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菅原道真「怨霊から受験の神」に転身できた理由

11/24 16:01 配信

東洋経済オンライン

今では「受験・学問の神」として多くの学生たちに親しまれる菅原道真だが、それ以前は「怨霊」として多くの時の権力者たちから恐れられていた。いったいどういう経緯で、道真は怨霊から学問の神という大転身を果たしたのか?  歴史研究家の河合敦氏による新書『繰り返す日本史』より一部抜粋・再構成してお届けする。

 菅原道真と聞くと、学問の神・天神と即答する人がいるだろう。でも当初は、貴族たちを恐怖に陥れた「怨霊」だった。

 道真は、中級貴族の学者の家柄に生まれたが、宇多天皇に寵愛されて公卿にまで栄達した。宇多は、権勢を誇る藤原氏に対抗させるため道真を登用したとされ、息子の醍醐に譲位する際も「道真と藤原時平の助言を得て政治をしなさい」と訓じている。

 このため道真は右大臣に就任できたが、こうした出世が貴族たちの反発を呼び、チャンスと見たライバルの藤原時平は「道真があなたを廃して娘婿の斉世親王(醍醐の弟)を即位させようと企んでいる」と醍醐天皇に讒言したのである。

■有力者が次々に死ぬ「怨霊・道真の恐怖」

 この言葉を信じた醍醐は、九州の大宰府へ道真を左遷。2年後、無念の涙をのみながら道真は死去した。それから5年後の908(延喜8)年、藤原菅根が雷にあたって死んだ。菅根は道真の弟子だったのに、師の失脚に加担した人物だった。

 さらに翌年、道真を不幸に追いやったライバルの時平が、39歳の若さで急死した。この頃から洪水、長雨、干ばつ、伝染病など変異が毎年のように続くようになり、「道真が怨霊となり、祟りをなしているのではないか」と噂されるようになった。

 923(延喜23)年、醍醐天皇の皇太子の保明親王が21歳の若さで亡くなる。保明は、藤原時平の妹・穏子が産んだ子だった。わずか2歳で皇太子となったのだが、即位することなく死去したのだ。醍醐天皇もこれは道真の祟りではないかと考えるようになり、周囲の勧めもあったのだろう、道真の大宰府行き(左遷)を命じた勅書を破棄し、その地位を右大臣に戻したうえ正二位を追贈した。

 しかし新たに皇太子となった保明の子・慶頼王も、2年後に5歳で夭折する。慶頼の母の仁善子は時平の長女にあたった。醍醐天皇は落胆し懊悩したことだろう。

 930(延長8)年、御所の清涼殿に雷が落ち、大納言の藤原清貫と右中弁の平希世が亡くなった。これに衝撃を受けた醍醐天皇は体調を崩し、皇太子の寛明親王(保明の弟)に皇位を譲り、その年のうちに崩御した。

 この道真の祟りについても、十数年前から教科書にも載るようになった。例えば高校日本史の『新日本史B』(桐原書店、2005年)には、菅原道真の怨霊の話が「菅原道真と天満宮─貴族の御霊神」と題するコラムとして掲載されている。

 そこには、「時平一族の不幸が続くなど異変があいついでおこると、人々はそれを道真の霊魂のしわざだと信じた。なかでも宮中清涼殿に落雷して焼死者を出した事件は人々を恐怖させた」と記され、その場面を描写した『北野天神縁起絵巻』(京都北野天満宮)を載せ、キャプションに「廷臣4人が焼死。930(延長8)年の出来事。醍醐天皇の譲位・死去はこの衝撃によるという」と書かれている。

 近年は、中学校の歴史教科書にも、道真の祟りを載せるところが多い。例えば『社会科 中学生の歴史』(帝国書院)には、半ページを使って大きく『北野天神縁起絵巻』(北野天満宮蔵)を載せ、キャプションとして「藤原氏によって大宰府に追いやられた菅原道真は、903年、無念のうちに亡くなりました。当時の人々はその霊が雷神となって都に戻り、藤原氏のいる清涼殿に雷を落としたと信じました」と記載されている。

 さらに、道真の肖像を載せた「右大臣から学問の神様へ」というコラムを設け、「彼の死後、天変地異が続いたため、天神信仰発祥の地である北野天満宮にまつられ、今でも学問や芸能の神様として信仰されています」と記されているのだ。

■菅原道真が「学問神」になれた経緯

 なぜ怨霊化した道真が学問神になったのか、その経緯について解説しよう。

 942(天慶5)年、平安京の右京七条二坊十三町に住む多治比文子(たじひのあやこ)に、道真の霊が乗り移る。文子に憑依した道真は自分を祀るように強く求めたという。

 そこで朝廷は、平安京内の右近馬場の地に北野天満宮を創建することを容認する。ちょうどこの時期、平将門の乱や藤原純友の乱などが続発しており、都の貴族たちは不安にさいなまれていたからだと思う。

 北野天満宮は、学問の家柄である菅原一族が管理することになり、朝廷もこの神社を保護して勅祭の社にしたこともあり、繁栄するようになった。道真は生前、学問に優れていたことから、雷神という怨霊から詩文の神と意識されるようになり、鎌倉時代や室町時代になると、北野天満宮で歌合わせや連歌の会など文化的な行事が開催され、人々も学問や芸能の進展を願ってこの社に詣でるようになったのだ。

 ちなみに北野天満宮のほか、太宰府天満宮、大阪天満宮、亀戸天神、湯島天神、防府天満宮など道真を祀る神社は1万2000社になるという。

 人々は、雷神という祟る怨霊を神社に祀り上げることによって、学問神という福の神へと変化させたのである。

東洋経済オンライン

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最終更新:11/24(火) 16:01

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