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No.1260
過去№602
2013/12/04 22:43
2006/11/08 15:04
>>No. 601
zvbxrp1様
やはり貴方の存在を知ってしまった以上、私は「コメットさんを愛する者、日本第2位」に甘んじなければならないでしょう・・・なんて、本当は貴方の足元にも及ばないと思います!
コメットさんを愛する気持ちが、この番組についての深く強い探求心に結びついていったのですね。まだ書かれたものを全部読んでいるわけではありませんが、素晴しい知識、大変な仕事をなさっていると感心しています。私は、ただただ好きなだけで・・。コメットさんは私にとって、心の中の、むやみに触れてはもったいない神聖な宝物で、子供時代の記憶とともに大事にしまってきたもの、という感じです。
コメットさんが現在、テレビで見られることも全然、知りませんでした。
私が最後に、というか子供のとき以来、二度目に「コメットさん」を見たのは、今、中3の娘が小さい頃でした。たまたま放映されている事を知り、娘にもぜひ見せたくて、途中からですがビデオにも幾つか録画して、二人で何度も何度も繰り返し見たものです。(人生で二度目にコメットさんを観たときは、ドキドキしながら一言も聞き逃すまい、一シーンも見逃すまい と全身全霊? で画面に見入りました。もう二度と観ることはないものと思い込んでいたのですから。どんなに嬉しかったか・・お分かりくださると思います。)あの時観ることが出来たのは、ほんの数作。子供の頃以来、四十年近く、記憶の中だけに生きているお話のほうが多いのです。
子供の頃は、オープニングの音楽が聞こえてくると、すうっと幸福感に包まれて、我を忘れてテレビの世界に浸っていました。
アニメーションの噴水が水晶の砕けるような音をたててシャランシャランと崩れる綺麗さ。おちゃめに舌をだして笑うアニメのコメットさん。人間になったコメットさんもとっても可愛くて。洋服を手で払うとキラキラと、アニメーションの星屑が散り・・小さい女の子の目には、あのオープニングの幾つかのシーンだけでも、忘れ難い魅力がありました。
思い出して書いていたら、本当にきりがありません。思い出すだけで、こんなに幸福感に包まれるのですから・・コメットさんという番組を作ってくださった人々に対して心からの感謝を捧げたい気持ちです。
自分自身の子供の頃への郷愁が、コメットさんに強く重なって、ビデオにとってある幾つかの作品を観るのが切ないことがあるのだけれど、私がいつか
年老いて明日をも知れぬ命となったら、コメットさんを全部観返しながら、子供の頃の自分に戻って死んで行きたい・・なんて真剣に思っているのですよ。
そのためには、ちゃんと全作品を手元に置かなくちゃ・・・努力したいと思います。
長く書き込んでしまいごめんなさい。これからもどうぞよろしくお願い致します。 -
No.1261
過去№606
2013/12/04 22:45
2006/11/13
>>No. 605
私がコメットさんを観ていたのは小学1、二年の頃だったのでもう四十年近く昔の記憶になるのですが、確か太田ひろゆきという俳優が銀杏の木の精を演じたお話がありました(よね?)
靴磨きの少女が、白いブーツを買うために一生懸命働いている。その娘に銀杏の木の精は恋するのだけれど、娘はブーツを買う直前に交通事故で死んでしまう・・という悲しい話でした。題名が知りたいです。またコメットさんの魔法はあの時どのように使われたのでしょうか。それから靴磨きの娘の役をやった人は誰だったのでしょう。
何十年も心に残っていたことを、この年のなっても質問出来る場所が見つかってとても嬉しく思います。ご存知でしたら教えてください。よろしく! -
No.1262
過去№608
2013/12/04 22:46
2006/11/17 16:00
>>No. 607
お答えありがとうございます。題名が分かっただけでも
とても嬉しいです。
質問その2ですが、武君たちのお父さんお母さんが途中から代わったのは
なぜだったのでしょう。
またよろしくお願いします。(バイバイ落ち葉君のことも待っています!) -
No.1263
過去№612
2013/12/04 22:48
2006/11/20 11:41
>>No. 610
落ち葉君の出生地まで知ることができ嬉しいです。ブーツは黄色だったのですね。当時、白黒でみたせいか白いブーツだと思い込んでいました。
少し自分のことを書かせていただいていいでしょうか。
私が、子供心に最も印象的で一番好きだったのは「いつか通った雪の街」
という話でした。(「感性の優れた子供」だったとうぬぼれさせてください!)
この話のことを、zvbxrp1さんがコメットさんの最高傑作と書いておられるのを読んで、本当に涙がでました。「そうでしょ!素晴らしい作品だったものね!良かったよね!」と初めて、あの話から貰った感動を誰かと分かち合えた喜びの涙!でした。
子供の時、特に強烈に心に残ったイメージは、こうじ君がクー・クラックス・クランを思わせる衣装の、松明をもったコワイ者達に追われ袋小路に行き当たった時に、石塀の崩れた向こうに、美しい海を見るシーンでした。
少年の憧れを呼び起こすように響く、遠い船の汽笛。
しかし突然、鶏の死骸が目の前に降りてきて、海への憧れは断ち切られる。
なぜあのシーンが小さな女の子(私のことですが)の記憶にあれほど強く焼きついたのか。遠い美しいもの、あるいは「ここより他の場所」への憧れ。けれどもそれが虚しくかき消される、現実というものへの漠然とした不安を、そのシーンの中に感じていたのかもしれない・・なんて思います。(哲学的な子供ですね?)
「宇宙家族ロビンソン」の中でも、コメットさんのこのシーンとある意味で似ている場面がありました。(このテレビ番組をご存知だという前提で書きますね。)
地球に帰りたいドクター・スミスとウィルが、ある星で無人のおもちゃ工場に迷い込むのですが、おもちゃの化け物に追われて、倉庫の隅まで逃げ込み、行き場をなくして壁を壊すのです。少しだけ壊れた壁の隙間から二人が見たもの、それは憧れ、待ち望み続けている故郷の地球の、クリスマスの夜の街の姿でした。しかし、また化け物から逃げるためすぐにそこを立ち退かねばならず・・壁のすぐ向こうには、地球のクリスマスの街があるというのに、たどり着くことが出来なかったのです。
けして手にすることの出来ない、憧れ。突然、断ち切られる恍惚。
あの時ウィルたちが見たクリスマスの街は、そのおもちゃ工場の、最高傑作だったのかもしれない、と思ったものでした。人の心に夢と希望を与えるものが玩具なのだから・・。残酷な、最高傑作・・。(この話が「宇宙家族ロビンソン」で一番好きでした。)
「いつか通った雪の町」 これは数年前、幸運なことに再び観ることができ、改めて「傑作だ!」と感動したものでした。詩的で美しくて幻想的で哲学的でさえありました。舞台的な(劇中劇のような)面白い味わいのシーンの数々。
最後に、絵の中の町角に自分の忘れてきた上着を見つけて、それが雪に埋もれていくのを見つめながら、こうじ君がする表情。これは子供の時の記憶にはなかったのですが、大人になってみた時とても心を打たれたところです。
悔しそうな、苦々しそうな、複雑な表情。
あの時こうじ君は、「僕はもう今日から、ただのちっちゃな子供なんかじゃないんだ!恐れも、憧れも、失望の哀しみも、秘密を持つこと、も知っている・・。」そう心の中で叫んでいるような気がしました。 あの海の向こうへいけなかった自分、コワイ者たちから逃げて来た自分、でもお兄ちゃんもママも知らない冒険をしてきた自分・・もう僕はさっきまでの僕じゃない・・こうじ君の表情が、沢山のことを語っていたと思います。
ナルニア国物語を好きなのも、先にコメットさんのこの話をみたせいです。(もうひとつの世界へ、タンスを潜り抜けていくところ)
コメットさんのお話の制作に携わった方々には英文学ファンがいらっしゃるのでしょうか。とても面白いことだと思っています。
本当に、このサイト(というのでしたよね?)から驚きと嬉しさと感激を味わっています。長生きはするものですよね。まさかあの「いつかであった雪の町」について他の人から「これが最高傑作」という嬉しい言葉を聴く日が来るとは・・。私の中の最高傑作、とだけ思って生きてきたので。いいものは、誰が観てもやはりいいのですよね。
また、他の話について、いつか感想を書かせていただいてもよろしいでしょうか。
長々しくて一人よがりで、板汚しかもしれませんが・・ごめんなさいね。 -
No.1264
過去№613
2013/12/04 22:49
2006/11/20 12:01
>>No. 612
付けたしです。「いつか通った時の町」で、かくれんぼをする前に皆でジャンケンする時、伊丹十三パパはなんだか面倒くさそうではなかったですか。これも演技なの?、なんだか変、と思ったものでした。(気付いたのは再放送のときですが。)
子供にはあの話の良さは分からない、といっていた人だと知り何となく納得しました。いや、やはり演技だったかな? 隠れんぼ、なんて子供の遊びに付き合うのかい?億劫だな、というクールなパパを演じていらしたのかしら。 -
No.1265
過去№616
2013/12/04 22:50
2006/11/22 15:59
>>No. 615
rairaocahn99さん tuiteruosamukunさん
声をかけて下さって有難うございます。
rairaocahn99さんのお父様は国際放映にお勤めだったのですね。
子供の頃、主題歌の後に「国際放映」の文字が出ると、(これは
外国でもやっているんだ。すごいなあ。)なんて思った記憶があります。
とても楽しませてもらった番組が幾つもありました。
古き良きテレビ番組、本当にいいですよね。いいテレビ番組から
得た楽しみはとても大きくかった・・。素晴らしい文化ですよね。
tuiteruosamukunは女の方ではないですか?
ブーツに対する大人の女性の思いをまぶしいような気持ちで見ていた・・
という言葉にじーんとしました。
私も、貴方と同じ様な気持ち、あのお話を見ながら感じていた
という気がします。ツイテルオサムクンが男性なら、ナイーブな感性の
素敵な男の子だったことでしょうね。(違っていたらごめんなさい。)
コメットさんのこと、同世代の人ならきっと懐かしい思い出・・
本当にそう思いますよ。なんだかそう思うと、同世代の人達が、
いとおしくさえなってきます。同じ懐かしいものを心に持つ仲間、みたいに。 -
No.1266
過去№618
2013/12/04 22:51
2006/11/25 10:46
>>No. 617
zvbxrp1さんもやはり「宇宙家族ロビンソン」を見ていらしたのですね。
日本未放映の題3シーズンとありますが、あの後に続くお話が
あったのですか?確かにロビンソン一家が地球に帰るところはなく、
中途半端な終わり方をしていましたが・・。(無事帰還できたのか
どうか知りたいものです。)
「バデットQ」必ず観てみますね。とても楽しみです。
脚本家に注目される、ということですが、zvbxrp1さんは
そういう関係のお仕事をされているのですか?
(このようなことを聞くのはマナー違反でしょうか。ネット歴が
浅く無知であることのせいにして聞いてしまいます!)
コメットさんのお話の中で印象に強く残ったセリフがありました。
数年前、二度目に観たときのことなのですが(子供の時には
映像、雰囲気が残り、「セリフ」で心に残っていたものはなかったのです。)
子供達がおんぼろバスを基地にしている空き地を、おエライ大人達が
「立派な公園にしてあげよう」といって、騒ぎが起こる話でした。
吉田つぐあき(まだ子供でしたが確かにそうだったと思います。)が、
コメットさんに大人た口調で問う言葉でした。(記憶が違っていたら
ごめんなさい。)
「あなた、男?女?子ども?おとな?」そう畳み掛けるように聞くのです。
コメットさんが最後の問いに「大人よ。」」と毅然として答えると、
その子はシニカルに、いや挑戦的に「それなら子どもの世界に口出さないでよ。」と言うです。
そう言った子どもは、自分がもうすぐ無邪気な子どもの時間を
終わることを知っているだろう賢そうな、やや大人びた影のある少年でした。
その子が、「子どもの時間、子どもの世界の純粋性」を守ろうといて、
自らを「大人よ。」と断言したコメットさんに対し、挑戦的な態度で
言い放った言葉でした。
子どもは普通、自分が特権的な子どもの時間に存在していることを
意識していないでしょう。でもあえて、脚本を書かれた方はそういう
セリフを、このの大人びた美少年に(吉田つぐあきさんのことです。)言わせました。
ぴったりだと思ったし、こういうセリフこそ「劇」のセリフだと感動したんです。(上手く言えませんが・・。)
子どものためにこの空き地を公園に、という偽善的な大人たちの押し付けに怒る子どもたち。
テレビを見ていた子どもは皆、共感して、
一緒にあのおんぼろバスに乗って行きたかった、と思います。
あのセリフを言う子が、セリフにぴったりはまっていた凄さも
感動の要因かな・・・とにかくあの話自体は、子どもの時にも
印象深かったものの一つでした。
あのおんぼろバスが行き着くところは、子どもの時間の終わり・・
いや永遠に新しい子どもを乗せて走り続けているのだと思います。
(「小さな恋のメロディ」でも最後のシーンは、トロッコ?でどこまでも幼い恋人達が去っていくのでした。いつかは降りる時が来るのがわかっているから一抹の寂しさがありましたが・・あのトロッコの時間こそが永遠なんですよね。ああ、自分で書いていてわけが分からなくなってきました。ごめんなさい。意味不明です・・ね。)
いつも長く長く、自分のことばかり書き込んでしまって、ごめんなさい!
本当に読みにくいと思います。簡潔に書くよう努力しなくては・・。
気持ちが入って、つい夢中になってしまうんですよね。 -
No.1267
過去№860
2013/12/04 22:52
2008/10/27 15:43
>>No. 1
こんにちは。二年ほど前の秋に、何度か書き込みをさせて頂いたprphr603です。お久しぶりです!
パソコンに不慣れで「お気に入りに登録」という機能を知らなかったために、インターネットから少し離れている間に、いつの間にか、この掲示板を見つけることができなくなってしまっていました。(こんなことってあるんですね。お恥ずかしい。)
ひょっとして、もう閉鎖されてしまったのだろうか?(失礼!)などと思ったりして、しばらく寂しがっていましたが、また何とか見つけることに成功!しかし、なぜか返信メールを送ることができず・・とにかく、今やっとまた、ここにメールすることが可能となりまして、嬉しさで一杯です。
コメットさんの世界に、ここへ来ればいつでも浸ることができる幸せ・・本当に有難く、嬉しいことです。また、時々、お喋りに参加させて下さいね。 -
No.1268
過去№976
2013/12/04 22:55
2009/12/23 22:28
>>No. 612
★読売新聞「時代の証言者・ブライダル桂由美」は本日12月23日朝刊で第22回連載中。
そして最近話題のネット記事「青春グラフィティ」は今日、九重佑三子さんインタビュー最終回。
http://otona.yomiuri.co.jp/people/graffiti/20091223_01.htm
(前略)
東京・世田谷区の自宅。インタビューの最後に、九重は「できれば(夫よりも)私の方が(あの世へ)先に行かせていただきたいと思いますね。1人残るのは、やっぱり寂しい。田辺さんは、1人で何でもできる人ですから」と、静かに話した。すかさず、そばにいた事務所関係者が「無理ですよ。お母さんを見たら、娘も長生きしますよ」と、言葉を挟んだ。
「そうなんです。98なのに、今もピンピンしてるの!」
★…九重さんのお母さん(98歳)ご健在なんですね。
昭和の昔から今まで伺う機会も無く、全く知りませんでした。
★さてさて話変わって、今日は#78「いつか通った雪の街」放映記念日。
学生時代に僕が得た一番の教訓は「友達って良いなぁ」。
社会人になって得た一番の教訓は「人間って皆勝手だなぁ」。
そのテーマを昇華させたのが、黒澤映画「羅生門」であり、コメットさん#78「いつか通った雪の街」。
「羅生門」と対比させる位置付けが適当か否か、主観に過ぎないか。
★というわけで?879で“予告”した山際監督メッセージを初公開します。
当トピック?612のprphr603さん#78論をご覧になった監督から感謝の言葉です。
「いつか通った雪の街」についてのprphr603さんの感想は
あの作品の意図をみごとに見ぬいて下さっているので、
私自身感動して読ませてもらいました。
prphr603さんに伝えられたら、私の感謝を伝えて下さい。
よろしく。
山際永三
★山際監督には僕の?676などもご覧いただいたのですが、
返信メッセージを頂けたのはprphr603ことkazetohoshi326さん只1人でした。
kazetohoshi326さん、おめでとうございます。
うーむ、僕の自称する日本一ファンの座、危うし。
★何を隠そう僕は昔、#78「いつか通った雪の街」を和風に変えようと考えたことがあります。
題して「いつか通った雪の村」。
雪の街を洋風でなく「かまくら」にする。
マッチ売りの少女を「ガマの油売り」の少女に変える。
鶏の死骸を「イノシシ」か「タヌキ」にする。
聖歌隊を「火の用心」拍子木にする。
汽笛は「除夜の鐘」で終える。
BGMは民話風に。
それから…
★山際監督と市川先生に張り倒されそうなので、この辺で。
明日でトピック7周年!
Merry Christmas !! -
No.1269
過去№977
2013/12/04 22:56
2009/12/24 09:51
>>No. 976
ありがとうございます。山際監督からメッセージを頂くなんて夢のようでした。
「生きててよかった!!!」とこんなに強く思ったことは、人生で初めてだった気がします。(笑)
これほど素晴らしい経験が出来たのも、管理人様のこのブログに出会ったおかげですね。心から感謝致します!!
ああ、そういえば今日はクリスマス・イヴ・・。
クリスマスツリーの明かりの下で、遠いあの物語の世界に、再び心を遊ばせたいと思います。
皆さんも、素敵なクリスマスを・・・。 -
No.1274
過去№987
2013/12/05 19:54
2010/02/06 21:39
>>No. 982
ご無沙汰しております。
「ムーミン」私、大好きでした。コメットさんが終わって、次に夢中になったのはこの番組でした。
吉原さんはムーミンの脚本を全て、お書きになったのですか。 -
No.1275
過去№989
2013/12/05 19:55
2010/02/12 06:50
>>No. 988
連投ごめんなさいね。
籾山さんがコメットさんの40周年のイベントを開催された時、ご協力されたスタッフの人たちは、どういうお知り合いだったのですか。コメットさんファンの方たちだったのか、籾山さん個人のお知り合いだったのか、お聞きしたいです。よろしくお願いします。 -
No.1276
過去№995
2013/12/05 19:57
2010/03/09 18:47
>>No. 994
>神の導きとしか思えない時が僕の場合「コメットさん」関係に限っては現実よくあります
素晴らしいことですね。
私も、たまたまここへ書き込みさせて頂いた事によって、山際監督に
嬉しい言葉を頂くという、信じられないような経験をすることができました。
zvbxrp1 さんの「コメットさん」関係に関する不思議な力が、ここへ足を踏み入れた私にも及んだのです。
本当に有り難いことです。 -
No.1277
過去№1004
2013/12/05 19:59
2010/04/19 09:53
>>No. 1003
アッちゃん、ですよね、武くんは。(笑)
私も、「あっちゃん」と呼ばれていたので、(女ですが)
小さい頃は、ポッチャリした男の子と同じ呼び名で、
ちょっと嫌でした・・・。(武くん、ごめんね。) -
No.1278
過去№1007
2013/12/05 19:59
2010/05/08 18:23
>>No. 1006
今日、大好きな「いつか通って雪の街」を作って下さった山際監督と
お会いして、お食事とお喋りの素晴らしい時間を過ごしました!!
優しい、穏やかな、素敵な紳士でした!
ソフトな話し方で、時々、楽しそうにお笑いになる表情が
とても可愛いかったです。(失礼!^^)
色々なお話を聞かせて頂き、本当にあっという間に時間がたち、
ふたりで「ええ!もうこんな時間?!」と、驚きました。
またゆっくり、コメットさん製作時のエピソードなど
書かせて下さいね。
監督にお会いするきっかけを作って下さったMさまに、
心からお礼申し上げます。 -
No.1279
過去№1009
2013/12/05 20:01
2010/05/09 10:05
>>No. 1007
約束の場所へお迎えに行ったのが、朝の十時半・・。
ちょっと非常識な早さで、ご迷惑かしら、とも思いましたが、少しでも長くお話を聞くことが出来てよかった、とあとで思いました。
山際監督は、痩身で背の高い、八十にお近いとは思えない若々しさとストイックな美しさと品格をお持ちの、素敵な紳士でした。そして笑顔が、これまた可愛いんです!
お目にかかるまでは、とても不安で、どんな方なのか、また「コメットさんの素晴らしい作品をいくつもお撮りになった、あの山際監督にお会いする!」という興奮と怖ろしさで、ぜんぜん眠れませんでした。
穏やかな、優しい紳士で、本当にほっとし、私もすぐに気持ちを開くことが出来たような気がします。
お食事をご一緒する予定でしたが、時間がまだ早く、コーヒーを飲みながら
お話を始めました。・・気がつけば、十二時過ぎ。
近くのホテルで、素敵なフランス料理を頂きながらのおしゃべりとなりました。(美味しくて、美しくて、量も多くて最高でした。私、食べ切れなかったです。もったいない・・)
私の大好きな「雪の町」のエピソードでは、吃驚するものもありました。
雪にみたてた発泡スチロールの粉を、床に敷き詰めていたところへ、あの「たいまつ」の火が引火して、あっという間に広がったそうです。
松明を持って、KKKのような白装束を着ていたのは中学生くらいの子どもたちで、その子たちが悲鳴を上げながら逃げ惑ったといいます。入り口で待っていたお母さんたちも、大騒ぎ。
監督は、「ああ、自分も、子どもたちと死ななければならない・」と思われたそうです。つまり、もし一人でも犠牲者がでたら、ご自分も死のう・・と瞬時に思われた、ということなのだと思いました。
無事に火が消し止められて、本当に良かった!それ以降、スタジオでの火の扱いには、慎重になられたとか。
脚本家と監督で、「今度はこういうものを作ろう」と色々話し合いながら、一作を作り上げるのだそうです。
脚本の市川氏とは、スタッフを離れて、喫茶店でふたりであれこれ話し合い、いいアイデアがまとまって、ふたりが小躍りするようにして喜び合ったこともある・・そんな心温まるお話も聞かせていただきました。
コメットさんのバトンには、使用の法則!があり、それは「現金を出さない」「他の人に使わせない」というものでした。
一度、泥棒がバトンを盗み現金を思うままに出す、という話をやったのだけれども、失敗だと思われたそうです。具体的なことでのみ、バトンを使い、他の人がバトンを手にすることはなしでいこうということになったようです。最終回では、武君たちがバトンを奪いますが、
あれは魔法を使おうとしてではなく、コメットさんが行ってしまわないようにするための、悲しい、唯一の手段だったのです。 -
No.1280
過去№1010
2013/12/05 20:02
2010/05/09 10:27
0
0
>>No. 1009
小心者の私は「監督にお会いするのが怖い」・・とMさん(サイト主様)に何度もいいました。
そのたびにMさんは、恐れることなど何もない、これは、とても光栄なことなのだから全力で、
でもリラックスして、後悔のないように、応援しているから、、
という励ましの温かい言葉を下さり、それを心に繰り返しながらの
対面でした。
Mさんの言葉を監督にお伝えしたら、笑っておられました。
Mさんの熱心さには、監督も感心しておられ、Mさんのことを
お話になる言葉には、コメットさんをそうまで愛してくれていることへの
嬉しさも、にじみ出ていました。
主題歌の作詞が寺山修二、作曲が湯浅譲二、当時の若い優れた
才能が偶然のように集まってコメットさんに関わったことを、
少し懐かしそうに話されました。
「映画は時代の産物だから・・。」と言う言葉も、何度か仰いました。
話の流れの閉めが、その言葉へ何度も行き着いた、というべきでしょうか・・・。
食事を終えて、写真を撮り外へでたのは3時半すぎでした。
ホテルのロビーでまたお話し、握手してお別れしたのが5時半。
丸一日、尊敬する山際監督と過ごすことの出来た、素晴らしい日を
私は一生、忘れないでしょう。
心からの感謝と尊敬を、私はお伝えしたつもりです。
きっと、きっと、伝わった、と信じています。 -
No.1281
過去№1012
2013/12/05 20:03
2010/05/09 11:12
>>No. 1010
もうひとつ、とても大事なこと・・。
武くんが亡くなったこと、監督はご存じなかったのです。
武くんはもう亡くなった、という私の言葉を、2度ほど、
聞き直されました。
そして「そうでしたか・・。」と絶句されました。
終始、穏やかでにこやかだった表情が、哀しそうに翳るのを、
見ました。
静かな湖の表面とは裏腹な、監督の心の中に広がった悲しみが、
私にも伝わってくるようで、胸を打たれました。 -
No.1282
過去№1014
2013/12/05 20:04
2010/05/11 20:59
0
0
>>No. 1012
お話を思い出したら、ちょこちょこ書き込みますね。
監督は、日本では「二十四の瞳」の木下けいすけ監督、外国では
デビット・リーンとフェリーニがお好きだそうです。
これらの監督の映画としては「アラビアのロレンス」「逢引」「8・2分の1」を上げられました。
監督という仕事を天職と思ったことは特になく、どんな仕事でもそれなりにやったと思う、と仰いました。謙遜ではなく、ほんとににそう思っておられたのだろうと私は感じました。
呼吸するように自然に傑作を生み出していた山際監督には、一流になろうという悲壮感も、苦悩もなく、「監督、これこそが自分の天職だ!」などという青臭い気負いや、自己満足とは無縁だったのかもしれません。
凡庸で無能な日本の監督の多くが、傲慢な「監督面」をしてテレビなどに出てくることを思い出すと、山際監督の清々しさが本当に素晴らしいものに感じられます。山際監督を心から尊敬します。

過去№600
2013/12/04 22:41
2006/11/04 10:21
>>No. 1
「コメットさん」を今も心から好きな人たちがいることを知って驚きました。
私の心の奥で、甘く懐かしい輝きを放って生き続けてきたコメットさん。子供の頃は勿論、大人になってもよく思い出して、言葉に出来ないくらい大好きだった。子供の世界の煌き、幻想、喜び寂しさ、夢・・心の宝石箱でした。
私の周りには、あのテレビ番組のすばらしさを共有して語り合える人が誰もいなかったから、この日本で一番「コメットさん」を愛しているのは私だ!私だけかもしれない・・と思ってさえいたです。
「コメットさん」を愛していた人は、みんな、魂からの親友!って気がしてこの出会いを、心から嬉しく思い、感動しています。
zvbxrp1さん、本当に有難うございます。