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投稿コメント一覧 (3213コメント)

  • >>No. 421

    > 三転十二相が、瞑想によって実践されることを大前提とする場合、義務として理解されるのですか。

    筆者の御坊様によって、使う現代語の単語は変わってきそうです。パユットー師は、『なすべきこと』として義務という言葉を使用されていました。
    スマナサーラ長老は、その箇所を、徹底的に調べる段階、という表現をされてました。大学院で、
    1.まず研究テーマを決める。
    2.無茶苦茶データ調べまくって、話し合って、論文を構成して理論を成立させて教授に持って行く。
    3.okもらって卒業。

    に例えられてました。パユットー師が義務と綴られたのは、2の段階のことですね。

    > もちろん段階があるということでしょう。
    > 経にあるように、釈迦の説法一つで解脱してしまう。先ず理屈を理解することによる悟りがあり解脱があって、実践段階で確証し、体現してゆく長い修行の果てに、十全な解脱というものがるのでしょう。瞑想には数十の段階があると聞いていますが、ちょうどそのような事情に対応するのではありませんか?

    瞑想の段階に、三転十二相が対応してるのではないかということですか?
    私は、そういう話を読んだこと、聞いたことはないですね。
    わからなくてすみません。

    ちなみに、四聖諦の三転十二相の、二番目に転じるポイントを、パユットー師が義務という言葉をあてはめられたのは、瞑想が大前提となってるわけではなく、経文の内容から、義務という言葉をあてはめられたのかなと、私は思いました。

    いろいろ、ミカエルさんの聞きたい論点を私が理解できてなくて、まとはずれな返信してたらすみません。

  • >>No. 421


    > もちろん段階があるということでしょう。
    > 経にあるように、釈迦の説法一つで解脱してしまう。先ず理屈を理解することによる悟りがあり解脱があって、実践段階で確証し、体現してゆく長い修行の果てに、十全な解脱というものがるのでしょう。瞑想には数十の段階があると聞いていますが、ちょうどそのような事情に対応するのではありませんか?

    経にあるように、とは、転法輪経のことですか?
    最後のコンダンニャさまのことですか?
    テーラワーダさんでは、この時のコンダンニャさまは、解脱ではなく、預流果に覚ったとされているようです。
    解脱って、私は阿羅漢果に使うものと私は思ってたのですけど、、、
    預流果という用語はご存知ですか?
    もし興味があったら、説明文でも引用します。別に興味なかったら、この話題はここまでで私もいいです。

    ありがとうございます

  • >>No. 430

    > > 私も、中道と八正道はつながりで覚えてますよ。
    > > 苦行でもなく、贅沢の道でもなく、中道。
    > > 中道の具体的な実践方法が八正道という理解です。
    > > イストランさん、苦行が八正道と思ってるのですか???
    >
    >  なんでそういう問いになるわけ? 私が言ってること理解してます? 賛同するか否定するかは別として、まず言いたいことを理解してくれなくては困るよ。

    ごめんなさい。

    投稿した後で、あ、多分違うなあ〜、と思ったけど、まあいいや、否定してくれたらそれはそれでイストランさんの考えてることわかりやすくなるかな、と、放置してしまいました。
    否定したあと説明してくれるかなって。

    すみません。

    じゃあ、推測して言いますけど、

    イストランさんは、
    苦楽中道と有無中道の二つの概念があって、
    八正道は苦楽中道を説明しただけなので、その方面のみで概念の固定化してしまうと、もう一方の有無中道のことが頭から抜け落ちるので、きをつけないといけない。

    ですか??

  • >>No. 431

    パユットー師の著書では、微妙に、、、

    八正道は、中道(マッジマー パティパダー ・中の 道 )と記され、

    有無中道の方は、中に縁る説法(マッジェーナ ダンマ デサナー・中の?法 説示)と記されてるんですよね、、

    もしかしたら、テーラワーダさんとこでは、道というのは、実践みたいな意味があるのかもしれませんね

    わかりませんけど、、、

    イストランさんは、中道というのは偏らないことだから、中道と八正道は=では結べないよ、と、言いたいのかもしれないけど、、、(推測間違ってたらごめんなさい)

  • >>No. 446

    > > パユットー師の著書では、微妙に、、、
    > >
    > > 八正道は、中道(マッジマー パティパダー ・中の 道 )と記され、
    > >
    > > 有無中道の方は、中に縁る説法(マッジェーナ ダンマ デサナー・中の?法 説示)と記されてるんですよね、、
    > >
    > > もしかしたら、テーラワーダさんとこでは、道というのは、実践みたいな意味があるのかもしれませんね
    >
    >  パユットーの教科書をもってテーラワーダを代表させることはできない。比丘ボディには中でもってすべてを括る考えはない。

    比丘ボディさんは、中道をどう定義されてるのですか?
    中道の記述ページ内に、八正道の記述ありません?関連させた記述ありませんか?

    >  パユットーの著作を見ても、中という概言とそれぞれの項目の間には意味的な関連はない。たとえば、中道の倫理性や実践性を言うときに、「善と悪の中」なんて言わない。

    苦行と贅沢行ではない、中道が、八正道だもん。
    正見は、苦行でもなく贅沢行でもない中道、ってことだと思ってるもん。

    >  原典に戻って考えるべし。

    ぶーぶー

    原典に、中道とは八正道のことである、って記述されてますもん

    ところで、イストランさんは、何に怒ってる(?)んでしたっけ?

    中道とは八正道だ、とは言うな、ということですか??

  • >>No. 439

    ミカエルさん、こんにちは
    >
    > 先ず、「果定」というのがあるでしょう。別冊サンガ・ジャパン『仏教瞑想ガイドブック』から、テーラワーダ仏教徒の西澤卓美氏の説明を引用します。

    その本は私も持ってます。
    でも、真面目に熟読してないですけど(^^;;


    > 【「果定」: 既に到達している果に入定すること。預流果定、一来果定、不還果定、阿羅漢果定の四種類。】135p
    >
    > およそこれは、理屈理解による悟りとそれに対応する、瞑想実践段階における入定があり、四種ある。と言う風に見えます。

    ここは、多分なんですけど、
    悟る瞬間の心を道といい、悟りを味わう心を果というみたいです。128pの【四道四果】の項目に記述があります。

    つまり、預流果に初めて悟る時は、預流【道】の心が一回起きて、次に預流【果】の心が何個か流れる。
    そうして預流者になった人が、のちに、また禅定作って再び預流【果】の心をまた作る。
    と、いうことを、意味してるのが、135pの【果定】の記述だと私は理解しました。



    > そこで、そもそも仏教の修行ですが
    >
    > 【仏教の修行法は戒、定、慧の三学にまとめられます。(略)先にサマタ瞑想を行い禅定に達し定から観に進む定乗と、気づきを途切れさせずにすることにより五蓋を抑えヴィパッサナー瞑想だけを行う純観乗と大きく二種に分けることができます。慧学はヴッパッサナー瞑想の実践となります】262p
    >
    > そうして
    >
    > 【テーラワーダ仏教ではサマタ瞑想は40種あります。】262p
    >
    > 慧学、ヴッパッサナー瞑想の法随観の「諦の部」では
    >
    > 【お腹の膨らみ縮みは色ですから、四聖諦で言えば苦の真理の観察につながります。心に渇愛が生じれば集諦です。滅諦は悟るべきもの、道諦は実践するもので瞑想対象ではありません。】58p
    >
    > となっており、総じて、悟りの段階と種々の瞑想が対応し、四諦についての瞑想も含まれるというイメージだったのですが、どうも上記のように、四諦の苦諦と集諦が瞑想の範疇となっていて、いささか早合点だったようです。

    あちこちにある記述を、きちんとつなげて、パズルのように、理解につなげていかれているの、すごいなぁと思いました。

    でも、そういう風に、理解がつながっていくのって、楽しそうですね。

  • >>No. 441


    > 初転法輪におけるコーンダンニャは「悟った」と記述されていて、解脱とは述べられていないので一応は解脱と区別し、悟りとは法を理解することとおよそ等しいのだ。としておきましょう。

    その部分、原語では、『アンニャーシ』という単語で、わかった、という意味だそうです。
    コンダンニャがわかりました!
    が直訳だそうです。

    > 【世尊はそのように仰せられた。かの比丘たちは、心に喜びを生じ、世尊の説きたもうところを歓び受けた。そして、この教えの宣言せらるや、かの千人の比丘たちは、もはや執着するところなく、心はもろもろの煩悩より解脱するに至った。】相応部経典、35,28,燃焼
    >
    > 拝火教徒千人を前に、煩悩を炎に譬えておこなった、かの説法です。千人の人間が説法で解脱しています。
    > また、(相応部経典、8,7、自慰)では、倶解脱と慧解脱だ区別されていることから、解脱とは様々な段階があるのだと考えていいようです。ただ、詳しくは知りません。

    ここらへんは、ややこしそうですね、私も、まあいっかー、と、置いてしまってます(^^;;

    > >預流果という用語はご存知ですか?
    > もし興味があったら、説明文でも引用します。別に興味なかったら、この話題はここまでで私もいいです。<
    >
    > 経典にでてくる用語なので一応は知っています。ただ、テーラワーダで教えているものと、訳者(増谷文雄)注釈の説明が同じなのか分からないので、ちょっと紹介してくれませんか。

    お持ちの、仏教瞑想ガイドブックの128pの最後の行から次ページにかけての場所に、説明がありました
    よかったら読んで見てくださいね(^_^)

  • >>No. 463

    > 修行?
    > 特に日常以外に何かをするという事でしょうか?
    > 日常を送るだけで精一杯の方は“その道”を歩めないことになるのでしょうか?
    > 日常の現場こそ道場と思っていますが・・・。

    こんにちは!

    法華経スレなのにすみません>_<

    在家でも道を歩めると私は思ってますし、御坊様も、在家の私たちに修行の道を教えてくださってます(^_^)

    日常の現場でも、道場だと私も思ってます。
    瞑想とか全然できてないのですが、日常で修行する気持ちです(^^;;

    教義とかごちゃごちゃ書いててすみません

    教義とか詳しく知らなくても、自分も周りも心が幸せになる道があるなら、それはとても大切な道だと思っています。

    知識があっても、それが幸せにつながっていないなら、それは悲しいことだと思っています。

    私はきをつけないといけません>_<
    オタクなんです

    経典とか、細かいとことかすごい気になったりする時があるんです

    すみません

    幸せにつなげないといけませんね

    ありがとうございます

  • >>No. 475

    フロイラインさん、ありがとうございます(o^^o)

  • >>No. 467

    > > ここは、多分なんですけど、
    > > 悟る瞬間の心を道といい、悟りを味わう心を果というみたいです。128pの【四道四果】の項目に記述があります。
    >
    >  四道四果? 普通は四向四果という。ある状態に向かっている途中を向、その状態に達していることを果という。

    その記述部分は、悟る瞬間の心を道と言ってるみたいです。
    道と果の心を、八出世間心としてるみたいです。

    四向四果の方が有名な言葉みたいですね。


    >  預流果に入ると、阿羅漢果までは自動的に(今生でなくても)行く。これを「授記」という。法華経の授記品は、この観念をそれだけかっぱらったわけだ。で四向四果はどうでもいい、というのだから原始仏教にしてみれば罪作りな経典だよ。

    イストランさんは、ご存知と思うのですが、パーリ経典で授記といえば、私はジャータカの話を思い出します。
    ブッダの前世、スメーダ青年が、ブッダになることを誓願し、ディーパンカラ仏から「やがてゴータマ・ブッダになるであろう」との授記(予言)を得る話です。
    片山先生の『パーリ仏典入門』のp345に、記述がのってます。

    一応、情報提供です〜

  • >>No. 491

    >  
    >  四向四果はどうでもいいというのはどうなるの? そんなことを認めるの?

    私的な感情でいえば、

    どうでもいいなんて、今の私には思えません。

    でも、どうなんですかね、

    正自覚者(サンマーサンブッダ)を目指す菩薩にとっては、その上の波羅蜜多を積まなくちゃいけないということかな

    でも、この話題を考えるのは、私は悲しくなるので、参加するのはパスしたいです。。。はなしふらないでといったらおこられます?

    とりあえず、あ〜そんなこと書いてあるのかぁ、ということは、読むと思いますので

    (´・_・`)

  • >>No. 4

    >  
    >  この本の白眉は、最後の部分でしょう。
    >
    >  死ぬときにヴィパッサナをして死ねという。
    >
    >  死ぬときに、苦痛が大きくなって、もはや苦痛しか存在しなくなったときがチャンス。
    >
    >  その苦痛にサティを入れろと。そうすれば、預流果に入ってなかった人でも入れるチャンスがある。
    >
    >  預流果に入れば、7回の転生のうちに、阿羅漢になるコースに入る。
    >
    >
    >  しかし、死ぬときは苦痛がない死に方をしたいな。

    こんばんは

    この本私も購入してたけど、途中で読むの止まってましたσ^_^;

    最後にそういうこと書いてあったんですね、読みました。

    母が肺の病気で死にました
    すごく苦しみました

    人はみんな死ぬのですね

    母の最後の瞬間が、苦痛のないものだったらいいのにと思いました。

    まわりはなにもできない

    本人が心を育てていくしかない

    、、でも、まわりもできることはあるかな

    母は父のことが大好きで、
    父は母を献身的に看病しました

    父が手を握って、母は死にました

    実家は天理教です

    天理教のおつとめが、弱った母の心の拠り所でした

    肉体的に苦しんだ母の最後の瞬間が、方便であれなんであれ、安らかなもので、そして今、死心のつながりで、安らかな境地に転生してくれてたらいいなと、テーラワーダの言説に信を置く私は、テーラワーダの死生観に基づき、そのような感想を持ちます。

    やっぱり、ほんの少しずつでも、ヴィパッサナーの練習しよ〜っと

  • 『大般涅槃経』で調べてみました。

    『大般涅槃経』という同名で、中身の違うお経が複数あるようですね。
    同名なので、話がすごくややこしくなってしまいますね。

    パーリ語でいえば

    【大】マハー(偉大な方)
    【般涅槃】パリニッバーナ(入滅、寂滅)
    【経】スッタ(お経)

    だそうです。

    それぞれの団体が、同名で、違う内容でお経を編集したんでしょうね

    (偉大な方の入滅のときのお経)みたいなかんじで。

    ・・・

    思うことは、

    みんな、お釈迦様、好きなんだなー

    でも、せめて違う名前じゃなきゃ、ややこしくなってしまいますね^^;

  • >>No. 579

    > > 『大般涅槃経』という同名で、中身の違うお経が複数あるようですね。
    > > 同名なので、話がすごくややこしくなってしまいますね。
    >
    >  違う。我々のレベルにとっては複数じゃなくて、2個なの。阿含経典の涅槃経と、大乗涅槃経。それ以外の訳なんか手に入らないのだから。
    >

    そうでしたか、
    36巻の本とか、40巻の本とかいう文字を見たので、大乗内でも複数あるのかと勘違いしてました、
    すみません。



    > > それぞれの団体が、同名で、違う内容でお経を編集したんでしょうね
    >  
    >  だからそうじゃないんだ。原典はあくまで阿含経典の大般涅槃経。それを書き換えてしまったのが大乗の大般涅槃経。嘘八百で書き換えちゃったんだよ。ここにいけずうずうしさを感じ取らなくてはいけない。

    原典を知った上で、かぁ。
    んー、
    別のこと主張したいなら、別の経典つくればよかったのにね、と、思ってしまいます。
    ややこしくなるから。

  • >>No. 1

    >  
    >  存在論
    >  認識論
    >
    >  論理学 一般論理学、数理論理学、哲学的論理学
    >  倫理学
    >  美学、芸術哲学
    >
    >  政治哲学
    >  宗教哲学
    >  法哲学
    >  経済哲学
    >  歴史哲学
    >  文学と哲学
    >  心理学の哲学
    >
    >  数学の哲学
    >  論理学の哲学
    >  物理学の哲学
    >  生物学の哲学
    >  
    >  主題の個別研究
    >
    >  感情論
    >  意志論
    >  行為論
    >  
    >  哲学史と哲学者の個別研究
    >
    >  プラトン
    >  アリストテレス
    >
    >  現象学、実存主義
    >  マルクス主義
    >  プラグマティズム
    >  分析哲学

    わ、イスさん、なにこれ

    テーラワーダ好きな人とかいないかなー、って、他の掲示板のぞいてたら、
    ここに、イストランさん、いたよ。

    これだけ興味あるってことかな?

    知識が好きなのかな?

    知ることがおもしろいのかなぁ

    イスさんの頭が謎だ!

  • >>No. 701

    ミカエルさんこんにちは

    ミカエルさん、沙門果経は読んだことありますか?

    沙門果経って、めっちゃ超能力的な箇所、いっぱいでてきませんかったっけ??

  • >>No. 5

     
     ・存在と時間
     ・アジアの聖と賤
     ・プラトンと資本主義
     ・差異と反復
     ・哲学的論理学
     ・逝きし世の面影
     ・二分心崩壊と意識の起源
     ・アドヴァイタ勃興
     ・世界が語る大東亜戦争と東京裁判
     ・図説ヨーガ大全
     ・スライヴ


    見てきました。
    みんな難しそうで、向こうのスレにコメントするの気後れしてしまって、こっちきました💦

    かしこいひとの頭って、知識が理路整然ときれいに収まってるのかなぁ

    うらやましいなあ

    イストランさんの知識が理路整然かどうかはしらないけど(・Д・)ノ

    思考が変わるほどの本にたくさん出会えてて、よかったですね

    私は、仏教に出会って、思考が変わってきたかな

    では、失礼します〜

  • >>No. 724

    ミカエルさん、こんにちは、
    ご説明ありがとうございました。

    パーリ経典には、過去生をみたり、神通力派手に使ったり、というお経も盛りだくさんだけど、
    ミカエルさんは、学者さんの研究結果に基づき、そこらへんは後世の増幅で、お釈迦様が説いたわけではないと思ってる。
    だから、ミカエルさんはそのようなパーリ経典群は無視する、ということですね。

    了解です。

    ミカエルさん、めっちゃ詳しそうなのに、あれ〜、なんで沙門果経とか無視するのかなぁ、読んだことないのかなぁ、と、不思議に思えたので、ご質問しました。

    詳細なご説明ありがとうございました。

    >モッガラーナがサーリプッタの質問に答えて、神通力に言及している経を知っていますか?
    >その経を増谷文雄は、神秘的な力能を必ずしも意味していないと解釈しています。私もそう考えたい。引用しましょうか?

    ん〜、知りたいけど、申し訳ないのでがまんしますー。引用するのも大変ですからね(o^^o)

    では、ありがとうございました

    おつかれさまです☆

  • >>No. 733

    しまとりさん、こんにちは

    覚えてていただいて嬉しいです

    ありがとうございます(o^^o)♩

    よろしくお願いしま〜す(^O^)/

    あと、議論大変そうですね、おつかれさまです^^;

    お互いいいことありますように☆

    あ、あと、可愛い読み方してくださって、これまたありがとうございます(=^ェ^=)

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