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「技術革新を“翻訳”で促す」東工大の意外な研究

1/16 17:01 配信

東洋経済オンライン

サイエンスとアート。両極に位置していそうな、この2つが出合うと何が起きるのか。境界線を越えて新たな知は生まれるのか。双方をつなぎ、議論を促進する触媒になりうるのが「翻訳学」だ。東京工業大学環境・社会理工学院教授の野原佳代子氏(翻訳学、サイエンス&アート)は、そうした手法で新たな知を創出する最前線にいる。目指すはイノベーションが生まれる過程のモデル化。「ニッポンのすごい研究者」の第6回は「サイエンス×アート」の可能性に触れる。

■言語を訳すだけが翻訳ではない

 ――「翻訳」という言葉は文字通り、一般的には「本や文章を翻訳する」というイメージで使われます。それを学問の名前としている翻訳学とは、どんな研究なのでしょうか。

 英語にすると、「トランスレーション・スタディーズ」ですね。欧米など多言語が共存する地域を中心に発達しました。日本では学問としては始まってまだ日が浅いです。

 大きく分けると、翻訳には「言語間」「言語内」「記号間」という3つのがあると言われています。「言語間」はいわゆる普通の翻訳です。例えば、英語から日本語で”Hello”を「こんにちは」にする。

 「言語内」というのは、「こんにちは」の場合、コンビニの店員さんだったら「いらっしゃいませ」となり、客は返事をしない。つまり同じ言語、この場合は日本語の中でいろいろ解釈されていくのが言語内翻訳です。

 言語を越える「記号間」もあります。非常口は英語で”EXIT”ですが、それをピクトグラムにして表すことがたくさんある。“非常口”や”EXIT”と表記していない場合でも、意味がわかりますよね?  こういう関係を「記号間翻訳」と言います。この3つで大概のコミュニケーションはカバーできる。非常に守備範囲の広い学問なんです。

 ――そもそも、なぜ、翻訳を研究対象に? 

 最初は言語学、特に日本語学をやっていました。英国に留学して博士号を取ろうと思ったときに、テーマですごく迷った。先生や友だちとの間で誤解があったり、論点がずれていたりすることもたびたびあって……。

 留学中ということもあり、言語の持つ危うさといつも隣り合わせだったんですね。「なんで自分が思っていることが伝わらないのか」「どうして言ったことが一人歩きしていくんだ」とか。

 そういう生のディスコミュニケーションにゴツンゴツンぶつかる状態にいたときに、翻訳学というコンセプトに出合ったわけです。ガツンとくるものがあった。ぐらぐらしながら生きている自分そのものを研究対象にするような学問分野があるんだ、と。「これだ!」って思いましたね。

■翻訳すると実体のないものがバレる

 ――務め先を得た東京工業大学では、どんな発見があったのでしょうか。

 東工大は、理工系の研究室が圧倒的に多いので、最先端の科学技術系のコンテンツにたくさん出合うようになり、そのコンテンツを社会、つまり専門外の人々と共有していくにはどう翻訳すればいいか、という問いが生じました。気づいたのは、何かを英語にするにしても、一般の人にわかるように言い換えるにしても、「中身がないと崩れる」ということです。

 たいした実体もない内容は、翻訳していくとバレちゃう。「言い換える」という作業は、本当に意味があるかを確認する最高の方法だと思います。

 世界文学と言われる文学作品がずっと残ってきたのは、「翻訳に耐えられたからだ」といわれます。翻訳されることで意味の再発見、再構築もたくさんある。翻訳で崩れてゼロに、場合によっては倍になっていく。それが面白いところだと思います。

 ――東工大では、サイエンスコミュニケーションにも取り組んでいるわけですね。翻訳学の立場から見ると、それはどんな性質のものでしょうか。

 サイエンスコミュニケーションは当初、「欠如モデル」がベースにありました。情報を持っている科学者側が知らない人たちに知識を与えましょう、という啓蒙活動です。

 クローンであったり、遺伝子組み換え食品だったり、人々がモヤモヤした感情を持つコンテンツってあるじゃないですか。科学者側からすると、そうした人々の反感や恐怖は、知識の欠如で生まれていると思えたわけです。だからまずは正しいことを教えよう、と。

 でも、いくら教えても反感は消えない。それは英国の調査データでも出ています。「不安」は、どうも知識とは違うところから生まれる。そこで、「やっぱり必要なのは、理解を掘り起こす対話ですね」「双方向の関与が必要ですね」と、だんだんモデルが変わってきた。

 例えば、サイエンスカフェのようなコミュニケーションの場を通して互いが関わるモデルです。「科学者も情報を提供するし、皆さんもどんどん意見を」となった。一般人の声を取り入れて研究テーマを調整するという試みもあります。

 ――サイエンスコミュニケーションの重要性は、コロナ禍や福島原発事故で再認識されています。

 コロナ禍はグローバル危機ですから、国内外から毎日さまざまな情報が入ってくる。そんな中、感染症分野のスペシャリストたちは、YouTubeやTwitterなどいろいろな方法で社会へ直接情報を出してくれました。

 「8割おじさん」として知られる西浦博先生(京都大学大学院医学研究科教授)の論も、非常に説得力があると受け止められました。外国の感染者数から試算して何も対策をしなければ約42万人が被害に遭う、という論などがそれです。

■SNSのパワーはすさまじい

 ウイルスのような、サイエンスの新しい問題についての情報やその時々の結論については、全員の見方が一致することはありません。必ず異なるものがある。それが今回は何人かの論にスポットライトが当たり、社会への強いメッセージとなったわけです。

 それにしてもSNSのパワーはすさまじい。誰も精査できない情報が瞬時にどんどん拡散していくわけですよね。こういう異常、あえて異常と言いますが、パンデミックのような生死を分ける緊迫の状況下で、メディアプラットフォーム上で機能するイマージェンシーモデルは、これまでのサイエンスコミュニケーションの中では確立されてきませんでした。

 私たちが研究してきたサイエンスコミュニケーションのモデルや方法論は、実は往々にして平時用のものだったということです。

 福島原発事故のときと同じです。人々が今ほしいのは、科学ではなく、「どうすれば安全なのか」という自分ごとの情報です。裏打ちとなる科学情報がまだ合意のないものであっても、科学と名のつくものがあれば人は安心する。そういうサイエンスコミュニケーションの実情が、コロナ禍では見え隠れしました。

 ――野原さんは、東工大に設けられた「Tokyo Tech World Research Hub Initiative(WRHI)」のサテライトラボ「STADHI(Science & Technology + Art & Design Hybrid Innovation)」においてディレクターを務めています。そこでは、サイエンスに加えてアートにもアプローチされている、と。これはどういう研究ですか。

 サイエンスとアートをコミュニケーションで、つまり翻訳で融合させようという試みです。

 サイエンスとアートって、文化的に両極だと思われていますよね?  サイエンスは理論的で実証的。グレーゾーンを消していくものです。逆にアート思考は人のグレーな部分、ノイズのようなものを拾っていく。

■科学をアート思考で問い直す

 どちらもものごとを追求する方法論ですが、アートはできあがった “当たり前”に対して「それでいいんですか」「そのやり方で本当に納得していますか」と再発見を促していく面がある。

 その「問い直しとしてのアート思考」というところに目をつけました。科学の翻訳の1つとして、アート思考で問い直そうと考えたわけです。英国のロンドン芸術大学のセントラル・セント・マーティンズ(同芸術大学のカレッジの1つ)と組んで、科学的コンテンツをアーティストさんと読み換える取り組みを始めました。

 2018年は「10年後の東京、ひとは何を着ているか」というお題をエンジニアとアーティストに提示し、双方が一緒に議論する場を設けました。例えば、エンジニア側からは「服にはいろんなプロジェクションができるようになり、もはや布そのものを物理的にデザインする必要はない」などの情報が出てきます。

 すると、アーティスト側からは「それは人にとって何か意味があるんですか」「白いTシャツを着て、そこにデジタル投影されたものをみんなで見つめ合うことは進化ですか」という問いが投げかけられるんです。

 私たち翻訳研究者が担った役割は、まったく異なる分野から来た人たちの議論をつないで機能させることでした。英語と日本語をつなぐような言語的なこともそうですし、話をかみ砕いて伝える、文脈を足すということもそうです。

 同時に参加者が議論した内容のデータを取りました。科学者とアーティストを交ぜると、どういう新しい議論、行動が起きるか。それを調査しようとしています。ハイブリッドイノベーションプロセスの言語行動分析です。科学技術とアートの融合を促進するプロセスを概念モデル化して、超学際的研究や教育、人材育成に応用できるようにする。その研究に取り組んでいます。

■「本当にその訳文でよいのか」批判の目を忘れない

 ――野原さんが注目する「アート思考」。何が期待できそうでしょうか。

 翻訳学で1964年ごろからずっと使われている図があります。原文が訳文として再表出する、翻訳の流れを示した概念図です。原文は、まず意味がデコード(解釈)されます。次に、そのデコードされた意味が転移し(意味のシフト)、そこから訳文が出てきます(再表出)。つまり、翻訳の過程では意味や情報のシフトが起こると言われています。

 ここでいう「再表出」には、方向性がいろいろある。このたびの新型コロナウイルスの問題でいえば、政治側が前述の「8割おじさん」の情報を原文として翻訳をかけたときに、最初に出した答えが自粛。それが時が経つにつれてだんだん変わり、自粛とは真逆に人の肩を押す「Go Toトラベル」にまで変化している。

 シフトの幅が大きくて、たいした翻訳もあったもんだと思うのですが、現実ってそういうことですよね?  徹底して感染を避け続けてみんなが自粛し、挙げ句、倒産・廃業し、自殺者が増えたら困る。だから、誰かが翻訳にマネジメントをかけて、そういった訳文を出していくわけです。

 翻訳研究者はそれを批判するのではなく、客観的に記述していく立場です。でも「原文はいったい何だったのか」ということには、批判の目を忘れてはならない。「本当にその訳文でいいんですか」という批判です。ここに批判的な目を入れる1つの仕掛けとして、アート思考があるんじゃないかと私は思っています。

 取材:益田美樹=フロントラインプレス(FrontlinePress)所属

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最終更新:1/16(土) 17:01

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