社会全体が大きく変化している今、「生きづらさ」「自己否定感」など子どもたちの悩みも多様化しています。学校の保健室を訪れる子どもたちの何気ないつぶやきや愚痴の背景には、親が気づいていない心の落とし穴が潜んでいるケースもあるのです。そこで今回は、長年小中学校の養護教諭を務め、多くの子どもたちと接してきた桑原朱美さんの新刊『保健室から見える親が知らない子どもたち』(青春出版社)から、悩みを抱える子どもたちに対する保健室の在り方や勘違いしがちな親の考え方について解説します。
● 子どもたちが最初に「保健室」に相談に行く理由
教員以外の方に、「保健室では、メンタルケアや相談活動も行っています」という話をすると、不思議そうな顔をされます。「今は、スクールカウンセラーも配置されているから、保健室でわざわざ相談する必要はあるのか」という疑問を持たれるようですが、それは大人の考えです。
実際、教育現場では、子どもたちの多くが最初に相談に行くのはスクールカウンセラーではなく、保健室なのです。保健室は「体調不良」「けが」という誰にでもありうる理由で、来室することができるという敷居の低さがあるからです。
学校現場では、まず子ども達は、保健室のドアをたたきます。だからと言って、養護教諭だけがかかわるのではなく、そこから、必要に応じでスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーへとつないでいきます。これによって、多くの目で子ども達を支援することができるのです。
なぜなら、例えば、いじめを受けている子にとっては、相談室に行くことで、「何かチクった」と思われる恐怖から直接カウンセラーには相談できないということもあります。いじめだけでなく、「相談室に行った」ということで、「なんか悩んでるらしいよ」と、あれこれ言われるのではないかと考える子もいます。
しかし、保健室であれば、自分の「体」のことをきっかけに、養護教諭と話ができます。体調不良で来室する子、何度もけがをして保健室にやってくる子ども、何も話さないけどふらりとやってくる子どもは、言語化しきれない「何か」をもっています。
● 保健室は教育の場であり、癒しの場ではない
保健室は、教室ではなく、駆け込み寺だとか、癒しの場などといわれますが、私は、以前から、「保健室は、教育の場であり、癒しの場ではない」という一貫した考えを持っています。
現職中も、保健室という場で「生きる力」を育てたいと考えてきました。生きる力とは、単に「強い、たくましい」という力ではなく、弱さもすべて受け容れたうえでの「しなやかな思考をもって生きることができる力」という意味です。
落ち込んでしまうこともOK。ただ、必要以上に落ち込むのではなく、短時間で心を回復させることができる竹のようなしなやかさを持っているということです。いわゆる「レジリエンス(心の回復力、柔軟に生きる力)が高い状態」です。
レジリエンスを高めるための根底にあるものは「自己受容」(自分のプラス面もマイナス面もありのままの自分を受け容れること)であり、そのために必要なのは「メタ認知」(自分の感覚・知覚・思考など自分の認知活動を客観的にとらえ、考えること)です。これは、養護教諭として最後の5年間を過ごした子どもたちとのかかわりから、導き出した私なりの結論です。
子どもたちの話を聴いていると「私はネガティブだから」とか「私はバカだから」などの自分に対する決めつけの表現を多く耳にします。「自分のことを好きになんかなれない」と嘆く子も1人や2人ではありません。
子どもたちの多くは、マイナスな自分を一掃し、プラスだけの自分になれば、もっと受け容れてもらえると思っています。だから、いかにして、マイナスを隠すか、消してしまうかに敏感になっていました。隠す方法が違うと、現象として現れる行動も違ってきます(非行・自傷行為・思春期やせ症・不適応など)。
● 子どもの「問題行動」を正そうすることは正しいのか
私の勤務校に限らず、今でも、多くの大人が、そういった「問題行動」を何とかしようとし、マイナスの部分を正そうとしていたり、心理に注目して心を癒そうとしています。ですが、この大人たちの大きな勘違いが、更なる周囲のミスアプローチを呼んでいるのです。
行動を変えるために、説教をしたり、罰を与えたりする大人もいますが、一向に行動は変わりません。ことばがけを変えてみたり、優しく接してみたり、心を癒そうとしても、なかなかうまくいかないと感じている方は多いのではないでしょうか?
私は、子どもたちが問題を抱えて来室したときは、「問題を成長に変えるチャンス」と考えるようになりました。保健室経営を根本から見直したのです。この方針に基づいて対応を変えたところ、起きている問題(実は現象)を引き起こした思考パターン、言語パターン、行動パターンを子ども自身が気づくことで、次に同じような状況になったとき、別の方法で対応できるという「成長」に変わるようになりました。
これは、これまで子どもが「反応」していたことを、「対応」に変えられるようになったということでもあります。このアプローチを続けていると、子どもたちは「自分がどんな場面で、どんなきっかけでその感情にとらわれるのか」が少しずつわかってくるようになります。すなわち「メタ認知」が高まっていくのです。
保健室は、体のことを手掛かりに子どもたちが足を踏み入れやすい場所、そして、体の変調と心の問題をつないでくれる場所。そして、問題を「成長」に変える場所として、保健室の存在価値はとてつもなく大きいのです。
● ひとり歩きする「自己肯定感」が子どもを苦しめている
では、そんな子どもたちの一番近くにいる親は、どのように接していくべきなのでしょうか。
昨今、自己肯定感ということばがブームですが、教育現場でも巷でも、この「自己肯定感」ということばがひとり歩きしているように感じています。親たちも「自己肯定感の高い子どもに育てなければ」という想いがあだとなって、逆効果なこともたくさんしてしまっているケースも多いのです。
自己肯定感とは自分のことを好きになることという実に抽象的なイメージを持たれがちですが、私が保健室で出会った子どもたちは、この「自分を好きになる」という解釈に苦しんでいました。「よい自分だけを見せたい」「マイナスな自分がいるからその自分を好きになれない。ダメな自分をすべて消したい」「自分を好きになれない自分はダメなんだ」と自分を責める子もいました。
多くの大人が、失敗すると自信をなくす、自信をなくすと自己肯定感が下がると考えています。そのため、子どもが失敗しないようによかれと思って、子どもの目の前の障害物を取り除きたくなるかもしれませんが、それで自己肯定感が上がるわけではありません。
本当の自信とは、結果にとらわれることなく、どうしたいのかを自分で考え、試行錯誤して達成していく過程を通して感じ取るものたからです。
● 「自己肯定感が高い子」に育てるための導き方とは
小石につまづいて、転倒し、小さな擦り傷をしながらも前へ進む経験を奪われてしまった子どもは、大人になるにつれ、本当に生きづらくなります。
転んでけがをしたときは痛いけれど、いつかそれはかさぶたになり治癒していきます。その経験を、かわいそうとか、自信をなくしてしまっては大変だ、あるいは、転んだ姿をほかの人が見たら、親としての自分がダメな人と思われるのでは……などの大人側の想いによって奪われてしまっては、そちらのほうがマイナスではないでしょうか?
試行錯誤し、ちょっと痛い思いをして獲得した体験をもって成長した子と、お膳立てされた成功ばかりを体験してきた子では、大人になるにつれ、大きな違いが表れてきます。
本当に必要なのは、転んだときに、どんなことばがけをし、その経験を成長につなぐことができるかという大人側のアプローチです。さらには、うまくいかなかったとき、どのように考えると、それを成長に変換できるかということを生きる知恵として、子どもたちに伝えることなのです。
ダイヤモンド・オンライン
最終更新:2/24(水) 13:25
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