させていったのかを紹介する。

■ゆるキャラ猫が自粛生活に提供した知恵

 「大手新聞に『う○こ』の文字を載せていただけたのが、うれしいっすね」 

 色白で、切れ長な目の谷島さんはそう言ってほくそ笑む。クールな顔立ちながら、笑顔でさらっと3文字を口にする点が関西人。筆者もそうだから、彼の言わんとすることはよくわかる。

 2020年5月19日付読売新聞夕刊(関西版)に掲載された、「自粛生活がん患者の知恵」という見出しの5段記事のこと。3点のイラスト付きだ。

 その1点が、室内で寝転びながら窓外の3つの雲を「おしり」「う○こ」「くじら」に見立てる、“在宅忍者”ゆるかわ系キャラ猫「ニャ助」。谷島さんが会社勤めのかたわら、発起人・世話人を務めるダカラコソクリエイト(以下、カラクリ)が、カッパの「パ次郎」とともに、5年前に作り出したキャラクターだ。

 もともとは、カラクリに集うがん経験者が、入院や療養中にかけられてうれしかった言葉をLINEスタンプにしたもの。「がんばりすぎやで」「おしえて~な~」などの、ほっこりする関西弁が添えてある。病気とは無縁でも、多忙さにこわばりがちな心と体を一瞬ほぐしてくれる。1セット40 個で120円。

 「コロナ禍で自由に外出できず、不安とつねに向き合わなくてはいけない状況は、がん経験者の入院や療養生活と共通する点が多いんじゃないか?  そんな気づきから、私たちがかつて実践した時間の過ごし方が、皆さんが前向きに日々を過ごすヒントになればいいなぁ、と制作しました」(谷島さん)

 カラクリの活動テーマは、がん経験を新しい価値に変え、社会に役立てるソーシャルデザイン。谷島さんを中心に2015年から大阪を拠点に活動していて、メンバーは働く世代のがん経験者と様々な分野の協力者約50人。

■家族から「魔女の飲み物や」とドン引きされる ? 

 カラクリの6人のメンバーがZoomで登場し、自粛生活向けに新たに描かれたイラストと、それにまつわる各自の実体験を語るプログラムがあった。2020年10月下旬にオンライン上で開催された、日本最大級のがん医療フォーラム「ジャパンキャンサーフォーラム2020」でのこと。

 がんで胃を全摘した30代女性は、術後しばらくは固形物が食べられず、代わりに全部飲めばいいんじゃないか、と発想を変えたと語った。

 「青汁をベースにいろんなものを混ぜて、オリジナルスムージーを作っていました。混ぜるものによってはめっちゃエグい色になって、家族には『魔女の飲み物や!』とドン引きされましたね。ちなみにピーマンとタマネギは、入れないほうが無難です」

 つらい闘病や療養体験なら、むしろ彼女のようにおもしろおかしく伝えて、笑いを取りにいこうとする。それも関西人ならでは、だ。

 司会役の谷島さんも、僕も手術で食道と胃の一部を取ったので、術後当初は食べるのが苦痛だったと共感を口にした。

 「僕も同じように青汁に濃厚流動食(消化機能低下時に栄養素補給のために摂取するもの)と、プロテインを混ぜたものを水筒に入れて、持ち歩いてはチビチビ飲んでいました。プロテインを加えたのは、主治医から術後は体重が20キロ以上は落ちると言われていたので、むしろ絶対に(体重を)キープしてやろうと考えていたからです」

 何気ない発言に彼の反骨精神が見え隠れする。手術の後遺症で食べたものが逆流しやすく、就寝時は上半身が高くなる三角枕が欠かせない。睡眠時間が短かったり、疲労がたまったりしても逆流してくる。このプログラム中も、「果物系ゼリーなら吐くときにもおいしいので、今度は吐くときにおいしいシリーズを開発したいね」と、本気とも冗談ともつかない話をしていた。

■長女の誕生前に受けた健康診断での「まさか」

 約9年前、谷島さんは長女が生まれてくるとわかり、自身の生命保険を手厚くしようと考えた。会社の健康診断を例年より早めに受けると、食道に悪性腫瘍が見つかる。

 長女が生まれて4カ月後には肺へ転移。翌年1月に食道と肺の一部を切除したが1年後に再発。以降、合計6回の手術を受けている。

 「当初は、自分自身の価値を見失いそうになりました。がんへの怒りや悔しさがないまぜになっても、それらを吐き出す先がなかった」(谷島さん)

 それまでは「何事も生産性重視」だったという彼は、その後少しずつ変わっていく。最初のきっかけは、がん患者の集会に参加し始めたこと。社会人になってから、会社以外のコミュニティに参加するのは初めてだった。

 「会によっては、場の仕切りや目的も曖昧で、効率が悪いなと感じることもありました。でも、さまざまな集まりに参加してみると、そこで人を引き付けるのは人間味や温もりを感じさせる、気のいいおっちゃんやおばちゃんでした。その場では生産性よりも、人間味の“価値”のほうが高かったわけです」

 がん経験者の立場で考えれば、よりわかりやすい。病気や自分の命、妻と子供の将来や仕事のことなど、考え始めれば悩みは尽きない。

 「そんなモヤモヤした気持ちを、合理的に分析されても何の解決にもならないし、うれしくもない。むしろ、そのモヤモヤをこそ受け止めて、『いろいろと大変やなぁ』と肯定してくれる人の存在こそが、ありがたいわけです」

 ちょうどその頃、3歳になった愛娘が撮った写真にも、彼は心を揺さぶられた。大人では気づかないような高さで咲く花々や、ど迫力のベンチが写っていて、「身長約80㎝の彼女だけの景色」がそこにあった。

 「そうか、娘の写真みたいにがんになった自分だからこそ見える景色を、誰かを幸せにする価値に変えられるんじゃないか。少しずつですが自分なりに病気を受け止め、前向きに考えられるようになっていきました」(谷島さん)

 彼は「ダカラコソクリエイト」を2015年に立ち上げた。第二の変化だ。その約5年後のコロナ禍の社会に差し出された、ニャ助とパ次郎のゆるかわイラストの起点には、谷島さんの怒りと悔しさと気づきがある。

■生きづらさをたしなむバーを始めた理由

 「がんの経験を新しい価値に変えて社会の役に立てるというと、先の『ニャ助とパ次郎』みたいに、医療者やメディアに喜ばれるものになりがちです。でも、がん経験者は社会には必要とされない、モヤモヤした悩みや感情もつねに抱えています。それらを吐き出せる場も必要じゃないか、と」

 カラクリ始動約4年後の谷島さんの気づきだった。そのモヤモヤとは「妻(あるいは夫)にがんについてもっと勉強してほしいけど、どう話せばいいのか」や、「子どもにがんのことを、いつ、どう伝えればいいのか」など、必ずしも正解がひとつではないものも多い。

 「がん医療の進歩に伴い、『がん=死』ではなく、がんと付き合っていく時代になりつつある。人生が長くなる分、仕事や家庭や子育て、15歳から39歳までのAYA(思春期・若年成人)世代なら、学業や恋愛、就職や就労などについての将来不安が、より大きな問題になりつつあります」(谷島さん)

 2019年9月、彼は大阪市内に不定期バー「カラクリLab.(ラボ)」を開いた。「Lab.」は「実験室」を意味する英語の略称。彼いわく「がんを語らなくてもいいし、隠さなくてもいい場所」だ。

 「僕個人の経験値から伝えられることもあれば、相手の悩みに応じて、『こんな市民講座があるからご主人と参加してみたら?』とか、『このがん情報サービスにアクセスしたらどうですか?』とかね。僕にとって当たり前のことでも、意外と他人の役に立てることがあるんですよ」(谷島さん)

 カラクリがキラキラした「表の顔」なら、カラクリLab.はドロドロした感情も吐き出せる「裏の顔」だと話す。谷島さんの第三の変化といえる。

 「両方あって僕自身のバランスもとれている気がしています。がんでも、がん以外の生きづらさを抱えている人でも、カジュアルに楽しく話せる場所がリアルや、オンラインで少しずつ広がっている。その手応えは感じています」

 かつて自身の価値観にひびを入れてくれた「気のいいおっちゃんや、おばちゃんたち」への、彼なりの回答にも見える。

■「ムダを積み重ねたほうが人生は豊かになる」

 一方、がんを機に始めたSNSでは、カラクリの活動以外に、アニメオタクであることを公言したり、「最近の僕の違和感。僕のやりたいことは啓発でも対話でもなく、八つ当たりなのだ。たぶん」と書いたりする。多様な自分を赤裸々にさらし、その書き込みに時おり200人規模で「いいね!」が付く。

 「自分の内面を吐露して共感するコメントをもらえれば、素直にうれしいですよ。これも僕なりに生きづらさをたしなむ方法なんです」(谷島さん)

 カラクリ立ち上げ時からのメンバーで、小児がん経験者の楠木重範(くすき・しげのり)医師(45)は、彼をこう評する。

 「データに基づいて論理的に語り、感情に訴えるプレゼンも得意。仕事でもボランティアでも、バランス感覚に秀でたビジネスマンです。カラクリの地味な実務も嫌がらずに汗をかきながら、リーダー然としては振る舞わない」

 一方で、がん経験者としてバーを開業したり、43歳でディープな趣味をSNSで公言したりするのはそうとうな自信がないとできない、と楠木医師は見ている。

 カラクリでの谷島さんは今、多様ながん経験者との「共創」を掲げ、20代の若手たちにも、「良質な出会いとつながりによる成長」を願う。勤務先でも近畿圏部ソーシャルデザイン室に勤務。カラクリを始め、NPOや市民活動団体などとの協働で社会貢献活動を支援している。

 学生時代から表現をすることが好きで、学園祭のMCや学内ラジオ放送のパーソナリティとして活躍。反面、当時からオタク気質で協調性は皆無。「好きな人でグループを作ってください」と言われるのが一番苦手だったのに、だ。

 LINEスタンプやカフェバーを作って話題にはなったが、いずれも初期投資さえ回収できていない。カラクリ制作のイラストなどが、大手紙に取り上げられても一銭にもならない。それでも、かつて生産性こそが価値だと信じていた男は今、「ムダを積み重ねたほうが人生は豊かになると思うんですよ」としれっと言う。

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最終更新:3/6(土) 10:01

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