16年の幕を閉じた「沖縄国際映画祭」が残した課題 映画だけではない、総合エンタメの祭典だった

4/30 10:32 配信

東洋経済オンライン

 沖縄の春の風物詩ともいえる、大型イベント『島ぜんぶでおーきな祭 第16回沖縄国際映画祭』が2024年4月20日、21日の2日間にわたって開催された。

 16年にわたって続いた祭典は、今年で幕を閉じる。今年も、那覇市や、北中部地区村、沖縄市など本島内各所で映画作品の上映のほか、お笑い、音楽、ダンスのステージイベント、アート展示などが開催され、2日間で約5万5000人を動員した。

 那覇・国際通りの一部を封鎖する恒例のレッドカーペットには、浅野忠信、賀来千香子、剛力彩芽、桂文枝、西川きよし、などの俳優や、芸人、タレントのほか、知念覚那覇市長、実行委員会・委員長の大﨑洋氏ら総勢760名が登場した。

 沿道には約1万5000人の観客が詰めかけ、最後のレッドカーペットイベントを惜しみながらも、全員が笑顔で大歓声をあげ、心から“地元の祭り”を楽しんでいる様子が伝わってきた。

■映画祭16年の歴史と変遷

 本イベントは2009年に『沖縄国際映画祭』としてスタートした。2015年からは『島ぜんぶでおーきな祭』として、映画だけでなく、音楽、お笑い、ダンス、アート、スポーツなど沖縄全域を舞台にした総合エンターテインメントの祭典へと変化を遂げた。祭典には、国内だけでなく、台湾や韓国などアジアの映画作品、関係者、メディアが集った。

 街を華やかに盛り上げた映画祭には、テレビや映画で活躍中の芸能人が沖縄に集まる。そのことは沖縄の若い世代を中心に大きな関心を集め、親子で会場を訪れる観客の姿も目立った。

 スタートからわずか数年で、春の沖縄をエンターテインメントで盛り上げる一大イベントに成長。地元の人々に愛されるとともに、経済振興に大きく寄与してきた。

 コロナを経た2022年の開催からは、それまで築き上げてきたエンターテインメント発信の場と、地元との信頼関係をベースに、地元沖縄の伝統芸能や文化をメインに据えてフィーチャーする形に変わった。

 同時に、観光以外の産業がなかなか根付かず、貧困の島とも呼ばれる沖縄が抱える社会問題をソーシャルビジネスで解決していくことを目指す「島ぜんぶでうむさんラブ」プロジェクト(島ラブ)を2021年よりスタートし、事業プランコンテストを実施してきた。

 今年で最後になった映画祭のメインイベントの1つは、3回目となる「島ラブ祭 ソーシャルビジネスコンテスト」だ。今年1月から始まったソーシャルビジネスのアイデアを形にする島ラブアカデミーに参加した7組が事業プランを発表した。

■ソーシャルビジネスコンテストは継続

 7組のプレゼンでは、子どもの職業体験の場作り、ビーチなどのゴミ拾いのネットワーク、笑顔と元気の源になる美容の介護への取り込みなど、すでにアクションを起こしているアイデアも含めて、事業化へのポテンシャルが高いであろうプロジェクトが次々に発表された。

 観客投票による審査の結果、今年の「島ぜんぶでうむさんラブ賞」(最優秀賞)は、おからを活用して島豆腐文化を守る「Okaraokara」が受賞。

 豆腐の製造過程で出るおからを廃棄物から資源へと変えることで、コストと環境負荷を減らすのと同時に、代替肉のおからミートによる健康促進など、おからの価値を高める商品開発を進めるプロジェクトだ。

 島ラブを運営する、うむさんラボ社の代表取締役・比屋根隆氏は「3年やってきた積み上げから認知が広がり、応募者数は増えています。今回から企業賞(沖縄セルラー電話賞、大和ハウス工業賞)を取り入れましたが、一緒にコラボしたいという企業も多くなりました」とこれまでの取り組みの手応えを語る。

 スタートからの3年間、沖縄国際映画祭のなかの一部として開催されてきたが、映画祭終了後も島ラブプロジェクトはこれまで同様の形態での実施に向けて調整中であり、来年以降も継続していく。

 比屋根氏は「この3年間でファンドを作りました。コンテストのプレゼンからファンド出資者とつながるエコシステムを4年目以降に作っていきたい。県内のいろいろな行政機関とも連携を深めてきて、次のステップとして県の補助事業でのテストマーケティングをする流れができつつあります。4期目はそういうエコシステムをさらに拡充していきます」と意気込みを語る。

 沖縄国際映画祭は終わるが、沖縄の多くの若い世代がソーシャルビジネスに関心を寄せるようになったいま、島ラブプロジェクトはここからさらに羽ばたいていきそうだ。

■16年の笑顔と感動が凝縮されたラストライブ

 映画祭としては、かねて取り組んできた地域課題の解決を掲げる地域発信型映画や、老朽化のため昨年解体された沖縄最古の映画館・首里劇場を舞台にするドキュメンタリー特集、沖縄の風景や文化を映す沖縄舞台の作品をセレクトした沖縄産映画特集などが上映されたほか、お笑いコンビ・ガレッジセールのゴリが照屋年之として監督する新作『かなさんどー』発表イベントなどが行われ、映画祭ラストを賑やかに締めくくった。

 そして、映画祭の終幕を華やかに彩るエンディングイベントは、16年の映画祭の歴史と沖縄の伝統芸能が融合する2部構成のライブ『Laugh&Peace LIVE』だ。

 1部は、第2回から出演してきた映画祭を代表するアーティスト・かりゆし58によるライブ。これまでのステージの思い出を振り返りながら、映画祭最後の夜への思いを語り、熱く歌う。満席となった那覇文化芸術劇場なはーとの観客の心を震わせ、涙を流しながら拍手を送る人の姿も多く見られた。

 2部は宮沢和史プロデュースによるステージ。沖縄県内外で活躍する若手琉球古典音楽演奏家・親川遥の古典演奏、親川遥と宮沢和史との「島唄」コラボ、そして宮沢和史のライブが開催された。

 最後はこの日の出演者全員がステージに集い、THE BOOMの「シンカヌチャー」を歌った。バックスクリーンには過去16回の映画祭の映像が流され、観客全員が手拍子をしながらエイサーの掛け声をあげる。映画祭の16年をともに過ごした仲間が一体になり、最高の笑顔と感動の涙に包まれた、沖縄国際映画祭らしいエンディングになった。

 クロージングセレモニーに出席した実行委員会・副会長の知念覚那覇市長は「イベントと観客がひとつになり、笑顔の輪が広がったことに大きな喜びを感じています。今回で終了しますが、沖縄から新たなコンテンツを発信するという意味では大変多くの意義がありました。これまで培ってきた経験は、別の形で次の新たなステージへつながっていくものと考えています」と締めた。

 一方、地元選出の宮崎政久衆議院議員は、観客の1人として「沖縄に定着して大きくなったこの映画祭には思い出がたくさんあり、終わることに寂しい思いがあります。いいことがたくさんあった時間が我々を引っ張ってくれました」と振り返る。

 また、母親と会場を訪れていた那覇在住の保育士の女性(20歳)は「毎年好きな映画や俳優さんを見に映画祭に来ていました。俳優さんとかタレントさんが大勢来るこんなに大きなイベントは沖縄にほかにないので、終わってしまうのは残念です」。沖縄市から来ていた会社員の女性(50代)も「映画祭は沖縄の風景のひとつに溶け込んでいます。せっかく続けてきたのに、終わるのはもったいない」と話していた。

 そんな声が届いているのか、宮崎議員は「今回でひと区切りになりますが、これを糧として、これからは我々県民からしっかり盛り上げていけるような大きな取り組みにしていきたい」とこの先の継続への意欲も示した。

 長きにわたって映画祭をサポートしてきた西川きよしは「今日がゴールですが、また新しい出発への第一歩だと思っています。これからまた沖縄との新たなコラボを考えていければうれしい」。桂文枝も「いったん終わりますけどまたやらせていただきたい」と力を込めた。

 吉本興業が主体となってきた沖縄国際映画祭は終わるが、そのバトンを地元が受け継ぎ、沖縄主導による新たなイベントとしてのリスタートへ向けた意欲を感じさせた。

■映画祭の観光観点での功績

 映画祭の初期から関わってきた沖縄観光コンベンションビューローの下地芳郎会長は、映画祭の功績を「映画祭としてスタートしてから、伝統芸能や文化、ソーシャルビジネスと範囲を広げ、沖縄全域の活性化および人材育成に大きく貢献をしてきています。県民がエンターテインメントを身近に感じるようになったことも沖縄にとっての大きな効果です」と振り返る。

 沖縄観光の観点でも、自然と文化という柱に加えて、エンターテインメントが新たな柱に加わったことは映画祭の功績として挙げられるだろう。

 そんな映画祭が終わるこれからについて聞くと下地氏はこう語る。

 「この時期を盛り上げる取り組みの必要性は関係各所が認識しています。沖縄県と観光業界、さらには市町村のみなさんを含めた協議の場が必要。なるべく早いうちに意見交換をしたいと思っています」

■大﨑洋氏が語る映画祭終了への思い

 実行委員会・委員長を務め、映画祭を牽引してきた吉本興業・前会長の大﨑洋氏。東京から来たよそ者が地元との連携と協力依頼に奔走し、少しずつ信頼関係を築いてきた16年の道のりを振り返り、その幕を閉じることをかみしめる。

 「個人的に沖縄に46年間通っているなか、この16年は映画祭を楽しみながらやってきました。いったん立ち止まって、見直して、また進むためのひと区切りかな。終わることをポジティブに捉えないといけないと思う」

 映画祭でエンターテインメントに触れた地元の子どもや若い世代に与えてきた影響は大きいだろう。16年間の功績について聞くとこう答える。

 「映画祭が役に立ったかはわかりません。データなどのエビデンスもない。ただ、数字で測れないことですけど、個人的な感覚としては、地元の人たちによろこんでもらえたと思うんです。映画祭を体験して、自分の好きなことや、やりたいことに気づく子どもたちがいたかもしれない。そうあったと思いたいですね」

 そして、この先について。沖縄と東京、大阪のエンターテインメントをつなぐキーマンであり、沖縄をエンターテインメントの島にすることを掲げていた大﨑氏はどう動くのか。

 「沖縄の春の風物詩になるまでの大きなイベントになったので、これからは沖縄の人たちが声を上げて続けてほしい。それが理想です。地元が自分ごととして動き出して僕に声をかけてくれるなら、そこに参加することもあるかもしれません」

 大﨑氏は当初、映画祭を100回まで続けると宣言していた。いま改めて聞くと「調子に乗って言ってしまって、終わるとなってからいろいろ言われています(笑)」と笑顔を見せる。

 「子どもたちへの職業の提案や体験、若い世代の人材育成という面では長く続けなきゃいけない。うまく次の人にバトンタッチして引き継ぎたいという思いです。

 そのためにも、イベント自体を事業化してお金の流れを作っていかないと継続性は担保できない。それにはやっぱり時間がかかる。経済的な自立と自走が継続へのひとつの大きな柱。そこを目指すのが第2のスタートになるんじゃないですかね」

 沖縄の観光と経済に大きな風を吹かせた沖縄国際映画祭は幕を閉じた。その16年の歴史のなかでは、沖縄41市町村に芸人を派遣し地元と一体になる市町村応援団を設けるなど、吉本興業ならではの取り組みが、まさに沖縄ぜんぶをエンターテインメントで盛り上げた。

 そんな流れを作ってきた映画祭の功績は大きい。しかし、大﨑氏が話すように、最大の障壁となる資金面の問題はこれからに残された課題だ。自立自走できなければ、どんなに喜ばれ、どんなに意義があるイベントでも、永続的な継続はかなわないだろう。

■継続性の担保が期待される

 映画祭の終了は、その事実を改めて地元に突きつけた側面があるかもしれない。しかし今回の映画祭では、投げられたボールを地元が受け取ろうとしているように感じられた。沖縄が主体となってリスタートする意欲が節々からにじんでいた。

 16年前に火がつき、地元と吉本興業が一体となって大きくしてきたエンターテインメントの灯火は、担い手が引き継がれるとともに、継続性が担保される形態となって生まれ変わることが期待される。

 まさにこれから地元は、来年以降の開催に向けて動き出そうとしている。それがどのような形のリスタートになるかはこれからだが、エンターテインメントの島・沖縄の新たな出発と、次なるステップでの進化に期待したい。

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最終更新:4/30(火) 10:32

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