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投稿コメント一覧 (8707コメント)

  • >>No. 19

    満州国について考える場合は、まずあの地方を領有した国の変遷から始めるべきではないでしょうか。
    高句麗→渤海→遼(契丹)→金→モンゴル→元→明→オイラート・タタール→後金→清→中華民国→満州国→中華人民共和国。
    つまり、満州国はこうした国の変遷のうちの一つなのですね。
    そして、建国のパターンとしては、現地派遣軍が本国の命令なしに勝手にその地方を占領して、その占領地に現地派遣軍の傀儡政権をつくって建国させた国というカテゴリーに入ります。しかも、あとから派遣軍の本国が渋々この傀儡政権を国として承認したという世界的にも極めて珍しいケースではないでしょうか。
    このようにみますと、現地派遣軍の幹部だった軍人の石原莞爾らは、本国の軍事作戦行為としてではなく勝手に現地軍を動かしたのですから、本国政府は石原らを天皇の名において即刻解任し、派遣軍を本国へ戻し、本国から別の派遣軍を送って入れ替えるべき事柄でした。本国である日本帝国の失敗でした。その一言に尽きますね。

  • >>No. 21

    おっしゃるとおりです。

    軍の作戦命令なしに勝手に軍を動かした石原らを目にみえる形で処罰できなかった時点で、日本帝国政府の軍事統制はすでに破綻していたことになります。
    この日本帝国と対照的なのがアメリカでした。朝鮮戦争で政府の作戦方針と対立したマッカーサー元帥は即刻解任されました。
    この時、マッカーサーが勝手に軍を動かして満州に越境して、アメリカ政府がこのマッカーサーの行動を承認していれば、アメリカ政府の軍事統制は崩壊していたでしょう。
    このマッカーサーと同じことを日本帝国は自ら行ったわけですから、石原らの行った事態がどういうことであったか分かるというものです。
    アメリカとの戦争で日本帝国が負けたのにはちゃんとした理由があったわけです。

  • >>No. 23

    「大衆迎合的なことを理由に勝手な政治が行われていたというのが真相ではあるまいか」と指摘されていますが、深い読みですね。
    ご指摘のように軍人たちが政治化したことがそもそもの元凶だと思いますが、皇道派が天皇親政による国家改造、統制派が総力戦国防国家づくりという主張を唱えて双方暗闘し、暗闘に勝った統制派が国政を主導するわけですが、満州の占領による「満蒙問題の解決」をめざしていたのがこの統制派ですよね。満州事変を境に陸海軍大臣の現役将官復活を楯に政党政治の息の根が止められました。ロンドン軍縮会議で軍縮を決めた内閣に対して政友会の鳩山一郎が天皇の統帥権干犯の主張を持ち出して、この統帥権干犯主張が統制派の新しい手口になります。満州事変はその翌年です。
    「勝手な政治」とおっしゃるのは、このあたりですね。

  • >>No. 28991

    #又当時の常識は「有色人種は白人より劣っている」というのが
    #有色人種自身を含めての常識です。

    上記は何ですか。
    言うなら、…当時の白人の常識は「有色人種は白人より劣っている」というのが常識でした。一方、有色人種の常識は「白人は有色人種より優れている」というのが常識でした…、と書くのがよいと思いますが。

  • >>No. 28992

    根本的に間違っています。
    李承晩を「天皇」にすることはできませんよ。

    また、李承晩は大統領として手腕がなく、国民に追放され、国を捨てて外国へ亡命した人物です。
    昭和天皇は、諸外国の予想に反し、国を捨てず亡命しなかった人物です。
    李承晩大統領とは格が違います。

  • このスレッドに「戦争責任(敗戦責任)をとらなかった国家元首は古今東西稀である」と書いていますが、歴史に詳しくないので、敗戦責任をとった国家元首について少し例を挙げてもらえませんか。

  • スレッドは「戦争責任(敗戦責任)を取らなかった国家元首は古今東西稀である」と書いていますが、本当にそうかと、ざっと調べてみました。
    日清戦争で負けた清国の皇帝光緒帝は退位していませんでした。日露戦争で敗れたロシアのニコライ2世は皇帝を退位していませんでした。第一次大戦で負けたドイツのヴィルヘルム2世皇帝は退位していませんでした。彼は革命でオランダに亡命しました。
    3件だけを挙げましたが、要するに戦争で負けたから退位したという元首は古今東西稀なようです。
    そうしますと、スレッドの論の前提自体が間違っているということになってきます。そうした誤った前提で、昭和天皇の「敗戦責任」を論じても無意味ではありませんか。

  • スレッドに書かれている「敗戦責任」というような責任概念があるとすれば、それは戦争指導者に対して国民からその敗戦の責任を問うものでしょう。戦勝国が敗戦国に敗戦の責任を問うなどということはないからです。
    そうしますと、終戦後に国民が昭和天皇に対し戦争に負けた責任を公式に問うたかといいますと、それは絶無だったのではないでしょうか。ということは、国民は昭和天皇に敗戦の責任はなかったと考えたわけです。それは、昭和天皇が行った全国巡幸で津々浦々で国民が昭和天皇を大歓迎したことでも分かります。
    したがいまして、その当時の国民が昭和天皇に敗戦の責任はないと判断したことを、今さら、我々が昭和天皇にその敗戦の責任とやらを押しつけても、何の意味もないということになります。
    そんなことより、日本はあの戦争でなぜ負けたのか、じっくり検討してみるほうが、今後の日本の安全保障の役に立つのではないでしょうか。

  • >>No. 7

    魏志倭人伝では、伊都国は「千余戸」と書かれていますが、魏志倭人伝が採録したネタ元の魏略では、伊都国は「戸は万余」と書かれていますよ。

  • >>No. 227775

    「ドストエフスキー」はロシア語でどう書くのか

  • >>No. 30253

    「ドストエフスキー」はロシア語でどう書くのか。「鉄はいかに鍛えられたか」はロシア語でどう書くのか。

  • >>No. 30255

    まったく読めんなあ。やっぱりロシア語のようだ。
    あんたは天才だよ。
    ついでに聞くが、ミハイルピョンピョンは思いつきか。

  • >>No. 29002

    返信してくれてありがとう。
    アメリカは第一次大戦に参戦して自らの力を実感したので、インデアンやメキシコ相手の戦いだけをしてきたわけでないのは周知の事実。
    アメリカはハルノートのはるか前から蒋介石に軍事援助をつづけてきていて、軍事顧問も送って入て、義勇軍による日本爆撃の直前だった。日本を土下座させようとノートを突きつけたのでないことは研究者の間では定説になっている。ハルノートを書いたのはソ連の協力者だったそうじゃないか。アメリカはハルノートで、一丁やるか!と日本を挑発したわけ。日本は、よっしゃ!と乗ったの。
    このあたりの状況については、あなたは少し理解不足。

  • >>No. 11

    問題なのは、魏略の「戸は万余」を、陳寿はなぜ「千余戸」に書き換えたのかということ。だぶん、魏略になかった一大率が伊都国に置かれているというデータを陳寿がみつけ、その解釈の結果、万から千に変えたのではないのか。中国では中央から派遣される検察組織が常駐する国は小国なのが普通だったから?

  • >>No. 29005

    nasさんに送った返信に割って入るのは失礼と思いますが、少し言わせてください。
    アメリカの法律と、当時の日本の法律は大変異なっていました。日本帝国の法律では、アメリカ大統領が持つ権限のように巨大な権力は誰にも与えられていませんでした。アメリカ大統領がマッカーサー元帥を解任した権限の仕組みと、日本帝国政府の予算提案権の仕組みはまったく異なるものでした。
    日本帝国政府が軍事予算の削減を議会に提案しようとすれば、軍大臣が辞職したでしょう。法律では、軍大臣が辞職して次の軍大臣が決まらなかったら内閣は総辞職しなければならなかったのです。
    つまり、軍事予算の削減策はよく指摘されることですが、非現実的な夢物語なのです。こうしたことは、これまでの研究で研究し尽くされています。
    その当時の日本の事情について、お話ししました。
    大変失礼いたしました。

  • >>No. 29006

    ハルノート以前から交渉は何度も続けられていたわけで、それが満州事変まで遡って撤退しろということですから、これは日本の軍備の疲弊を待つ時間稼ぎではなかったのです。いやなら、やってみろよ! だったのですよ。
    こんな条件を出されたらモナコのような国でも戦争に打って出たことでしょう、というのが諸外国の識者の評価でした。そして、そうなったのです。
    その結果、ヒットラーが絶叫したわけですが、ドイツの運命より、わが身の生き様のほうが大事だったわけです。

  • >>No. 30259

    ゾロアスターみたいに善悪二元論は性に合わんが、
    ミハイルというからには、あのミハイルか。
    しかし、天才はそこまで考えんだろう。
    フョードルヴィッチの親戚くらいだろう。

  • >>No. 227795

    XNMNKOがHIMIKO。XNがHIか。NがI…。
    ありがとう。
    あんたは天才だな。

  • >>No. 30260

    81はちょっと格好良すぎ過ぎた。

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