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今時の高校生が「制服での管理」に抵抗が薄い訳

10/20 9:11 配信

東洋経済オンライン

学校制服の役割に変化が見える。かつて生徒は高校紛争、ツッパリブーム、コギャルブームなどを背景に、校則に反発し服装の自由を求める傾向があった。しかし、昨今では私服の高校が制服化したり、厳しい校則が受験生への「売り」になったりしている。それは、個性と管理で揺れ動く学校教育の進化や多様化とも言える。社会が大きく変わろうとする今、制服はどうあるべきか。教育ジャーナリスト・小林哲夫氏の新刊『学校制服とは何か その歴史と思想』より一部を抜粋・再構成し、3回にわたってお届けする。

■再評価される「服装の乱れは心の乱れ」

 1990年代、2000年代になり、詰襟とセーラー服はどんどんブレザーに移行した。不良ファッションは腰パン、ミニスカートとルーズソックスが主流となった(「不良」という言い方も合わなくなってきた)。「ブルセラ」「コギャル」「援助交際(援交)」で語られた女子高生ブームが起こったころだ。

 腰パンとはズボン・パンツを低い位置まで下ろしてはくスタイルだ。2010年、冬季オリンピックバンクーバー大会のスノーボード・ハーフパイプ日本代表の國母和宏の腰パン姿を思い出してほしい(そのころはすでに時代遅れ感もある)。腰パンスタイルの「チーマー」による喝上げ、「ホームレス狩り」と称して傷害事件も起こっている。

 「援交」「ブルセラ」には、「なんちゃって制服」も入ってくる。制服が金を引き出した。制服モデルチェンジによる女子高生総「かわいい」化でミニスカートとルーズソックスは犯罪を招き入れるのではないかと学校の生活指導担当教師を悩ませた。

 「服装の乱れは心の乱れ」というフレーズは神話ではなく教訓として、1970年代の長ランとボンタンとロングスカートの時代から、この時代まで生き続けた。ロングスカートが一転ミニになっても教師はモノサシ片手に生活指導に励む。このあたり、制服をめぐる生徒vs.教師の攻防という構図は続いていた。新制高校誕生から数えると半世紀以上である。

 だが、2000年代後半になると、生徒が制服で造反をアピールする姿が次第に見られなくなっていく。親や先生の言うことを良く聞く高校生が増えたからだ。

 このころ、都立高校では長年の制服自由から転換する動きがあった。

 2005年に都立文京高校、2006年には都立墨田川高校で制服が復活した。このときの様子がこう報じられている。

 「墨田川高校(東京都墨田区)。校長は「学校の印象は生徒の身なりで決まってしまう」と言い切る。教職員や在校生は「自主・自立を重んじる校風に反する」と反対したが、校長が「学校見学に来た中学生は、感想に「先輩がこわい」と書いていた。地元の評判も悪い。これでは実力ある生徒が集まらない」と押し切った。(略)「自己管理ができる生徒が少なくなったのに、学校がそれに目をつぶっていた」と同校校長。(略)(朝日新聞2006年8月19日夕刊より)

■「身なりで学校の印象が決まる」という考え

 「文京高校(東京都豊島区)では、昨年度から制服を導入。03年度に1.28倍だった受験倍率は今春、1.7倍になった。毎朝、教師が校門に立ち、服装や髪型、遅刻をチェック。何度注意しても改まらなければ保護者を学校に呼ぶ。同校1年の女子生徒(15)は「ブレザーの制服が好きで文京高校を選んだ。規則が緩い学校には怖い人がいそうで、いや。それに厳しく言われないと、つい遅刻しちゃうし」と言う」(朝日新聞2006年8月19日夕刊より)

 この記事からは、制服を取り巻く教育環境の変化が読みとれる。墨田川高校の「身なり」で学校の印象が決まるという考えは、「服装の乱れは心の乱れ」が前提となる。これが学校運営上、普通に使われるようになった。「自己管理ができる生徒が少ない」ことを憂え、ルールで縛ろうとするが、これはできない子への厳しいしつけにつながる。

 文京高校生徒の「厳しく言われないと、つい遅刻しちゃう」という発言からは、管理を求める深層心理がうかがえる。今日、「今の子は管理されたがっている」「ルールがないと何もできない」と巷間言われる話につながる。だいたい、校門で服装や髪型チェックで保護者呼び出しとは、管理の最たるものだ。制服導入にこんなオマケまで付いてくるのか。

 教育現場でこうした状況が疑問も抱かれず受け入れられる風潮に筆者は失望する。あまりにも手取り足取り的である。教育機関の理念や目標にありがちな「自主自律を育む」ことにはならない。もっと生徒を信じ、生徒の主体性を尊重すべきではないか。

 実際、生徒の主体性を望んだ学校長がいた。京都市立堀川高校は1999年に制服自由をやめて制服を導入する。2003年、校長に荒瀬克己氏が就任する。同校は京都大など難関大学の合格実績を飛躍的に高め、「堀川の奇跡」と称された。荒瀬校長は制服についてこう話している。

 「平成11(1999)年の新入生から、それまで私服だったのを制服に切り替えたのですが、私は私服に戻したらいいのではないかと思っています。以前にそう生徒たちに言ったら、『絶対制服ですよ』と返されました。それなら秋田高校のように、制服があって式や対外的な行事では着用するが普段は制服でも私服でもよい、というようにしたらどうかと思いますが、さてどんな返事が返ってくるでしょうか」(同校ウェブサイト 2012年3月17日)

■家計を「人質」にするブラック校則も

 生徒が「絶対制服」を主張する理由は、管理されたほうが楽ということもあろうが、通学=私服という固定観念から脱しきれなかったとしたら、さびしい。荒瀬氏は私服になったとき、生徒がどのような主体性を発揮するかを知りたかったのだろう。その後、荒瀬氏と生徒のやりとりは不明だが、いま、堀川高校は私服には戻っていない。

 生徒の主体性もなにもない。制服を管理の道具という発想でしか見ていない学校がある。

 制服着用に細かなルールを設け、それに反すると厳しいペナルティーを科していた。関西地方の某公立高校である。

 違反すると学校預かりのうえで再度購入しなければならないルールとしており、校則を守らせるために家計を突いてくる。生徒にとっていちばん弱いところだ。脅しと取れなくもない。管理のために罰金をちらつかせるのは、教育機関になじむものではない。

 「改造」を正す教育を放棄した、制服のブラック校則のように思う。

東洋経済オンライン

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最終更新:10/20(火) 9:11

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