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「全員が内田篤人になれない」引退J選手の現実

9/21 5:11 配信

東洋経済オンライン

 8月23日のJ1・鹿島アントラーズ対ガンバ大阪戦で現役を引退した元日本代表の内田篤人(32)さんが、日本サッカー協会の「ロールモデルコーチ」として新たな一歩を踏み出したことが話題になった。

 日の丸を背負って2007年U-20ワールドカップ(W杯=カナダ)、2008年北京五輪、2010年南アフリカ・2014年ブラジル両W杯に出場し、シャルケ時代にはUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)ベスト4の大舞台に立った高度な経験値を後進の育成に生かしてほしいという協会側のオファーに、本人が応えた形だ。

 9月14~16日に千葉・幕張のJFA夢フィールドで行われたU-19日本代表合宿で指導者デビューを飾った彼は「世界を目指すならもっと要求しなきゃダメだ」と若手に檄を飛ばすなど、さっそく存在感を示していた。

 このように、引退直後のサッカー選手に第2の人生が用意されるのは稀有な例。そもそもJリーガーの場合、平均引退年齢は25~26歳。加入から10年現役を続けられる者は非常に少ない。

■引退後の選手を待ち受ける現実

 キャリア終了の瞬間から次の人生を模索せざるをえなくなるが、大学生の就職活動と同様、道のりは険しい。内田さんのような有名人は指導者や解説者、タレントといった陽の当たる道を歩めるだろうが、それはほんのひと握りだ。

 Jクラブのスタッフやスカウトなど現場に近いところで働いたり、自ら町クラブを起こしたり、学校の教員や事務職員になって指導を続けるなど、サッカー関連の仕事に就ける人はまだ恵まれているほう。

 スペイン・バルセロナでうどん店を経営する石塚啓次さん(46)、大分市議会議員になった高松大樹さん(39)といった転身例もあるように、大半はまったく別の生き方を見出す必要に迫られるのだ。

 とはいえ、子どものころからボールを蹴ることに邁進してきた選手たちは、学生時代のアルバイト経験さえないケースが少なくない。

 現在、セレッソ大阪の社長を務める1998年フランス・2002年日韓W杯日本代表の森島寛晃さん(48)も「2008年にピッチを離れたあとはパソコンも使えなかった。頭のメモリーカードが小さくてホント苦労しました。今はようやくパワーポイントを使って書類作成もできるようになりましたね」と苦笑する。

 「プレーヤーはピッチでプレーするのが本分。わずらわしいことはクラブやマネジメント会社の人にやってもらえばいい」と考える選手はまだまだ多いのだ。

 最低限のビジネススキルを持たない30歳前後の人間が一般企業に就職しようと思えば、苦労を強いられるのは自明の理。川島永嗣(ストラスブール)や今野泰幸(ジュビロ磐田)らとともに2003年U-20W杯(UAE)に参戦し、2011年末に引退した阿部祐大朗さん(35)もそんな紆余曲折を経験した1人だ。

 「好きだったファッション雑誌の会社に『雇ってください』と自ら飛び込みでアピールしたのが第一歩でした。でも一般企業は書類審査、筆記試験、面接と採用過程に何段階もあることを知らずにビックリした(笑)。

 ここは受かりませんでしたけど、採用サイトや知り合いの人材会社社長から紹介を受けて、短期間で広告代理店やIT企業の営業、塾講師など8社を立て続けに受験。なんとかブライダル事業の会社に内定をもらいました」

 27歳だった2012年から社会人生活がスタートしたが、電話対応や名刺交換がスムーズにできず、高価な花瓶を割ったり、発注ミスを犯すなど最初の1年間は苦労の連続だった。それでも「家族を路頭に迷わせるわけにはいかない」と奮起。2015年には大手金融会社に転職を果たし、今では立派なサラリーマンとして八面六臂の活躍を見せている。

 「現役のころはサッカーに集中していればいいと思って、第2の人生の準備を何ひとつしていませんでした。時間の使い方を考えないとダメですね」と彼は自戒の念を込めて若かりし日々を振り返っていた。

■キャリア支援に動き始めた元選手たち

 こうした反省を踏まえ、Jリーガーには現役時代からセカンドキャリアに備えてほしいところ。だが、それは傍目から見るほど容易ではない。

 「ソルティーロ・サッカー・スクール」の展開や東京、カンボジア、ウガンダなどのクラブ経営、中高生向けのオンライン学校「Now Do(ナウ・ドゥ)」など多角的事業に乗り出す本田圭佑(34、ボタフォゴ)、運動・食事・精神・IT事業を手掛ける「Cuore(クオーレ)」を設立した長友佑都(34、マルセイユ)など、現役選手がデュアルキャリアに乗り出す例も増えている。

 ただ、そこまで手広くできるのは、知名度・資金・ブレーンを持つ一部のビッグネームだけ。一般的な選手が現役生活を送りながら、空いた時間に頭を切り替え、時間を管理しつつ、資格取得やITスキルの勉強などをするのは、やはりハードルが高いのだ。

 こうした彼らを支援するため、Jリーグは2002年にキャリアサポートセンターを設立。引退後の支援に乗り出している。

 そこで2005~2008年にかけて働いたのが、2003年にセレッソ大阪で引退し、現在は一般社団法人APOLLO PROJECT(アポロ・プロジェクト)代表理事を務める山内貴雄さん(42)だ。

 2年間のJリーガー生活のあと、1年間だけヴィッセル神戸でスカウトを務め、2004年にリクルートキャリアへ転職。そこから出向する形で選手のサポートに努めた。

 「西日本のJクラブ担当として、現役選手の学びの支援をするのが僕の仕事の1つでした。彼らの意向を聞きながら、インターンシップの機会をできる限りつくって提供したんです。当時の参加者は限られていましたけど、これまで見たことのない世界を見てもらうという意味は大いにあったと思います」

 浦和レッズや大宮アルディージャでプレーした2000年代に、同制度を積極活用した1人が水戸ホーリーホックのジェネラルマネージャ(GM)を務める西村卓朗さん(43)。市立船橋サッカー部出身の芸人として知られるワッキー(脇田寧人)の兄が経営するスポーツマネジメント会社やラジオ局、広告代理店などで、12月のオフ期間を利用して短期間就労を経験した。

 「僕らが選手だったころは『サッカー選手たる者は競技に集中すべき』という考え方が根強く、『引退後に備えて活動することは悪』ととらえられがちでした。でも僕自身は、インターンシップを通してサッカー選手の存在を客観視できた。多種多様な職場を見せていただき、社会とつながることは選手生活にもプラスに働くと確信したんです」

 その経験を踏まえ、西村さんは水戸の強化部長となった2018年から、週1回ペースの選手教育を実行に移した。今年は(1)クラブの構造、(2)専門領域、(3)異業種、(4)脳トレの4テーマを設定し、3~11月にさまざまな講師を招いて話をしてもらっている。

 「Jリーガーとしての使命感を持ってもらうのが第一。そうすれば自ずと行動も変わってきますし、何のためにサッカーをやっているのか、自分がどうやって人々に貢献するのか、今後どう生きるのかというビジョンを描くことにもつながる。サッカーで身につけたことを世の中に還元できる人材になってもらいたいというのが僕の願いなんです」

■現役中からキャリアを学ぶ意義

 西村さんとともに水戸で選手教育に携わる山内さんもこの7月、ラグビー日本代表元キャプテンの廣瀬俊朗さん(38)らとともにアポロ・プロジェクトを設立。アスリートの価値を最大限に高め、還元するプラットフォームを構築しようと動き始めたところだ。

 彼らはアクションプランとして、アスリート向け教育事業「A-MAP」を運営。パートナー企業である大前研一学長のBBT大学(ビジネス・ブレークスルー大学)を通じて現役・元アスリート向けに開発したマインドセットプログラムを提供する。

 すでに大相撲の中村親方・嘉風雅継さん(38)が2021年1月からの第1回受講生となることが決定。サッカー界からも希望者を募っているところだ。

 「受講生には自らがホストとなって自治体や企業と連携し、それまで競技を通して培ってきた自身の強みやA-MAPで学んだことを生かし、社会課題の解決につながるイベントやプロジェクトを企画・運営するところまで力をつけてもらうつもりです。

 そうやって自ら旗を掲げ、発信できるような人材になれれば、現役選手としての価値を高められますし、結果的に引退後も自分らしいキャリアを送れる。僕ら元Jリーガーも経験を踏まえてサポートしていくので、ぜひ積極的に学ぼうという人が増えてほしいですね」

 山内さんが前向きに言うように、現役中、あるいは引退直後に自分から何かを学んで発信しようとマインドを変えられる人間が多くなれば、Jリーグの価値も上がり、引退後の活躍の場も広がるはずだ。

 冒頭の内田さんのように、現役時代のハイレベルな実績や経験を生かして現場に還元する人ももちろん重要だが、それだけに頼らないセカンドキャリアの成功例がどんどん出て、引退後の選択肢が広がれば、サッカー界はより魅力あるものになる。

 令和の時代になった今、一般のビジネスパーソン同様、スポーツの世界においても「アスリートの働き方改革」の必要性は否が応でも高まっている。

東洋経済オンライン

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最終更新:9/21(月) 5:11

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