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投稿コメント一覧 (273コメント)

  • >>No. 15

    「自由と責任」そう思います。
    が、人は責任をどれだけ負えるのでしょうか?

    マスコミが言論の自由を謳う時、一対に考えていると思えません。
    NHKで放送されていましたが、
    ヘイトスピーチを取り締まる法規制はできないとの事です。
    (攻撃は最大の防御であると思っているのでしょうか?)
    個人的な侮蔑なら、侮蔑罪が成立するようですが、

    私の立場は、軽々に自由の言葉を使って欲しくないと思っています。
    私は法以前に世間の常識があると思っています。
    その常識を破る時、法に照らして考えたら良いと思っています。
    その法を破る時、十分な覚悟(責任)を持てば良いと思っています。

    現在の中韓の発言を聞いていると、彼らの常識を疑います。
    石平さんが「中国人はウソも百回言えば本当になると思っている」
    と言って笑いをとっていました。
    確かに、常識にはそんな要素が含まれます。
    三島由紀夫の「不道徳教育講座」に、
    「嘘を突き通せば本当になる」と書いてあったように思います。
    40年前の事ですが、意表を突かれたのを覚えています。

    人は何かを信んじたり、頼っています。
    極端な例は、オームやISILです。
    穏やかな例では哲学や思想があります。
    科学や哲学・思想は、より確かな解を求めて進歩してきたと思います。
    それぞれの時代にあった常識もまた存在した事は事実と思います。

    日本の教育では「政教分離」の下、宗教を教えません。
    せめて、宗教の存在理由くらい教えるべきと思います。

    若い頃、フロイトやユングの著書を読み、満たされぬ思いで、
    インドに渡って、初めて宗教の存在する理由が分かったのです。
    特に、仏教を学んだ時、根本を知ったと思いました。
    「無分別智」を身に纏う、行くつく先がそこにあると思っています。
    分別すら儘ならぬのに、果てしない道程です。
    その頃の思いは今も変わらず心に存在します。

  • >>No. 18

    仏教の哲理

    私自身は「般若心経」が仏教の哲理と思っています。
    ”色即是空”の理が仏教の根本であり、滔々と流れる本筋と思っています。

    「ビッグバン」が提唱されようやく、無から有へと変わる世界観が生まれました。
    そして、ヒッグスにより重力の所以が明らかになりそうです。
    二千五百年以上前に、物理学が未発達の時に、何故もこれ程確かな事を見通せたのか?
    私見ですが、恐らく、日常を偏向する事無く見つめていたからと、推測します。
    道元は「只管打坐」と禅の神髄を説きます。
    この当たりが西洋哲学や思想の違いと思います。
    論理を飛び越えて、感得する事が本筋にあると、そのように理解しております。
    答えは、目の前にある、そのように理解しています。

  • 「お陰様」

    どんどん使われなくなっています。
    母に、意味を聞いたのは小学校入学前でした。
    その時、同時に縁の意味を教わったのを覚えています。
    しかし、意味が良く分からなくて、思春期の頃には、理解したつもりでした。
    ところが、インドでようやく深い意味があるのを知ったのです。
    偶然の言葉はよく使われます。
    しかし、「偶然」は全知全能無き故に作られ、共認できる限界を現しています。
    ところが、縁には偶然は存在しません。
    全て、必然であるとの考えに基づいています。
    全てが縁により成立っていると、仏教では教えています。
    難しい理論だてもなされていますが、私はただ「そうだな」と受止めています。
    そして、「お陰様」が導き出されたと思っています。
    もし、今でも普通に使われていれば、
    子殺し、親兄弟の殺人などは少なかろうと思っています。
    「何万年・何億年を隔てて、続けて来た命が途絶える」
    「あらゆる命の陰にそれまで紡いだ歴史がある」
    一代限りで終わる風潮に現代人は流されていると思います。
    「死ねば終わり」とは、あまりに自己本位過ぎると思っています。
    「子供を産もうと、産むまいと自己都合の範囲」との風潮があります。
    あまりに身勝手が過ぎると思っています。
    先祖が居て、自分があり、未来へと繋ぐ役割を担って居る事を自覚させない。
    おかしな風潮が、現代を覆っているように思います。
    心の病を抱えていると思えます。

  • >>No. 19

    長らく書き込みを怠っていました。
    申し訳けありません。
    常識を疑う事は大切と思います。
    例えになるかどうか?

    「お陰様」

    どんどん使われなくなっています。
    母に、意味を聞いたのは小学校入学前でした。
    その時、同時に縁の意味を教わったのを覚えています。
    しかし、意味が良く分からなくて、思春期の頃には、理解したつもりでした。
    ところが、インドでようやく深い意味があるのを知ったのです。
    偶然の言葉はよく使われます。
    しかし、「偶然」は全知全能無き故に作られ、共認できる限界を現しています。
    ところが、縁には偶然は存在しません。
    全て、必然であるとの考えに基づいています。
    全てが縁により成立っていると、仏教では教えています。
    難しい理論だてもなされていますが、私はただ「そうだな」と受止めています。
    そして、「お陰様」が導き出されたと思っています。
    もし、今でも普通に使われていれば、
    子殺し、親兄弟の殺人などは少なかろうと思っています。
    「何万年・何億年を隔てて、続けて来た命が途絶える」
    「あらゆる命の陰にそれまで紡いだ歴史がある」
    一代限りで終わる風潮に現代人は流されていると思います。
    「死ねば終わり」とは、あまりに自己本位過ぎると思っています。
    「子供を産もうと、産むまいと自己都合の範囲」との風潮があります。
    あまりに身勝手が過ぎると思っています。
    先祖が居て、自分があり、未来へと繋ぐ役割を担って居る事を自覚させない。
    おかしな風潮が、現代を覆っているように思います。
    心の病を抱えていると思えます。

  • >>No. 17

    こんにちはシャイ~んさん
    私はトピ主でないので、分かりません。

  • >>No. 21

    ここ一月程、集中的に橋下氏の記者会見を動画で見ています。
    以前はどうか?知らないのですが、
    実に懇切丁寧に答えています。
    そして、偏向した方向へ導こうとする記者には容赦なく怒っています。

    記者達の本質が戦前の報道姿勢と変わって居ないとつくづく思います。
    彼等は戦前、戦いを奨励する立場で報道していました。
    戦後、180度転換し、反対の立場で報道しています。
    一切の戦いを放棄する立場です。
    また、政府に加担していた立場から批判する立場に変わって居ます。
    戦前と戦後、全く変わらず偏向報道を続けています。

    つまり、社の方針に沿った報道に従っている所です。
    最も大切な国民の為が抜けています。
    勝手な思いを抱いて、社の方針を国民に押し付けています。
    朝日や毎日がそうであっても、NHKまでも同じです。
    何だこの報道陣達は!
    公正とは何かを、十分身に付けていない。
    橋下氏の以前は、少々ミーハーな処があったし、今も少し残っています。(愛嬌)
    しかし、公平・公正な立場を追い求めているのは確かです。
    記者達とのやり取りを見て、聞いていると、そこに思いやりを感じます。
    親と子程の違いを感じます。
    「親の心子知らず」と思えます。
    橋下氏自身は無自覚だろうが器の違いを感じます。
    馬鹿コメンテータと罵られ、それでも反省できぬコメンテータ
    そして、使い続ける馬鹿プロデューサ、どうなっているのか?
    恐らく、彼等は公平さを考えず、弁解できるかどうかに重点を置いているようだ。
    最終的に法律に守られれば良いだけと思えます。

    NHKで、「ヘイトスピーチの取り締まり」を報道していました。
    結局、法で取り締まれないとの結論でした。

    同じ事が、報道姿勢にあります。
    ヘイトスピーチをとやかく文句を言っていますが、同じ穴の貉です。
    その自覚が記者にない。マスコミに携わる者達が気付いていない。
    恥を晒して居る事に気付いていない、本当に嘆かわしい。

  • >>No. 22

    続・蛇足かも

    ヘイトスピーチが刃物を振り回し、傷つける行為なら、
    報道姿勢はじわじわと蔓延るがん細胞のように思える。
    「戦前、日本を滅ぼしかけた行為をまたも、続けるのか」との思いを拭えません。

  • 検事・弁護士・裁判官は極悪人か?。

    日本に於いて、正義は法に則り裁きを行う。
    (正義は怪しげな語彙を含んでいる)
    そして、法は憲法の下に定められる。
    その憲法に【人権】が認められており、「自由・平等」が謳われている。
    そもそも権利とは何だ!
    「ここに過ちの素が存在している」と私は考える。
    単純な答えとして、「世界は人間の為にある」との前提が含まれている。
    多くの人は、そんなの当たり前と考えている。
    一部の人だけ秩序維持に必要だと、許容範囲にあると認めている。
    そして、私は唯々諾々として従っている。
    だから、せめて、先のような「極悪人か」との発想で己を誤魔化している。

    このような見地から「日弁連」を眺めると汚辱(人の垢)にまみれた存在に見える。

    蛇足、
    最近、公明党が「環境権」なるものを憲法に定めようと表明している。
    これもまた、人間中心でしか生まれない発想だ。
    権利の問題でなく、自然に感謝、神社の意味が、天皇家の意味が分かっていない。

  • >>No. 26

    私見です。

    一神教の逃れられない宿命として、神の代弁者を必要します。
    そこに、人間中心の世界観が生まれるのだと思います。
    例えば、
    デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、原点を自分自身に置いています。
    一方、日本は八百万神や、仏法における縁のような、曖昧な存在(不可思議)を
    丸呑みにして、思考しています。

    アプローチの違いは、西洋医学と漢方にも現れています。

    どちらも必要と思うのですが、現代は西洋式秩序安定法、
    つまり、民主主義が原点にある法で、秩序を安定させようとしています。
    曲者はこの民主主義にあって、必然的に人間中心の秩序安定しか考慮されません。
    当然ながら、自然に対する配慮が欠けます。

    例えば、イスラエルの存在です。
    イギリスの都合で、パレスチナを追い出し、国家を作らせました。
    また、何千年もかけて淘汰された、民族の集まりを壊してしまいました。
    その例が、アフリカの国境線です。
    住んでいた者達に配慮する事無く、人工的に作られた国境です。

    オーム真理教やISILは人工的な秩序の反発から生まれたと思っています。

    では、どのような解決法があるのか?
    私は、十七条の憲法がヒントになると思っています。

    西洋的法律には道徳的規範が欠けていると思えます。
    聖書が前提にあるから、法律とした定めがたいと思えます。

  • >>No. 28

    >「愛国者として誠実に生きる事と、宗教の信徒として誠実に生きる事」

    あちらを立てれば、こちらが立たず、どなたにも経験があると思います。

    別トピで書いた事ですが、「人は偏見から逃れられない」と思っています。
    愛国者として生きるのも、信徒として生きるのも、偏見から生まれた心情です。

    人は常に選択して生きています。
    それが、意識的か無意識かの違いはあっても、一瞬の淀みもなく選択を行っています。
    迷っている時も、それなりに思考を巡らし選択を行っています。
    「下手な考え休むに似たり」と思っても、迷いを断てません。
    若い頃、「後悔せず、反省する」と思っておりました。
    つまり、前向きの生き方を目指したのです。
    今思えば、どちらも、五十歩百歩と思います。
    人に失敗は付き物です。
    失敗を生かすも、殺すも心得しだいと思います。
    心を満たす道を進めば良いかと思います。
    偏見に満ちた人は、心の満たし方を誤っていると思います。
    「足るを知る」簡単ですができない事です。



    >「価値多元主義ってどう思います」
    そもそも、価値は偏見の塊と思っています。
    同様に、主義主張もです。
    色々考察し、思考した結果でしょうから、尊重しますが、
    中心に人があって、世界が成立していると思わせます。

  • 40年ほど前、東南アジアからインドへ行く途中、
    インドネシアで、どなたか日本人の名を出され、知っているかと問われた、
    知らないと答えると、不思議そうな顔をしていました。
    また、「我々は日本に感謝している」と言い、
    「我々の国が独立できたのは日本人のお蔭だ」とも、言っていました。
    オランダからの独立の時、「第二次大戦後に残った日本人が助けてくれた」とも言っていました。
    日本の報道や政府はこれらの事を一切公表していなかった時代です。
    最近になって、ぽつぽつ真相を報道していますが、
    第二次大戦中の日本の良かった所を今も積極的に公表していません。
    戦後レジュウームからの脱出を謳った安倍総理は報道陣に袋叩きされました。
    未だ戦後、アメリカ軍が行った報道規制の影響から抜け出ていません。
    先ほど、深層NEWSで石原氏が興味深い発言をしていました。
    「白人の植民地支配が終ったのは、日本が戦争をしたから」と、
    それを聞いたアメリカ人記者は、極右発言だと石原氏に言ったそうです。
    私も石原氏に同感で、白人達の植民地支配を終わらせたのは、日本のお蔭です。
    その事実を白人達が受け入れなくとも、アジアの植民地は全て大戦後、独立しています。
    少し遅れて、アフリカ諸国もです。
    未だ、チベットやウイグル自治区が独立できないのは戦勝国の誤った政策です。
    そして、今もチベットやウイグルの人達を苦しめています。

    今から考えれば、日本が中国に経済や技術協力をしたのは、早すぎたと思えます。
    田中角栄の金権主義がもたらした国交回復に大きな問題があったと思います。
    ロシアと中国を比べたら分かりますが、ロシアが衰え、中国が発展したのは、
    日本の技術協力が無かったか、有ったかです。
    この様な発言を未だ聞いた事は有りませんが、私はそう思っています。
    残念ながら、中国は感謝しないどころか、反日姿勢で償いの協力を促しています。
    ところが、未だ気付かぬ者が政府関係者に居ます。
    福田康夫氏はアジアインフラ投資銀行(AIIB)に参加すべきと言っています。
    また、「途上国いじめになるかもしれない」とも発言しています。
    馬鹿も程々にしてほしい、鳩山由紀夫氏と同レベルの発言と思える。

  • >>No. 31

    >なんか、歴史は意図的に失敗を繰り返しているように思えますけど

    意図的とは?
    「戦いが無くならない理由」をそう表現していて、
    「わかちゃいるけど、やめられねぇ」だと、その通りと思います。
    ですが、言葉通りの意図して失敗を犯すほど、人に大きな器量は無いと思います。
    それより、全体(将来も含めて)を見通す力無き故、必然的に起こる現象と思います。

    大胆な仮説を述べるなら、淘汰の原理が働くのでは?(冗談です)

  • 三島由紀夫氏の割腹自殺を知ったのは、
    ブータン人が寄宿するボーディングハウスでした。
    ブーダン人がインドの新聞を持ってきて、興奮した状態で、
    何事かと思ったら、割腹自殺の報道だったのです。

    私は戦後日本の自虐史観を糺そうとした事件と思っています。

    前回書いた事に繋がりますが、
    太平洋戦争が植民地政策打破の側面を知った時、
    知らないで居た自分を恥ずかしく思ったのです。
    当然、三島氏は知った上で、「日本の戦後教育を糺そうとした」
    と思ったのですが

    当時、殆どの人は理解不能な事件でした。
    (自虐史観の言葉が作られたのはもっと後の事です。)
    無論、報道陣は不思議な事件でした。
    帰国した後、少し調べたら、全く的外れな憶測記事ばかりでした。

    それから20年経ち(1996年)、ようやく、藤岡教授から「自虐史観」と言う言葉がでました。
    そして、10年経ち、安倍総理の「戦後レジームからの脱却」が国会で論議されたのです。

    歴史を俯瞰して、白人達がアフリカ・南米・アジアで起こした植民地政策は許せません。
    アフリカ人に於いては奴隷として使役した歴史があります。
    ギリシャから始まり、奴隷制度は長い歴史があります。
    極論ですが、ヒットラーのユダヤ人虐殺等と比べても、もっと悲惨な歴史を抱えています。
    日本に於いても、原爆投下・東京大空襲など、民間人を大量殺戮しています。
    そんな、白人支配の歴史に終止符を打ったのは日本です。
    未だ、国連の敵国条項に日本、ドイツ、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランドが記述されている。


    世界に対して、公平・公正であろうとする日本は素晴らしいのですが、
    おめでたい国民とも言えます。(私は好ましく思っています)

    慰安婦問題・捕鯨問題、腹立たしい限りです。

  • >>No. 34

    「公平・公正」、難しい課題です。

    偏見を持つのが人の宿命と書きました。
    ならば、完全な「公平・公正」がない事を意味します。
    よく立ち位置と申されます。(偏見)
    視点とも言います。(偏見)
    そこからでないと、筋が通らぬ事を意味しています。
    立ち位置・視点が変われば、意見の対立が出てきます。
    そして、自分達の意見が論理的・合理的であると主張します。
    会議場は対立した主張を論議・対話で、解決する場として設けます。
    これらは当然の如く世界の常識に組み込まれています。

    問題はここからです。
    主張する内容を正しいとの見解を持つのか、
    それとも、合理的でしかないとの見解なのか
    前者は正しさを主張し、後者は偏見を承知しているので、曖昧です。
    前者は記者達、後者は政府と思えます。

    正しいとする前者は対立に勝つまで、意見を主張します。

    外交に於いて、日本政府は、立ち位置の違いを含めた意見しかできず、
    当然、弱腰外交になります。
    そうでなければ、公平・公正を追及できないと思います。
    そんな日本が、外交での対立を収めるには、
    妥協するか、相手の公平・公正を糺す以外ないと思います。

  • >>No. 36

    損得勘定で処理するのはTPPでさえ、対立解消できず、長引いています。
    政治に持ち込むのは不可能と思えます。
    また、国益を考えずにできる政治も無いようですが、

    シンガポールが提唱したTPPは関税撤廃を目指していました。
    ところが、アメリカが参加表明してから本来の趣旨が損なわれています。
    損する団体(日本ではコメ農家)は自然景観と伝統などは損得外です。
    経済でもそうですから、政治など無理と思えます。
    その無理を押し通してきたのが、大戦前の西欧社会と思います。
    損得には腐敗と不正が付いて回ります。
    日本では金権政治で官僚の天下りが正当化され、
    中国社会の現状はお分かりの通りです。

  • 憲法学者が今回の法案(安全保障法制)を違憲と言う。
    そもそも、現行憲法で、現行憲法の成り立ちを照らすと、
    明らかに現行憲法違反で作られている。
    つまり、国民投票される事無く、GHQ の管理の下、体裁として議会で承認された憲法になっている。
    つまり、そもそも、現行憲法違反の憲法で60数年過したことになる。
    憲法学者は今回の「安全保障法制」を憲法違反と叫ぶ前に、
    現行憲法を国民投票にかけるよう叫ぶべきだ。
    本末転倒と、憲法学者達に言いたい。
    どの様な形であれ、まず正常な憲法にすべきだ。

  • 不要、若しくは、都道府県の知事が兼任すれば良い。
    単なる議員でなく、統率力や運営力を持つ人材が議員となり、
    より良く、衆議院への影響力が働くと思う。

  • >>No. 4

    続き
    憲法改正を伴う議論であるから前に進まないが、
    道州制に向けての議論が始まると思う。
    道州制の後は廃止すべき。

  • 日本国憲法第96条
    この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、
     国民に提案してその承認を経なければならない。
     この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

    現行憲法は国民投票が行われる事無く存在している。
    現安倍首相が前回首相であった時、ようやく国民投票法が制定されたのです。
    現憲法にある
    「この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」
    憲法に記されておりながら、この法律がなくて憲法論議が出来ていないのです。
    60過ぎの人は分かると思うが、憲法論議はタブーであったのです
    憲法を語ると右翼のレッテルを貼られたのです。
    安倍首相が右翼政治家とのレッテルを貼られるのはその名残です。
    現行憲法に正当性を求める私のような者は右翼扱いです。
    右・左でなく、国の運営は瑕疵のない憲法の下で行うべきです。

    憲法学者は現行憲法の瑕疵をまず糺すべきです。
    「安全保障法制」が憲法違反とはちゃんちゃらおかしい。
    正当性が疑われるものを土台にして違反だとは、法に係る者としての見識を疑う。

  • >>No. 1264

    間違えてはいけない。
    現状認識が足りない連中こそ最前線に行くべき
    日本の平和を噛みしめて、平和ボケを直すことが必要。

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