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高齢期の患者負担は1割、2割、それとも?

11/25 7:21 配信

東洋経済オンライン

 後期高齢者の自己負担率をめぐって世の中賑やかである。

 現役の負担を軽くするために後期高齢者の自己負担率を上げろとする主張もあれば、年を取るほど医療費が高くなるので高齢者の自己負担率を上げると医療が受けられなくなるという主張もある。だが、どちらも医療制度を理解していない。それにそもそも医療費を制御するのに自己負担率操作は有効な手段ではない。上げてもワンショットでしか医療費は減らず、すぐに戻るのである。

■思惑が入り乱れて、国民は置いてけぼり

 医療の自己負担率で低所得者対策をやろうとしていること、それを年齢区分で行っていることは歴史的な遺制にすぎない。公的年金をはじめとした高齢期の所得保障が未成熟だった時代には、年齢は、彼らの生活を保障するために一定の意味はあった。高齢者の低い自己負担率然り、公的年金等控除然り。あらゆる制度に協力してもらいながら高齢者に所得を残して貧困に陥るのを防いでおく必要があった。しかし今は違う。労働市場もかつてとは変わってきた。

 国民には一体何が議論の本質かも伝わらないまま、それぞれの立場を代表するプレイヤーがそれぞれの主張を展開し、そこに政治を巻き込んでのパワーゲームで落とし所を探る動きが本格化しようとしている。そうしたやり方では、将来のあるべき姿も含めて、国民はどのような在り方が理想なのかわからず、選択のしようもない。

 進むべき方向はシンプルだ。自己負担率は年齢区分なく一定に揃える、所得区分も労多く益少なく弊害のほうが大きいために撤廃する。他方で、所得が低ければ大変であるのは年齢に関係なく同じで、特に、低所得者は自己負担率の影響を敏感に受ける。ゆえに、低所得者には負担が軽くなるように、低所得者を見極める方法も視野に入れて徹底的に議論する。

 そうしてシンプルな制度にしていけば、世代間対立を煽りたがる者たちから医療保険を守ることができ、さらには所得が高い層による批判から皆保険を守ることもできるようになっていく。今の議論の方向性では、いたずらに議論が複雑になり、国民は混乱に陥って、医療制度への不信感が高まるだけだ。

 先月だったか、ある集まりに参加したとき、盛り上がっている後期高齢者自己負担1割から2割についてどう思うかと問われて、次のような雑談をしている。

■始まりは1973年の老人医療費無料化

随分と前に、『エンカルタ』という百科事典の老人保健制度を書いていたのですけど、そこに高齢者の自己負担率の推移をつけていました。それから、おもしろい教訓を得ることができるからです。
この国の医療は、フリーアクセス、民間の医療機関、出来高払いという特徴を持つのですが、その特徴のもとで、1973年に老人医療費無料化というのをやってしまいました。あの時は、横浜市の飛鳥田市長や、東京都の美濃部知事をはじめとした革新自治体が出てきて、どんどんと老人医療の負担率引き下げや無料化が進められ、72年には未実施の都道府県は2県のみという状況の中で、自民党は導入しています。だから自民党を責めることもできない。

老人医療費無料化は、当時の状況を考えると高齢者の生活を守る一定の意味はあったのですが、すぐに医療面でその弊害が目に見えて現れ始めます。患者の自己負担がないため、医療側はニーズをあまり考慮しなくても量を増やしていくことができた。そうすると需要は増えます。それが医療です。こうして、提供体制と医療のかかり方が歪んでいった。
こうした状況を改善するために、無料化をなんとかしなければということになるのですが、無料化に合わせてできた日本の医療が、医療者にも患者にも慣れ親しんでいたために、自己負担を導入するのは政治的には至難の業です。

結局、定額負担を導入するのに10年かかった。といっても、1983年の老人保健制度で導入された定額負担はわずかな額にすぎなかった。この定額負担を引き上げるのに、さらに14年かかっている。それから、定率1割負担に切り替えるのにさらに4年。
要約すれば、老人医療費無料化という歴史的失策から、定額導入に10年、定率導入に28年を要している。
そしてあろうことか、定率負担の導入の後に、「現役並み所得者」を2割にするなどということをやっている。これは社会保険政策としては愚策もいいところ。

社会保険は「負担は能力に応じて給付は必要(ニーズ)に応じて」が原則で、高齢者の中での所得が高いからといって負担率を上げるなどは、愚の骨頂。
高所得者はしっかりと保険料や税を応能で負担しているのに、生活リスクに直面して支えられる側になったら再び普通の人より多く負担しろという。踏んだり蹴ったりでは、国民の統合を図るための統治システムとしての社会保険としては二流三流です。そんなこと続けていたら、彼らから、民営化だ混合診療だとでてくるようになる。社会保障の研究者は、所得に応じて患者負担率が変わることをとても嫌います。

だいたい、公的な医療保険で中核的役割を果たしているのは高額療養費制度です。100万円の医療費がかかっても9万円くらいしか負担する必要がない、という話がないままの自己負担率の議論は意味がない。
こうした一連の動きから得られる歴史的教訓は、一端愚かな政策をやるとその後を生きる政治家や官僚はかわいそうだということです。みなさんのご苦労も、1973年施行時の角栄さん、法律の成立は佐藤政権の最後の国会ですけど、あの頃の後始末が、まだいまも続いているという話ですね。お疲れ様です。

(この後日、高額療養費制度と「応能負担原則とニーズ給付原則」の重要性を説明するために送った連絡はこちら)

 次をみてもらいたい。

 人が高齢期に使う医療費は、この図の橙色のグラフに見るように極めて大きくなる。しかし、青色の窓口負担は55歳を超えるとさほどの差はない(グラフにカーソルを合わせるとデータラベルを見ることができる)。

 高額療養費制度の存在を前提とすると、自己負担の議論は違った景色になってくる。

 これは、後期高齢者の自己負担の推計分布状況である。加入者1人当たり平均(年間)自己負担額は8.1万円である。ここで仮に2割負担とした場合、年3.4万円増の11.5万円となる。自己負担率が1割から2割になると負担が2倍になるのは、自己負担額が低い人たちであり、大きなリスクを抱えた医療費が高くなる重病の人たちは2倍にはならない。

 先に「医療保障制度の中核的役割を果たしている」と評した高額療養費制度があるからである。

■高齢期の自己負担率の最終的な姿

 ここからは、高額療養費制度の存在を前提としたうえで考えてみよう。

 年齢で自己負担率が変わることに、どんな意味があるのだろうか。次は、年齢階級別平均収入である。たしかに、75歳以上は、ピークの50-54歳層よりも、収入というフローは劣る。

 しかし今の高齢者は、「貯蓄現在高」から「負債現在高」を差し引いたネットのストックは現役と比べて圧倒的に多い。しかも相当数の人たちに、安定収入としての公的年金がある。

 人が高齢期を迎えれば、ストックをフロー化していくのは自然な姿であるし、そのことを視野に入れることは、自然なライフプランであろう。フローとストックの双方を勘案すれば、年齢で区分された現役期と高齢期、いずれのほうが高い支払い能力なのかは判別できない。

 では、年齢は、窓口負担額の多寡の代理指標になりうるのか? 

 最初の図でみたように、55歳以上の人たちの窓口負担額はさほど変わらない。しかも高額療養費制度があるために、自己負担率を1割から2割にしてもさほど変わらない。特に、自己負担額が高額療養費制度の上限に近い重病の人たちほどほとんど変わらない。

 自己負担率に年齢区分を設ける理由を考えるのは難しく、最終的には一定にするのが理想的な姿であろう。

■自己負担率と関係する数々の制度要因

 ちなみに、世界を見渡せば、ゲートキーパー機能が強く、医療を利用するのにハードルが高い国では、自己負担率は低いし、日本のように、フリーアクセスの度合いが高いところは高い。また、病院が公営で、医療関係者が公務員であるところは、患者負担は低くすむし、そうでないところは患者負担が高くなる。さらには、医療機関への支払いが定額であるところは自己負担が低いし、出来高払いである場合は高くなる。いずれも極めて常識的な傾向を示している。

 こう考えると、日本のように、フリーアクセス、民間の医療機関、出来高払いという制度特性を持ち、加えて財政には余裕はないというこの国では、将来的には3割に揃えるということになるのではないだろうか。ゆえに、今の2割論議は、3割への通過点なのだろうと観察している。

 もっとも、以前、私は日本医療の制度要因を変え、かつ医療を消費税の課税対象にするタイミングで、自己負担率は2割に揃えることも考えていた。だが、なかなかその道は難しい。しかし完全に諦める方向でもない。

「日本の医療は高齢者向きでないという事実」(2018年4月21日)でも紹介したが、65歳以上の人口は25%の人口で、介護給付費の98%、総医療費の6割ほどを使っている。

「公的年金の根本原則を知っていますか」(2020年11月13日)にも書いているように、高齢期に必要となる消費のために、若いときから負担することによって、生涯の支出を平準化していることを、消費の平準化(consumption smoothing)という。

 年金が典型的な例であるが、医療・介護保険も同じ役割を果たしており、現役期に負担することによって高齢期の負担を減らすことができているわけである(介護は40歳以上だから制度的には未完成)。

 だから、高齢期の自己負担問題を、現役vs高齢者という、あたかも2種類の人たちがいるかのように対立の構図でみることは問題の本質を見誤ることになる。そうした対立の構図で議論をして得をするのは、現役期の労働者としか接点をもたない経済界のみであろう。いま現役期の人たちはいずれ高齢期を迎えるのである。

 だが、人の生涯における現役期の医療費負担が高くなりすぎることは、消費の平準化策としては役に立たず、現役期と高齢期の負担のバランスを考えることは重要になる。その観点から見ても、自己負担率を年齢と関係なく統一しておくことに無理はない。

 さらにこの新型コロナウイルスの状況の下、働いている世代は、賃金が下がっても仕事を失っても3割の自己負担のままである。もちろん以前から、いわゆる「現役並み所得」以下の現役も揃って3割負担である。こういう時期だからこそ、安定した年金収入などを今も滞りなく得ている人たちが歩み寄ることは、社会の分断を避けるために必要であろう。

 自己負担の存在意義、そしてその水準を考える際に参考となる文章があるので、紹介しておく。

患者負担の趣旨「平成24年版厚生労働白書」より
日本では、国民皆保険制度により、全ての人が、必要なときに、必要な医療を受けることを保障している。また、患者がどの医療機関にも制限なく受診できる「フリーアクセス」、原則出来高払いなどの特徴を持っている。
このような状況下では、もし一部負担がなければ、不安に駆られた患者側は、安心を得るために医学的・客観的に必要な回数以上に受診(過剰受診)してしまう可能性がある。他方、医療サービス提供者側は、診療報酬が原則出来高払いのため、患者から求めがあれば、念のため診察して、結果的に過剰診療をしてしまう可能性がある。実際、1970年代に老人医療費の無料化が実施されたときは、高齢者が病院の待合室を憩いの場とする「病院のサロン化」や過剰診療が問題となり、保険財政も厳しい状態になった。

このような「モラルハザード」ともいえる事態を回避するための工夫の一つが、患者の一部負担の導入である。一部負担をしてもらうことで、患者側には、本当に必要なときに診察を受けようとするインセンティブが働き、医療サービス提供者側にも、本当に診療を必要と考えて受診しにきた患者を効率よく診療しようとするインセンティブが働く。
 「モラルハザード」などを使い、言葉は抽象的にまとめられているが、イメージされているのは、この国が辿った歴史的事実である。

■先人たちの後片付けに消耗させられる後輩たち

 まとめれば、人が生涯の中で医療を多く使うようになる高齢期の自己負担の在り方を考える際には、次のふたつの観点が必要となる。

(1)消費の平準化における現役期と高齢期のバランス問題
(2)医療提供体制の在り方と医療のかかり方の問題、いわばこの国の医療の質の問題
 これらの観点から考えていくと、自己負担率の影響を受けやすい低所得者への対策は別途しっかりと行いながら、皆保険下での自己負担率は一律に揃えるという制度設計の望ましさが浮かび上がってくることになる。もっとも、これも遺制と呼べる公的年金等控除があるために、低所得者の基準を設ける際に高齢期にある人たちが有利になる。そうした課題にも速やかに取りかからなければならない。

 先人が大失策をやってしまって、後輩たちがその後片付けを何年もかけてやるという話は、1973年の老人医療費無料化に限ったことではない。年金における高在老(65歳以降の高年齢者在職老齢年金)の話もそうである。そのあたりは後日まとめるとして今日のところは、それが善意からであれ、いずれ歪みをもたらす政策がいったんなされると、その後、後輩の政治家や官僚たちが大変な苦労をしなければならなくなるということを確認して終えておこうと思う。

東洋経済オンライン

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最終更新:12/7(月) 11:16

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