年収800万彼氏が"遠恋2年"で激変1000万借金発覚…全て自腹で結婚に踏み切り即妊娠判明の女性を襲った試練

4/20 10:17 配信

プレジデントオンライン

現在30代の女性の幼少時は心を落ち着かせる時間がなかった。両親は7歳の頃に離婚し、その後、母親は彼氏をめまぐるしく取り換え、女性は「この人は母親ではなく、お金を出してくれるだけのパトロンと思おう」と見限った。大学時代に交際を始めた彼氏は遠距離恋愛中に1000万円の借金を作っていた。この後、女性はひどい“金難男難”に見舞われる――。

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ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。
そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体的事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破る術を模索したい。
今回は、7歳の頃に両親が離婚して以降、母親に振り回され続け、その後、結婚した夫にも振り回された、30代の女性の家庭のタブーを取り上げる。
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■両親は7歳の頃に離婚

 中国・四国地方在住の小倉沙美さん(仮名・30代)の両親は、20歳前後の頃に出会った。母親より1~2歳上の父親は自動車メーカーに勤務し、母親は看護師だった。

 「出会いのきっかけはわからないのですが、いわゆる“デキ婚”だったようで、母は自分の母親(小倉さんにとって祖母)にも、父との結婚が決まるまで何も言わなかったようです」

 両親は母親が21歳のときに結婚し、22歳の頃に小倉さんを出産。その2年後に妹が生まれた。

 「父は自分の趣味や仕事に生きる人で、優しくはありましたがあまり遊んでもらった記憶がありません。母は人の世話をするのが好きですが、相手のためというよりは、恩を着せてマウントを取ろうとするタイプです。プライドが高く、自分が悪くても謝ることはしませんでした」

 小倉さんの母親は料理が下手だった。美味しくないせいで小倉さんや妹の食が進まないと怒り出し、バツとして1~2時間玄関の外に出されていた。また、母親から言われたことにすぐに従わないと、頭や肩などを叩かれた。ひどいときは腕を叩かれた拍子に母親の爪が腕の皮下組織までえぐったこともあった。だが、痛がって泣く小倉さんを前に、「これぐらいたいしたことない」と言い、病院を受診させてくれなかった。そのため小倉さんの腕には今も、そのときの痕が残っている。

 父親は仕事が忙しく、平日は夜遅くまで帰らず、休みの日もほとんど家にいなかった。もともと転勤が多かった父親は、小倉さんが小学校に上がると単身赴任に出ることに。

 その約1年後、小倉さんが7歳の頃、父親(30代)の不倫が発覚。母親(29歳)が責めると父親は、「彼女と一緒になりたい。もうお前たちとは住めない」と言った。

 母親は父親が仕事でいない日の夜、突然荷物をまとめ、小倉さんと妹を連れて関西の家を出、中国・四国地方の実家に帰った。

 父親は何度か母親の実家に来て話し合いを求めたが、母親は「養育費はいらない。その代わり子どもたちにも会わせない」と言って完全拒否し、離婚に至った。

■母親と祖母

 母親は離婚前、父親にはもちろん、小倉さんと妹にも何も言わず、夜逃げのような形で実家に帰った。3月半ばのことだったため、小倉さんは小学校1年生の終わり、妹は幼稚園の年長で卒園間近。小倉さんは「あと数日、私の学年終了と妹の卒園まで待てなかったのか。せめて友だちにさようならくらい言わせてほしかった」と思った。だが一方で、「一人になった母を私が支えなくては」という思いもあり、料理などの家事を積極的に手伝った。

 母親の実家は祖母が一人で暮らしていた。母方の祖父は働かずにお酒を飲んでは暴れる人だったらしく、母親が高校生くらいの頃に離婚している。離婚後、祖母はよろずやのような小さな売店を始め、長女だった母親と次女が2人とも結婚して家を出るまで、一人で育て上げた。

 小倉さんたちが身を寄せてきたとき50代後半だった祖母は、まだよろずやをやっていた。

 祖母と母親の仲は良くなかった。基本的に祖母は店があり、母親は実家に帰ってきてから保健師の仕事に就き、2人ともあまり家にいなかったが、母親が小倉さんたちに暴力を振るったときや、母親が祖母に渡す食費などが少ないときなど、たびたび揉めていた。

 「祖母には事実婚状態の夫がおり、私と妹は『おじちゃん』と呼んでいて、よく遊びに連れて行ってもらいました。でも母は事実婚相手のことも、実の祖父のことも嫌っていて、祖母に対して見下したような発言が多かったです。『私は母親に放っておかれた。私はあの人のような子育てはしない』と口癖のように言っていました」

■身勝手な母親

 プライドの高い母親が父親からの養育費を突っぱねた結果、小倉家は困窮していた。小学校で必要な備品は、母親が百円均一ショップなどで探してきた安物ばかり。同級生にはからかわれたり、腫れ物に触るような扱いをされたりして、恥ずかしい思いをした。

 「両親の離婚には納得していますが、前触れなく環境を変えられたこと、父親の交流を強制断絶させられたことについては今も『母の勝手だった』と思っています。父と面会するかどうかは、ちゃんと自分で選びたかったです。父に会いたいからではなく、自分の中できちんと整理をつけるために……」

 母親は離婚後、自分に交際相手ができるたびに小倉さんと妹に会わせた。その度に小倉さんは、「この人が新しいお父さんになるのか」と受け入れ、懐(なつ)こうと努力した。しかし、ようやく懐いた頃には母親はその相手と別れている……ということが繰り返された。

 「母はのちに、『再婚するなら娘たちに懐いてもらいたい』という私たちへの配慮だったと言っていました。でも実の父親にも会わせてもらえない上にそれだったので、かなりの覚悟で受け入れたのにあっさり別れる……ということを繰り返され、娘としては家族関係や生活スタイルがコロコロ変わるのは苦痛でしかありませんでした」

 交際相手が外国人だった頃もあり、突然キリスト教のミサに連れて行かれたり、交際相手の家に一緒に遊びに行って泊まらされたりすこともあった。

 中学生になると小倉さんは、母親に交際相手を紹介されても、「どうせこの人ともすぐ別れるだろう」と思い静観するようになっていた。

■「私の人生をめちゃくちゃにする気⁉」

 小倉さんが中学3年生になったある夏の日。突然母親(37歳)から、「再婚するから北海道に移住したい」と言われる。そのとき交際していた男性が仕事の関係で北海道に転勤になり、それについて行きたいと言うのだ。

 受験を控え、地元の進学校を目指していた小倉さんは、「私はお祖母ちゃんの家に残りたい」と言った。すると母親は烈火のごとく怒り出し、「私の人生をめちゃくちゃにする気?」と怒鳴られる。

 「自分はそんなことを言うくせに、娘の人生はこれっぽっちも考えてないんだ……」と大きなショックを受けた小倉さんだが、まだ中学生では従うしかなく、母親が指定した北海道の高校を受験させられ、4月からその高校に通い始めた。

 「交際相手がコロコロ変わり、『母に裏切られ続けている』という思いが積み上がっていたときだったので、この一件で『もうこの人のことは母親ではなく、お金を出してくれるだけのパトロンだと思おう』と割り切ろうとしました」

 結局、母親と養父は、任期の2年が過ぎると、「寒いから帰ろう」と言って妹だけ連れて中国・四国地方に帰ってしまう。当時高校3年生だった小倉さんは、そのまま一人で北海道に残り、一人暮らしをしながら高校に通った。

 しかし、その後も母親は小倉さんの人生をコントロールし続ける。

 「実家のある中国・四国地方の国立○○大学の看護科じゃないと許さない。奨学金も許可しない。すべり止めで他の大学を受けることも許さない」と言い、高校受験以降、すべてを諦めていた小倉さんは言われた通りの大学を受験。

 「看護師免許さえ取れば何をしてもいいと言われたので、仕方なく受験しました。せめてもの反発で、大学センター試験の3カ月前まで勉強せず、塾にも予備校にも学校の講習会にも行きませんでしたが、たまたま運よく現役合格してしまいました」

■不穏な結婚

 一足先に中国・四国地方に戻っていた小倉家は、賃貸アパート暮らしをしていた。

 母親が指定した中国・四国地方の国立大学の看護科に合格し、遅れて戻ってきた小倉さんに母親は、「あんたの部屋はないよ。もう一人暮らしできるでしょ?」と言われ、小倉さんは結局大学の近くで一人暮らしをすることに。

 その後母親と養父はマンションを購入したが、そこにも小倉さんの部屋はなく、「もう帰ってこなくていいから」と言われた。

 小倉さんは、1歳年上の同級生の男性と、3年のときに交際を始める。

 やがて、卒業試験に落ちて留年した彼より先に大学を卒業し、社会人になった小倉さんは、まだ学生の彼とのデート費用を全部負担するようになっていた。その度に彼は「出世払いするから!」と冗談めかして言い、小倉さんも「今の時代、男だけが奢(おご)るべきとも思わない」と気に留めていなかった。

 翌年、卒試に受かった彼は遠方に就職が決まり、遠距離恋愛に。結婚を視野に入れていた小倉さんと彼は、「お互い貯金して、結婚式費用や新居関連費用を折半しよう!」と話していた。

 ところが約2年後、いざ結婚しようという段になり、小倉さんが彼の貯金額を聞き出すと、

 ・車のローンが600万円
・奨学金の残額が400万円強
・貯金が20万円

 ということが判明。

 「彼はこの2年間、年収800万円、手取りでも500万円以上あったはずでした。なのに車のローンと奨学金の返済でマイナスに陥っていることに愕然としました」

 小倉さんが婚約破棄を切り出すと、彼は泣き落としにかかった。困っていると小倉さんの母親が、「これから返してもらえばいいじゃない」と説得してくる。

 そのため小倉さんは、結婚式費用や新居費用など、すべてを自分の貯金から出して結婚。彼には結婚後の給料から、半分返してもらうことを約束。ただ、彼のおおらかさに惹かれていたものの、金銭管理のずさんさや金銭感覚のズレに不安を抱いた小倉さんは、結婚後の家計管理は自分が務め、お小遣い制とすることで彼と合意した。

■飲み会好きの夫

 小倉さんは、結婚の約2カ月後に妊娠が発覚。産休に入るまでは働くつもりだったが、妊娠2カ月で重度のつわりに見舞われ、卵巣捻転と重なり入院。やむなく休職することになったため、小倉さんの収入は激減する。

 夫の職場近くで暮らしていた小倉さん夫婦だが、出産に伴い小倉さんの地元へ移るため、夫は転職。一時的に年収が半分になり、月10万円の車のローンが家計を圧迫し始める。

 ところが、もともと飲み歩くことが好きな夫は、飲みに行くことを諦めない。「お小遣い制だから無駄遣いもできないだろう」と高をくくっていた小倉さんだったが、冠婚葬祭費については家計から出していたところ、夫はそこに目をつけ、毎月のように友人知人の結婚式に出席することで飲み歩くように。

 多いときは夫の結婚式出席費用として20万円以上かかった月もあり、これでは生まれてくる子どものために貯金もできない。

 やがて夫は、「塾で少しだけ一緒だっただけの先輩」など、希薄な関係の結婚式にも出席するようになる。これにはさすがに怒り心頭。夫は“お車代”が出る結婚式でも「もらっていない」と嘘をついて、小倉さんに交通費を請求し、差額分を自分の懐に入れていた。

 呆れた小倉さんは、「私たちの結婚式に参加してくれた人の結婚式にだけ、家計から結婚式への出席費用を出す」という制限を設ける。

 すると夫は小倉さんのことを、“がめつい鬼嫁”として友人知人たちに吹聴し始めた。(以下、後編へ続く)



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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。
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最終更新:4/20(土) 10:17

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