-
No.20
仮に倭人伝が改竄、加筆されてい…
2017/03/17 02:58
仮に倭人伝が改竄、加筆されているとしても、万が千に代わっていることに変わりはない。なんで変わったの。だれかが代えたのだから、陳寿じゃなくても、問題は同じ。
一戸五人としたら魏略の場合は、伊都国は人口五万人。倭人伝の場合は伊都国の人口五千人。どちらが合ってるの。 -
No.23
現在の糸島市の人口は9万600…
2017/03/17 03:34
現在の糸島市の人口は9万6000人なのに、弥生終末期の伊都国の人口が5万人てか。まさかだろう。
弥生時代の北九州で人口は4万1000人、南九州で6万5000人という推計がある。伊都国だけで戸万余は、とてもとてもじゃないか。
そうすると、魏志倭人伝の伊都国5千人は妥当なところではないの。
そもそも、魏志倭人伝の「千余戸」が改竄されたものだという証拠持ってるの? -
No.26
ginはやっぱりピョンピョンの…
2017/03/17 03:49
-
No.29011
fsさんが主張したいのは、当時…
2017/03/17 04:03
>>No. 29009
fsさんが主張したいのは、当時の日本帝国政府は軍事統制をちゃんと掌握していなかった、文民統制ができていなかった、そこが日本が戦争に負けた根本原因だということではないのでしょうか。
当時の日本の事情に詳しいfsさんにうかがいたいのですが、日本帝国政府が軍事統制
に破綻していた原因は何だったのか、研究されているのでしたらお教えください。 -
No.227831
キーボードにその字がないから、…
2017/03/17 21:09
キーボードにその字がないから、英語のNで代用したの。
昔、ロシア文学やろうとしたが、語学極めて得意なんで、止めた。
その字の音が「い」だとはなあ。 -
No.37
玄界灘連合に女王がいたという主…
2017/03/17 21:31
-
No.40
卑弥呼は邪馬台国にいて、その邪…
2017/03/17 22:24
-
No.43
投馬は殺馬に決まってるじゃない…
2017/03/17 22:42
>>No. 42
投馬は殺馬に決まってるじゃないか。殺馬を読んでごらん。サツマ。サツマといえば薩摩だろう。そこからまた汗水たらして舟こいで、種子島に上陸して歩いて1か月で邪馬台国だ。どこが、トカラがヤマトの発祥地だよ。トカラの前に先縄文人が沖縄にいたろうが。トカラに先縄文人がいたのかよ。
-
No.48
縄文前期の宝島住民は沖縄から来…
2017/03/17 23:34
-
No.52
宝島の鍾乳洞から出た鏡は宋代の…
2017/03/18 00:02
宝島の鍾乳洞から出た鏡は宋代のもの。古銭も出ているから、それらは交易で代価にもらったもの。湖州鏡は宋時代の鏡で、宋は10世紀にできた国。邪馬台国は3世紀の国。
いったい、何を言っているのか。 -
No.54
214022 >>弥生人は、…
2017/03/18 01:35
>>No. 53
214022 >>弥生人は、「ノアの洪水」以降に、長江あたりから台湾、沖縄を経由して、九州に訪れた者たちである!
その者たちが長江あたりを船出したのはいつのことよ。
はっきりせんかい。
その弥生人が菜畑遺跡や板付遺跡の住人だというわけじゃあるまいな。 -
No.56
銀河秋彩の古代史 倭人が外洋…
2017/03/18 02:31
>>No. 53
銀河秋彩の古代史
倭人が外洋船で 水行二十日南下で 投馬国 トカラ列島の宝島 (会稽東冶の東)
西暦248年に トヨ(蘇我氏)の邪馬台国・宝島成立
だいたい分かってきたなあ。
会稽東冶の東の海上にあるのがトカラ列島の宝島やから、邪馬台国は宝島というわけやな。248年にトヨが連合国の女王になったから、トヨを盟主とする邪馬台連合国が成立して、そのトヨの子孫が蘇我氏やというわけやな。
そしたら、ノアの洪水のあと、長江あたりから船出して台湾、沖縄を経由して九州に来た弥生人たちは、その後どうしたのよ、その弥生シュメール人たちは。
宝島の邪馬台国と、弥生シュメール人のゾロアスター教徒は、どうつながるのよ。 -
No.58
伊都国に祖先神を祀る玄界灘連合…
2017/03/18 02:46
>>No. 55
伊都国に祖先神を祀る玄界灘連合の卑弥呼女王がいた。
では、その卑弥呼女王が斎王として祀っていた神様はどんな神様?
大和に大王がいた。
この大王は男性、女性、どっち?
大和の連合国が、邪馬台連合国? -
No.60
非常に面白い考えだ! で…
2017/03/18 04:00
>>No. 59
非常に面白い考えだ!
では、魏の皇帝が詔書に書いた「親魏倭王」の位は大和の大王に宛てたものではなく、斎王の卑弥呼に与えたことになりますね。
そして、卑弥呼斎王は魏の皇帝が勘違いしていることに気づかずに、その詔書と印綬を大和の大王に送ったということですか。大和の大王は、
魏の勘違いに気づかずに、自分が親魏倭王になったと思い、印綬を手にとってにっこりと笑ったということですね。
いやあ、これは、面白い!
では、大和の大王と狗奴国の大王との戦争では、帯方郡からの使節団は伊都国に留まっていて、伊都国内が平穏で、狗奴国の兵たちの姿もみえないことに面食らいつつも、斎王卑弥呼が急死して塚に葬られるのを見るわけですが、そのあと、男王が斎王に選ばれて、それに反対した側と卑弥呼側が戦って、男王が排除され、卑弥呼の後継者に斎王として台与が擁立され、帯方郡の使節団は台与は邪馬台連合国の大王が擁立されたと思いこんで、そして大和の大王はその使節団の勘違いを知らずに、使節団はそのまま帰国したというわけですね。
ひやあ、面白い! -
No.61
失礼、間違えた。 「その…
2017/03/18 04:23

本当に天才だな
2017/03/17 02:02
本当に天才だな