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「進学クラスの恥」→「ツテなしコネなし、いきなり海外起業!」37歳女性の“大胆すぎる挑戦” 「とりあえず現地に行く」「まず動く」ワクワクする“世界の歩き方”とは?

5/6 6:02 配信

東洋経済オンライン

カンボジアの地で子育てをしながら会社を経営する女性、奥田けいこさん(37歳)。
会社の経営、そして子育て。経営や子育てどちらかだけでも大変なのに、それを日本とカンボジアを往復しながらこなしている。
彼女のそのバイタリティはいったいどこからきているのか。またなぜカンボジアでビジネスをしているのか。
今回は奥田さんの行動力の秘密に迫ってみた。
*この記事の前編:「“受験失敗”から大逆転!」37歳女性の“海外挑戦”

■カンボジア「プノンペン」と「それ以外」の落差が凄い

 奥田さんは今、カンボジアの首都、プノンペンで不動産業を中心にビジネスを展開している。

 主にカンボジアに長期出張に来るビジネスパーソンのための賃貸住宅の斡旋や移住者のためのサポートを業務としている。

 プノンペンは今、大きな転換期の中にあり、どんどん開発が進み都市化が著しいという。中心部の地価は高騰し、物価も日本とそう変わらないと奥田さんは話す。

 「日本は東京以外にも大阪や名古屋といった大都市がたくさんありますよね。でも、カンボジアはプノンペンに集中していて他との落差が凄いんです。おそらく日本の方がイメージされるカンボジアの牧歌的な風景はプノンペン以外になり、今私がオフィスを構える場所は東京でいう港区にたとえられるような場所です」

 そんなプノンペンにオフィスを構えるまでには3年の準備期間を要した。

 東日本大震災の後、地元である宮城県で災害公営住宅の建設に携わり、その後、自身の起業の準備を始めることになる。

 学生時代から会社を経営し、売り抜けた経験もある。登記なども、できることは自分自身の手でやって学んできた。

 そのうえで、海外で起業しようと思ったのは、復興への葛藤と子どもの将来というのが大きかったという。

■「海外移住」を決意した理由は? 

 「震災復興に携わらせていただいて、最初は子どもが小さかったので、在宅勤務で母乳を与えながらパソコンに向かうような毎日でした。祖母もプレハブの仮設住宅にいたのもあって、このときは必死でしたね。どんどん忙しくなる業者としての部分と被災者家族としての両面から目の前の現実を見てきて、いろいろと思うことがあったんです」

 奥田さんは、家族が震災の被災者であると同時に、携わっている建設関連の仕事は復興事業の要であり、これまでよりも潤っているというなんとも皮肉な状況に身を置くことになる。

 「自分がしたいこととできることの落差も痛感して、自分の中でやり切ったなと思えたとき、思い切って海外に移住しようと思いました。モノより経験に費やしたいと思って子どもにも『日本の他にもたくさんの国がある』と知ってほしかったので、『英語と中国語を学ばせたい』と思って。それならアジア圏がいいよねということで、最初はマレーシアに行きました」

 建設業に携わっているからこそ感じた、震災復興における光と影。

 そんな現実を目の当たりにした奥田さんは、思い切って地元を、さらには日本を離れる決意をする。

 そして、マレーシアを皮切りに東南アジアを巡る起業準備の旅が始まる。

 「海外で起業しよう」。そう決めたはいいものの、何か伝手があるわけではなく、見込みがあるわけでもなかった。まったくのゼロからのスタート。

 「子どもの学校はどうなるかな」「銀行口座は作れるのかな」「ビザはどうなるかな」。心配はあれど、まずは現地に行くことから始めた。

■とりあえず現地に行ってみて情報収集

 「まずは現地のコンドミニアムに滞在しながら、街並みを見て情報を集めることにしました。現地のレンタカー会社で車を借りるときに『会社を作りたいんだけどサポートしてくれる人がいないかな?』と聞くことから始めましたね。レンタカー会社は手続きのときに『観光なの?  ビジネス?  国際免許ある?』とか必ず会話になるので、そこからいろいろ話を聞いていました」

 学生時代から旅慣れているからこその情報収集の術だろう。そして、この工程こそが本当に「楽しい」と奥田さんは語る。

 「もちろんインターネットで調べたりもしますが、一番は現地の人たちに聞いていき、話す。もちろん英語が通じないこともありますが、そこはもう『1個1個クリアしていく』というその感覚がすごく楽しいんですよね。『旅行』じゃなくて『暮らす』ことを意識して。誰かに任せてとかではなく、自分で知っていくことがいいんです。渡航前に抱いているその国のイメージは、それまでに自分が得た端的な情報しかもとになっていませんから」

 そうして、訪れたのはマレーシア、インドネシア、ベトナムなど東南アジアの国々。

 そこで話を聞いては「何が商売になるのか」「子どものための学校はあるのか」「外国人が現地で法人設立はできるのか」などを調査していった。

■東南アジアを巡り、「カンボジア」で見つけたチャンス

 そこからは日本と海外を往復する日々が続いた。

 まだ子どもも小さかったため、海外定住はせずに、行ったり来たり。そんな中で、カンボジアがさまざまな障害をクリアでき、会社を作れるという目星がついたのが2年目のことだった。

 「会社を作るのも準備をするのも、『自分たちの貯金、限られた予算の中で借金はせずに身の丈にあったものをやろう』と決めていました。もちろん、何ができるかもわかりませんし、決めていません。でも、カンボジアはないものが多くて『チャレンジできそうだ』と感じたんです」

 何かを決めて現地に入るのではなく、現地で自分が何をビジネスとしてできるかを感覚で確かめて決める。これこそが奥田さんの持つバイタリティとビジネス的センスだろう。

 「カンボジアへ何度か訪れているうちに、『ここで不動産を購入したいな』と思うようになって。自ら経験して知識を得ていくうちに、自分たちが専門でもある建設や不動産の仕事ができるということがわかったんです。子どものことを考えて、すぐにはカンボジアに入らずにマレーシアに拠点を築き、そこからカンボジアと準備のために往復することにしました」

 経験値のない業種にいきなり海外で挑戦するのは避け、建設ラッシュであるプノンペンの状況に目を向けた。

 だが、世の中はコロナ禍に突入。

 海外への渡航が容易にはできなくなり、如何ともしがたい事態に襲われる。

 「コロナ禍でギリギリまではカンボジアに入り準備をしていたのですが、いよいよ渡航が無理となって、割り切ってひきこもりました。もう焦っても仕方ないので、始動時期を待つ、という感じです。できる手続きを進めて、資格を取得したり、情報収集と資料作成に時間を費やして。本当にできるところで動いてました」

 たとえ動けなくとも、できることはする。そのうえでカンボジアはまだ他の東南アジアの国々に比べ日本人も少なく、伸びしろがありビジネスができると熱は高まった。

 ここでも「すべてを自らの手で行う」という奥田さんの流儀により、銀行口座開設、法人登記など、現地の役所への手続きなどを自らの手で行っていった。

 「さすがにわからないことは通訳さんをつけて、一緒に話しに行きました。日本でも法務局とかに登記しに行きますよね。あれと同じことをカンボジアでもやったわけです」

■「コロナ禍で立ち上げた新会社」とは? 

 そうして苦労しながら、カンボジアでの本格的な準備から14カ月目、2021年にカンボジアに会社を設立。

 まだまだコロナ禍でその余波はあったが、自ら苦労して得た知識は、カンボジアに来る日本人に対して、さまざまなサポートビジネスとして展開できることにもつながった。

 もちろん、子どもの学校もしっかりと見つけて、まずは生活面での安定を優先させた。

 「カンボジアは物価が安いイメージがあると思いますが、プノンペンに関しては日本と同じ生活をするなら倍はかかると思います。ものによりますが、たとえばコーヒーをカフェで飲めば500円くらい。日本ならコンビニに120円くらいでコーヒーがありますが、それはこっちでは露店商で買えるものと同じです。だから自分が新卒で就職したときなら絶対に無理だろうなって思います」

 そう、カンボジアでも今、プノンペンに関しては発展が凄まじく、地価や物価も上昇しているわけである。

 だが、せっかく会社を設立したのに、コロナ禍でダメージは受けなかったのだろうか。

 「カンボジアで起業するので、カンボジアの人々とビジネスをしたいと思っていて。だから、直接的な影響はありませんでした。でも、コロナ禍で今までいた外資の業者の人たちは帰国したりして、逆に相談するところがなくて、私のところにどんどん問い合わせが来るようになりました。『今、入国できますか?』『これをするには、どうしたらいいですか?』みたいな、ビジネスというよりは、ほんとにカンボジアでの現地状況に関することを伝えてあげるという感じでした」

 「コロナ禍で皆が母国に引き返す中で現地に入り込む」という偶然ではあるが、言わば逆張りの戦略が功を奏した。

 日本から来る問い合わせに親身に相談にのれば当然、カンボジアでのアドバイザーとなり顧客となってくれる。そうしていくうちに、ゼロから始めたビジネスは、次第に順調に回っていくようになった。

 そして、カンボジアにいるからこそ対応できることも非常に多い。

 「いつ渡航して来てもらってもいいというのは強みですね。あとは、たとえばカンボジアで外国人が土地を買う手続きは非常に複雑なんです。コンドミニアムとか土地付きでない建物は買えるのですが、土地は同じようには買えません。そのうえで法整備がどんどん進んでおり、ルールも変わるので、そのスピードには現地にいないと追いつかない状況です。海外の人は決断も早いですからね」

 日本でも建物の売買をする業者はいるが、やはり現地とのスピードの差が出るという。

■「子どもが自立したら、また海外に旅に出たい」

 カンボジアでの起業から3年。現地スタッフも雇い、少しずつビジネスも根付いてきた。

 「支店を増やしたりだとか、さらに別の国でビジネスをしたいとは今は思ってはいないです。ゆくゆくはここも現地スタッフに任せていきたいなとは思います。子どもが自立したら、また海外に旅に出たいですね。それが本当に楽しみなので」

 学生時代から大好きだった旅行で、今度はどんな発見をするのか。

 奥田さんの世界へ、そして人生の旅路はまだまだ続いていく。

*この記事の前半:「“受験失敗”から大逆転!」37歳女性の“海外挑戦”

東洋経済オンライン

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最終更新:5/6(月) 6:02

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