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ジョブズがユーザーに「友だち」を求め続けた訳

9/21 9:01 配信

東洋経済オンライン

いまもなお語り継がれる伝説の経営者であるスティーブ・ジョブズの知られざる姿を、若き頃から彼を撮り続けてきた写真家の小平尚典と、あの300万部を超えるベストセラー『世界の中心で、愛をさけぶ』を著した片山恭一がタッグを組んで描く連載。第10回をお届けします(毎週月曜配信予定)。
 10 消えた少年たち

 オースン・スコット・カードの小説『消えた少年たち』の主人公、7歳の少年スティーヴィは毎日学校から帰るとスクリーンの前に座り込んでコンピューター・ゲームばかりしている。彼には一緒にゲームをする友だちがいて、ジャックやスコッティといった名前がついている。しかしその姿は両親にも弟や妹にも見えない。スティーヴィにだけ見える。

 両親はジャックやスコッティを息子の空想がつくり出したものと思っている。なぜなら息子は小学校でつらい目にあっているからだ。一家は父親の仕事の都合で南部の田舎町に引っ越してきた。長男のスティーヴィは転校生ということでいじめにあう。級友たちだけではなく担任の女性教師までが彼にひどいことをする。こうしたつらさを乗り越えるために、息子には空想の友だちが必要だった。そんなふうに両親は推察する。

■不可能を可能と思わせる催眠術に自らかかる

 つらい目にあっている子どもが、困難を乗り越えるために現実に手を加えるというのはよく見られることだ。大人でもしばしば自己防衛のために現実をねじ曲げて解釈する。こうした傾向がジョブズにはひときわ強く見られたようだ。「現実歪曲フィールド」として有名な彼の独り善がりなものの見方は、困難を乗り越えるための「歪曲」と言えなくもない。

 その威力と弊害はさまざまな形で現れる。手ごわい交渉相手に催眠術をかけて有利な条件で合意に至らせる。自らが率いているチームのスタッフに不可能を可能と思わせてしまう。困るのはジョブズ自身が催眠術にかかってしまうことだ。もっとも本人が自己暗示にかかって不可能を可能と信じているから、他人を自分のビジョンに引き込めるのかもしれない。

 しかし、下手をすると現実を直視できずに会社を危機に陥らせてしまうことにもなる。彼がアップルを追われたのは、「現実歪曲フィールド」のマイナス面が膨らんで会社の負担になったからだろう。

 ファースト・ネームだけでなく性向からして、ジョブズは『消えた少年たち』の7歳の少年スティーヴィに似ている気がする。ぼくたちのスティーブにも見えていたのではないだろうか。普通の人には見えない大勢の「友だち」が。なぜ見えたのか?  『消えた少年たち』のスティーヴィと同様、必要だったからだろう。

 人は自らが必要とするものを見る。ジョブズは見えない「友だち」を必要とした。すでに述べたように彼には強い孤独感がある。孤立感と言ったほうがいいかもしれない。例えばレストランに入る。気に入らない料理には手も付けない。顔を背けるようにして下げさせる。一口味をみてダメなら、満足がいくまで何度でも取り替えさせる。ジョブズについて書かれた本を読むと、こうした話がぞろぞろ出てくる。

 それはぼくたちを戦慄させる。「こんな状態では、ひと月と生きていられそうにない」と冗談ではなく思う。まるで自分1人の惑星に彼1人が住んでいるかのようだ。あるいは彼以外の者はすべて異星人であるかのようだ。

 ひょっとするとジョブズの中では、七十数億対1人というバランス感覚になっていたのかもしれない。孤独地獄をも思わせるほどのすさまじい孤立感が、普通の人には見えない「友だち」をつくり出したのではないだろうか。

■ジョブズには「友だち」として見えていた

 ただし少年スティーヴィの場合と違って、その「友だち」はただ空想として存在するだけではなく、例えば「顧客」や「ユーザー」や「信者」という姿で可視化し、実体化できるものだった。IBMやマイクロソフトやHPには見えていない人たちが、ジョブズには「友だち」として見えていた。

 問題は見えない人たちをどうやって可視化するかだ。そこにジョブズのデザインの考え方が反映されてくる。いるのはわかっている。だが目に見えない。気配だけが感じられる者たちに、「クールだ」とか「すごい」という声を上げさせて、彼らが「存在している」ことを確かなものにする。

 ジョブズにとってのデザインは、見えない「友だち」を可視化するための手段だったのではないだろうか。デザインだけではない。彼が世に問う製品自体が、「友だち」を実在の世界に在らしめるためのものであり、孤独なスティーブが外界とつながるほとんど唯一の通路だったように思える。

 エンジニアリングやデザインに関して、彼の貢献度を疑問視する声は根強くある。実際には何もしていないという人もいる。プログラムもできなかった。デザインの何たるかもわかっていなかった。ダニー・ボイルの映画でも、ウォズニアックにそんな趣旨のことを言わせている。

 しかし彼が人とテクノロジーの接点に着目したことは確かであり、だからこそパーソナル・コンピューターというコンセプトを考えたとき、何よりも重視したのはユーザー・インターフェースだった。加えてそこに「友だち」という視点を持ち込んだ。ジョブズにとってパーソナルなコンピューターとは、機能的にもデザイン面でも「フレンドリー」なものでなければならなかった。

 例えばビル・ゲイツのマイクロソフトに「友だち」という発想はまったくない。彼らが相手にしているのは無人格的な顧客であり、企業や法人である。一方、友をもてなすという態度で個人にアクセスすることを考えたのはアップルであり、とりわけジョブズである。

 個人の心にアクセスできるのは「シンク・ディファレント」のような魅力的な物語であり、デザインという美である。ジョブズには両方の才能があった。そして物語と美を首尾よくビジネスに結び付けることができた。つまり彼のビジネス感覚は最初から個人へ向かうものだったと言える。

■ジョブズが製品の種類を増やしたくなかった訳

 だからジョブズにとって、自分たちが送り出す製品はただ売れればいいというものではない。本心から「友だち」に勧められるものでなければならない。

 アップルが製品の種類を増やすことに、ジョブズは一貫して反対したと言われる。大切な「友だち」に届ける製品が、そんなに何種類も作れるわけがないということだろう。どの製品も自分(たち)が精魂を込めて作ったものでなければならない。販売店のニーズにあわせて作るようなものであってはならない。

 おそらくゲイツはそんなことは考えないだろう。彼にとって製品の種類はいくら多くてもいい。むしろハードウェアの選択肢は多いほどいい。現にIBMのPC互換機の登場をきっかけに、デルをはじめとするさまざまなハードウェア・メーカーが製造に乗り出し、パーソナル・コンピューターはあっという間にコモディティー化してしまう。

 これらのメーカーにオペレーティング・システムを積極的にライセンスすることで、ウィンドウズは一時期90%以上のシェアを占める。市場シェアの拡大だけを念頭に置けば、ジョブズのやり方は必ずしも正しいとは言えないのだ。

 にもかかわらず、ジョブズはかたくななまでに製品の細かなデザインや機能や仕様にこだわる。『消えた少年たち』のスティーヴィは、いくら親たちに注意されてもコンピューター・ゲームをやめようとしない。スティーヴィにとってコンピューター・ゲームは友だちとつながる唯一のツールなのだ。ジョブズのかたくなさも、スティーヴィの場合と似ているかもしれない。

 僕たちのスティーブにとっては、自分(たち)が作る製品は「友だち」とつながるための大切なツールである。決してコモディティー化していくようなものであってはならないのだ。

 ジョブズがハードウェアの製造にこだわったのも、ソフトウェアでは十分につながれないと考えたからだろう。彼は自分が直接つながりたかった。「友だち」が喜ぶエンド・ツー・エンドのすばらしい製品によって。その中に自分以外のものが混入することは許しがたい。だからクローズド・システムにして媒介的なものや第三者の介入を排除しようとする。

 アップルという会社が提供するものは、隅から隅まで自分が管理したものでなければならなかった。その結果、製品を語ることはジョブズという人間を語ることにもなる。iPhoneやiPadを「アップルのデザイン」や「アップルの美学」といった文脈で語ることは可能だし、その背後にはいつもジョブズの存在が感じられるのだ。

 1986年に買収したピクサーで、ジョブズは一般向けのコンピューターを販売したことがある。結果的に失敗だったが、このあたりにも彼の人間性が出ているように思う。

 それまでピクサーのハードウェア販売先はアニメーターやグラフィック・デザイナーが中心だった。あるいは病院や国家情報保障局といった特殊な市場をターゲットにしていた。しかし法人やハイエンドの専門家を対象とする話にはジョブズは燃えない。これらのユーザーは製品の機能を評価はしてくれても、「めちゃくちゃすごい!」と熱狂はしてくれないからである。

■ビジネス面からだけでは説明がつかない判断や行動

 つまり、彼らはジョブズの矜持は満たしてくれるかもしれないが、孤独は癒やしてくれないのだ。孤独が癒やされるためには、相手は単なるユーザーではなく「友だち」でなければならない。このあたりからジョブズのビジネスのやり方は難しくなる。

 時に強引で非情な面を見せながら、仕事上の駆け引きなどで卓越した手腕を発揮するジョブズだが、企業家としての判断や行動にはビジネス面からだけでは説明のつかないものがある。その感覚はどこか屈折していて、時に人間臭いニュアンスを漂わせたり、深い陰影がついたりする。製品の種類を増やすことに反対したのも、その1つの表れだろう。

 もう1つ例を挙げよう。iPodは同期を一方向にして違法ダウンロードを防ぐ設計になっている。コンピューターからiPodに曲を送れるが、逆にiPodからコンピューターへは転送できないのだ。つまりiPodから別のコンピューターに曲をコピーすることはできない。かわりにシンプルで安全、かつ合法的な音楽ダウンロードを提供したいとジョブズは考える。そして生まれたのがiTunesストアだ。

 彼は自分の製品を使ってくれる「友だち」に音楽を盗むようなことをしてほしくなかったのではないだろうか。「盗みはいけないんだよ。ほかの人たちを傷つけるし、自分の人間性も傷つけてしまう」とのちに語っている。彼一流のメッセージは本心だったように思える。

 顧客を単なるユーザーや消費者ではなく、「友だち」として見たこと。少なくとも、そうしたニュアンスをビジネスの中に持ち込んだこと。この点がほかの企業リーダーと比べてみたとき、ジョブズの際立った特徴であり、それは総じていい結果をもたらした。

 例えば1998年8月に発売されたiMacは、発売から6週間で27万8000台が、さらに年末までに80万台が売れたが、その32%はコンピューターをはじめて買う人だったと言われる。彼は首尾よく新しい「友だち」をつくり出したわけだ。

■新しい「友だち」を何度もつくり出した

 こんな具合にジョブズは新しい市場を生み出していった。しかも1度ではない。iPodでもiPhoneでも、それまで存在していなかった市場を次々と可視化し、実体化していった。ジョブズには市場をつくり出す能力があった。それはそうだろう。誰にも見えていない消費者や顧客が、彼には「友だち」として見えていたのだから。

 逆に考えてみよう。仮にジョブズが「友だち」というキーワードをビジネスに持ち込まなければ、例えばiPhoneは生まれただろうか?  「友だち」に届けるというコンセプトを彼がかたくなに守り続けたからこそ、徹底したオブジェクト指向は生まれたと言えるし、それは結果的に子どもから老人まで、面倒くさいマニュアルを見なくても指1本で操作できる画期的なガジェットを生み出した。ライバルたちが考えてもみなかった数十億規模の市場をつくり出したのである。

 一方で、なんともまわりくどく大仰な手を使ったものだ、と思わずにはいられない。僕たちなら1人の親密な友を得れば済むところを、ジョブズの場合は「宇宙に衝撃を与えるような製品」を次々と生み出し、自分の会社を世界有数のテクノロジー企業に育て上げなければならなかったのである。

 彼に決定的に欠けているのは自然さだろう。誰もがこともなげにやっていることが、彼には不可能に近いほど困難だった。普通のことを自然にやるために、世界をひっくり返してみなければならなかった。

 (第11回に続く)

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最終更新:9/21(月) 9:01

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