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「いい子」を演じ続けた結果、見失う生きる意味

1/28 15:01 配信

東洋経済オンライン

コロナ禍により「生きていく意味を見つけることの困難さ」を訴える人が増えているようです。生きづらいという苦しみをどう捉えればいいのか。医学部時代の近親者の自死をきっかけにライフワークとしてメンタルヘルスに取り組み、数多くの「生きづらさ」を抱えた人と接してきた秋葉原saveクリニック院長の鈴木裕介氏。
心が疲れた人に必要な思考法について、鈴木氏が書いた『NOを言える人になる 他人のルールに縛られず、自分のルールで生きる方法』より一部抜粋・再構成してお届けします。

■コロナ禍は「人生の意味」を失わせつつある

 僕は、都内で内科のクリニックをやっている医師です。10年ほど前、身近な人の自死をきっかけに、医療職のメンタルヘルス支援活動を始め、以後、さまざまな「生きづらさ」を抱える人たちの話を聞いてきました。

 その多くは、病気などにより本来持っている「生きる力」が一時的に失われているケースです。ただ、それとは毛色の違う永続的に続くような深刻な生きづらさを抱えているケースも少なくありません。普段、普通に生活をしているように見えていても心の奥に深刻な生きづらさを抱えながら、それを隠してギリギリで生きている人が相当数いるのだろうと強く感じています。

 例えば以前、次のような言葉を伝えてくれた、女性の患者さんがいました。

 「先生、私は自分が生きる意味がわかりません」

 「自分がこの世に生きてていいって、どうしても思えないんです」

 彼女は、普通の人から見たら「恵まれた家庭」に生まれ、いわゆる「一流大学」を卒業した、誰もがうらやむような華やかな経歴の持ち主でした。聡明で知的で、仕事においても「尋常でないほどの」努力家で、職場からも取引先からも全方位的に評判のいい人物でした。しかし、そうした他者評価からは想像できないほど、自己肯定感を持てずにいたのです。

 「自分に自信がほしくて、努力してきました。そのおかげで、行きたかった大学、行きたかった会社に行くことができました。でも、ホッとしたのはほんの一瞬だけ。今も、振り落とされないように必死でしがみついています」

 「この先、幸せになれるイメージが、まったく湧かないんです」

 泣きながら、絞ぼり出すようにそう伝えてくれた彼女は、「存在レベルでの生きづらさ」を抱えているように思えました。

 彼女は、「自分の物語」を生きられていませんでした。自分ではない誰かのための人生を、誰かのための感情を、生きさせられているようで、その先の見えない苦しさにあえいでいるように感じました。彼女のように、自分を肯定できずに苦しんでいる若者に触れるたびに、僕はこの時代に幸せになることの難しさと、自分の物語を生きることの必要性を痛切に感じるのです。

 この地球に誕生して以来、人間はつねに生存の危機と共にありました。戦争、飢餓、病気、差別など、その生命をまっとうできない危険性がある環境においては、動物的な生存本能が発揮されやすく、生きることそのものが目的たりえました。

 しかし、社会が豊かになり、命の危険がないことが当たり前になってくると、「生きること」それ自体の意味を見つけることは難しくなります。イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、「人々の努力によって社会がよりよく、より豊かになると、人はやることがなくなって不幸になる」と主張しました。

 社会が豊かということは、人が人生を賭して埋めるべき大きな「穴」がない状態です。例えば「国家」とか「社会」とか、これをよりよくすることに自分の人生を捧げようと思えるような「大義」が見つかりにくくなるのです。そうなると、自らが生きるモチベーションは自分で見つけるしかありません。

 そこで必要になるのが「自分の物語化」です。自分の物語化とは、これまでの人生で連綿と起こってきた出来事に対して、自分なりの解釈をつけていくことです。例えば、大切な人と死別し、悲しみでやりきれなくなってしまったとしても、「この喪失の経験から得たものを、誰かほかの人の役に立てよう」と思うことができれば、人は、また前に進むことができます。

 起こった出来事に対して、主観的に自分が納得できるような意味付けをしていくことで、挫折から前向きに立ち直ったり、成功体験を自信に変えたりすることができるわけです。

 「人は、自分の物語にすがりついて生きている」

 これは、臨床心理学者の高垣忠一郎先生の言葉です。すがりつくべき物語がなければ、人は生きていくことができません。たとえ、それが不幸の物語であったとしても、その人が生きていくためには必要なのです。

■「いい子」を演じ続けふたをする自分の感情

 冒頭に紹介した方のように、誰に対しても優しく品行方正な「いい子」であろうとする人は少なくありません。そしてそのような人は、子どものときに、自分本来の感情を素直に表現したり、その感情を受容されたりした経験に乏しいという共通点があります。

 自分よりも、自分を評価する「誰か」(多くの場合は親)の感情を優先する癖がついていて、その誰かの感情を先回りして感じ、その人にとってのベストな反応を得られるような感情だけを選び取り、自分が本当に感じていた感情は心の奥底に封印してしまっているのです。

 誰からも褒められる「いい子」を演じれば、一時的な承認を得ることはできますが、それは自分のリアルな心根の部分を承認されているわけではないため、すぐにまた「誰かに褒められる何か」をしていないと不安になってしまいます。このような、他人の感情を優先する生き方から抜け出すきっかけの1つになるのが、誰にも遠慮をしない、自分だけの「好き」を見つけて追求することです。

 ある知人は、これまでずっと「いい子」を演じすぎ、周りから信頼されてしまったため、面倒事をすべて引き受けざるをえなくなり、行き詰まっていました。家族の目を盗んでカウンセリングに通うほどに追い詰められていた状況を脱出するきっかけとなったのが、『スプラトゥーン』というゲームにハマったことでした。

 また、なんとなく「生きたくないな」と感じながら生活していた別の知人は、あるときお気に入りのバンドを見つけ、そのライブに1人で行ったときに、なぜか涙を流すほど癒やされたそうです。

 彼らが苦しみの末に見つけた「好き」は、おそらくほかの誰かのためではない、自分だけに向けられた感情だったのだろうと思います。その感情に浸れることは普段、誰かのための感情を優先している人にとってはとても尊く得がたい経験であり、自己の存在を肯定するきっかけとなる、根源的な癒やしにつながるものです。

■「うそのない物語」が人生を支える

 僕は、明確な答えのない今の時代において、人の心を動かすのは「弱き者の物語」だと思っています。さまざまな作品において、今「弱き者」が支持されてきており、そこに登場するキャラクターは、どこか弱く、格好悪く、人間臭い。そのうそのないリアリティーこそが愛おしさの源泉であり、完璧でないわれわれに「それでも生きていていいのだ」と安心を与えてくれます。

 「いびつさ」は、その人の真骨頂であり、本質的な魅力そのものです。自分の弱さ、いびつさ、未熟で格好悪いところを認めて、それをも引き受けた「うそのない物語」は、ありのままの自分を「それでもいいよ」と肯定し、永きにわたって人生を支えてくれる「しなやかな強さ」をもたらすものになると思います。

 誰しもが真に自分らしく生き、自分の物語を紡いでいくこと、それが今の時代に必要なことだと思うのです。

東洋経済オンライン

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最終更新:1/28(木) 15:01

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