ここから本文です

投稿コメント一覧 (1868コメント)

  • >>No. 5009

    つばめさん、早速図鑑からの引用をありがとうございました〜。 ☆>しっかし、私にはよくわからないのですぅ。<………アンセルムスと愚か者との会話は、図鑑の著者が解りやすく解説したところなんでしょうね。 私も若い時は、アンセルムスのこれが、何で神の存在証明になるの? と不思議でした。 ☆>これ、よくわからないなぁ。 なんか、しっくりしない。<………それって自然な反応だと思いますぅ。 要するに、「存在するもの」と「存在しないもの」では、「存在するもの」のほうが大きいとして、アンセルムスは神の存在証明をするわけなんですぅ。 でも私もつばめさんと同じでしっくりしなくて、「存在しないもの(無)」と「存在するもの(有)」を、どうやって大きさを比較するのよ! と納得いきませんでした。 ただ、有が無より大きいのであれば、このアンセルムスの神の存在証明は成立してしまうのですぅ。

  • >>No. 5010

    つばめさん、図鑑からプロティノスの引用ありがとうございました。 プロティノスが輪廻を信じていたことを初めて知りました。 プロティノスは、キリスト教三一論(三位一体論)の原型を作ったと言われています。 図鑑にヌース(取り敢えず、知性と訳しておきます。)とか書かれていませんでしたか。 これが、三一論(三位一体論)での聖霊にあたります。 ☆>自由意志は悪を選択することもある。<………つばめさん、あの、ほら、あれ、アダムとイブがリンゴを食べたでしょ。 ヘビ(サタン)にそそのかされて…。 神が食べちゃ駄目って言っていたのに…。 これって、アダムとイブの自由意志ということになるのですぅ。 ☆今日はお年玉で、多くの人(日本人の九割以上)が勘違いしているキリスト教の豆知識を上げますね♪ ☆「神の国(御国、いわゆる天国)」というのは、死んだ後に魂が行く場所ではないのですぅ。 この地上に出現する国のことなのですぅ。 イエスが再臨して、この地上に建設するのですぅ。 ☆「そんなこと知ってたよ。」だったら、ごめんなちゃい。(>_<) また三年間パシリをやりますぅ。

  • >>No. 58714

    祖師様へ。 了解いたしました。 m(__)m

  • No.5036

    Re: 投票

    2013/01/16 22:49

    >>No. 5012

    オクタガワ様、ご無沙汰しております。 本年もよろしくお願いいたします。m(__)m ☆御投票ありがとうございました。 記憶の連続性が優位に一票いただきました。

  • 懐かしいなぁ。 哲カテにも一瞬あったけど、科哲カテの「ウンチマンは存在する。」トピが流行りましたね。 あいつらを叩いている時に、レスが入った相手がオクタガワ様で、それが出会いでした。 シンクロニシティーでしょうけど、日本でウンチマン誕生の翌年、アメリカの大学生が、「フライング・スパゲティー・モンスター」を創造して、こっちのほうがメジャーになりましたね。 パロディーを苦笑するというよりも、ウンチマントピの奴らを叩いたことは、基礎的な論理学学習になったかな。 因みに、蛇足を付ければ、「神の存在証明」が全て不成立であること(もちろんこの事は神の非存在を演繹しない。)を論理的に証明したのが、カントの「純粋理性批判」ですぅ。

  • レンタルリリースされてるけど、どうしようかな。 連合赤軍は文句なしにマスターピースだったが、キャタビラーは今いちだった。 ジョニーは戦場に行った、に遥かに及ばない。 ただ、若松の新作はもうないので、結局観ることになると思うけど。

  • >>No. 5034

    >考えてみたら、仮死の肉体の中で本人はそんな光景を見ていたのかと不思議でもあります。<………ホントにそうですよね。 全身麻酔の手術経験者がお知り合いにいたら、聞いてみれば分かると思いますが、何時間手術がかかろうとも、5分ぐらいの時間の経過しか感じられず、夢は全く見なかったと言う筈です。 眼球が動いてないからなのですが、臨死はガンガン夢を見るところ(実体験なのかも知れない。)が不思議でならないですぅ。

  • >>No. 5050

    解りにくい書き方で失礼いたしました。 つばめさんがおっしゃるように、主体の体験の意味で言いました。 実際、臨死体験中の待ち合い室での家族の会話や、看護婦さんの履いていた靴下の色、医者のネクタイの柄を見たままに言うとその通りだったという話がいくつかあります。 有名な話では、病院の屋上の隅に隠れて置かれてあった幼児の片方のシューズを見たという話で、調べてみたら本当にあったということです。 ☆>全身麻酔のほうが死んでいる・・・みたいな。<………手術した友人が言っていました。 「あれが死というものだと思う。 完全な無だ。」

  • >>No. 15013

    >いまさらおめでとうございますぅはないですが<………そんなことないですぅ。 どうもありがとうございマンモス。 ていうか、森本レオが大好きなクラちゃんですが、森本レオよりも百倍好きな館ひろしが紅白に出て、さぞや喜んだことと思いますぅ。 ☆>とえ〜〜〜っ! こんなこと話したっけ?<………クラちゃん、あの、ほら、あれ、私のトピでナンクルさんなんかと話していた、カチャッチャの三角形(ごめんなさい、正しい名前を忘れました。)の話は覚えていませんか? 私がした、ある実体があって、その実体を対象として指示する言葉を「私」とする言語観は誤りであるとする話も覚えていますでしょうか。 無限の混沌(カオス)を言語で文節化することによって世界は現象化する、つまり言語の意味が生起してくるのですぅ。(続きますぅ。)

  • >>No. 15013

    クラちゃん、あの、ほら、禅で不立文字と言うでしょ。 これが混沌(カオス)で、文字を立てるのが、分節化・現象化に相当しますぅ。 だからん、言語化した以上、「すべては私である。」とか、「絶対的一元」とか表現したところで、文字を立ててしまった(分節化してしまった、分けてしまった)以上、必ず二元論的思考の所産になっているのですぅ。 つまりん、「私の外に神を立てる。」から二元論なのではなくて、混沌・カオス(不立の世界)に「私」を立てて、言語分節化した時点で既に、「私」は二元論的(言語化されたもの(立の世界)と、言語化されないもの(不立の世界)の二元論。)言語なのです。 じゃあ、一体、言語化できない、語り得ない「わたし」って、どう表現すれば良いのってところで出て来たのが、カチャッチャの三角形だったのですぅ。 ちゃんちゃん♪

  • >>No. 15019

    (誤)言語で文節化すること → (正)言語で分節化すること

  • >>No. 15021

    今日のこの私の一連の投稿で、あるインスパイアー(触発)や連想を得た方もいるであろう。 二千年前に、今日私が述べたこと同様な真理を告げた男がいた。 私の言葉は私と共に塵となって消えるが、この男の言葉は、これから二千年後も、否、永遠に語り継がれることであろう。 この男の名はヨハネ。 ☆「初めにことばがあった。 ことばは神と共にあった。 ことばは神であった。 (略) すべてのものは、これによってできた。 できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 このことばに命があった。 そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。 そして、やみはこれに勝てなかった。」

  • >>No. 1

    「主よ、わたしの罪をお赦し下さい。 私も人を赦します。」 しばしば賛美歌を歌うシーンが出てくる映画である。 修道士達は中性的に優しく合唱しているが、上記の歌は、殉教を半ば覚悟した、緊張感あふれる中で歌われていた。 二時間のうち、大部分が修道院の中の修道士達の会話と修行のシーンにあてられている。 アルジェリアで実際にあった陰惨な虐殺事件を描いたものだが、内容は地味で淡々とした映画である。 カンヌ映画祭グランプリを受賞し、フランスでは多くの観客を動員した。 バスの中でベールを被っていない少女が刺殺され、バスから放り出されたり、恋愛は自由と生徒達に語った女教師が暗殺されたりしたエピソードが語られていたが、やはり衝撃的だったのは、クロアチア人の建設作業員達が、アルカイダ的に処刑されるシーンだ。 タリバン的原理主義者達の蛮行を告発しながらも、修道士達の虐殺は、アルジェリア政府軍の犯行である可能性を示唆して映画は終わる。

  • >>No. 208

    もう三島映画をチェックしていましたか。 恐れ入りました。 玄竜様の講評を読んで、とりあえず観るのは保留しています。o(^-^)o 百円レンタルになったら観ようと思います。 しかしまさか若松が、七十過ぎて交通事故で死ぬとは思いませんでしたが、晩年の過剰な制作意欲は、無意識下で死期が分かっていたのかも知れませんね。

  • >>No. 59122

    シマトリ様、こんばんは♪ 映画の話の補足ですが、少女がバスの中で刺殺された後、親戚の人間が、これはコーランの教えに反することだと怒りをあらわにしていました。 「兄弟を殺す者は地獄に落ちる。」 コーランにこう明記されている以上、タリバンやアルジェリア、イラクの過激派のテロは、原理主義を標榜しながら、コーランの自分達に利するところだけを我田引水的に利用しているという実態が明らかになってきます。 色々と問題提起のある映画でした。

  • >>No. 225

    ここで働いている、シックス・センスを持つ男、アルバイトの力夫(りきお)が、杉作J太郎先生の「男の墓場プロダクション」の男の墓場Tシャツを着てたんだよね。 典型的なオタク&ニート系のギンティ小林は意外にも妻帯者で、杉作J太郎先生好みの青年は力夫だったのかも知れない。 しかし、「映画秘宝」を創刊した町山の熱さは相変わらず健在だった。 先月号のTSUTAYA通信を読んだ人はみんな納得だろうけど、あれだけペキンパーの「戦争のはらわた」を熱く語ることができるのは、我らが玄竜様を除けば、町山だけだろうね。

  • >>No. 5038

    つばめさん、大変! 大変! 私、テキストリームで投稿出来ないですぅ。 やっばっ! 遂にパソコンかスマホ系を覚えなければならないかも〜。 ☆ヌースは知性と言いましたが、知性は悟性のことでしたものね。 そして悟性は、文脈によっては理性と訳すものでした。 つばめさんはこの辺、カントを読んでいたので、そんなに拒絶反応はないのではないかと思っています。 ☆>遍在していて私たちの中にもある聖霊(ヌース、知性)というわけですね?<………その通りですぅ。 物理的物質的世界だけでなく、それを超越した世界に聖霊やヌースによって連結しているからこそ、物質的世界から解放されて私達には自由があり、畢竟、私達には道徳が成立し得るのですぅ。(続きますぅ。)

  • >>No. 5038

    (続きですぅ。) ☆>物質世界(この地に)神の国が建国されるわけですか?<………そうですぅ。 キリスト教とは、パウロという超天才が作り上げた、壮大な「物語」なのですが、大きな特長の一つに、それまで異教徒のみならず、ユダヤ教徒の間ですら、単なるお伽話ともっぱら思われていた、アダムとイブのエデンの園のお話を、リアルな現実、事実と認定したことがあります。 人間の原罪の根拠がアダムとイブにあるので、アダムとイブのお話をお伽話とすると、キリスト教徒が二言目には言う「人は生まれながらの罪人である。」という文も、単なるお伽話になってしまうのですぅ。 それでぇ、イエス再臨後の神の国のモデルには、このエデンの園も含まれますぅ。 そしてこのエデンの園は、地上にありました。 また、イエス再臨後の最後の審判は、死んだ者だけでなく、生きている私達もこの肉体のまま受けますぅ。 死んだ者達は神の力によって肉体を持って復活して、最後の審判を受けますぅ。 なぜならば、例えばエデンの園は、肉体を持った人間が暮らすように造られた国だからですぅ。 最後の審判は、すべて生きている、肉体を持った人間達に下す審判なのですぅ。 神は人間を自分に似せて造りましたが、そこには姿形だけでなく、性能も含まれますぅ。 神は人間を、元々は永遠に生きられるように設定してあります。(続きますぅ。)

  • >>No. 5038

    (続きですぅ。) ☆蛇(サタン)に唆されてリンゴを食べて原罪を持ち、人間は死ぬようになりましたが、最初の設定は解除されていないので、最後の審判の時には、過去の死者達は肉を持って復活して来ることになるのですぅ。 ただ今度のイエスが建国する神の国は、エデンの園のように、アダムとイブの二人が素っ裸で、「あはは、あはは。」と笑いながら永遠に過ごしていくというのとは、違ったものになると思います。 素っ裸で・笑いながら・永遠、って、わたし的には正直、きついものがあります。 イエスは、パウロが生きていた頃に、ガラリア湖の辺りを歩いていたので、あれから二千年も経つし、ぼちぼち再臨すると思われますぅ。 それと、肉の復活と最後の審判までは、イスラム教も同じ物語を共有していますぅ。 ちゃんちゃん♪

  • >>No. 5064

    おはようございます。 ☆>現在、トピ・ログは残っていますでしょうか?<………申し訳ありません。 これは教育カテのヘボ太郎様が作ったトピで話されたものですが、現在このトピは残っていません。 ただ、そんなに長いやり取りではなく、今回投票して下さった方々のように、他の参加者もいませんでした。

本文はここまでです このページの先頭へ