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米大統領選、なぜ「高齢者候補」が好まれるのか

10/29 5:21 配信

東洋経済オンライン

世界が注目するアメリカ大統領選が間近に迫っている。「4年に1度の内戦」とも称されるこの一大イベントは、アメリカの政治・思想・社会を映す鏡だと言われる。
アメリカにおける大統領選はいかなる意味を持つのか。大統領とはいかなる存在なのか。アメリカ政治思想史を専門とする気鋭の学者、帝京大学・石川敬史氏に話を聞いた。
最終回となる第4回は、アメリカ大統領に求められている資質とは何かを考える。

■アメリカ大統領選は「4年に1度の内戦」

 佐々木一寿(以下、佐々木):いよいよ大統領選が目前に迫ってきました。

 石川敬史(以下、石川):アメリカは建国以来、もともと非常に多元的な国です。と同時に、実はジャクソン(第7代大統領、1829年)以降のアメリカでは、連邦政府の力を使っていかに地方に予算を引っ張れるかが政治家にとってとても重要だ、というのがわかってきました。アメリカの内政史の多くは開拓の歴史ですから、西部の政治家、フロンティアの政治家の手腕とは中央政府から予算を奪い取る力でもあるのです。事実、西部開拓に投入された連邦予算は膨大なものでした。

 つまり、アメリカは多元的なのですが、連邦政府の権威に対しての合意形成は長い目で見ると着々と進んでいて、それが革新主義とニューディール・リベラリズムを経てしっかり固まりました。ですから、分裂、分裂とよく言われますが、それは国家として違う国に分かれましょうという衝動ではなく、あくまでも大統領=キングの選出を目指して争う「対抗戦的な分裂」なのです。

 逆説的なのですが、アメリカはあまりにも多元性が強力であるため、政治はつねに統一を主張するようになるのです。端的にアメリカはすべての選挙が小選挙区制です。複数政党制は、過剰に多元的なアメリカには忌まわしいほどに不吉なのです。それゆえ彼らに小選挙区制以外の選択肢はなく、それが分極という構造を形成してしまいます。

 アメリカは、建国以来(南北戦争を頂点にして)ずっと、連邦政府の主導権をめぐる「内戦状態」にあるわけです。そして、大統領選挙というのは「内戦を流血なしに行うシステムであり、4年に1回必ず行われる内戦」なのです。大統領選挙とは4年ないし8年のさまざまな不満に暫定的にケリをつける行事であり、アメリカのデモクラシーを本質的に弱らせるものではなく、むしろ、アメリカのデモクラシーと密接に関わっているものだと思います。

 佐々木:各州を結束させるために大統領選は必要なのですね。

 石川:参考意見として挙げておきたいのは、ジョン・カルフーンというアンティ・ベラム期(Antebellum、南北戦争以前)のサウスカロライナの政治家の意見です。彼は第6代大統領ジョン・クインジー・アダムズの副大統領になった人で、南部を代表する政治家ですが、「無効宣言」というものを主張するんですね。それは、「連邦政府で作られた法律であっても、州が拒否すれば適用されない」という議論で、その根拠は「合衆国憲法というのはもともと州が同意してできたものなのだから、州が同意しない連邦政府の法律は拒否して構わない」というのが骨子です。アメリカ合衆国憲法は諸州間の協定であるというのが彼の理解です。

 それからもう1つ、カルフーンは「競合的多数理論」という提案もしています。利益というのは唯一のナショナルな利益があるのではなくて、各地域の利益があるのであって、「それぞれの利益を共有する者どうしが集まって熟議をして、自分たちの結論を決め、連邦政府はそれぞれの利益代表が調整を行う場である」というわけです。彼によれば、それが真の民主主義だ、という主張です。つまり単純多数決は民主主義ではない、というんですね。これは今の熟議民主主義を彷彿とさせる先進的理論です。

 アメリカの歴史や憲法史を踏まえたときに「無効宣言」も「競合的多数理論」もある種、とても正しいわけです。ところが、どちらの意見も南北戦争でたたき潰されます。なぜかというと、リンカンが「ユニオンの維持」とよく言っていましたが、まさにそれこそが大統領の至上命題なのです。「無効宣言」なんて言われたら、ユニオンは崩れてしまう。それゆえ、リンカンは「ユニオンは連邦より古い」なんて言うんですね。アメリカという1つの国家は、連邦つまり“諸邦による連合”よりも古いんだと。ですが、これは明らかに嘘です(笑)。

 リンカンは、政治的な信条として確信犯的に歴史学的には正しくないことを言っています。リンカンは独立戦争よりもずっと後に生まれた人であり、彼にとってのアメリカはジョージ・ワシントンのアメリカであり、ジェファソンのアメリカであって、合衆国憲法が諸州間の協定に過ぎないものであるというカルフーンの主張は、リンカンにとっての政治的真実ではなかったのです。連邦をなんとか維持しようというアメリカ大統領の主な仕事を、フェデラリスツとリパブリカンズの対立を知っているカルフーンなどの古参らでなく、まったく新世代のリンカンが行ったのですね。

 史実を知っている古参たちの理屈を新参者の若手が潰して、むしろ建国の理念を実現してしまったということです。これはとてもアメリカらしいことですし、ある意味、アメリカが理念で成り立っている国だということに、通底するところだろうと思います。

 石川:ちなみに、知識人の中でトランプを支持している人たちのヒーローは、エイブラハム・リンカンだと言われています。ちょっと意外だと思うかもしれませんが、つまりユニオンへの姿勢ゆえなのでしょう。ユニオンのためにベテラン政治家の「無効宣言」的なものをたたき潰す、という歴史的使命が不思議なほどフェデラリスツと共通していたということですね。

 それから「政党再編」という言葉がかつてのアメリカ政治史の授業では説かれていました。例えばフェデラリスツとリパブリカンズの時代が「第1政党制」。それが終わり、リパブリカンズ1党体制になった時代が「第2政党制」。共和党ができたのが「第3政党制」といった言い方をします。

 おそらく近年の若手研究者は、あまり意味のない分類だとして簡単に言及するにとどめる傾向があるという印象を私は持っています。政治学における統計分析の手法に従えば、「政党再編」で分類してもとくに何かを語ることができるわけではないという判断だと思います。しかし私のような歴史的考察をする人間にとっては、まだ有効性のある分類方法なのです。

■2016年に「政党再編」があった⁉

 トランプが共和党予備選挙を勝ち抜き、本選挙でもヒラリー・クリントンを破って大統領に当選した際、多くの筋のいい理論家が一貫して予測を誤りました。あらゆる統計がトランプは共和党では主流派ではありえないというエビデンスを示していたからです。政党再編論はこの点、極めていい加減なところがありまして、要するにある大統領選挙で突然、政党支持傾向がドラスティックに変わることを「政党再編」といいます。これは歴史的に確認できるのです。

 もともと奴隷農園プランターの政党だった民主党の支持者がある大統領選挙でドラスティックに都市の貧困層になる。日本人の多くが認識すらしていないかもしれませんが、民主党も共和党も日本の政党組織における中央執行機関がないのです。やや極論になりますが、アメリカの政党とは、大統領選挙に向けて各地方、各地域のボランティア組織が集結していって最終的に2つに分かれる、というダイナミズムで進むもので、いわゆる政党公認という概念そのものがない。予備選挙で勝ってしまえば、それが共和党候補であり民主党候補だということです。

 2016年にドナルド・トランプが共和党の大統領候補になったことそれ自体を政党再編というふうにみることは可能だろうと思います。1970年代以降から、それまで民主党を支持していたインテリ層が共和党を支持するようになってきました。アメリカの新保守主義者が次第に1つの集団として形成されてきました。

 それとはまた別の水脈から宗教右派の政党支持が共和党に固定されてきました。その大きな流れの延長に何があったのかということです。まさかトランプがそこにいることになるとは、私も想像していませんでしたが、中東での挫折、金融危機、オバマ政権への失望という事例をつないでいくと、共和党もまた冷戦期に形成された共和党でい続けられるわけがなかったのです。

 1970年代から80年代の白人中間層の不安感は、保守レジームというかたちになり、いわゆるリベラルな主張は減退していきました。つまりそれ以降、なんらかの意味で「これがアメリカなんだ」と言えないと、大統領にはなれない流れとなっています。

 最近の例では、バーニー・サンダースのように社会主義者であると主張する人物が出てきてそれなりに大きな支持を得ています。おそらくこれは長期的な傾向となるでしょう。こうなると民主党もこれまでの民主党ではありえなくなります。

 あるいはトランプが今後の政党再編の引き金を引いたと見ることも可能でしょう。いずれにせよ、民主党にしろ、共和党にしろ、その性格は固定的なものではなく、多元的なアメリカの無数の水脈から微かな変容を続けており、それがある年の大統領選挙で突然、見知らぬ相貌を示すことはこれまでの歴史に確かに何度かあったのです。

 佐々木:「社会主義化するアメリカ」は、少し前まではまったく想像できないものでした。

 石川:いま出てきている社会主義的勢力は、かつて資本論を読んでいた世代のマルクス・レーニン主義者ではないはずで、いわゆるコミュニティー重視の政治という意味での社会の志向でしょう。強固に個人主義的なアメリカはもともと社会が希薄なんですが、まったくないというわけではありませんでした。

 それがここ20年のグローバル化の加速によって、壊滅的に失われたと考えられます。ですから、アメリカの文脈における「社会主義」とは、おそらく社会を取り戻すという文脈からでたものだと思われます。これも、ひょっとしたら、「植民地時代の原風景」という言い方で正当化され、受け入れられるかもしれません。

 いずれアメリカにおける「社会主義(socialism)」という言葉の意味内容が正確に分析されるようになると思われますが、それは先ほど申し上げたように「変な使われ方」あるいは「アメリカ的な意味」であろうと推測されます。これはアメリカ思想史を概観すると珍しいことではなくて、例えば、「保守とリベラル」というのもヨーロッパ政治思想史の文脈から見ればかなり変な使われ方で、これもアメリカで大きく意味もニュアンスも変わっています。

 今のトランプ政権および現在のアメリカの熾烈な格差を見ますと、ひょっとしたらソーシャリズム(社会主義)、コミュニズム(共産主義)が、今回の大統領選挙という「内戦」をきっかけに、アメリカの文脈でまったく違う意味で使われるようになる日が来るかもしれません。私が定年退職する頃には、若手研究者はアメリカ産のソーシャリズム(社会主義)、コミュニズム(共産主義)をスタンダードなものと考えるようになっているかもしれません。

 佐々木:政治史の観点から、アメリカ大統領選を見るポイントを挙げるとすれば、どのようなところでしょうか。

 石川:大統領選挙を歴史的に考察する際に、いくつか論点があると思います。1つが、やはり1828年の大統領選挙以降の大統領を、われわれが今日大統領選挙を考えるときに参照すべきだろうということです。

■大統領はキングであり、セルフ・メイド・マン

 初代大統領から第6代大統領までは、エスタブリッシュメントの巨人たちの時代でしたが、やはり特殊な人たちでした。1829年のジャクソンからは、ずっと民衆の大統領なんですね。ですから、「基本的に反エスタブリッシュメントではない大統領はいない」と考えるべきです。大統領はつねに反エスタブリッシュメントであり、鼻持ちならない連邦議会と官僚たちをたたき潰しにいく“キング”なのです。古来より、国王の敵は貴族であり、庶民は国王の友でした。換言すれば、貴族は国王と庶民の共通の敵なのです。格差社会とは何かといえば、貴族が統治する社会のことです。

 それから、ジャクソンとリンカンの共通点と相違点に注目しなければなりません。トランプ大統領が誕生したときに「反知性主義」という言葉がはやりました。そのときに、歴史的な類比として、アンドリュー・ジャクソンがよく引き合いに出されています。

 そして、教育を受けた形跡のない大統領としてジャクソンとリンカンはよく取り上げられるのですが、私の授業のなかで学生から「じゃあ、先生、リンカンってポピュリストだったんですか?」と質問され、衝撃を受けました。返答に窮したのです。2人はまったくタイプが違うんですね。リンカンというのはとにかく自学自習した人で、ジャクソンはどうやら読み書きすらおぼつかなかったようですし、リンカンは奴隷制度を廃した人でしたが、ジャクソンは大プランターでした。

 ただ、両者の共通点としては「セルフ・メイド・マン」、つまり、なんらかの制度あるいは血縁によらず地位を築いた人なのです。ジャクソンは明らかですね、リンカンもそうです。

 余談ですが、村上春樹が「僕は僕だけの力で僕になった」という言葉をかつて使ったことがあります。そんな彼に対して「お世話になった編集者の方もいただろうしそのようなことを言うのはよくない」と思う人もいたようなのですが、村上春樹はアメリカが大好きなんですよね。セルフ・メイド・マンという言葉を、彼は絶対に意識しているんだと思います。

 もちろん、村上春樹だって、誰かしらのお世話にはなっているんですけれども、彼の心意気としては、早稲田大学の世話にも文壇の世話にもなったつもりはなく、自分自身で切り開いてきたんだ、ということなんだろうと思います。セルフ・メイド・マンというのは、アメリカで1番人気のあるアメリカン・ドリームの姿なのです。

 大統領になろうと思ったら、セルフ・メイド・マンだと思われなければならないという「鋳型」を作ったという点でジャクソンとリンカンは共通しています。しかし、もちろん違いは大きく、ジャクソンは「俺たち」のジャクソンでしたが、リンカンは老練な政党政治家でした。そしてジャクソンは先住民を虐殺するように、建国期の政治文化を破壊しましたが、リンカンは、連邦軍を使って南部諸州の政治文化を破壊しました。ジャクソンは白人住民の現実によりそい、リンカンはユニオンの理念を原則としていました。今後のアメリカ大統領候補は大きくどちらの側に分類されるかを見ると面白いと思います。

 石川:さらに、これは重要なことなのですが、「強固な属性および特定のイシューでは大統領になれない」ということです。例えば黒人指導者のカリスマは、実はアメリカ史上たくさんいました。しかし大統領にはなれません。

 同様に、女性の権利を主張した人もたくさんいましたが、運動家止まりです。それから、信教の自由や、非常に世俗性を強調している人も、大統領にはなれません。逆に、宗教に熱心すぎても難しいのですね。ブッシュ(Jr)が「私はイエス・キリストをリスペクトしている」と言ったのは象徴的で、この距離感もアメリカならではのものです。ヨーロッパでは、キリストは絶対的な存在であって「リスペクトする/しない」の対象ではありえない。つまり、チェンジリーダーとしての大統領というのは、基本的にマージナル(周辺的)なところから出てくるのです。

■“色のついた”人物は勝てない

 佐々木:マージナル(周辺的)ですか。もう少し解説をお願いします。

 石川:マージナル(周辺的)というのは、つまり「明確な主張の中心から出てくるのではない」ということなんですね。例えばオバマは、黒人だから大統領になったのではないのです。「黒人性」をある時期からとことん消していました。政治経歴に非常に特殊な偏りがある、例えば「あの人といえば○○だよね」といわれる“色のついた”人物は、全国規模の選挙では勝つことが難しい。

 とくに小選挙区では勝てないので、リンカンですらも「奴隷制廃止」とは言わなかったのです。ずっと「ユニオンの維持」と言っていました。専門家が彼の書いたものを読んでいると、当初から奴隷制の廃止を考えているとわかるのですが、彼自身は明言しない。このように、非常にマージナルな存在だという演出をして出てくるのです。明確な主張や政治信条を打ち出す候補は予備選挙のどこかの段階で急減速するのです。

 これが、大統領選挙の予測を非常に難しくさせているところで、ヨーロッパの選挙であれば、「これは!」という人なんです。それゆえヨーロッパはある意味、柔軟で、例えばイギリスの保守党からサッチャーのように女性の首相が出たり、フランスのように強固な官僚制でエリート支配の国だと30代の若手の女性の大臣が出ます。

 アメリカで大統領になるには、概して60代になる必要があります。オバマや、クリントン、ケネディ、古くはセオドア・ローズヴェルトは若かったので平均年齢をぐっと引き下げていますが、名望家支配でもエリート支配でもない“本当の民主主義”の国で大統領になるためには極端に目立ってはいけなくて、長い政治経歴が必要で、多くの大統領候補者はそれ相応の年齢となります。また大統領としては、若者は信用できないのです。急に知的に衰えるかもしれないし、キャラクターが定まらない。その点、年配者は生命力は折り紙つきでキャラクターも急変しないので安心して甘えられるのです。

 アメリカのデモクラシーの文脈では、明瞭な特質を持っている人、明瞭な政治的主張の中心にいる人は大統領になりがたく、マージナルなところから票を積み上げていった人が大統領になりやすい、そのような基調がある、といえるでしょう。大統領はみんなの大統領でなければならないのです。ただしこの「みんな」が、小選挙区制度の場合、多くの「あいつら」を作り出すことになる。

 石川:そういった観点からすると、トランプにある種のマージナル性を見ることも可能だと思っています。日本が最も豊かだった1980年代、不動産屋というのは実業家といってもアメリカ・ローカルな仕事でしたし、ある時期からはビジネスマンとしては時代遅れで基本的にはテレビタレントとなっていました。そういう意味では、政治の世界で特定のイシューを持たない、マージナルな人だったといえるでしょう。

 トランプが大統領になったことは確かにびっくりだったけれども、アメリカの大統領選挙の歴史を考えれば不思議ではない、マージナル性という点でトランプは確かにマージナルだったといえます。

■トランプは使い勝手がよかった

 あとマージナル的な曖昧さの“都合のいい“ところは、政治的にアクティブなアメリカのさまざまな勢力にとって、とても使い勝手がいいということです。例えばキリスト教福音派がなぜトランプを支持するかといったら、彼がキリスト教徒として立派なわけではないことは皆が承知していますが「少なくとも異教徒との戦いにあいつは使える」という理解なのでしょう。

 つまり、何者かわからない人間(マージナル性)は使い勝手がいいと思われやすいのです。近年のアメリカの現状分析をしている人たちの研究会でも勉強させていただいているのですが、明らかにどちらが勝つかがわかる見事な分析を示しながらも、勝敗の明言は概して避けます。アメリカン・デモクラシーは誰が大統領に当選するかが構造的にわからないようにできているといえます。

 ただし注意しなければならないのは、アメリカ大統領選挙は「丁半博打」のように気まぐれかというとそうではないということです。歴史的経緯から想像もつかないように起こるのではなくて、ある種、歴史的経緯の枠組み上で必然的に起こる変化であろうと思います。ただ見落とすだけです。

 例えば、社会主義的なことを掲げた候補も、ある程度はマージナル性に関してうまくやっていかないと、大統領までは上りつめられないかもしれません。そういう意味で言えば、グリーン・ニューディールだとか、気候変動の問題だとか、今あげた社会主義というイシューにインテリは注目するけれども、そのままでは大統領にはなれません。

 あと同様の理由で、ワン・イシュー(ひとつの争点を掲げる)候補というのも、かなり厳しいのです。前回の大統領選挙でも、予備選挙段階で瞬く間に負けていました。ですから、イシューが1つではダメで、“Yes, we can.”や、”Make America great again.”といった漠然としたものである必要があるんです。

 では、何で決めるのかといわれたら、キャラクターなのです。繰り返しになりますが、『アメリカの反知性主義』でリチャード・ホーフスタッターが書いているように、「ウィットやユーモアはダメで、信じられるのはキャラクターなのだ」というのが実際のところです。

 トランプがキャラクター的にどうかということになりますが、アメリカ国民にとって、ぎりぎりの許容範囲で1つのキャラクターかもしれない、ということなのでしょう。つまり、それと比較して、非常に険しく怒る人物をはたしてアメリカの大衆が望むか、夫の不倫を冷静にやりすごす女性(ヒラリー・クリントン)を民衆が望むか、という結果だったと思います。

 そして、アメリカ大統領選は概して熾烈な人格攻撃の応酬になってしまうのも、これらの理由から合理的な側面があるのだとわかるでしょう。アメリカ人はキャラクターを観察しているのであって、知性を観察しているわけではないし、議論をしているのではなく、「内戦」を行っているのだということです。

 佐々木:最後に、アメリカ政治史を専門とする先生の目から見て、今回の大統領選はどのようなところに注目されていますか。

 石川:インタビューを受けている現段階では、選挙分析家の示す数字はバイデンの勝利を示しています。現代のポリティカル・サイエンスの精度は極めて高く、選挙研究者はその優れた頭脳と勤勉な調査によって、誠実に数字とエビデンスを提示しています。しかし彼らは明言しません。だから当然私のような歴史家が明言できるわけがありません。ただし、これは重要なことなのですが、どちらが勝つにせよ、選挙分析家の分析は決して古びない史料になるということです。

■「歴史は繰り返さないが韻を踏む」

カート・アンダーセンが『ファンタジーランド』という著作の中で、マーク・トウェインの言葉を引いて「歴史は繰り返さないが韻を踏む」という言葉を紹介しています。

 よく通俗的に「歴史は繰り返す」といいます。しかしそれに対して、厳密性を重視する歴史学者などは「実際は歴史というのは1回限りのもので、置かれた社会情勢や事情が全部違うので、繰り返すことはない」と論駁します。

 まったくそのとおりなのですが、現象には必ずそれを引き起こしたバックボーンとなる構造があり、その構造が似ていれば、異なる相貌で似た現象が起こるはずなのです。それが「歴史は繰り返さないが韻を踏む」の意味です。先進国の中では際立って国民の平均年齢が若く、かつ膨大な移民によって人種構成までが変化しているアメリカですが、そうであるがゆえに、アメリカの政治構造は反省の対象ではなく、適応の対象になるのです。バックボーンとなる構造は、依然として強固なのです。

 今回の大統領選挙で私が注目するのは、「次の大統領選挙にどのような韻律を残すのか」です。今回は、2人の高齢男性が共和党と民主党の正大統領候補になりました。私は高齢者候補どうしの激突には、重要な意義があると考えています。それは長い期間をかけて何らかの意味で第2次世界大戦後のアメリカ人を体現した者どうしの戦いだからです。その最大の遺物は、それがアメリカ人の次の選択をより明瞭に示す韻律になると考えるからです。

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最終更新:11/3(火) 13:46

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