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3.11原発事故で現場対応した人の薄氷踏む判断

2/28 8:01 配信

東洋経済オンライン

日本の外交の基軸である日米同盟。3.11で原発事故が起きた際、同盟国であるアメリカが日本に手厚い支援を行ったことをご存じの方も多いのではないだろうか。当初、日本側の方針が定まらず、アメリカはそれに厳しい視線を向けたが、その状況を改善するために開催されたのが、日米合同調整会議だった。
その日本側の代表を務めたのが衆議院議員の細野豪志氏。そして、自衛隊を代表してこの会議に参加したのが磯部晃一氏だった。2人が今振り返って語ることとは? 新刊『東電福島原発事故 自己調査報告 深層証言&福島復興提言:2011+10』から抜粋して掲載する。

■戦後以降、3.11は最大の国家的な危機だった

 細野豪志(以下、細野):磯部さんは、3.11のときに防衛計画部長をされていて、自衛隊の統合幕僚監部という国家権力の中枢で原発事故を経験されています。3月21日から始まった日米合同調整会議では、自衛隊の制服組の責任者として出席されていました。私にとってはまさに戦友のような方です。2019年に、原発事故に関わる日米同盟の連携の全体像を書かれた『トモダチ作戦の最前線:福島原発事故に見る日米同盟連携の教訓』を出版されましたね。

 磯部晃一(以下、磯部):戦後を振り返ってみると、3.11は最大の国家的な危機だったと思うんです。そのときに日米がどう対応したのか、そして自衛隊はどう動いたのか、政治と自衛隊の関係、自衛隊と米軍の関係、こういったところをまとめる必要があると。この記録を残すことは、ある意味歴史からの使命ではないかと思い、退職後に自衛隊と米軍、そして日米の政府関係者にインタビューをしてまとめました。

 細野:日本側の安全保障関係のキーパーソンが入っているのと、アメリカ側の証言を取っておられるというのは本当に貴重ですよね。当時の駐日アメリカ大使館のルース大使、ズムワルト首席公使、そして在日米軍司令官、太平洋軍司令官など、よくこれだけのものをおまとめになったと思います。有事においてこそ同盟の本質は現れると思うんです。日米同盟が現実の危機に直面したときに機能するのか。端的に表現すると日米同盟というのはどういうものなんでしょう。

 磯部:日本にとってやはり、同盟軍でありうるのは米軍しかいないということだと思うんです。かつてフランスのシャルル・ド・ゴール氏が「同盟軍というのは行動を共にしてくれるが、運命は共にしてくれない」と言っています。そこの、運命を共にしてくれるかどうかの瀬戸際まで、実はトモダチ作戦は行きかけていたということを国民の皆さんに知ってほしかった。同盟というのはきれい事だけじゃないということを知ってほしかった。同盟のリアルな姿を国民も知るべき段階に来ているのではないかと思います。

 細野:具体的にはそれはどういうところで現れますか。例えばわれわれがしびれたのは、震災直後の3月17日にアメリカが50マイル、すなわち80キロをアメリカ関係者の避難区域に設定したときです。ぎりぎり東京は入らないけれども、日本が設定していた20キロや30キロよりもはるかに広い範囲を指定しましたよね。ああいう場面ですか。

 磯部:アメリカ側にインタビューしてみると、アメリカの政権の中でも、あるいは米軍内でもさまざまな意見があって、東京まで含めて避難するという意見もあったようです。そうなったときには横田基地も横須賀の基地も、あるいは大使館も東京から離れなければいけない。仮にそうなったときには、日米同盟が持つのかなというところまでいったんじゃないかと。結果的にそうならなかったからよかったんですけれども。

 細野:当時、アメリカ海軍は200マイルの避難を主張しました。200マイルというと東京どころか東日本全体が入ってくるくらいの広さです。それをルース大使が在京大使館で「いや大丈夫だ」と頑張った。磯部さんは著書でホルドレン大統領科学技術担当補佐官も非常に大きな役割を果たしたと書いておられます。

 磯部:ホルドレン氏の下にもう1人、原子力の分析の専門家がいまして、そこで昼夜を分かたずシミュレーションをして、結果的に、いわゆる放射性物質を伴ったプルームが東京までくることはほぼないだろうと。避難をしなければならない状況にはないだろうという結論に持っていったのが救いだったと思います。もし仮にそうでなければ、大使館が移動していたかもしれないくらいです。

 細野:当時私も記憶しているのは、例えばドイツはいち早く大阪、神戸に大使館を移し、ほかにもスイスですとか。

 磯部:そうですね、フィンランドも広島に移転しました。

 細野:ヨーロッパの国々は移しましたよね。その中でアメリカ大使館が東京に踏みとどまったというのは非常に大きかったですよね。仮に大使館が移動していたら、そもそもトモダチ作戦はなかったかもしれません。

 磯部:これはやはりルース大使をはじめ、大使館の方々が日米同盟の真髄はどこかということをよく理解されていたからだと思います。

■アメリカのトモダチ作戦には3つの側面があった

 細野:そういう日米同盟関係が非常に貴重な役割を最後まで全うしたという面がある一方で、先ほど磯部さんがおっしゃったとおり、運命を共にすることはなかった。避難の距離も違った。NRC(アメリカ原子力規制委員会)の代表としてやってきたチャールズ・カストー氏は日米同盟調整会議で私のカウンターパートを務めましたが、主要な役割はアメリカ国民の保護だったわけですよね。

 磯部:おっしゃるとおりで、アメリカのトモダチ作戦というのは3つの側面がありまして。ひとつは日本の国民を助けたいという思い。純粋な人道愛、人間愛と言うんでしょうか。2つ目は福島原発という原子炉の状況が非常に不安定だったので、それをなんとかコントロールするのを助けたいという意識。3つ目は、日本にいるアメリカ市民の保護。状況によっては退避ということまで考えていましたので。この3つ、大使はすべての任務を務めなければいけないという厳しい状況に置かれたわけです。

 細野:3点の中で、あえてアメリカ側から見ていちばん重要なのはどれだったんでしょう。

 磯部:アメリカからすると、やはり3番目のアメリカ国民の保護だと思いますね。自国民を守るというのは国家の究極の使命ですから、根本的な話だと思います。

 細野:政府の役割とは何か、さらには政治の役割とは何かというのを突き詰めていけば、やはり国民の命ですからね。アメリカも当然そうであって、同盟国の支援というのは、その次にくるものなんです。これもある意味、同盟の本質だと思います。

 細野:次に、この危機において自衛隊が果たした役割について聞いていきたいと思います。

 原発事故直後から、自衛隊には大きな期待があったのですが、ひとつの大きなピークが3月16日から17日のヘリの空中からの散水です。

 実はあの前に、当時危機管理監をやっていた伊藤哲朗さん、防衛省の背広組から官房副長官補になっていた西川徹矢さんと議論したことがあった。3月11日から12日にかけて東電の社員がベント作業(原子炉格納容器爆発を避けるためのベント、つまり格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出する緊急措置)をやったときのことです。命がどうなるかわからないという状況の中で、民間の方にあれをやってもらってよいのかという迷いが私の中にあったんです。

 もちろん東電の責任はあります。しかし、「民間人だから無理です」と仮に東電が言ってきたときにどうしようかというのがあって、伊藤さんと西川さんに「仮に自衛隊にやってくれと言ったらできるか」と聞いたのです。

 その場で即答でした。「いや無理です。なぜならまったく現場がわかりません」と。確かにそこに自衛官が行っても、右も左もわからないわけです。訓練もしていないし、そのとおりだと。ここはいかなることがあっても東電にやってもらうしかない。その後3月14日から15日にかけては撤退騒動もありましたが、撤退してもらうわけにはいかんということで頑張ってもらったんです。

■16日の深夜、統幕長室に陸海空の幕僚長が集まった

 細野:しかし、15日、16日と現場のオペレーションがうまくいかなくて水が入らないという中で、いよいよ最後の砦たる自衛隊に頼まなければならなくなったんです。磯部さんはあのとき統幕におられましたよね。16日のヘリの放水回避、そして17日には放水するということで、相当夜中に議論があったと聞いています。

 磯部:16日は上空の放射線量が高いということで一旦断念をして引き返したんです。その夜に横田の在日米軍司令官からアメリカの切迫感も伝わってきました。速やかに放水すべしという覚悟は固まっていたので、17日は必ず放水しようと、固く決意をしたのが16日の深夜です。

 統幕長室に陸海空の幕僚長や主要な部長が集まって、そこで、明日はどうなってもヘリから水をまくぞという決心をした。ちょうどそのとき、(放水を統括する)宮島俊信中央即応集団司令官からも「明日は必ずやります」という電話が入ったんです。それで17日の放水になりました。

 細野:陸海空の三軍集まった? 

 磯部:集まりました。統幕長室に陸海空の幕僚長みんな集まりました。

 細野:それで実際に入れたのは。

 磯部:陸上自衛隊の第1ヘリコプター団です。私はもともとヘリコプターのパイロットだったので、自分が行きたい気持ちが強かったです。放射線の量を考えると、若いパイロットに行かせるのは忍びないですから。そういう気持ちはみなさん居合わせた人は持っていたと思います。

 細野:行ってくれと言うのはつらいですよね。

 磯部:誰かがやらなければいけないんです。自衛隊は後ろを振りむいても、そこには誰もいないですので。

 細野:16日は自衛隊が放水することになっていたので、私は東電に現場の作業を止めてもらったんです。昼頃から準備をするということだったので、半日以上。

 ところが夕方の5時頃、映像で見守っていたら、偵察機は見えたんだけど、放水するはずのヘリが見えない。すぐ北沢防衛大臣から電話がきて、「線量が高いから帰した」と言われて、現場が凍りついたんです。

 東電本店だけではなくて、映像でずっといちえふ(1F)が見えているので、重要免震棟の皆さんも声がない状態で。政府の人間は私1人だったので、周りの目は厳しかったです。肩を落としている訳にいかない。見えないところに行って、すぐに北沢大臣に電話して相当強く申し上げたのを覚えています。

 そして17日に放水が実行され、自衛隊を含めた政府も東電も全軍を挙げてやるという意識になっていった。それは非常に大きかったと思います。ただ依然、アメリカ側は評価が分かれていた。非常によくやったという評価も聞こえてきたけれども、一方で、「入った水はわずかだ」という声も届いていました。

 磯部:これは、見る角度による感じもありまして、軍人と話していると、非常によかったという意見が多かったように思いますが、外交ルートから来ると、まだ十分ではないという評価もあり、立場によって違っていましたね。

■3つの組織の調整に難航する

 細野:そこで、18日から今度は陸から放水だということになったわけですよね。ここが実は、私が東電本店で本当に苦しんだ場面の1つで。自衛隊の制服組、警察、そして消防のリエゾン(連絡員)が本店に来ていましたが、どういう順番で入れるかという現場の調整がうまくいかないんです。

 自衛隊は放水を空中からしたものだから、陸上からの放水は先陣争いみたいになってしまった。結論としては警察が先に行くことになったけれども、その後自衛隊、そして気がついたときには、行かないと言っていた東京消防庁が間もなく福島に到着するという大混乱で。この3つの組織の、一言で言うと、連携の悪さ、やや厳しい言い方をすると、もともとの組織としての相性の悪さ。

 磯部:相性が悪いということはないと思うんですけどね。一般の災害派遣でも現場では警察、消防、自衛隊、みんな一緒になって現場で人命救助をしますが、誰が先にやるかとなるといろいろな利害が出てくるんですかね。

 細野:組織としての性格がまったく違うんです。自衛隊は国家組織じゃないですか。警察は都道府県警、警察は警察庁がいくら言っても、やはり都道府県の組織。消防はさらに小さいでしょう。

 磯部:市町村単位ですね。

 細野:東京消防庁は少し大きな組織ですが、そのほかは市町村単位。例えば担当の総務大臣だって指揮権はないわけです。指揮権があるのは唯一自衛隊だけ。それで18日はその調整でほぼ1日かかってしまった状況でした。これはまずいと、ある指示書を提案したんです。これが統幕の中では大変な議論になったと。

 磯部:指示書を見て、自衛官はみんな驚愕しました。今後の放水、除染活動について「自衛隊が全体の指揮をとる」と書いてありました。自衛隊が、つまり隊員さんの命を預かるということで、これはちょっとできないと。気持ちはわかるんですが、政府にはもう一度考えてくれと。

 細野:提案を突き返してきたんですよね。私はその前にもう1つ、ある提案をしていまして、その提案というのは、現場で作業する人の年間被爆量の上限を100mSvから250mSvに上げてほしい、というものでした。

 アメリカでは、志願する者に関しては、放射線量の上限なしでやれるようになっている。核武装国なので、攻められることも含めいろんなケースを想定しているんですね。しかし、日本にはそうした制度はなく、100mSvが上限なんです。今回のようなシビアなケース、どうしても短時間だけれども誰かが作業しなければならないといったときに、動けなくなってしまう。

 それで実は、一度「上限なし」で出したんです。案の定、北沢大臣から「いや、駄目だ」と言われました。そうしたやり取りをする中で、なんとか250mSvが通ったんです。

■混乱する前線基地Jヴィレッジだったが…

 細野:また、指揮権と言ったら絶対防衛省は突き返してくるということも思っていました。ただ、なんとかしたかった。放水が大混乱してうまくいかない。原発事故の前線基地であるJヴィレッジは自衛隊、警察、消防と原発作業員が入り混じって大混乱。お互いに調整に大きなエネルギーを使っていて、でもそんなことをしている時間はないわけです。ですから、自衛隊がしっかりマネージするという体制を作りたかったんです。

 磯部:自衛隊は一元的に管理する能力が高いです。

 細野:衣食住まさに自己完結できて、いろんなサポートも必要ない。

 磯部:当時現場にいた自衛隊の指揮官から聞いた話では、それぞれ皆ベストポジションで、ベストな時間帯でみんなやりたい訳です。放水も。また、東電さんは地下にある配線とか修理が必要ですから。そうしたことが全部重なった中で、誰が、どの部署がどういう順番でやるかというのはまさに混乱の極みでしたね。

 細野:結局は、総合調整を自衛隊がする。そしてJヴィレッジを一元的に管理するのは自衛隊と決まって、ようやく少し落ち着いた。この指示書は最終的には総理が出すことになるのですけれど、総務省や警察庁にも行くので、当時総務大臣だった片山善博さんから電話が入って「とにかく消防職員の名誉を傷つけることだけはしないでくれ」と言われました。

 磯部:それはよくわかります。自衛隊が仮に逆の立場であれば同じことを言ったでしょう。

 細野:おそらく片山大臣は、自分の部下ではないけれども決済しないと通らない文書だったので。決断するときにそういう条件を付けてきたのだと思います。

 有事のときにどうやって現場をマネージしていくのか。これは大きな課題として残っています。究極のケースとして、武力攻撃事態になった場合は法律に書いてありますよね。ただ、戦争ではないけれど、実質有事のときにどうマネージしていけばいいのか。

 磯部:いわゆるグレーゾーンですね。これは本当に大事な話だと思います。

 (後編に続く)

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最終更新:2/28(日) 8:01

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