「日立の壁」を突破した経営者だからわかる、日本企業が「大企業病」を脱するための処方箋

4/30 6:32 配信

東洋経済オンライン

2009年3月期に7873億円という製造業史上最大の赤字(当時)を出した日立製作所。幸い、未曾有の危機に際して経営を引き継いだ川村隆・中西宏明両氏の大ナタによって急速に立ち直った。
世間からは「奇跡のV字回復」と喝采を浴びたが、実は改革は道半ばにあった。不測の事態がふたたび起これば、二番底を打つ状況になりかねなかったのである。中西氏の後を継いで社長となった東原敏昭氏は、相次いで改革に打って出る。
東原氏は初の著書『日立の壁』で、「自分のしたことは、日立という巨大企業の中にいくつも立ちはだかっていた壁を叩き壊す作業だった」と振り返る。「大企業病」を脱するために必要なこととは何か━━『日立の壁』より抜粋・編集してお届けします。

■「沈む日立」と言われた

 今から10年以上前、日立製作所が「経営の危機」にあったことを記憶している人は多いと思います。

 今世紀に入って間もない2008年度の決算で7873億円の当期損失を計上するという経営危機に陥り、地獄を見ます。リーマンショックに端を発する世界的な金融危機が引き金となりましたが、実際にはもっと根深い問題が隠れていました。

 「もう一度大赤字を出したら今度こそ倒産してしまう」

  当時、ドイツのグループ会社にいた私は、本当にそう思い詰めていました。

 幸い、未曾有の危機に際して2009年に経営を引き継いだ川村・元会長と、故中西宏明・前会長の大胆な経営改革により、日立は危機から立ち直りました。大きな「壁」を越えたのです。3年後の2012年3月期には、過去最高の当期利益を達成し、V字回復を果たした2人の手腕は喝采を浴びました。

 私が日立の執行役社長に就任したのは2014年4月です。2016年4月からは執行役社長兼CEO(最高経営責任者)となり、以来、2022年3月までの6年間、日立の舵取りを任されてきました。 

 経営のバトンを受け取った私のミッションは、川村さんが敷いた経営改革の路線を引き継ぎ、営業利益率の高い「稼げる会社」にすること。そして、中西さんが注力した、モノ(製品)を売るビジネスからコト(サービス)を売る社会イノベーション事業への転換を加速させ、その分野で世界に伍していける「グローバル企業への成長」。この2つでした。

■再びの経営危機もありえた

 社長就任時、日立は経営改革によって一時の経営危機からは完全に立ち直っていました。が、改革は道半ばで、経営はまだまだ盤石とは言えない状況でした。年間売り上げは9兆~10兆円規模を維持する一方で、営業利益率は6%ほどであり、その利益の多くはグループの上場子会社に支えられていました。社内には業績回復の見込みが薄い不採算事業や低収益事業も多く残っていました。

 そのような状況では、リーマンショックのような不測の事態が起これば、業績が下降線をたどり、再び経営危機に見舞われるようなことになってもおかしくありません。私に与えられた使命は、V字回復を盤石にし、天災や紛争といったどんな危機に見舞われようと微動だにしない成長企業に育て上げることでした。

 日立が経営危機に陥った遠因は「大企業病」にあったと思います。大企業的体質にはいろいろな側面があり、話し出せばきりがありませんが、たとえば、保守的で改革を好まず先延ばしにする事なかれ主義、失点の少ない人が出世しやすい官僚的体質、自分が担当する事業部門で赤字を出しても他部門が助けてくれるという甘えの構造などです。私がすべきことは、日立という巨大企業の中にいくつも立ちはだかっていた「壁」をたたき壊す作業であったと思います。

 その一例が、ビジネスユニット(BU)制の導入です。日立は川村改革の下でカンパニー制を導入し、一定の効果を上げていました。ただ、導入して5年も経つと、新たな課題も浮上していました。業績は一定の水準に達したけれど、そこからもう一段高いレベルの成長を遂げるには、何かが足りないのです。

 ご存じの通り、カンパニー制では、各カンパニーに社長がいて権限と責任は明確化されています。強い権限が与えられる代わりに、期待される業績を上げることができなければ交代させられます。そのため、本社の社長には社内カンパニーのトップの人事権はあっても、経営の実装には口出ししないのが原則です。

 もちろん、すべてお任せというわけではありません。四半期ごとにそれまでの売り上げや利益の達成度と、年度内の達成見通しの報告を受けます。その報告をもとに、会社全体の業績見通しを修正して公表します。それによってまた株価は変動します。

 社長になってわかったことですが、上期まではどの社内カンパニーも「年度内の目標は達成可能である」との見通しを報告してきます。株価も堅調に推移します。ところが、年の瀬が近づき、第3四半期も終わろうかというころになるとがぜん雲行きが怪しくなってきます。

 「実は……」

 目標予算の達成が難しくなってきました、という報告が目に見えて増えてくるのです。

 これを「実は物語」と呼んでいました。

■甘えの構造が残っていた

 また、日立はなんと言っても巨大企業ですので、社内カンパニーは、どこも多くの事業を抱えていました。各カンパニーは、カンパニー全体としての売上や利益率などで評価していましたから、カンパニーの社長としては当然、高収益の事業に注力します。それはいいとして、問題は、不採算事業や利益率の低い事業のほうです。

 部門の担当者はもちろん、「今期こそ黒字転換します」「採算は上向きます」と、業績を改善する計画を立ててきます。

 きちんと立てられた計画にのっとって目標が達成できれば何も問題はありませんが、苦し紛れに作った現実的でない計画が、精査もテコ入れもされないままでは前述の通り、第3四半期には「実は物語」が待っています。

 「自分のところが赤字でも、ほかが帳尻を合わせてくれる」という、カンパニー制導入で一掃しようとした甘えの構造が、まだ根強く残されていたということです。

 そこで私は、社内カンパニーを解体して、2000億~数千億円程度のBUに分割・再編し、すべてを社長自らがマネジメントするBU制に移行させることにしたのです。

■トップダウンが必要な場面がある

 BU制の導入はいわば社内革命です。大混乱が予想されました。

 9社あった社内カンパニーの社長は、一国一城の主です。その人たちから城を取り上げてしまうのですから大変なことです。

 また、カンパニー制度のもとでグループ長やカンパニー社長を務めていた副社長も、社内カンパニーがなくなってしまえば仕事がなくなってしまいます。

 大変なのは役員や理事ら経営幹部だけではありません。BU制を導入するには、グループ・コーポレート部門や研究・開発グループを除いた、ほぼ全社員が関係する人事も断行しなくてはなりません。

 「だらだらと進めていては、社内に不安や不満、反対論が充満してしまうだろう。士気に影響が出てしまう。スピードが命だ。事前に告知するのはやめよう」
そう考えました。

 大改革を断行するときは、説明より結果が大事なときがあるのではないでしょうか。結果を出す前にあれこれ説明しても、疑心暗鬼が募るだけです。それより、結果を出して、「みなさんの努力で業績もよくなった、ボーナスもたくさん出せました」と説明したほうがだんぜん理解しやすいと考えたのです。

 どんなチームのリーダーも、何かを大きく変える必要に迫られることがあるでしょう。ときには、トップダウン型の改革が有効であることを頭の片隅に置いていただけたらと思います。

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最終更新:4/30(火) 6:32

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