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日本人が「教育格差すら許容している」衝撃事実

9/24 11:01 配信

東洋経済オンライン

 これまで日本では親の経済状況によって子どもの教育に格差が生じるのは、機会の平等に反するという考え方が強かった。そのことはアメリカと比較するとまだ劣るものの、曲がりなりにも奨学金制度が準備されていて、所得の低い親の子弟でも、より高い教育を受けられるように、と社会的な配慮がなされていることからもわかる。

 少なくとも、本人の責任ではない条件によって発生する教育格差は排除すべし、というのが教育における機会の平等(均等)の精神であり、多くの人がそれを認めていたのである。

 ところが、である。そのように広く支持のあった教育における機会平等に対して、黄信号が灯る時代がやってきている。どういうことかといえば、所得の高い親の子弟は高い教育を受けて当然であり、逆に所得の低い親の子弟は低い教育に甘んじるのもやむをえない、と思う人が増加しているのである。

■教育格差を容認する人が増えている

拙著『教育格差の経済学 何が子どもの将来を決めるのか』でも詳しく解説しているが、下の図を見ていただきたい。この図は学校教育の格差に関する、保護者(すなわち親)の見方を示したものである。質問は「所得の多い家庭の子どものほうがよりよい教育を受けられる傾向をどう思うか」という単刀直入の問いであり、本稿での問題意識に合致している。

 (外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)

 2018年時点では、「当然だ」と回答した人が9.7パーセント、「やむをえない」と回答した人が52.6パーセントで、その合計は62.3パーセントであった。日本人の親の過半数が、教育格差はあってよい、あるいは教育における機会平等は達成されなくてよい/やむをえない、と判断していることになる。

 ここで重要な情報は、2004年時点でそう考えている人は46.4パーセントであり、その後の14年間で15.9パーセントも増加したことである。教育における格差を容認する人が、かなりの勢いで増加しているのである。

 掲載はしていないが、この調査では次の2つの気がかりな事実についても報告している。第1に、経済的にゆとりのある人、父母ともに大学卒で大都会に住んでいる人などが、教育格差容認と回答している人の多数派であったことである。

 逆に経済的にゆとりのない人や、父母ともに非大学卒で中小規模の市・町・村に住んでいる人などは、教育格差は問題であると回答していた。自分の境遇に恵まれている人ほど格差を気にせず、恵まれていない人ほど気にするとも解釈できるので、当然の結果かもしれない。

 だが次の第3の事実はどうか。それは「今後の日本社会はどのように変化すると思うか」という質問、具体的には「貧富の格差が拡大するか」という問いに対して、「とてもそう思う」「まあそう思う」の合計が85.0パーセントに達していることである。つまり、日本では今後も格差社会が進行すると予想する人が圧倒的に多いのである。

■「機会の平等」すらない時代に

 これらから見えてくるのは、結果の格差も機会の格差も気にしない人が多数派になった日本社会の姿である。少なくともこれまでは、とくに教育に関して経済条件の差によって子どもに格差が生じるのはやむをえないという声は小さかった。

 むしろ日本人の多数は、できればすべての子どもに平等な教育を与えるべし、と思っていた。だが、それすらない時代になってしまった。

 自明のことだが、よい教育を受けることができれば、よい職業に就ける確率が高くなり、高い所得を得られる可能性が高まる。逆に言えば、よい教育を受けられない子どもは、よい職業に就ける確率が低くなるため、高い所得を得られる可能性が低くなる。

 なぜ日本は、子どもの教育について結果の格差はともかく、機会の格差まで容認するようになってしまったのだろうか。以下に筆者なりのいくつかの仮説とコメントを挙げてみよう。

 第1は、日本人の親は自分の子どもだけに関心を持っていて、他人の子どもはどうでもよいと思っている可能性である。あるいはそこまでではなくとも、社会全体の子どもまでは関心がほとんど及んでいないことが考えられる。

 第2は、親の所得の多寡にかかわらず、能力の低い子どもにいくら教育投資しても、学力が高くなって有能な人に育つことはないと信じている人がかなりの割合でいる可能性である。

 第3は、所得の低い親は自分が生活のために働くのに一生懸命にならざるをえず、子どものことまで考える余裕がないということである。

 子どもの貧困率が高いのは、結局のところ親の貧困によって生じる現象である。その親は、さらに自らの親(すなわち祖父・祖母の世代)が貧乏だったので高い教育を受けられず、結果として貧困に甘んじざるをえなかったのかもしれない。こうして、結果の格差と機会の格差が世代間で連鎖していく。

 以上をまとめると、日本人の多くは自分の子どもに対する私的な教育投資には熱心であるけれども、それを社会全体に還元することには関心をあまり持っておらず、また一部の低所得の親は私的な教育投資を行う経済的な余裕すらない、となる。

■教育費は国民全体で負担すべきか

 教育機会のない人への教育費支出の増加策は、国民一般の教育水準、あるいは生産性を上げるので好ましいという意見があるし、筆者もこれに賛成である。

 しかし、能力がそもそも低い子どもに教育費をかけても、効果が期待できないのであれば、国家がそこに多大な教育費をかけるのに反対であるという意見は根強い。残念ながら、教育の効果を社会全体で享受するのではなく、教育投資をした人、あるいはそれのできる人だけが享受するものだと考える人が多い、ということである。

 それは日本政府の姿勢としても表れており、家族関係社会支出に如実に示されている。下の表は、主要先進国における統計をまとめたものである。

 家族関係社会支出のGDP比率は、政府がほとんど何もしないアメリカが最低の0.72パーセント、日本は下から第2位の1.36パーセントである。特筆すべきはスウェーデンの3.46パーセントとイギリスの3.78パーセントで、福祉国家のスウェーデンよりもイギリスのほうが、家族関係社会支出が多いのは意外に思える。

 どのような内容の支出を家族関係社会支出としているのか、また、その内容は国によって異なるのかといったことについて興味は湧くが、ここでは深く追求しない。日本の就学前教育・保育と家族手当への支払い額が他国と比較してかなり低いこと、そしていわゆる「子ども手当」の少なさが国際比較のうえからも確認できることが重要である。

 いずれにしても子どもの貧困をなくし、教育格差を小さくしようと考えるのならば、教育への政府支出の財源を確保する余裕を持つようにしなければならないだろう。なぜなら能力がそもそも低い子どもであっても、教育によってある程度の効果が見込めるということが、数々の研究によって明らかになってきているからである。

 もっとも教育への政府支出を増額する余裕を政府がもつには、まずは低成長経済からの脱出が肝心かもしれない。だが、そのことを論じるのが本稿の目的ではないし、紙面も多く必要とするので別の機会に考えたい。

東洋経済オンライン

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最終更新:9/24(木) 11:01

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