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豊田章男の「運転の師匠」がこだわり続けたこと

4/3 7:31 配信

東洋経済オンライン

 トヨタ自動車の豊田章男社長は、ことあるごとにこの男の話をする。成瀬弘(なるせ・ひろむ)、トヨタ自動車に在籍する約300名の評価ドライバーのトップガンであり、豊田社長の運転の師匠だ。

 2010年6月23日、自身の知見とノウハウをすべて注いで開発したスーパースポーツ「レクサスLFA」の50台限定スペシャルバージョン「ニュルブルクリンクパッケージ」のテスト中に、ドイツ・ニュルブルクリンク近くの公道にて交通事故で逝去。あれから10年が経った。

 今も成瀬氏が育てた弟子たちが、その精神を継承している。

 豊田社長と成瀬氏が2007年に発足させた「“元祖”GAZOO Racing」は、今やGRカンパニーとしてトヨタの他のカンパニーと肩を並べる存在になっているし、彼が生前に語っていた「大事なことは言葉やデータでクルマづくりを議論するのではなく、実際にモノを置いて、手で触れ、目で議論すること」、「人を鍛え、クルマを鍛えよ」は、社内にも深く浸透している。

 しかし、トヨタ社内にも成瀬氏を知らない世代が増えている。それはわれわれメディアやユーザーもしかりだ。筆者は成瀬氏とさまざまなシーンで顔を合わせ、自社の製品ですら厳しい意見を厭わない「成瀬節」を何度も聞いてきた1人である。

 ここでは、そんな成瀬氏のヒストリーを簡単に振り返ってみたい。

■初代「MR2」から"ニュル詣”をスタート

 成瀬氏は、1963年にトヨタ自動車に入社。車両検査部に臨時工……と異例の採用だったが、幼い頃からクルマに触れてきたこともあり、類いまれな速さで頭角を現し、モータースポーツの車両開発やレース活動を担う「第七技術部」に所属、レーシングカー「トヨタ7」のチーフメカニックを担当する。

 トヨタが1974年にレース活動を中止する直前の1973年、スイスのトヨタディーラーが「セリカ1600GT」で耐久レースに参戦する際に、日本側からのメカニックとして渡欧。この時、生涯を掛けて走り込むことになるニュルブルクリンクと出会う。ここで成瀬氏は「道がクルマをつくる」と直感したそうだ。

 その後、1980年代に初代「MR2」の評価を担当したのを皮切りに、トヨタのニュルブルクリンクでの開発がスタート。以降、トヨタのスポーツモデルは“ニュル詣”を行うようになった。

 成瀬氏のニュルでの走行経験年数/周回距離は日本人トップクラスで、その実力は海外メーカーも認めるほどだったと聞く。風の噂では、当時のトヨタのラリーチーム(TTE)からドライバーとしてのオファーもあったと言う。

 量産車開発では「セリカ」、「カローラ・レビン/スプリンター・トレノ」、「MR2」、「スープラ」、「アルテッツァ」、「MR-S」などのスポーツ系モデルには何らかの形で関わっているが、レクサスLFAは成瀬氏1人に評価が委ねられた。

 また、それ以外にも初代「セルシオ」や2代目「プリウス」などの車両評価も担当。成瀬氏は「僕の中ではレーシングカーもトラックも同じクルマで、すべては材料で決まる。僕はその材料を100%活かせるようにするだけ」と語っていた。

 ただ、さまざまな制約のある量産車ではなかなか理想の走りには至らず、試作時に実現していた乗り味が量産車では再現できないジレンマもあったようで、「“理想のノーマル”のスペックをTRD(トヨタ100%子会社)に託す」と言う荒業を使ったこともあったとか。

 こうして現場で鍛えた叩き上げのスキルから、評価ドライバーの頂点である「トップガン」と呼ばれるようになる。

 また、ニュルをはじめとする現場を見てきた経験から、世界で通用するメーカーになるためには、「もっと人とクルマを鍛える必要がある」と考え、自らが先頭に立って人材育成も行っていた。

 それは社内だけでなく、われわれ自動車メディアも対象だった。

 「自動車ジャーナリストは運転の基本ができていない。ウチのニュルブル(成瀬氏はニュルブルクリンクの事をこのように呼ぶ)でのテストドライバー養成に誰か参加させないか?」と。筆者は参加することは適わなかったが、同業者の何人かは実際に訓練を受けている。

 さらに豊田社長への運転訓練をしていたことも、有名な話だ。

■その気があるなら、僕が運転を教えるよ

 当時、アメリカから帰ってきたばかりの豊田氏に「あなたみたいな運転のこともわからない人に、クルマのことをああだこうだと言われなくない。最低でもクルマの運転は身につけてください」、「われわれ評価ドライバーをはじめとして、現場は命をかけてクルマを作っていることを知ってほしい」と言ったのは有名な話。

 ただ、そこから先があり、「月に1度でもいい、もしその気があるなら、僕が運転を教えるよ」と。

 このやり取りから子弟関係が生まれ、2007年にGAZOO Racingによるニュルブルクリンク24時間耐久レースへの参戦へとつながり、東京オートサロン2010での「新スポーツカー戦略」、そして現在のGRカンパニーへとつながっていく。

 実は筆者は、成瀬氏が亡くなる2カ月前の2010年4月、自動車メディアが主催するイベントで取材を行っていた。いつもは口数が少ない成瀬氏がこの時はいつになく饒舌で、3時間を超えるロングインタビューだったが、結果としてこれがラストインタビューとなった。

 ここからは「ニュルブルクリンク」と「新車開発」についての“成瀬節”をお届けしたい。まずは、ニュルブルクリンクについて。

 ――ニュルブルクリンクを走った時の印象はどうでしたか? 

 まず「とんでもないところ」に来たなと。ただ、ここはレースをする場であると同時に「開発の場」としても使えると感じました。

 ――何が“とんでもない”のでしょう? 

 日本のサーキットはほとんどがフラットですよね。でもニュルブルは、一般道をそのまま持ち込んだ感じです。

 ブラインドコーナーはもちろん、ジャンピングスポットもある。1周20km近くあるのに平らなところが1つもないうえに、路面その物も荒れている。とにかく日本のサーキットやテストコースの環境とはまったく違いました。

■いまだに1周を完璧に走ったことがない

 ――長くニュルブルクリンクを走ってきて、道は変わったと感じますか? 

 昔はほとんど変わらなかったけど、ここ2~3年で路面補修が進んでフラットになっています。そういう意味では、昔よりは危険ではないです。

 加えてクルマの性能もよくなっているので死亡事故も少なくなっているはずですが、それでも年間3~5人は亡くなっています。僕も実際に目の前で死亡事故を目撃したこともあるし、救助したことも。

 ――成瀬さんはいつも「道がクルマをつくる」とおっしゃっていますが、やはりニュルのようは所で鍛えないとダメですか? 

 日本は100km/h制限の国ですが、世界に通用するクルマにするには“走る道”を選んではダメ。だから、都内の渋滞からニュルブルの高速走行まで鍛える必要があります。

 ――ニュルブルクリンクを走って何を確認し、何を見ているのでしょうか? 

 僕がなぜニュルブルに通い続けるのかと言うと、一つ目は「自分がまだ走れるかどうか?」、「ドライバーとしてニュルブルの中に入ってやっていけるかどうか?」を確認するため。

 かれこれ40年近く走っていますが、まだまだ走り足らないし、いまだに1周を完璧に走ったことがないです。もちろん、あるクルマで「8分フラットで走れ!!」と言われれば、±1秒以内で走ることはできますが……。

 ――つまり、今も修行中だと? 

 ニュルブルは自分にとってもチャレンジングなコース。「もういいや……」となった時が引退する時。僕はまだニュルブルを征服できていません。だから今でも走っています。

 ――それほど奥が深いコースであるのですね。

 深いですよ。インダストリー(メーカー占有日)は、他の自動車メーカーと一緒に走りますが、本当に僕が通用しているかどうかは一目瞭然ですしね。

 ――では、ニュルブルクリンクで鍛えたクルマは何が違うのでしょう? 

 それは「ドライバーの安心感」でしょう。「レクサスLFAは最終的にニュルブルでつくり上げましょう」と言うことで5年くらいかけました。だから、あのようなクルマに仕上りました。

 スープラ(4代目:A80型)も同じです。ニュルブルで鍛えたクルマは強いですよ。スープラが今でも高い能力を持っているのは当たり前。だから、トヨタからなかなかスープラを超えるクルマがでなくて困っていますけどね(笑)。

■ニュルでは“ごまかし”が効かない

 ――スープラはニュルで鍛えたと聞きましたが、当時日本のサーキットでテストをすると、ライバルのほうが速かったと記憶しています。

 そんなのはどうでもいいこと。ヨーロッパに来るとスープラはすごい。スピード領域が高い所に行けばいくほど良さが出てくる。日本のサーキットで勝って喜んでいるレベルじゃ、本当の味はでません。

 日本のサーキットでは、クルマの性能の10あるうちの1つが見える程度ですが、ニュルは10すべてが見えてしまう。だから“ごまかし”が効かない。

 ――欧州の自動車メーカーはどんなモデルでもニュルブルリンクでテストを行っていますが、トヨタ/レクサスは限定的です。

 それはクルマのキャラクターだったり、チーフエンジニアの考え方だったり……企業の考え方の話ですね。

 もちろん、全車種やるべきですよ。クルマである以上、どんなカテゴリーのモデルでも満足して走らせる能力に差をつけてはダメ。それにレースと一緒でガンガン走るので、耐久性も上がる。

 ドイツ勢はテストメニューの一環としてニュルブルを走るので、遠い島国のわれわれから見ると、非常にうらやましい環境です。

 ――クルマ好きの中には、「一度でいいからニュルブルクリンクを走りたい」と思う人もいますが、どう思いますか? 

 最初は「すごかった」、「楽しかった」かもしれませんが、走れば走るほど怖さが見えてくると思います。

 最低で馬力分。100馬力のクルマなら100周、LFA(560馬力)は500周以上走らないと。そこからがスタートラインですね。

 ――ニュルブルクリンクでは後輩のドライビングトレーニングも行っていますが、成瀬さんを超える人は出てきそうですか? 

 どうでしょう。速さならたくさんいますが、まだ見たことはないね。スポーツの世界と同じで「オレはあいつに負けた」となったら、もうやらないでしょう。要するに、満足したら終わりです。

 ――成瀬さんにとってニュルブルクリンクとは何でしょうか? 

 人生の一部ですね。冒険家が山に登りたいのと一緒で、緑の地獄を征服したい。そこにニュルブルがある限り行くでしょうね。

■料理と同じで素材の味を100%活かす

 ここからは、成瀬氏が考える「新車開発について」のインタビューをお届けする。

 ――成瀬さんが関わってきたLFAやスープラ、MR2は制御やデバイスといった飛び道具に頼らず、“素”で勝負していますね。

 クルマは料理と一緒で“素”が大事。かけうどんがうまくなければ、いくら天ぷらを載せても味はよくならないでしょ。確かに四駆や制御は使い道があるけど、素をシッカリさせたうえで使わないとダメ。それはスポーツカーだけでなく、ワンボックスも同じ。

 ――では、理想のクルマの「味」はどのような物だと考えていますか? 

 「トヨタの味は?」、「成瀬さんの味は?」と聞かれることが多いですが、実は決まった味はありません。LFAはLFA、スープラはスープラ、ワンボックスはワンボックスと、すべては材料で決まってしまう。

 ――つまり、明確な基準はないわけですね? 

 強いて言えば「材料を100%活かす」、言葉を変えると「そのクルマの理想を目指す」かな。味はすべて材料で決まる。誰もうどんを持ってきて「そばにしてくれ」と言ってもできないでしょ。

 チューニングメーカーからさまざまな部品が売られていますが、そりゃ合うはずがない。彼らはうどんを無理してそばにしようとしているだけ。

 ――成瀬さんが責任を持って出すクルマは、「トヨタとして自信の味」だと? 

 そういうこと。要するにバランスが重要だと言うことです。サーキットだけ速いクルマなんて子供でもできますから(笑)。

 ――では、成瀬さんにとっての「理想のクルマ」は、どのようなクルマでしょうか? 

 「このクルマ、もう1回乗りたいな」と直感的に思ってもらえるクルマですね。例えばレストランに行って「おいしい」と感じる時って「どこがおいしい」じゃないでしょ。

 「ここはうまいぞ」、「1万円を払ってもいいよ」と思わせる味を出すことが、僕の考えるクルマの理想に近い。

 ――その実現のためには、数値では見えない感覚や官能性の部分も重要ですね。

 数値は結果。それよりも、自分たちの重ねてきた経験のほうが大きい。一つ言えるのは「いい物は味が出る」と言うこと。味は数値では表せないでしょう。

 ――その経験はどうやって? 

 この仕事を始めた時、「クルマのことはわからないけど、見たらわかる人間になりたい」と思いました。そのためには走り込む必要がある、多くの物を見る必要がある、さまざまな場所に行く必要がある……と。すると、いろいろな物が見えてきました。

 その結果、僕はクルマを見て「ここはおかしい」と思ったり、言えたりと。決して天性の物ではなく、すべては経験がそうさせただけです。

 ――いつもどのような目線でクルマを開発しているのでしょうか? 

 僕は「こういうクルマをつくる」と思ったことは一度もありません。常に買っていただくお客様のことを考えています。お客様はわれわれを信じて買ってくれるから、僕は魂を込めてやっています。本気で取り組むからこそ、妥協はできません。

 クルマって生き物なんです。計算したら「ダメならダメ」と言う答えしかでてきません。でも「これが違う」、「ああじゃないよ」と対話していくと、違った答えが出てくる。

 そういう意味で言うと、クルマって感情がちゃんと人間に返ってきます。だから、僕はテストドライバーではなく評価ドライバー、カッコ良く言うと「ドライビングドクター」かな。クルマを健康な状態でお客様に届けるのが僕の仕事。

 ――ドライビングドクターになるには? 

 正しい走りをして正しい判断ができること、クルマからの情報を聞き取ること、その情報を言葉にして伝えられること。つまり「できる/わかる/言える」の3つができる人ですね。

■継承される成瀬氏の生き様

 筆者は、豊田社長が「もっといいクルマづくり」と語る本当の意味は、成瀬氏の生き様そのものだったのではないかと思っている。

 なお豊田社長は、2019年のニュルブルクリンク24時間レースにドライバーとして参戦した際、「スープラをニュルで成瀬さんと一緒に走らせたい、成瀬さんが育てたメンバーと共に戦う姿を見せたいという思いで参戦を決意した」と語っている。

 実は決勝日が命日(6月23日)と重なり、豊田社長は成瀬氏が亡くなった時間帯にステアリングを握った。

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最終更新:4/3(金) 7:31

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