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「最近の若手」に不満な大人に知ってほしい現実

9/22 11:31 配信

東洋経済オンライン

資源の少ない日本においては「人材」こそが、最大・最強の資源になる。「企業の発展のために、不可欠だけど、不足している人材」にフォーカスし、日本の若手人材を知り尽くす筆者が、ポストコロナ時代の人づくり最前線を追う新連載。

■若手は大人の鏡である

 「最近の若者は……」と若手をひとくくりにして揶揄する言説を昔からよく見聞きする。

 しかし、「なぜ、若手はそのようになってしまったか?」「若手をどのようにして育てていくのか?」という議論は少ないと感じている。もっと言えば、若手に関わる課題を解決していこうという“当事者的発言”よりも、若手の現状を揶揄する“評論家的発言”が多いのが実態ではないだろうか。

 「若手は大人の鏡である」

 これが15年にわたり、若手に向き合い続けてきた私の実感である。

 若手は驚くほど私たち大人の一挙手一投足をよく見ており、とくに就職活動や社会人になって関わる大人の影響を大きく受けている。では、若手に関わる大人が、その影響を自覚し、自らの言動について検証および改善を続けているかというと、その雲行きは怪しいと言わざるをえない。

 「若手」が育つためには、もちろん本人の努力は必要だ。だからといって、その「責任」を「若手」に転嫁するのはあまりに暴論といえる。若手の努力とともに、その若手に関わる「大人の対応」と「育つための環境整備」が大事になると私は考えている。

 各成長段階で、若手に関わる大人たちが相互に連携して、その育成に関わることができているだろうか。15年間、大学教育や新卒採用、新入社員を含む若手育成に関わってきた結論としては、「否」である。

 その問題構造は“4つの分断”にある。具体的には、①高校と大学の分断、②大学と企業の分断、③採用と育成の分断、④人事と職場の分断である。

 1つひとつポイントを簡単に述べよう。

 高校と大学では「学びの構造」が異なる。高校では、授業の選択の自由がほとんどないが、大学では自らの意志で選択しなければならない。しかし、「何のために大学に行くのか」という目的が曖昧なまま、「入学のしやすさ」「偏差値の高さ」などの要因で大学を選択してしまう。その結果、入学後、大学の学びに対してモチベーションが高まらない(①高校と大学の分断)。

 社会環境は刻々と変化している。さらに、その変化は、新型コロナの影響で大きくなっている。当然、そこで求められる資質や能力も変化する。ただ、企業と大学のコミュニケーションが基本的に断絶しているため、有効な連携ができていない。その結果、「大学が育もうとしていること」と「企業が求めていること」のギャップが拡大している(②大学と企業の分断)。

■社会人の基礎をつくる期間に生じるロス

 企業においては、「採用担当」と「育成担当」が分かれている。採用時の情報が適切に育成側に引き継がれていないケースが多い。その結果、大学時代に高めた「能力」や本人の「志向性」を無視した配属が一部行われ、若手のモチベーションを大きく下げている(③採用と育成の分断)。

 最後に、採用・育成を含む人事の育成方針と、現場での育成方針のズレから、若手に対する育成施策に一貫性を欠くケースが多い。例えば、採用・育成では「主体的に考えること」が求められたが、実際に現場では「言われたことをやれ」というマネジメントが横行する。そこに若手も適応し、結果として、指示待ち型の若手社員が量産される(④人事と職場の分断)。

 つまり、日本では、社会人としての基礎を創り上げるうえで、最も重要な7年間(大学4年間+入社3年間)に関わる大人たちが個別最適に行動した結果、分断の溝を広げ、大きな社会的ロスが生まれているのである。

 この「分断の現実」を直視し、大人たちには評論家的な発言を繰り返すのではなく、当事者意識を持ち、課題解決に向けて具体的に行動していくことが求められるだろう。

 社会で求められる人材は実に多様だ。野球でも長距離型の4番バッターだけではチームは強くならない。では、ポストコロナ時代において、どのような若手を育んでいけばよいのか。

企業では、「変革人材」「タレント人材」「幹部候補人材」「尖った人材」などさまざまな言い方がされている。拙著『エッジソン・マネジメント』でも詳しく解説しているが、私自身はこれからの時代に必要なのは「目的にトガった人材=エッジのたった人材 (パーソン)=エッジソン」だと定義している。

 一般的に「トガった人材」という表現から連想されるのは、AIやプログラミングなどの「専門性」の高い人材ではないだろうか。近年の「ジョブ型採用」の議論をみても、ポストコロナ時代において、「専門性」の尖った人材がさらに求められることに異論はない。

 ただ、多くの企業と長年議論をする中で、「トガった人材」には、もう1つの「流れ」があることに気づいた。それは、SDGsなどの「社会課題」と「専門性」を結び付け、「目的」というビジョンを示し、社内外を巻き込み、失敗を恐れず挑戦をし続けられる人材である。

■理想的な人材に求められるのは? 

 私がその「人材」の要件について、数年にわたり業界を超えて、さまざまな企業と議論をし、試行錯誤をし、整理した結果、「志×五徳の五角錐人材モデル」が理想的だという結論に行き着いた。以下に図とともに示そう。

 (外部配信先では図を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)

智:自ら学び、自ら問い、自ら答える力
仁:多様な価値観を受け入れ、その違いを乗り越える力

勇:自ら機会を創り出し、挑戦する力
礼:人として、当たり前のことを当たり前にやる力
義:長期にわたって逃げずにやり抜く力
 平面的に能力を5つの要素に分けるだけでなく、「志」という方向性を加えて立体的に五角錐をイメージした。底面積(5徳)に高さ(志)をかけ、体積が大きくなるような人材が理想的だ。

 「専門性」を磨くという観点では、諸外国と比較しても日本の高等教育のレベルは高く、実際に理系の学生はよく勉強している。一方で、「目的」を示し、その「専門性」を組み合わせて、課題を解決できるようなリーダー型の人材の育成は決して十分とは言えない。これが日本社会の課題といえる。

■犯人捜しや責任転嫁しても課題は解決しない

 では、人材をどのように育てていけばよいのだろうか。

 育成の責任を「大学」や「企業」の「特定の主体」に求めても、課題は本質的に解決できない。大事なことは、犯人捜しや責任転嫁をやめ、若手に向き合う「各主体」が相互に連携し、全体最適で育成に向き合うことにある。

 もっといえば、セクターを超えて、産官学が手を取り合い、若手が直面する「4つの分断」を最適化することは、人材こそが最大最強の資源である日本において極めて重要度の高い「国家的課題」といえる。

 日本の変化・発展の歴史をひもとくと、「人創り」に行きつく。

 トヨタ自動車は「モノづくりは人づくり」と捉え、松下幸之助も「物をつくるまえに人をつくる」と事あるごとに話していた。幕末の「松下村塾」や、戦後の「吉田学校」しかり、日本は苦しいときにこそ、人を磨いてきた。

 ただ、その意味では、私は日本の現状に楽観的な見通しも持っている。なぜなら、「人創り」に熱い想いを持つ「同志」や「仲間」が産官学にいるからだ。本連載の第2回以降は、現在進行系で動いている新たな取り組みやその胎動について、具体的に紹介していく。

 (第2回に続く)

東洋経済オンライン

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最終更新:9/22(火) 14:11

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