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北海道のTVマンが記した「デス・ゾーン」の真意

1/17 13:01 配信

東洋経済オンライン

凍傷で右の親指以外の指を失ったにもかかわらず、エベレストの頂を目指しつづけた登山家がいた。栗城史多(くりきのぶかず)――。「七大陸最高峰、単独無酸素登頂」に挑戦し、挑戦中はエンターテインメント性にこだわり、従来の「登山家」のイメージを覆した。「夢の共有」を熱く語る一方で、カメラがなければ山には登らないと明言していた。
4度目のエベレスト挑戦で、重度の凍傷により指9本を切断したにもかかわらず、その後もエベレスト挑戦を続けた。しかし、2018年、8度目の登頂を断念した下山中に滑落死してしまう。

2020年に開高健ノンフィクション賞を受賞した『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』は、そんな男の実像に迫った追跡ノンフィクション作品だ。筆者の河野啓氏は、北海道放送のディレクターで、かつて栗城さんに取材した経験もある。そんな河野さんにこの本を書いた経緯や思いを聞いた。

■登山家が「マグロになりたい」

 ――聞き手のわたしは登山経験も皆無、山への興味も乏しかったので、栗城さんの名前もこの本で初めて知りました。開高健ノンフィクション賞作品とオビの文章にひかれて手にとったところ、予想外にひきこまれてしまいました。

 河野さんは北海道放送のディレクターとして、栗城さんがまだ広く認知されていなかった2008年に出会い、2年ちかく、取材者と被写体の関係を保たれた。出会われたきっかけからお聞きしていいですか。

 私も山は素人で、会社の先輩に誘われて日高山脈の2000メートル級の山に1回登ったきり。だから当初、彼が自分のキャッチコピーにしていた「七大陸最高峰、単独無酸素登頂」(無酸素は、酸素ボンベを使わないことを指す)の意味もよく理解していなかった。ただ、言葉の響きがすごそうだなと。

 会うきっかけは、出張帰りの列車で手にしたカタログ誌に彼のインタビュー記事が載っていたことから。登山家なのに「マグロになりたい」と語る言葉の面白さ。南極大陸の最高峰を制し、残るはエベレストだけという記事にそそられ、数日後には連絡をとっていました。

 登山家というとガタイがよくて無口なイメージがありますが、小柄で童顔。笑顔がかわいい。その意外性にも惹かれたんですね。質問するとすぐに答えが返ってくるし。2時間くらい話して、新鮮な驚きがあった。

 よく覚えているのは、彼は街中でもリュックを背負っていて、何が入っているのか訊ねると、取り出したのはパソコンひとつきり。そのへんの自己演出もうまいなと思いました。これまでに登った山の映像を見たいと言うと、すぐに段ボールひと箱ぶん送られてきて。それを見たときの衝撃は忘れられないですね。

 ――その量ですか。

 量もそうですが、山の中で叫んだりもがいている。登山の過程を詳細にカメラで撮っていて、自分が泣く顔までも。いまのユーチューバーの先駆けのようなことをしていたんですよね。正直、これは取り上げないともったいないぞ、と思いました。

 ――河野さんが栗城さんを取材し始めた2008年当時、他のテレビはまだ注目していなかったのでしょうか。

 日本テレビさんが前年にネット配信で取り上げていたのと、北海道文化放送さんが1時間番組をやっていたんですが、私はどちらも見ていなかった。会って、これは競って飛びつくだろうから、どこよりも先に番組にさせてほしいと申し込み、了解を得ました。

■彼が何者だったのかを知りたくなった

 ――本書がノンフィクションとして独特なのは、卓抜したエリートを称揚するものではない。前半はむしろ栗城さんのダメな一面、わたしたちと変わらない一面が描かれ、彼の頑張らなさ加減に「おいおい」とツッコミながら読みました。だけども不思議と読み進むうち、栗城さんに親密な感情を抱きはじめ、端的にいうと好きになっている。そして、なぜ両手の指を欠きながらも、まだ彼が山に登りつづけたのか、知りたくなるんですね。

 河野さんは本にも書かれていますが、一度は2年にわたり時間を共有しながら、あることから交流を断たれている。関係が途切れた後に再度取材するというのはゼロスタートより大変だったと推量しますが、本書の執筆動機は何だったのでしょうか。

 一番の理由は、彼が何者だったのかを知りたくなった。亡くなったというのを知ったときに、山で死ぬなんて、まるで登山家みたいじゃないかと思ったんです。

 指を9本凍傷で失くしたというのはニュースで知ってはいました。これで山には登らないだろうと思い、フォローもしなかったのが突然、滑落死したという。まだ登り続けていたのかというのがそのときの正直な気持ちで。何故登り続けていたのか。その謎をメディアの誰かが解いてくれていたら、僕は取材する気も起きなかったんだろうけど、メディアが伝えたのはお悔やみの言葉ばかり。(登山家たちからは実力不足といわれながらも)なぜ彼は8回もエベレストに挑みつづけたのか。知りたかったというのが最大の動機です。

 ――丁寧に数多くの人に話を聞くために訪ね歩いておられます。当人が亡くなっている以上それ以外に方法はなかったのでしょうけど、取材のブランクが10年もあっただけに大変だったのではないですか。

 たしかに。縁が切れてからは、たまにテレビで目にすることはあっても心は動かなくなっていました。なぜ心が離れたかという理由は本の中に書いたとおりなんですが。大事な約束を反故にする。こんなやつ、もう追っても仕方ない。頭の中からスッパリ削除してしまった。だから、またデータを取り出すことになろうとは思わなかったですね。

 しかし大変ではありましたが、彼が僕と別れたあと、どのような人生を歩んだのか知りたいという気持ちが上回った。それと、これは偶然なんですが、彼が亡くなった翌月からブログを始めたんです。仕事の裏話のようなことだったんですが、熱心な読者は母親ひとりだけ。登録者は10人もなかったのが、ふと栗城さんのことを書きたくなった。そうしたらアクセス数が1万に跳ね上がったんです。その驚きもありました。

■表現の面ではとてもストイックな人間だった

 ――本を読んでいて、河野さんと栗城さんに似通ったものを感じとりました。たとえば、お母さんが亡くられたとたん河野さんはブログを更新する意欲を失ったとつづられていて、いっぽう栗城さんは「カメラがなければ、エベレストには行かない」と語っている。

 大勢の観客を強く意識した登山と、たった一人の読者に向けた違いはあるにしても、ある意味符合するというか。栗城さんは「夢の共有」という言葉をよく使われていたそうですが、誰かに見られていることを意識することで人は前に進むことができる。それは誰しもに当てはまることだと思いますが。

 私と母の関係でいうと、50代の息子と80代の母親との間に会話は成り立たないんですよね。すくなくともウチの場合は。母が死んだあとにあらためて感じたことですが、母が本当に喜んで読んでくれていて、僕と母との会話ツールとしては役立った。

 では、栗城さんはいったい誰を意識して山に登っていたのか。誰かのために登っていたのは確実だったと思います。そうでないと、あんなに登山の力量が未熟な人が、たとえシェルパの助けを借りたとはいえエベレストには行けなかったでしょう。

 ――人物取材をする場合、対象に対する「共感」が欠かせないと思うのですが、栗城さんの負の一面を描写しながらも文章から愛情のようなものを感じました。彼と自分に類似するものを感じることはありましたか。

 そうですね。まず似てないのは、ぜったい僕は自分の泣き顔にカメラを向けることはしない。どんなにそれがウケると計算できたとしても、それはできない。それで、質問は似ている部分ですよね。

 表現者として、どうすれぱ人が喜んでくれるか。そのために自分は何をしないといけないかを彼は常に問い続け、自分に対して、表現の面に関しては、とてもストイックな人間だった。僕のことはさておき、彼は仕事に対しては真摯だったとは思いますね。

 ――登山家たちからは「パフォーマンスがすぎる」「登山家ではなく、登山をやっている人間」「欽ちゃん球団みたい」などと評されていたそうですが、資金面も含め、栗城さんには熱心な支援者が多かった。その人たちの中にも、彼の変貌を指摘する人がいる。これは、河野さんがテレビメディアの人だからこそ聞きたいんですが、意図はともかく、テレビが取り上げることで人は変貌してしまう。その怖さを感じたことはありますか。

 栗城さんの場合、最初の頃はさっき言ったように街中でもリュックを背負っていた。それがトレードマークだったんですが、取材を始めて2年目、エベレストに挑戦するスケジュールが出た頃には必ずキャップを被り、キラキラと反射するサングラスをかけるようになっていた。そのとき僕は、ヤンキー先生(義家弘介氏・現衆議院議員)のことを思い出したんです。

 彼も番組(河野さんがディレクターを務めた、高校中退者や不登校の生徒を受け入れる北星余市高校を取材したシリーズ)でブレイクしてくると、金色のペンダントをするようになった。そのほうが周りも喜ぶだろうというサービス精神でもあったったんでしょうけど。とくにテレビの仕事をしていると、取材をされることで外見が変わっていくということは感じますね。

■ヤンキー先生のことを思い出した

 ――栗城さんを知る人たちと対面し、ときに取材拒否にあう中、終盤が非常に印象的でした。栗城さんが頼った占い師を探しだし、会いにいく。インタビューの問答から謎が氷解していくところがあるとともに、栗城さんの存在がいとおしくなる。取材の最後が占い師になったのは意図されたことですか。

 取材をしながら、これは劇場っぽい話だなと思うようになっていました。まず、占い師さんの取材が最後になったのは山仲間や幼なじみといった、すぐにたどれる人ではなかった。特定なんかできっこないだろうと諦めていたんですが、やるだけやってみようか。ネット情報から彼なら誰に頼むだろうか。20人ほどに絞り込んで、片っ端からメールと手紙を送り、返信があったのが本に出てくるX師だった。

 この本をどう捉えるか。それは読者に委ねたいんですが、取材をしていて「単独」という言葉が浮かんできたんです。彼のキャッチコピーでもあった「単独、無酸素」の単独なんですが。X師の取材をとおして、それは山岳用語の単独ではない、ちがう重みをもって響いてきました。

 栗城さんはいつも「夢は叶う」「夢の共有」を訴えかけていたけれども、重要な局面では「ひとりぼっち」だった。常に自分を律しながら生きていかなければいけなかった。しかし、それは彼だけでない。僕も、いや誰もがそうで。その「単独」を目指せない人間がネットに群がって、人を叩いているというイメージを同時にもったんです。

 ――もうすこし、説明してもらえますか。

 自分のない人間が、いま叩かれている人の情報を知り「歪んだ正義感」をもって攻撃をしかけていく。逆説的ですが、栗城さんはそういうことはしなかった。攻撃された相手に言い返すというのはしょっちゅうやっていたけれども、すくなくとも僕が知る限り、自分から叩きにいくということを彼はしなかった。

 占い師さんの取材をしていて「単独」という言葉が浮かんできたとともに、これは本にも書きましたが、自分がひとりぼっちになったような気になったんですよ。占い師さんの事務所を去ったあと、物悲しいというか、人恋しいというか、背中の汗がすっとひいていく感じがしたんです。そのとき「単独」というのがこの本のテーマかなと思ったんです。

■メディアの一員として考えていることを正直に書いた

 ――なるほど。その「単独」とも関係しますが「あとがき」のところで、タイガーマスクのエピソードが出てきます。栗城さんの姿を覆面レスラーと重ねられていて、するどい解釈だと思いました。

 実際、彼がタイガーマスクの覆面を被って現れたことが何回かあったんですよ。オセアニア最高峰のカルステンツ・ピラミッドに登って帰国した際にも、新千歳空港の到着ロビーを通過するとき覆面を被ってガッツポーズをしていた。その理由を聞けばよかったんですが、あれは、なぜ被っていたのか。ただ単に好きだったのかもしれない。誰かのために何かをする主人公に惹かれていたのか。あのマスクを被っている彼の姿が浮かぶとともに、舞台を生きた男だったんだなと。

 アートの世界ではバンクシーという素性を明かさない覆面アーティストが称賛されていますが、栗城さんは素顔を明かすことで持ち上げられもしたけれど、ネットですごく叩かれもした。もしも「覆面登山家」でいたら、彼は死ぬこともなかったかもしれない。いろんな思いが交差して、ああいうあとがきになりました。

 ――この本で印象的なのは、テレビが栗城さんを祭り上げた「罪」について書かれている。彼が掲げていた「単独無酸素」も調べれば言葉の矛盾に気づいただろうに、スルーしてしまっていたこと。タレントのように持ち上げはしたけれど「人間として愛していたのか」。

 反省の一つひとつは過去形でなく、メディアのあり方を問うものとして現在進行形となって響いてきます。「個」の肉声としてわざわざ、そのことに触れていることに書き手の誠実さを感じました。

 栗城さんの人生をたどるときに、私はネット情報に頼らざるをえなかった。私が取材した後の栗城さんを知らなかったので。そのときにメディアの罪を問う声が非常に多かったんです。「自分たちが売り込んだことにあまり無自覚すぎる」とか。そういうネットの声に触れておかないわけにはいかないだろうと思ったのと、自分の反省も含めて、正直にメディアの一員として彼とどう付き合い、いま考えていることは書いておこうと。

 彼が野球選手やサッカー選手であれば、ルールも、選手としての技量もわかりやすいのですが、登山というスキマをついたところにいた。それと彼の映像が本当に面白くて、その映像に乗っかってしまったという反省がある。

 栗城史多はこういう登山家で、専門家の中にはこういう評価もあるけれども魅力のある男だという出し方ならまだしも、ただただ群がってうたいあげてしまった。彼がスポーツクライミングをやっているような人だったら別だったんでしょうが、「死の地点」に向かう人間をバラエティー目線で追うというのは明らかに間違っていた。いまさらですが、彼と仲たがいした後の、指を失くしてからの彼を撮りたかったと思います。痛切に。どんな思いで登ったのか。とくに、貶されるようになってからの彼を。

 ――後退戦の最中の彼を追うことで、見えてくるものがあったかもしれないということでしょうか。

 それはわからない。ただ、彼が栄光を失い、叩かれる存在になって何を学んだのか。叩かれながらもなお、なぜ山に登るのか。自分の中で彼がどのように整理し、登っているのか。占い師さんの証言はありますが、実際に彼から直接聞いてみたかったですね。

 先日、登山ライターの方と対談させてもらったんですが、私が取材した2008、2009年頃の写真をお持ちになられた。その人は、2016年に取材で栗城さんと会われたそうですが、「僕が会った栗城さんはこんなに生き生きした表情はしていなかった」とおっしゃられたんです。

 縁を切ってしまった。そのときの僕の心の動きとしては自然なことだったんですが。凍傷で指を切断したことを知ってはいたので、メールのひとつでも送って彼と付き合いを再開していたら、いろいろ発見はあっただろう。それは非常に心残りです。

■最初に考えたタイトルが「エベレスト劇場」

 ――本を読んで感じましたが、河野さんの取材の基本スタイルは対象と距離をつめながら緊密に取材するというものなのでしょうか。

 人物ドキュメントの場合はそうですが、ある程度、距離を保つようにはしています。たとえば「栗城クン」とは呼びかけたりはしない。彼は親し気にクンと呼ばれるのを好むタイプですが、僕はずっと「栗城さん」でした。

 ――なるほど。逆に「クン」と呼びかけたほうが、懐に踏み入れそうなイメージがありますが。

 人にもよると思うんです。これは僕の性格にもよるのかもしれないですね。彼は20歳くらい下でしたが、「単独無酸素で世界七大陸を登頂を目指している、すごい人だ」と思って取材していたというのもあったからかもしれませんね。

 ――最後に、副題にある「エベレスト劇場」の真意をうかがっていいですか。

 最初に考えていたタイトルが「エベレスト劇場」だったんですね。彼はエベレストという舞台を展開した演出家であり、役者でもある。エベレストを劇場にした男というのが彼を最も言い表していると思ったもので、その言葉は入れたいと思っていました。彼も、自分の登山は「作品」だ、自己表現だということは繰り返し口にしていましたから。

 栗城さんは、多くの人に夢を持ち続けることの大切さを力説して死んでしまったけれども、人間は夢破れたところから新しい自分を発見したり、新しい生き方を模索できたり、夢は破れることのほうに意味がある。私はそう思うほうで。これはネットに書かれていた栗城評ですが「栗城さんは売れないロック歌手のようだ」って。うまいこというなぁと思ったんだけど、夢敗れたところから一歩を踏み出す。テレビ屋としては、そういう栗城さんを撮りたかったですね。

 (文中一部敬称略)

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最終更新:1/17(日) 13:13

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