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安田純平氏に聞く「ウィズコロナ時代の生き方」

7/14 7:50 配信

東洋経済オンライン

2020年3月から本格化したコロナ禍で、自粛の名のもとに「行動の自由を制限される」という経験を初めてした人も多い。4月頭には、緊急事態宣言が出され、感染拡大防止のための外出自粛で、コンサート、旅行、会食のみならず、通勤、通学までもが制限されていった。
5月25日に緊急事態宣言は解除されたものの、7月4日に東京のコロナ感染拡大で東京都は「県境をまたぐ移動自粛要請」を出した。7月10日には東京都で過去最多243人の感染者が確認された。

行動の制限と解除が繰り返されるウィズコロナ時代をどのように生きればいいのか、シリアで3年4カ月の監禁生活を送ったジャーナリスト・安田純平さんに話を聞いた。

■なぜ危険な紛争地で取材をするのか

 安田さんは一橋大学社会学部卒業後、1997年に信濃毎日新聞に入社。2003年1月に信濃毎日新聞社を退社し、フリージャーナリストに転身。アフガニスタン、シリア、イラクなど紛争地を中心に取材活動を続けてきた。なぜ安定した会社員生活を辞め、多くの人が虐殺され、誘拐されている戦地で取材活動をしようと思ったのだろうか。

 「それは単に“知りたかった”からです。それに、圧政や虐殺などは、誰かが記録して伝えなければ“起きていないこと”と同じになってしまう。自分も知りたいし、事実を伝えたい。その思いに突き動かされ、在職中の2002年から中東などの取材を開始。2007年からイラクの基地建設現場で料理人に扮して潜入取材をしました。

この様子は、『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』にまとめています。その後、2012年にはシリア内戦を取材。2015年6月、取材のためトルコからシリアに入るときに武装組織に拘束され、2018年10月に解放されるまで、3年と4カ月間、監禁されました」

 突然、身柄を拘束され、いつ解放されるか先の見えない状況。命の危険にさらされる中、安田さんはどのように生活し、どんなことを考えながら3年4カ月もの間、地獄の中を生きてきたのか。まず、シリアに入った経緯を伺った。

 「まず、内戦中のシリアの周辺取材をしようと日本を出たのが、2015年5月の半ばでした。紛争地の取材は、“虎穴に入らずんば虎子を得ず”というところがあります。ただ、私は部外者ですから、必ずスパイ容疑がかけられます。そのため、事前の情報収集は入念に行い、人脈をたどってシリアの反政府側武装組織の幹部に会うなどして、外国人ジャーナリストを受け入れる組織に話をつけて、現地入りしました」

 しかし、2015年6月に行方不明になり、年末に現地武装勢力に拘束されたと報道された。

 「拘束されたのは、さまざまな悪い偶然と判断ミスが重なり、スパイ容疑がかけられたからです。尋問の後、容疑は晴れたのですが、シリア内部にある集合住宅の地下室のようなところに移送されました。この頃は、食事も出たし、マットレスもあった。この頃の私は、通訳に対し解放の交渉をしていました」

 しかし、事態が悪化したのは、武装勢力が「安田さんが人質になった」とある2004年の報道を知ったから。以降、彼らは身代金を狙い、安田さんの自由を3年4カ月もの間、奪った。

 「2004年に3日間、イラクで拘束されたことを、日本のメディアが“人質”として報道し、海外メディアがそれをなぞった英語やアラビア語の記事がネット上に残っていた。実際は人質ではなく、拘束されただけなのに、メディアはセンセーショナルな“人質”という言葉を使った。監視役から『おまえは、かつて人質だったのに生きているということは、身代金が支払われたということだ』と言われました。

 直前には後藤健二さん、湯川遥菜さんがイスラム国に殺害され、彼らも当然知っていますから、日本政府は身代金を払ってまで拘束された人を助けない、と伝えたのですが、『俺たちはイスラム国とは違って悪者ではない。だから、日本政府は支払う』と言うのです」

■人質=お金を引っ張ってくる商品

 このときから、安田さんはお金を生む“人質”として、自由を奪われる。人質だからこそ扱いは丁重だった。

 「イスラム国とは違うということを強調していました。自分たちだけでなく反政府側全体への評価にも影響しますから。民家に監禁され、部屋のドアと窓は鍵がかかっていましたが、羊毛を使った分厚いマットレスがあり、食べ物もいいものを与えられました。それから、徐々に待遇が悪くなります。

 監禁場所は、数カ月おきに転々としていましたが、最初の1年間は、部屋に数百チャンネルを受信する衛星放送アンテナつきのテレビが置かれていたので、NHKワールドで日本のニュースも見られました。このときまでは、身代金が取れると思われていたのでしょうね」

 やがて、狭い部屋に閉じ込められ、1日2回の食事と排泄だけ許される拘束生活が始まった。

 「シリアのイスラム国以外の反政府側組織は、拘束した外国人ジャーナリストなどの人質を殺していない。しかし、いつ解放されるのかわからない。彼らが諦めるまで、私は解放されない。日本政府は彼らに対して無視の姿勢を貫く。だからじっと待つしかないのです」

 この状況は終わりなきコロナ禍に似ている。

■約8カ月の「地獄」のような毎日

 拘束から1年で、収容施設に移された。

 「日本政府が彼らからの接触を無視したので身代金を取れないかもしれないと考えたのか、私専用の民家を用意するのをやめて巨大な収容施設に入れられました。このときに絶望に近い感情が湧き上がりましたが、私はまだ生きていると強く感じた。命があることが何よりも重要なのです。

 周りにはシリア政府の兵士、ほかの武装組織の外国人、現地の民間人などさまざまな立場の囚人たちがいました。彼らは壁越しに会話をしており、私はアラビア語もある程度はわかるし英語も理解できるので、彼らの話を聞き、リポートの材料にしたかった。しかし、隣の房のおそらくシリア人に話しかけたことを相手に通報され、状況が悪化しました。もともと私を監視する役目を与えられていたようです」

 拘束から2年ほど過ぎてから約8カ月間は段階的に身動き自体を制限され、最終的には動くことさえ禁じられる地獄のような生活だった。

 「奥行きが180cm程度の狭い個室だったのですが、ドアに近づくのを禁止されました。足を伸ばして寝ると、廊下にある監視カメラに足が映るのでドアに近づいたと誤解され、私以外の誰かを見せしめのように拷問するのです。そのうち、指の関節が鳴る音や寝返りする音も立ててはいけないことになった。

 彼らは音だけで判断しているので、こちらが寝ている間に無意識に動いたのかどうかは考慮しない。眠っている間も動いてはいけないわけです。これはとてもきつかった。私が物音を立てると、悲鳴や苦しそうな呼吸の音が聞こえるのです。そこに拷問部屋があるわけではなく、わざわざ聞こえる場所でやる。断水や、私にだけ食事が出されないこともありました」

 安田さんは、抗議の意味も込め、食事をとらず、体を“くの字”に曲げて過ごすようになる。ハンストは20日間に及び、とうとう相手のほうが折れた。

 「食わなければそのうち動きたくても動けなくなる。相手も私が死んだら困るんです。人質を死なすとイスラム国と同類になるので、イスラム国を嫌うほかの武装組織にとっては組織内で問題になる。だから、お前らの希望通り動かなくなったら解放しろ、と要求しました。ハンスト後、別の施設に移されるなど、さまざまな紆余曲折がありました。

 最終的には『帰さないのなら、私を殺してほしい』と言いました。拘束から3年4カ月の日が近づいていたので、そのきりのいい日に解放しろ、でなければ殺せ、と。とは言いながらも、私は諦めなかった。殺すわけにはいかないということはわかっていたので、聖典クルアーン(コーラン)や預言者ムハンマドの言葉を使いながら解放の名目が立つよう働きかけたわけです。苦しい毎日は続きましたが、ちょうどその3年4カ月の日に解放されました」

 その後、安田さんは帰国し、賛否両論の嵐の中に身を置くことになる。それから約1年半の現在、執筆や講演などの依頼に応え、精力的に活動している。

 「シリアの武装勢力に奪われたパスポートは、いまだに再発行されておらず、私は海外渡航ができませんので、国内での活動が主になっています。この話をすると、解放当時も今も、“自己責任”という言葉で、私を非難する人が多くいます」

 安田さんは、2020年1月、帰国後、外務省が旅券(パスポート)を発給しないことは違憲だとして、国を相手に、東京地裁に提訴した。

■思考停止の結果による正義が暴走する時代

 2018年、安田さんが解放されたとき、“自己責任”という言葉で、安田さんは世間から非難された。その中には、安田さんの著書を読まずに誹謗中傷を浴びせた人も多かった。

 その後、“自己責任”という言葉は、個人の行動を制限するのみならず、弱者を切り捨てる言葉として広く使われるようになる。コロナ渦中もこの言葉は蔓延し、コロナウイルスに感染した著名人は、いたわられるどころか、「自己責任がとれないのに外出するからだ」などと攻撃され、世間から断罪された。

 「コロナ禍中の外出自粛は、あくまで要請レベルの話です。それなのに、すぐに思考を停止し、自粛を自他ともに強要する人が多かった。自分でものを考えて行動を決めるのではなく、政府や世間から言われたとおりに行動し、人にもそれを強要したがる。世間の基準を逸脱する人、しようとする人を、潰しにかかるような行動をする人もいました」

 いわゆる自粛警察だ。正義の気持ちを暴走させ、行動している個人や、開店しているお店などを攻撃した。江戸時代の5人組、戦時中の隣組のように、他者を監視し、逸脱する人をSNSでさらし、攻撃した。

 「“自己責任”と言いながら、実際は自分で考えて行動することを否定している。そうすることで自分の責任から逃れようとしている。“自己責任論”とは実際は自己責任を否定する論だということです」

 新しい生活様式が推奨される、アフターコロナ、ウィズコロナの社会について、3年4カ月もの間、拘束された安田さんは何を思うのだろうか。

 「まずは生きることを最優先に考える。そして、自分の頭と価値観で考え判断することです。自由が制限される環境下では、置かれた状況を判断し、行動し続けることが大切です。流れてくる情報を鵜呑みにして翻弄されないために勉強も必要です。加えて、心身の健康の維持、何が本当に幸せなのかを知ることにも大きな意味があります。私は拘束されている間、『なんとかして日本に帰り、人生をやり直す』と思っていました。

 やりたいことをリストアップして、家族と淹れたてのコーヒーを飲むとか、ささいなことまで書いていきました。幸せとは、ささいなことだからこそ、得がたい。自分にとって大切なもの、逆に実はそうでもないものなど、何もできないときだからこそ見えてくるものがあります。改めてそれを考えてみるよい機会ではないでしょうか。コロナ禍はしばらく続くでしょう。他人の価値観に左右されず、できることを続ける……それが大切なのだと感じています」

東洋経済オンライン

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最終更新:7/14(火) 7:50

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