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「幻のジブリキャラクター」を生み出した、鈴木敏夫さんと文春の縁

1/13 6:01 配信

ダイヤモンド・オンライン

 文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。なぜ文春にジブリ文庫があるのか。ジブリと文春のつながり、幻のジブリキャラクターについて語ります。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)

● 鈴木敏夫さんとの縁で始まった 「ジブリ文庫」の舞台裏

 女子大で授業をするようになって、スタジオジブリの偉大さに改めて感じ入っています。

 元『週刊文春』編集長とか、元月刊『文芸春秋』編集長とか、芥川賞の司会をしたとか、そんな経歴には訝しげな眼差ししか浴びせない学生たちに、「先生の名前は、スタジオジブリの『風立ちぬ』のエンドロールに出ています」といった途端、教室中からキャーという嬌声が沸き上がるのです。

 授業が終わると(ジブリの話は、それだけなのに)、ジブリの質問に学生たちが群がります。考えてみると、ジブリの鈴木敏夫さんには昔からお世話になりっぱなしです。知人の紹介で鈴木さんと少人数で食事をしたあと、ふと思いついてお手紙を書いたことがあります。

 「スタジオジブリのジブリ出版は、どんな単行本も文庫にしていません。文春文庫は万年3位。ジブリ本をどんどん文庫にして、1位の新潮文庫を抜き去りたい」

 まあ、そんな趣旨の厚かましいお願いです。

 すると、あっという間にジブリの単行本が大量に編集部に送られてきました。私の場合、たいていが思いつきです。私は当時、社では雑誌担当で文庫の担当ではありませんでした。

 ただ、雑誌中心の文春という会社を、書籍も強い文春にしたい。それには「文庫の強化が何よりだ」と主張していた当時の平尾隆弘社長の考えを、実行するいいチャンスだと思ったのです。私の経験則では、文春の本が売れるのは、地方のショッピングモールにある本屋さん。そこには必ず映画館が入っています。

 なぜ、そこなら売れるのか。家族で本屋や映画館に通う人たちが多いから。ならば、ジブリと文春は距離が近いはず。ジブリ本の文庫化は、ジブリのファンを文春文庫に運ぶ導線になるのでは、という妄想からでした。

 送られてきた大量のジブリ本を社長に見せたら、すぐにやろうということになりました。そこから話はとんとん拍子……という風にはなりません。文春側は、「現場と関係ないところで、雑誌の木俣と役員が押しつけた仕事」という雰囲気。絶対面白いと思ってくれている若手はいますが、思い描いたほど社内は沸いてはいません。

● 突然、「やめたい」との電話 紆余曲折を経て話がまとまる

 そんなとき、鈴木さんから電話がありました。

 「このお話、やはりやめたいと思います。明日、文春にお断りに行きます。その前に、間に入った木俣さんには、一応挨拶をと思って」

 「いや、ちょっと待ってください、とにかく今から会ってください」とアポイントをとり、社長にすぐに連絡すると、「絶対やりたい」の一言です。

 とりあえず、私1人で鈴木さんの個人事務所にうかがいました。お話を聞いていると、何となくジブリ側が不快に思っておられる理由がわかりました。

 文春の出版幹部はたいてい文芸畑出身。「なんだ、アニメかよ」みたいな空気がまだあったのです。私は社内にそんな空気があると知りつつ、「私なんかは、芥川賞の選考委員に宮崎駿さんがなっていただければ、文学賞自体が見直されると思っています」と、以前の連載でも紹介したセリフなどをいいながら、ぜひ仕事をさせてくださいと言い募りました。

 雨降って地固まるではないですが、その後ジブリの文庫化は、ジブリの単行本をそのまま文庫にするのではなく、一度解体して、「文春ジブリ文庫シリーズ」という著名人による1つひとつの作品紹介のようなシリーズとして結実しました。その間、『風立ちぬ』の制作は進み、宣伝の一翼を文春ジブリ文庫の創刊が担うことになりました。文春の全雑誌で、『風立ちぬ』の宣伝をしようと全雑誌の編集長を引率して、鈴木さんの事務所にうかがったのも愉しい想い出です。

● 今も研究室に眠る 「幻のジブリキャラ」

 その後も、鈴木さんにお世話になることは続きます。

 社員の息子さんが1人、引きこもり状態になっていました。その息子さんはアニメファンで、「一度、ジブリを見学したい」と相談がありました。鈴木さんに相談すると、二つ返事で引き受けてくださいました。聞くと、一日鈴木さんの車に同乗させていただき、仕事ぶりを見せていただいた上に、何日もスタジオで見学させてもらったそうです。

 極めつけの迷惑が、文春文庫のキャラクター商品としてジブリの縫いぐるみを使用できないかというお願いをしたときのことです。

 ライバルの新潮文庫(先方は万年3位の文春をライバルなんて思っていないでしょうが)は、「yonda パンダ」という人気キャラクターを費用がかかるという理由でやめたばかり。営業担当役員でもあった私には、つけ入る隙ができたと思ったのです。

 そして、鈴木さんの行動はやはり早かった。2日もたたないうちに、イラストが何種類も送られてきました。

 「鈴木さん、まだ私のアイデアで、社内の説得も何もしていません」

 「いいですよ。試作品くらいまでは、私の一存でつくりますから、送ったイラストの中でどれがいいか、指示してください」

 社内のジブリファンやママさん社員にアンケートして、何種類かを選びメールすると、またすぐにサンプルが送られてきました。社内中に「かわいい」という声が溢れているのですが、老大国となった文春には、経費をかけて勝負をかける度胸のある人が少なくなっていました。

 私が社を辞めるまでに実現しないまま、この世界で唯一無二のジブリキャラクターは、私の研究室で眠っています。鈴木さん、いや世界のジブリファンの皆様、ごめんなさい。

● 宮崎駿、高畑勲……天才たちを 支えた鈴木敏夫の懐の深さ

 最近かけた迷惑は、大学に勤めてから、鈴木さんの個人事務所に押しかけたことでした。

 岐阜女子大学は、デジタルアーカイブという専攻学科を日本で最初に立ち上げた大学です。

 世界遺産に等しいジブリ作品は高嶺の花でも、企画書や宣伝パンフといった貴重な資料をデジタルアーカイブ化させてもらえないかというお願いで立ち寄りました。

 いや、さすがにジブリです。デジタルアーカイブの必要性は認めつつ、宮崎駿さんの紙好きもあって、実験的なことはそれこそ資料などではやっていても、将来を考えて踏み切っていないということでした。

 たとえば、「今の日本では売れる価値があるものがアニメになっている。突然、国宝化を指定されたら、指定された側は拒否できない。国が勝手に持って行きやすい形にしていいのだろうか」などなど、いろいろな議論を聞いてスゴスゴ帰りました。私ごときが素人の薀蓄で説得できる組織では、当然ながらないのです。

 それにしても、今も無理ばかりいう木俣になぜ、こんなに時間をいただけるのだろうかと思います。私ごときに見せるこの懐の深さが、宮崎駿、高畑勲という天才監督に好きなように作品をつくらせた手腕の源泉なのでしょう。

 そういえば、スタジオジブリの発行する雑誌『熱風(ジブリ)』に元中日ドラゴンズの落合博満監督の連載が掲載されていました。ドラゴンズファンの鈴木さんが、趣味も兼ねて質問し続けたんだろうなあという、面白い連載でした。

 読みながら、ふと思いました。落合選手といえば、神主打法。ボールをギリギリまで引きつけて、広角に長打を放ちます。そう、鈴木さんの懐の深さも、ボールをギリギリまで引きつけられる「神主経営術」なのかもしれません。

ダイヤモンド・オンライン

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最終更新:1/13(水) 13:35

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