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富士、さくら、はやぶさ…名列車「愛称」大百科

11/1 5:01 配信

東洋経済オンライン

 日本における列車愛称は、戦前の1929年に当時の鉄道省が東京―下関間を結ぶ特急列車にそれぞれ「富士(ふじ)」・「櫻(さくら)」という名を与えたことが始まりとされる。

 全国に広がったのは戦後で、国鉄が1949年に特急・急行に「へいわ」「銀河」、観光用準急に「いでゆ」といった愛称を復活させると、列車の愛称はたちまち全国的な広がりをみせた。首都圏と西日本を結ぶ「高千穂」「雲仙」や、東海道線の「東海」「伊豆」「いこま」「比叡」、北海道内の「大雪」「狩勝」、北陸線の「立山」「ゆのくに」など、地域を象徴する地名などを愛称とした急行列車が相次いで登場した。

 1968年10月のダイヤ改正では全国に特急列車が増発され、北海道から九州まで特急網が整備された。「おおぞら」「はつかり」「みどり」「月光」「明星」「金星」「ゆうづる」などさまざまな特急列車が登場し、愛称の付いた列車が全国を駆け巡るようになった。

■国鉄が避けていた「はやて」

 ただ、列車愛称名はやみくもにイメージで命名されるものでなく、国鉄時代は列車名と駅名に「人名」は付けない、という暗黙のルールがあった。このルールがなければ東海道新幹線に「Banboku」(岐阜羽島駅の誘致に力を発揮した大野伴睦)とか、上越新幹線に「Kakuei」(田中角栄)など、駅を誘致した政治家の名が付けられていたかもしれない。

 国鉄時代は人名のほか、悪いイメージにつながる名称も使わないことになっていた。例えば東北新幹線の「はやて」はスピードを象徴する名称だが、東北地方では昔流行った疫病の別名や農作物に冷害をもたらす季節風を「はやて」と呼ぶ地方もあった。国鉄はこの名を列車に付けることはタブー視していたようで、国鉄記者クラブ時代のレイルウェイ・ライター種村直樹さんや、かつて国鉄広報部に在籍していた作家の檀上完爾さん、国鉄OBからも何度か聞いたことがある。

 列車名で忘れてならない特急が「つばめ(燕)」である。1930年に東京―神戸間で運転を開始、同区間を当時としては極めて速い9時間で結んだところからスピード感を表す「燕」の愛称が付けられた。東海道本線の看板列車として君臨したつばめは国鉄の象徴となり、国鉄のプロ野球球団「国鉄スワローズ」(ヤクルトスワローズの前身)もつばめにちなんで命名された。つばめのマークは今もJRバスに受け継がれている。

 「つばめ」はJR化以後も暗黙の取り決めにより大切にされてきたが、JR九州が突如、博多―西鹿児島(現・鹿児島中央)間の在来線特急に「つばめ」と命名、九州新幹線開業後は新幹線の区間運転列車にも命名され、もっぱらJR九州が独占している状態だ。

■愛称入りマークが人気だったブルトレ

 1956年、東海道本線電化完成と同時に登場したのが東京―博多間を走る「あさかぜ」だ。1958年には20系客車の投入により、「あさかぜ」はブルートレイン第1号となった。以後往年の名特急「さくら」「富士」などもブルートレインに仲間入りし、昭和50年代には「ブルトレブーム」も到来。美しいヘッドマークを追って「撮り鉄」も誕生した。

 現在、新幹線で最速を誇るのは、東北・北海道新幹線を最高時速320kmで走る「はやぶさ」だが、この列車名はかつて東京―熊本間を結んでいたブルートレイン「はやぶさ」の名を受け継いだものであることはご承知のとおりである。

 1964年10月に東海道新幹線が開業すると、「ひかり」「こだま」が東京―新大阪間を最高時速210kmで結んだ。「ひかり」は光の速さ=最高のスピードをイメージした命名だが、実はそれ以前、キハ55形ディーゼルカーによる九州内のローカル準急にも命名されていた愛称だ。

 「こだま」は光速に次いで速い音速のイメージだが、こちらは1958年に日本初の電車特急として登場した東京―神戸間の在来線特急「こだま」の名を引き継いだ。首都圏から大阪に日帰りで「行って戻ってくる」というイメージからの命名だった。

 現在の最速列車である「のぞみ」の命名にはこんなエピソードが残っている。命名に当たっては有識者会議の席上で「きぼう」がほぼ内定していたものの、選考委員として同席したエッセイストの阿川佐和子さんが、鉄道ファンでもあった父の作家阿川弘之さんにそのことを告げると「日本の列車名はすべて大和言葉で付けられてきた」とのアドバイスを受け、後日会議の席上で「きぼう」を大和言葉にすると「のぞみ」になりますね、と発言して「のぞみ」の名が誕生したというのだ。

■海外の愛称付き「名列車」

 海外にもさまざまな愛称の付いた列車がある。代表格はイギリスの「フライング・スコッツマン」だ。日本ではまだ江戸時代の1862年にロンドン―エディンバラ間を結んで走り始めた急行列車で、世界で最初に愛称名を冠した列車と言われる。スイスの観光列車、氷河急行(グレッシャー・エクスプレス、Glacier Express)も日本で広く知られている名前だろう。

 「オリエント急行」は豪華列車の代名詞として知られるが、列車名そのものは1883年から2009年までパリ―イスタンブール間で運転されていた国際列車の名称で、末期は一般の客車で運転されていた。いわゆる豪華列車として現在運行しているのは、1982年に往年の豪華車両によって運行を開始した観光列車「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE)」だ。1988年に来日したのはもうひとつの観光列車「ノスタルジック・オリエント急行(NOE)」だった。

 豪華列車では、南アフリカの首都プレトリアから第2の都市ケープタウンまでの1600kmを1泊2日で結ぶ「ブルートレイン」、オーストラリアの大陸横断列車で太平洋岸のシドニーからインド洋に面したパースまで3961kmを3泊4日(約67時間)で結ぶ「インディアン・パシフィック」も著名な列車だ。

 一方、かつては名声を誇ったものの消えた列車名もある。ドイツを代表する国際列車だった「ラインゴルト」はリヒャルト・ワーグナーの楽劇「ラインの黄金」からの命名。1929年から1996年までパリ―アムステルダム間で運行されていたフランスの国際列車「エトワール・デュ・ノール」も忘れられない名前だ。「北極星」という意味で、のちにJRの「北斗星」の命名にも影響を与えたという。愛称名の興味は尽きないところだ。

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最終更新:11/1(日) 5:01

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