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投稿コメント一覧 (33コメント)

  • >>No. 207406

    目の調子が悪いのに、南渕書巻上 香菓 第十六の現代語訳有難うございます。
    当方は現在、奴隷階級の身、安い給与で仕事・仕事に追われ、いつ倒れるかもしれない不安に追い込まれ、何とか脱失できないかとモガいています。
    奴隷階級から抜け出すことは一生無理かも知れないけど、天智天皇の大津宮のような、民が自治を担う社会になればと願う次第です。
    という訳で、この本の中身が知りたいです。

    あと、官家 第十四 には 「卑弥呼正クハ當ニ日皇子(ひのみこ)ニ作ルヘシ」
       師升 第十三 で「倭國王トハ倭國舝天皇ナリ…皇太子大日日王{オホヒヒノミコト}(開化天皇ノ??)・・・と記載されているのが気がかりで、また、週末ぐらいにお願いするかと思います。

  • >>No. 207406

    訓訳南渕書巻上 官家  第十四 その1 

    皇子問ヒ曰ク、世ニ傳フ住吉神{スミノエノカミ}、初メ海表ノ諸國ヲ以テ、胎中天皇(應神)ニ授ク、太后(神功)太臣(武内宿禰)ト往キ、國毎ニ官家{ミヤケ}(屯倉)ヲ置キ、以テ我藩屏ト爲サセラル、然ト雖モ任那{ミマナ}ノ官家ハ、其來ルコト尚シ、書【缶夬】ケテ間アリ、願クハ先生我カ爲ニ之ヲ明ニセヨ、南淵子答ヘテ曰ク、初メ新羅脱觧王ノ子ヲ波沙(一ニ婆娑ニ作ル)ト曰フ、精悍勇武、既ニ其國ヲ襲フヤ、姓ヲ朴氏(脱解ハ昔氏故ニ朴ト云ヘリ)ニ復シ、月城(金城ノ東南)ニ築キ、鄰境ヲ併合シ、勢【寢(穴かんむり)】(ヤウヤ)ク、熾ナリ、始テ釁ヲ伽羅ニ啓キ、年々相攻伐シテ息マス、伽羅ハ金官ナリ、其地最モ我カ西邊ニ近シ、故ニ我カ民亦タ相合シテ抄掠ニ從フ者アリ、頗ル新羅王ノ名ヲ記シ得タリ、後世我カ俗新羅王ヲ呼フニ波沙【寢(穴かんむり)】錦{ハサミシキン}ヲ以テセシハ、是レ其緣{コトノモト}ナリ、新羅ノ其王ヲ稱シテ尼師今{ニシキン}トナスハ、我ヲ以テ東皇トナシ、自ラ居ルニ西君{ニシキミ}ヲ以テセシ歟、是ニ由テ之ヲ觀レハ、祖王居世干{コセカン}モ、其措字ノ義亦タ悟ル可キナリ、尼師今今マ【寢(穴かんむり)】錦ニ作ルハ、傳訛ナルノミ、波沙ノ子ヲ祇摩ト曰フ、立テ子ナシ、儒理ノ孫逸聖嗣ク、逸聖ノ子ヲ阿達羅ト曰フ、阿達羅ノ時、我御間城天皇(崇神)新羅ト伽羅ト爭【門かまえ皃】ノ禍、往々我カ邊境ヲ累スヲ憂ヒ玉ヒ、使ヲ遣シ和議ヲ講セラル、是ヲ漢(靈帝)ノ熹平癸丑ノ歳トナス、漢人志シテ、卑弥呼新羅ニ通聘スト云フモノ是ナリ、

    よろしければ現代語訳宜しくお願いします。
    訓訳南渕書の擦れた文字を文字起こししましたので 誤字があります。
    【 】合成文字
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  • >>No. 207406

    訓訳南渕書巻上 官家  第十四 その2

    卑弥呼正クハ當ニ日皇子{ヒノミコ}ニ作ルヘシ、字音ヲ假レルナリ、阿達羅子ナシ、脱觧ノ孫伐休嗣ク、伐休死シ、伐休ノ子奈觧立ツ、奈觧王ノ時、新羅ト伽羅ト復タ其彊土ヲ爭フ、是ニ於テ、伽羅王ノ子于斯岐{ウシキ}(蘇那葛叱知)既ニ耶麻堆{ヤマト}天皇ヲ德トス、故ニ來朝シテ援ヲ求メ、且ツ其東北境三己汶{サンコリ}ノ地方三百里ヲ献シ、我カ將軍ヲ遣ハシ、之ヲ治メラレコトヲ請ヘリ、是ヲ漢(獻帝)ノ建安戊寅ノ歳トナス、是歳御間城天皇(崇神)方ニ崩シ達スルコトヲ得ス、乃チ之ヲ活目天皇(垂仁)ニ奏ス、天皇嘉納シ郡卿ヲ物色セラル、于斯岐來リシ時、其額ニ角アリ(或ハ云フ兜ヲイタダケルナリ)彦國葺{ヒコクニフク}ノ孫鹽乗津彦{シホノリツヒコ}、亦タ其頭上ニ贅{ツスベ}アリ、三枝槎【木牙】、状松樹ノ如シ、時人因テ松樹公ト號ス、身材魁【鬼吾】(偉大雄状ノ貌)力鼎ヲ扛ク、天皇曰ク是ナリト、乃チ鹽乗津彦ヲ擧ケ、往テ三己汶ノ地ヲ鎭セシメ、太宰{オホミコトモチ}(宰ナリ、此ニハ美古止茂知ト云ヒ、韓ニハ吉士ト云ヒ、或ハ儉側ト云フ)ト稱ス、又于斯岐ニ詔シ、先皇ノ御諱ヲ賜ヒ、其國名ニ冠セシム、是ヨリ彌摩那意富加羅{ミマナオホカラ}(彌摩那は御間名ナリ意富は大ナリ)ト呼ヘシ、是ヲ漢(献帝)ノ建安辛己ノ歳トナス、加羅ノ内屬此ニ始マル、今マ任那ト云フモノハ彌摩那ノ訛ナリ

    続いてよろしければ現代語訳宜しくお願いします。
    訓訳南渕書の擦れた文字を文字起こししましたので 誤字があります。
    【 】合成文字
    { } ルビ

  • >>No. 208147

    訓訳南渕書巻上 「官家」の現代語訳有難うございました。
    あくまでも推理書みたいですが、南渕書でいう日皇子{ヒノミコ}て誰のことを指すのか分からないです。

    次回、週末にも、「師升」第十三 に 倭國の王トハ と記載されているのが気掛かりで、貼り付けたいと思います。

  • >>No. 208337

    訓訳南渕書「止殉」の項で、御間城天皇(10代崇神天皇)の陵墓は殉葬、活目天皇(11代垂仁天皇)が殉葬を止めその代わりに埴輪を並べるよう指示し、卑弥呼の墓には埴輪が並んでいると推測しているのに、「官家」の項では、日皇子{ヒノミコ}=御間城天皇(崇神)というのは矛盾が生じています。

    「自治民政理訓訳南渕書」自治民政理 第五章 大化の新政 第一節 南淵先生
    には権藤家に南淵書を伝えたのは権藤宕山とのことで、千数百年間伝写を重ね、誤謬錯訛甚しく、蠹蝕敗爛の箇所も多いので、支 那 朝鮮の史書を参較に、権藤成卿が凡十年を費やし補修校訂し、訓訳南渕書として大正十一年に世に出し、一条実輝公爵が摂政宮(昭和天皇)に奉献されたと書かれています。
    権藤成卿の意向で書かれた書物ですね。

  • >>No. 208147

    訓訳南渕書巻上 師升  第十三 

    皇子問ヒ曰ク、孤レ漢史ヲ讀ムニ言フアリ、曰ク東漢(安帝)ノ永初元年、倭國王師升等、生口百六十人ヲ献シテ請見ヲ願フト、然レトモ攝政王天皇記ヲ錄シ玉フトキ、其事少シモ概見セサル者何ソヤ、南淵子答テ曰ク、東漢和(和帝)安(安帝)ノ際、耿夔遼東太守トナル、時ニ高驪漸ク大ニシテ、其王宮(租國王字ハ於漱流)人ト爲リ勇壯、東ノカタ地ヲ拓キテ蒼海(古ハ?ノ地、漢ノ元?五年郡ヲ置ク)ニ至リ、南ノカタ樂浪ヲ略シテ薩水(遼東ノ境ヨリ五百六十里、鴨緑ヨリ四百五十里ヲ距ツト云フ、又タ今ノ博川江ヲモ、臨津江ヲモ薩水ト云フ)ニ至リ、朝鮮復タ漢縣ヲ見ス、元興ノ初、宮遼東ニ寇ス、耿夔出テ、撃チ、大ニ宮カ兵ヲ破リ其將師ヲ斬リ、威東方ニ震フ、諸韓ノ亡民多ク我西邊ニ入ル、是ノ時當リ、本朝久ク中洲{ヤマト}ニ安シテ、且ツ出雲氏漸ク勢ヲ失ヒ、復タ外事ヲ曉ル者ナシト雖モ、邊境異ヲ報ス、之ヲ不問ニ寘ク能ハス、是ニ於テ國牽{クニクル}天皇(孝元)將ヲ遣シ、彼ノ國情ヲ偵セシメ玉フ、漢史稱スル所ノ倭國王トハ倭國牽{ヤマトノクニタル}天皇ナリ、師升{シチ}ハ韓語ニ渠師ヲ稱ス、或ハ王子モ亦之ヲ師升ト謂フ、一ニ臣智ニ作リ、一ニ斯鑡ニ作リ一ニ叱智ニ作リ一ニ朱日ニ作ル、皆ナ同音ノ異字ナリ、當時我レ韓人ヲ以テ嚮導トナセリ、故ニ此語アルナリ、臣之ヲ故老ニ聞ク、皇太子大日日王{オホヒヒノミヤコ}(開化天皇ノ??)齢僅ニ一五、親ク詔ヲ奉シテ往カセ玉フト、聖德天緃(天性ト云フカ如シ)ニシテ、漢、驪、意富迦羅{オホカラ}、愛慕歸化スル者頗ル饒ク、本朝文書【厤たれ日】日ノ紀アル、實ニ是時ニ濫觴(始ヲ成スノ意)スト、攝政王天皇記ヲ錄シ玉フトキ、義彼我ノ抗禮ヲ重シ、故ラニ省略ニ從ハセラレシ歟

    もしよろしければ現代語訳宜しくお願いします。
    訓訳南渕書の潰れ字を起こしましたので 誤字があります。
    【 】合成文字
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  • >>No. 209310

    訓訳南渕書巻上 師升 第十三の現代語訳有難うございます。 
    我が国の文書暦日の記録が開化天皇の時代から始まっていたて驚きですね。但しホントなら?
    邪馬台国論争からかけ離れるので訓訳南渕書の文字化はこれぐらいとします。
    色々教えて頂き大変感謝しています。

  • >>No. 209370

    > 歴代天皇は全て天照大神の子孫なので日皇子{ヒノミコ}であり、
    > 中国人がこれを卑弥呼と音写したために、中国の史書では複数の天皇のことが、ひとりの卑弥呼という人物のことと間違われた。南淵書はそう主張しているのだと思います。

    >第10代 御間城天皇(崇神) ←卑弥呼新羅ニ通聘ス
    > 第11代 活目天皇(垂仁) ←殉死の禁止・埴輪
    > 第12代 大足天皇(景行) ←卑彌呼死ス、大ニ冡ヲ作ル、徑百餘歩、殉葬スル者百餘人

    「卑彌呼死ス、大ニ冡ヲ作ル、徑百餘歩、殉葬スル者百餘人」て崇神天皇陵に当てはまると、墳丘の全長242m、後円部の直径158mで殉葬であり、合致すると思うのですが?まぁどうでもいいか。

    > そして第10代から第12代までの3人の天皇の事績が、全てひとりの卑弥呼のものと間違えられ、活目が活女と書かれたため、卑弥呼は女王ということになった。そして倭武尊が女装していて、九州に残って軍監をしたので卑弥呼の宗女壹與があとを継いだと間違われた。
    > 南淵書の主張はこういうことだと思います。

    第10代から第12代までの3人の天皇が魏志でいう卑弥呼のことですか、いろんな発想で推理するのが面白いですね。

  • ○1年365日と1/4暦を採用したのは継体天皇の時代西暦511年とし、それ以前は春秋暦の1年183日余りを採用していたと思うので、変換してみました。
    日本に暦と文章が伝わったのが、開化天皇が皇子の時代、朝鮮半島に渡って持ち帰ったとあるので、8代 孝元天皇の時代までとします。

    天皇在位年
    1年365.24日歴 春秋暦(1年が約183日)
    26代 継体25(507~531年) 22(509~531年)
    25代 武烈 8(498~506年) 4(504~508年)
    24代 仁賢 11(488~498年) 5.5(499~504年)
    23代 顕宗 3(485~487年) 1.5(498~499年)
    22代 清寧 5(480~484年) 2.5(495~497年)
    21代 雄略 23(457~479年) 11.5(484~495年)
    20代 安康 3(453~456年) 1.5(482~483年)
    19代 允恭 42(412~453年) 21(461~482年)
    18代 反正 6(406~410年)3(458~460年)
    17代 履中 6(400~405年)3(455~458年)
    16代 仁徳 87(313~399年) 43.5(412~455年)
    15代 応神 41(270~310年) 20.5 (390~410年)
       神功 69(201~269年) 35.4(356~390年)
    14代 仲哀 9(192~200年)4.5(351~355年)
    13代 成務 60(131~190年)30(321~350年)
    12代 景行 60(71~130年) 30(291~320年)
    11代 垂仁 99(BC29~70年)49.5(241~290年)
    10代 崇神 68(BC97~BC30年)34(207~240年)
       崇神(181年生~240年没)
    9代 開化60(BC158~BC98年) 30(176~206年)
    8代 孝元57(BC214~BC158年)28.5(148~176年)
     
    卑弥呼とは日皇子であり天皇のこと

  • 11代 垂仁天皇の別名、活目(いくめ)天皇を活女(イクメ)と字を当てたため、いつの間にか卑弥呼は女王ということになった。
    「卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。徑百余歩、徇葬する者、奴 婢百余人。」
    とは 崇神天皇が崩御され、直径100余歩の大きな塚が作られ、奴 婢100余人が殉葬された。
    垂仁天皇はあまりにも惨いということで、自分の陵には殉葬を止め、人の形をした埴輪を並べるよう指示しています。
    また、 垂仁天皇は魏の国に難升米(たぢま)=田道間と、牛利(もり)=守の両名を遣わしています。

    「卑弥呼以て死す。更に男王を立てしも、国中服せず。更に相誅殺し。また卑弥呼の宗女壹與年十三成るを立てて王となし、国中遂に定まる。」とは、耶麻(やまと)国が抜け駆け、魏国から「親魏倭王」の称号と金印を貰ったことが諸国の乱れの原因となった。そこで第12代大足天皇(景行天皇)が掃討に駆け巡り、その息子 童男(おくな)後改名、伊豫(いぞう)、後、壹與(いよ)、後、日本武尊(やまとたけるのみこと)がなんとか制圧しています。
    日本武尊が女装して従軍していたのを、魏の使いが女天皇と誤って認識したため、再び女王の国と伝わった。

  • 卑弥呼は径百余歩の墓に葬られたとあり、一歩 (尺貫法)の単位については、周代では約1.35m、秦・漢代では約1.38m、魏代では約1.44mと言われている。

    第10代崇神天皇陵(行燈山古墳)奈良県天理市柳本町
    墳丘は全長が242メートル、正円形で3段築成の後円部は直径158メートとあり、
    堀の水位によって直径がかわる。
    古墳造りの目的は灌漑用水池がメインと、当方は推察しているので、方墳部の築堤は、後に増築したものと思われる。

  • 卑弥呼の墓は径100余歩とあり、一歩 が約1.44m。
    箸墓古墳(はしはかこふん、箸中山古墳)は、奈良県桜井市箸中にある前方後円墳。
    宮内庁は「大市墓(おおいちのはか)」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている。
    墳長およそ278メートル、後円部は径約150メートル、高さ約30メートルで、前方部は前面幅約130メートル。
    規模では箸墓古墳が一番卑弥呼の墓に近い。

  • 中大兄皇子が南淵請安の塾に通っていたときの問答集
    訓訳南渕書巻上 止殉 第十九
    http://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/bcygobf9qoc0aha4ac9a5a4ada4jbfmbd8a4dea4la1aa/1/206074
    惨い殉葬を止め、埴輪が出来た経緯を綴っています。

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