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「手塚治虫AI漫画」とAI美空ひばりの決定的な差

2/29 15:40 配信

東洋経済オンライン

 「もしも手塚治虫が生きていたら、どんな未来を描いていたのか」

 そんな言葉とともに進められている「TEZUKA2020」プロジェクトによるマンガ作品「ぱいどん」の前編が、2月27日発売の『モーニング』13号に掲載された。

 「TEZUKA2020」は、AI技術を使って「手塚治虫の新作」を生み出すプロジェクトだ。プロジェクト発表や作品掲載の告知の際には「手塚治虫AI」「AI手塚治虫」といった呼称でも話題を呼んだ。

 第1弾作品である「ぱいどん」では、まずAIに手塚作品を学習させ、プロットやキャラクターの顔などを自動生成したという。生成されたプロットやキャラクターは、最終的に人間が手を加えて作品化している。今回は「Phase1前編」とされており、後編は後日の掲載。モーニングでは今後「手塚治虫AI」としての本格連載をめざすと宣言している。

 AI×クリエーターといえば、昨年末には「AI美空ひばり」の披露が記憶に新しい。こちらは山下達郎がラジオで「冒涜です」と評するなど、倫理面から問題視する人も多かった。炎上とまではいかないまでも、多くの人が違和感を表明し、物議を醸した。「手塚治虫AI」もやはり倫理の問題に直面するだろうか? 

 「ぱいどん」は前編が発表されたばかりで、今後どんな反応や議論が広がるかはまだ未知数だが、少なくとも発表直後の反応を見る限りは内容に対する賛否はあるものの、倫理的な反発が広がっている様子はない。

 個人的に言えば、ひとまずこの作品は大規模な炎上には至らないのではないかと思っているが、同時に違和感を感じるところもある。少し整理していこう。

■なぜ「AI美空ひばり」は炎上したのか? 

 「AI美空ひばり」と「手塚治虫AI」は、組み合わせとしてはAIとクリエーターという同じ発想だが、本質的にはかなり様相が異なる。

 「AI美空ひばり」で大きな焦点となったのは、人格の問題だろう。「AI美空ひばり」はよくも悪くも美空ひばりの人格や身体に近いプロジェクトだった。

 AIの学習により声をつくること、その声で歌わせることは、本人の意思(遺志)と無関係に肉体だけを擬似的に蘇生することに近い。「AI美空ひばり」は、歌手としての美空ひばり本人の擬似蘇生であるがゆえに、「冒涜」という表現もされたのだ。

 一方、「手塚治虫AI」の場合は同じAI×クリエーターであっても美空ひばりとは意味合いが異なる。「手塚治虫AI」は、「手塚治虫が生きていたら」という発想から生まれたものの、つくり出すのは手塚自身ではない。目指しているのは、あくまでも「手塚らしい作品」だ。

 手塚治虫の娘で手塚プロダクションの取締役を務める手塚るみ子がTwitterで「そもそも手塚治虫の新作って思ってないし。AIなんだから」と書いているように、「TEZUKA2020」は実態としてAIとのコラボによって手塚ライクな作品をつくるプロジェクトといえる。出来上がるのはあくまでマンガであって、直接的な手塚治虫という人間(らしきもの)ではない。この点が「AI美空ひばり」との大きな違いだ。

 もちろん線描や思考、出来上がった作品は作者の肉体や人格と無関係ではない。だが、作者が亡くなった後に残された作品の新作がつくられることは、コンテンツ業界ではAIが発達する前からずっと行われてきたことでもある。

 例えば『ドラえもん』の劇場版など、偉大な遺作が故人の手を離れ、さらに育てられていくケースは多い。そうしてつくられた作品に対するファン(とくに原作原理主義的な)の反応はさまざまだろうが、それ自体が冒涜と言われることは少ない。「作者の蘇生」ではなく、「作品の再生」であれば、倫理的な反発は少ないのだ。

■AIが切り開く「新しい可能性」

 そういう意味で「手塚治虫AI」は、従来人間がやってきたことにAIという技術を加えたプロジェクトにすぎない。

 「ぱいどん」を含め、AIが今後どれほどの精度で、どのような作品を生み出すかは未知数だが、どこまで行っても「手塚治虫の新作」ではなく「手塚を学んだAIの新作」であるという線引きが明確である限り大きな問題にはならないだろう。

 さらに、AIの登場は新しい扉を開く可能性を秘めている。これまでは遺作の新作続編をつくることはできても、故人を模した「完全新作シリーズ」をつくることはまずできなかった。パロディーのような形ではあっても、それは「手塚治虫の新作」というより同人誌的なノリが否めない。

 だが、AIが「手塚の新作」をつくるというプロジェクトなら、より正統派な新作シリーズが成立するかもしれない。AIの発達は「手塚ではないが、手塚らしいもの」という可能性を開いていこうとしている。1人のマンガファンとしては、そこに素朴な好奇心をかき立てられるのは事実だ。

 その一方で、「手塚治虫AI」にまったく違和感がないかといったらそうではない。このプロジェクトが発表された際、1つの疑問として「遺族の了承は取れているのか」という声があった。

 「TEZUKA2020」には手塚治虫の息子である手塚眞も参加しているほか、「ぱいどん」では手塚るみ子の夫で桐木憲一名義で活動するマンガ家・手塚憲一がネームを担当したことを明かしている。遺族・関係者協力のもと進められているプロジェクトである。

 AIによる「手塚の新作」を出すために、遺族の協力や了承を仰ぐことは実に真っ当なプロセスだ。だが、この真っ当なプロセスこそがわずかにひっかかる違和感でもある。

 それは、故人である「手塚治虫」はIP(知的財産)なのか、という問題だ。従来の遺作再生産では、あくまで作品という著作物の管理の問題だった。「作品」という著作物の権利を管理し、コントロールする。そこにも故人の意思の問題はあるものの、あくまで作品=IPの扱いのみの範疇だった。

 だが、「手塚治虫を学習して新作(らしきもの)をつくる」というプロジェクトで、仮に何らかの許諾を取るとしたら、それは何に対する許諾だろう?  既存の作品でない以上、作品自体の権利許諾とはいいがたい。「AIの学習のために既存作品を使う許諾」と考えることもできるが、学習の結果生まれる作品も「手塚治虫」という存在と決して無関係ではない。

■「故人のAI」を作る権利は誰にあるのか? 

 そう考えると、「手塚治虫AI」は「手塚治虫」という作家・人格そのものに極めて近いものの権利と一体になって生まれている。作品でなく作家そのもの(のように見えるもの)が一種のIPとして機能するとしたら、われわれも死後IPになるのだろうか。それはちょっと不思議な感覚だ。

 自分の残したものが学習され、模倣されたり、自分の名前を冠したAIが生まれることより、誰かがその許諾をすることのほうがモヤモヤしたものが残る。

 仮にそれが権利であれば、誰かに譲り渡されたりもするだろう。いつか知らない誰かが、自分のAIをつくる権利を管理するかもしれないということには、やはりどことなく違和感を覚える。かといって、自由にAIに取り込まれて商業化されても困る。

 AIとコンテンツの法整備は、今後進んでいくことになる。そのなかで、AIと故人の権利関係も整理されていくのだろう。そのとき、今感じている「誰かのAIをつくる許可をすること」への違和感も消えているだろうか。使い道のなさそうな自分の文章や名前も、いつか誰かに管理委託されるのだろうか。

 「AIがどのようなものを生み出しうるのか知りたい」「手塚の新作を読みたい」という素朴な好奇心とともに、死後権利化する自分について考えてしまうのだった。

東洋経済オンライン

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最終更新:2/29(土) 17:39

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