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歴史から読み解く「コロナショック」経済の行方

4/8 7:50 配信

東洋経済オンライン

株式市場の世界的な大暴落、東京オリンピックの延期、著名人の感染・死亡と、当初の想定を超えた「最悪の事態」を塗り替え続けているコロナショック。人的被害はもちろん、経済的被害も底が見えない状況になっている。
ちょうど1世紀前にも、約2年間にわたり「スペイン風邪」が世界で猛威を振るった。われわれはその歴史から何を学べるのか――。『お金は「歴史」で儲けなさい』などの著作があり、テレビ朝日系「モーニングショー」にも出演する経済評論家の加谷珪一氏が、コロナショックとスペイン風邪を比較しながら世界と日本の経済の今後について解説する。

 コロナウイルスによる感染が深刻な状況となっている。これだけ広範囲に感染が拡大し、経済活動が抑制されるというのは、戦後社会としては初めての経験であり、先の状況を予測することは極めて難しい。このようなときは一度、冷静になって歴史を振り返って見るという姿勢も必要だろう。

 近代以降、大規模な感染によって全世界で死者が出たケースとしては、1918年から1920年にかけて大流行したスペイン風邪がよく知られている。本稿では、スペイン風邪の感染拡大とGDP(国内総生産)や株価の推移などについて考察していく。

 筆者はかつて、過去130年の経済や株価の推移について分析した『お金は「歴史」で儲けなさい』という書籍を執筆しているが、こうした歴史分析を行うと、必ずと言っていいほど「当時と今を比較しても意味がない」「状況が違いすぎる」といった批判の声が出てくる。

 過去と現在で状況が異なるのは当然のことであり、もし歴史をさかのぼることについて無意味であると考えるのなら、時間の無駄になるので、本稿を読んでいただく必要はまったくない。

 しかしながら、著名な投資家や実業家の中には、歴史的な分析を実践している人が少なくない。経済というものが人間の活動の集大成である以上、同じようなことを繰り返す可能性は高く、歴史を知ることは人間を知ることにつながるからである。こうした歴史が持つ価値について理解のある方のみ、読み進めていただければと思う。

■スペイン風邪が流行した当時はバブル経済の真っ最中

 スペイン風邪は、1918年から1920年にかけて全世界で流行したインフルエンザである。当時、日本の内政を担当していた内務省の調査によると、国内では3回のピークがあり、第1回目のピーク(1918年8月~1919年7月)には患者数が2100万人以上、死亡者は26万人に達したとされる。

 2回目のピーク(1919年8月~1920年7月)は患者数が約241万人と大幅に減り、死亡者数も12万8000人と半減した。さらに3回目のピーク(1920年8月~1921年7月)になると、患者数は22万4000人、死亡者数は3700人となり、その後、感染は終息した。諸外国もほぼ同じで、1918年の秋に大流行となり、1919年に再度、拡大したのち終息を迎えている。

 1919年当時の日本の総人口は約5500万人なので、一時は人口の4割近くが感染した計算になる。もっとも、統計によって数字にバラツキがあるので、正確性については多少、割り引いて考える必要があるが、広範囲に感染が拡大したのは間違いない。ただ、全期間を通しての死亡率は1.6%なので、当時の衛生状態を考えると、それほど危険とまでは言えないかもしれない。

 では、当時の経済はどのような状況だったのだろうか。

 1917年の実質GDP(当時はGNP)成長率は9.0%、1918年は8.6%、1919年は5.0%と高成長が続いていた。感染が終息した後の1920年はマイナス成長に転じているが、総じて経済は好調だった。当時の日本は新興国なので基本的に高成長だったが、それでもこの成長率はほかの時期と比較してかなり高い。

 実は、この頃の日本経済は、第1次世界大戦特需によって絶好調という状況だった。

 大戦の勃発によって欧州の企業活動が大幅に縮小したことで、戦争とはほぼ無縁だった日本企業には数多くの注文が舞い込んだ。各社は空前の好業績となり、株価も急騰。賃金も上昇したことから、雰囲気的には1980年代のバブル経済のような状態になった。株長者が続出し「成金」という言葉がメディアを飾った。

 スペイン風邪はこうした中で発生したので、初期段階では景気に対してそれほど大きな影響を与えなかった。アメリカも日本と同様、戦争による直接的な被害を受けなったので、経済は順調に推移していた。欧州は大戦による被害が大きかったが、英国経済は何とか横ばいを保っていた。

■景気には直接影響を与えなかったが…

 図は日本国内における、スペイン風邪の死亡者数と株価の推移を示したものである。当時は日経平均のような株価指数は存在しておらず、東京株式取引所(東株)の株価が指数代わりに用いられていたので、新株分を調整した株価を指数として用いた。

 それによると感染による死者が急増した1918年には、2回目となる株価バブルがスタートしており、スペイン風邪の影響はあまり見られない。ところが、株価バブルの頂点と、感染ピークの2回目はほぼ一致しており、感染爆発と同時に株価は暴落し、その後、長い不況に突入する結果となった。第1次世界大戦後の不況はかなり長引き、10年間のデフレを経て昭和恐慌へとつながっていく。

 当時の日本政府は、今と同様、学校の一斉休校を実施したり、イベントの自粛を呼びかけるといった施策を行っている。また、マスクの着用やうがい手洗いの実施が呼びかけられており、これも今の施策と近い。だが、一連の対策が極めて有効に作用したのかというとそうでもなく、結局のところ、多くの人が感染し、集団免疫を獲得することで、終息に向かったと見てよい。

 では、スペイン風邪の歴史を教訓にするならば、感染者の急拡大で社会は混乱したものの、経済への影響はそれほど大きくなかったということになるのだろうか。そう願いたいところだが、どうしても引っかかるのが、2回目の感染ピークと同じタイミングで到来したバブル経済の崩壊である。

 スペイン風邪は、流行が拡大しているときは、経済にそれほど大きな影響を与えなかったが、第1次世界大戦バブル崩壊の引き金を引いた可能性は十分にある。もし、そうであるならば、今回との類似点は多い。

■結局、日本だけが一人負けしていた

 今回の感染拡大で日本を含む世界の株式市場は大打撃を受けたが、リーマンショック級の株価下落となったのは、単にコロナショックが大きかったからではない。

 リーマンショック以降、アメリカは絶好調ともいえる景気拡大が続いており、一部からは株価や債券価格のバブル化を指摘する声が上がっていた。日本についていえば、トヨタをはじめとするメーカー各社が、拡大が続くアメリカ市場に製品を売り込むことで、何とか国内景気を維持してきたという面が大きい。

 つまりアメリカ経済はバブルの兆候があり、日本経済は、アメリカのバブルに依存してきたというのが実態である。

 だが、アメリカの好景気があまりにも長すぎることから、多くの関係者が、そろそろアメリカ経済が景気後退(リセッション)に入るのではないかと危惧していた。こうしたタイミングでコロナウイルスの感染が急拡大したので、株式市場への影響は極めて大きなものとなっている。

 つまり、今回の株価下落は、コロナショックだけでなく、バブル崩壊と全世界的な景気後退懸念が加わっており、これが市場参加者の心理を極端に悪くしているのだ。

 ちなみに1920年代のアメリカは、欧州復興特需で経済を急成長させ、欧州各国も、戦後処理が一段落してからは、それなりの安定成長を実現している(敗戦国のドイツを除く)。

 しかし日本だけは、経済の体質転換が進まず不景気が続き、そのまま世界恐慌を迎えてしまった。日本経済だけが一人負けしてボロボロの状態となり、軍部の台頭によって最終的には無謀な戦争に突入した。一連の出来事がもたらした結果は言うまでもなく、終戦による日本経済の破綻とハイパーインフレであった。

 つまりスペイン風邪の流行は、直接的には経済に大きな影響を与えなかったが、俯瞰的に見た場合、(あくまで結果論だが)日本経済の終わりの始まりを示唆していた。

 日本経済はここ数年、消費の低迷が続くなど、経済の基礎体力が著しく低下している。ここでアメリカが景気後退に陥った場合、日本経済への打撃は計り知れない。歴史を教訓にするならば、日本経済が底割れするような事態は何としても回避しなければならない。それが実現できなければ、長期にわたる景気低迷を覚悟する必要があるだろう。

東洋経済オンライン

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最終更新:4/9(木) 11:55

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